籠の中に布をたくさん敷き詰め、その上に赤子が寝かされていた。頭部はぽやぽやした黒い髪に覆われ、ほっぺたは桃色、小さな唇は半開きで、唾液でつやつやしている。幼子は不思議そうに見上げていた。
「この子はなに?」
「ダイ、と呼んでおるよ」
鬼面道士のブラスはそう言った。
「ニンゲンの子じゃ」
小さなヒュンケルは振り返った。
「おれもニンゲンなんだって父さんが言ってた。ニンゲンの子って、こんなに小さくて弱くて、話もできないし、武器も持てないんだ。ニンゲンはどうやって生きていくの?」
はっはっは、とブラスは笑った。
「ニンゲンはたしかに弱い。だが、成長する。その早さと巧みさは、モンスターにもまねができんのじゃ」
小さなヒュンケルは手を伸ばしてダイの顔にさわろうとした。赤子のダイは、ヒュンケルの人差し指をきゅっとつかんで、うれしそうに声を立てた。
「気に入られたのう。抱っこしてみるかの?」
おそるおそるヒュンケルはダイを抱き上げた。
「腕を回して、背中とおしりを支えてやりなさい。そうするとダイは安心する。ゆっくりゆすったり背中をそっとたたいていると、眠ってしまうんじゃ」
ヒュンケルがダイを寝かしつけるのをブラスは目を細めて眺めていた。
突然、扉が開いた。
「ブラス殿!侵入者だ!」
バルトスだった。すでに二腕が抜刀していた。
「なんと!」
外に出ると、デルムリン島のモンスターたちが砂浜に集まっていた。どれも目が赤くなり、攻撃的な態度で威嚇していた。
彼らの中心にいるのは見慣れないモンスターだった。
「あれは、亀か?」
デルムリン島で育成されているモンスターの中でも、マッドオックスやごうけつ熊は大型だった。だが、この亀に似たモンスターは背中にごうけつ熊の二三匹を乗せて泳げそうなサイズだった。桁違いの大物に、モンスターたちは威嚇することしかできなかった。
地底魔城の守りとなるべく、バルトスは剣の天才をさずかって生み出された。そしてブラスはあらゆるモンスターと意志を通じる特殊能力を見込まれて育成役に抜擢されている。ひとつうなずいてブラスは前に出た。
「何者じゃ。この島へ何の用があって来た?」
奇妙な大亀は渋面をつくり、大きな口を開き、グワァーと鳴いた。
「言葉を持たぬのだな。心に思い浮かべるだけでもよい」
だが、大亀から感じられるのは、不快感、怒り、餓え、攻撃の衝動だけ。
「なんと原始的な生き物じゃ」
バルトスは首を振った。デルムリン島は飛び地ではあるが魔王ハドラーの版図の一部だった。よそのモンスターの侵入を許すわけにはいかない。
「しかたあるまい」
六本の腕がそれぞれ大刀を握り、大亀に迫った。さすがに危機を悟ったのか、大亀は甲羅の中に頸をひっこめた。
「笑止!」
地獄の騎士が剣の切っ先をそろえてつきつけた。
「グワァー、グワァー、グワアアアアァァァァァ」
甲羅の中で鳴いているらしい。思わずブラスは耳をふさいだ。
「これは、なんとも……」
歯ぎしりに似た嫌な音だった。それが甲羅で増幅される。耳のいいリカント系が逃げ出した。他のモンスターたちは耳を抑えて砂浜を転げまわっている。くっとバルトスさえうめいた。その手からばらばらと剣が落ちた。
「バルトス殿っ!」
後ろから誰かが砂を踏んで走ってきた。
「父さん、どうしたのっ」
「ヒュンケルか……だめだ、もどりなさい」
ヒュンケルはきょとんとして立ち止まった。
「何かあったの?この声、なんだろう」
ブラスは驚いて少年を見上げた。どうやら、神経にさわるこの鳴き声は、ニンゲンには効果がないらしかった。
「この声はあの亀だ。ヒュンケル君、下がっていなさい。こいつは原始的で、何者なのかも、目的もわからん。危険じゃ」
周囲で苦しんでいるモンスターたちを見て、ヒュンケルはとまどっていた。だが、あとずさりどころか、砂を踏んで大亀に近寄り、甲羅の中をのぞきこんだ。
「おい、おまえ……?」
接近されて、亀の鳴き声が大きくなった。
ヒュンケルはそばにしゃがみ、亀の甲羅に手を触れた。
「よしよし」
そう言うと、大きくてごつごつした甲羅をそっとたたきはじめた。とん、とん、というそのリズムは、ついさきほどまでダイを寝かしつけていたときと同じだった。
亀の鳴き声が小さくなり、途切れがちになった。やがて完全にとだえ、代わって寝息が聞こえた。
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翌日のこと、ブラスとバルトスは再び砂浜に顔をそろえていた。
「あの図体で、まさか赤子であったとは」
二人のそばに大亀がいた。
「己の名も、目的もわからぬ道理だ」
バルトスはためいきをついた。
「しかし、どうしたものか」
目の前の海は穏やかに凪いでいる。その波の下から、小島のような巨大なガメゴンロードが首を伸ばしてこちらを眺めていた。その首だけで竜のような大きさだった。
ブラスがその能力を駆使して、水棲モンスターたちにガメゴンロードを探させたのだった。
「亀殿、おぬしのお子はここへ迷い込んできたのだ」
わかっていますよ、と言いたげな穏やかな表情でガメゴンロードは身を乗り出し、自分の赤子をそっとつついた。
やれやれ、とバルトスはつぶやいた。
「この一件がおさまるまでは、地底魔城に戻れん。第一、ハドラー様にどうご報告したものか」
ガメゴンロードは、つんつんと鼻先で赤子をつついている。ベイビーはまだ眠る気のようだった。