レヌールの真の王 第一話

 王宮から差し回しの馬車は、黒塗りのパネルに金具を光らせて、宿屋の前に待っていた。尊大な顔つきの従者がラインハット王の紋章をうった扉を開き、アルカパからの使節団はちり一つない内部へおそるおそる足を踏み入れた。
石畳の上を車輪が回り始めた。
「信じられん」
 アルカパ使節団の団長オレイルがつぶやいた。オレイルはすでに腰の曲がった年寄りで、頭髪も薄い。アルカパでは長老として人に立てられてもきたし、このたびの困難な使節も引き受けた。そのオレイルにして、このラインハットのありさまは、驚きの連続だった。
「わしは夢を見とるんじゃなかろうか」
使節の一人が、窓から首を突き出すようにしてつぶやいた。
「まるで、何もなかったようだ」
 馬車が王宮へつくと、ぱりっとしたなりの役人が出迎えた。
「アルカパ使節団の皆様ですな。国王陛下は、謁見の間にてお待ちです。どうぞこちらへ」
うむを言わせぬ口調だった。
「あのう」
役人はふりむいた。
「あ、わたくしは宰相閣下、つまりオラクルベリー大公殿下のことですが、秘書を務めます、ネビルと申します」
「いえ、そうではなくて」
オレイルが言うと、ネビルはむっとした顔になった。
「陛下がお待ちかねなのですが、なにかご質問でも?」
「いえ、その、ラインハットには、先の夏に日照りはなかったので?」
ネビルは片方の眉を高く上げた。
「ありましたよ。作物が一割がたはやられました」
「では、続く秋にいきなり雪が降ったりするようなことは?」
「そういえば降りましたなぁ。一時はどうなることかと思いました」
「冬から春にかけて、流行り病は」
「あれは発見が早くてすぐ終わりましたね」
オレイルは大きく息を吐いた。
「では何もかも、あったんですな?それでいて、なぜこの都は」
こんなに美しく、平和にしていられるのか、とオレイルは聞きたかったが、ネビルはせかせかと歩いて先に進み、じれったそうにしていた。
 広々としたエントランスホールは、ドラゴンを飼うのかと思うほどの高天井だった。青を基調にした天井画は、湖の精霊が描かれている。波打つような渦巻き文様をほどこした円柱が何本も、整然と天蓋を支えていた。壁面のひとつにはこの地方の巨大な地図が金縁の枠に入れて掲げてあった。
 エントランスを抜けると、やはり豪華な装飾に覆われた回廊になる。足元には巨大な王国の紋章が描かれている。踏んでいいのかどうか、オレイルたちはためらった。華やかな大階段をあがるころには、この華麗な城に住まう王がアルカパの話を聞いてくれるだろうか、とオレイルは思い、暗澹とした気分になった。
 もったいぶったようすのネビル秘書がいかめしい軍服の近衛兵に命令すると謁見の間の重そうな扉が開かれた。
「アルカパ使節団をお連れいたしました」
 開かれた扉の先は広大な空間だった。波型十字をモチーフにした装飾文様が天井に、壁に、端正に展開される。
 オレイルたちは、つばを飲み込んで、長く連なる赤い絨毯を踏んで進んだ。堂々たる文官たち、精悍な武官たちがその両側に威儀を正している。使節団はその視線にも耐えなくてはならなかった。
 高い位置に繰り広げられる色絵ガラスの明り取りから、柔らかな光が降りそそぐ。扉正面中央奥が数段高くなり、ラインハット王の大紋章を描いた幕が、天井から下がっていた。
 幕の真下の玉座から、若い男が立ち上がった。長身だが色白で、やさしげな印象がある。学者王と名高い、ラインハットのデール一世にちがいなかった。
「よくおいでになりました。アルカパの方々」
穏やかな声でそう言われて、オレイルたちはあわてて膝をついた。
「私にお尋ねのことがおありとか」
オレイルは深く頭を下げてから言った。
「英明なる国王陛下、お許しを得てお尋ね申し上げます。この世はこれから、どうなるのでありましょう?」

 天変地異は昨年の初めから起こっていた。水枯れ、地震、虫害、日照り、疫病、冷害、大雨、家畜の不妊などが、次から次へとアルカパを襲った。
 もちろんそれまでにも災害はよくあったのだが、この一年には、まれに見るような大災害が重なり合うように訪れたのであり、すでに食料は尽き、家は壊れ、年寄りや幼児がばたばたと死んでいた。
 手の施しようがなかった。
「この世は滅ぶのでしょうか?天空に竜の神がおわしますと言い伝えられておりますが、われらアルカパの民に救いは与えられないのでしょうか?」
苦労が深いしわになってきざまれたオレイルの顔に、涙が筋を引いて流れた。
「ラインハットの国王陛下は、当代一の博識とうかがっております。この世のことわりを、お教え下されませ」
 王は玉座に戻り、眉をひそめた。この人の母君こそ、かつて王国一の美女と謳われたアデル太后だとはアルカパにも伝わっている。まだ青年の王は、たしかに気品ある端正な容貌の主だった。
「私の知識など浅いものに過ぎません。それでも、アルカパの長老殿、これからこの世は、ますます暗くなっていくとわたくしは思っております」
「そんな、なぜ」
「ここ数年天の星の象に、地の生き物の相に、さまざまな前兆がありました。くだくだしくは申しませんが、これらが単なる自然の気まぐれか、凶事の前兆かと、賢者たちさえ意見があいませんでした」
「陛下は前兆にどのような凶事をお読みになったのでしょう」
「魔王の復活です」
オレイルたちは息を飲んだ。
「そんな、まさか……」
デールは首を振った。
「そして去年、トレミアの西にある岩山が鳴動をはじめました。あの奥には封印の洞窟なるものあり、と古書に語られております。その古書に、洞窟に執着する最後のレヌール王の魂が、この世が滅びることを悟れば鳴動を起こす、とある通りになりました」
「では、ほんとうに?この世は滅びるのですか?竜の神に、お慈悲はありませんのか!」
「竜の神は、はたして実在するのかさえ、わかりません。竜の神の居城たる天空の城は、もう長いこと大空にその姿を見せたことがないのです」
デール王は痛ましげな顔になった。
「救いは人の手にのみあることでしょう。長老殿、さいわい、前もって備えていたおかげで、わが国には多少蓄えがあります。食糧ならばお持ちかえりください。ですが、この世のことは」
王は口をつぐんだ。
「ありがたい仰せです。が、陛下、わけがござって食べ物は長く持ちますまい。アルカパがなにより求めるのはこの苦しみが終わる日の知らせです」
「それは……」
 そのとき、玉座の一番近くに立つ青年が口をはさんだ。
「あと、一年」
青年は片手に軽く、杖を握っていた。それが宰相の職権を象徴する宰相杖であることに気づいて、オレイルは思わず、その顔を見直した。デール一世とほぼ同年輩で、顔立ちに共通点がある。そして宰相ならば、王兄、オラクルベリー大公ヘンリーにまちがいなかった。
 宰相は、よく見ると顔の造作が国王にそっくりで、背格好も同じだった。が、並んだ二人を見間違える者はいないだろうとオレイルは思った。ヘンリーはデールよりはるかに線が太く、豪快な印象があった。
「あまりお悩みなさいますな、陛下、長老殿。あと一年の御辛抱です」
ヘンリーは人好きのする笑顔を浮かべた。それにつられたように、デールの顔に微笑が浮かんだ。
「あなたが楽観的なのは知っていますが、それにしても一年とは?」
「御意」
宰相杖を一度床について、ヘンリーは一礼した。芝居の一場を見るようだとオレイルは思った。気がつくと空気さえ変わっていた。周囲の重臣たちの間にどことなく暖かな、また宰相閣下のはったりが始まった、というような、ひやかしまじりの期待が漂っていた。
「あらゆる前兆が、魔王の復活を指すという」
ヘンリーはそう話し始めた。
「けっこう。ならば魔王は、復活させましょう。復活したら時をおかずに討ち果たせばよい」
オレイルは目をむいた。
「相手は魔王ですぞ、いったい、誰が!」
ヘンリーは自信ありげに言い切った。
「勇者が」
オレイルは口の中で、オウム返しにその言葉をつぶやいた。
「グランバニア王国の世継ぎの君、アイトヘル殿下こそ、天空の剣に選ばれた勇者その人です。御年、九歳」
「まだ子供ではありませんか」
「幼いながら天与の才に恵まれた大器であられます。運もお強いか。十年近く魔の者たちがお命を狙い続けてなお、ぴんぴんしておられる」
ヘンリーはふと天井を仰いだ
「この世が魔王におびえる日々もあと、そう、半年と言いたいが、幼い方ゆえ十月といたしますか。さらにだいじをとって一年、と」
「ですが、そうお小さくては魔王と刃を交えるなどと思っておられないのではありませんか?とても一年のうちに魔王退治ができるとは」
「いえいえ、勇者殿はちゃくちゃくと戦いに向けて備えておられるはずです。そうでしたな、王太子殿下?」
 王太子と呼ばれたのは十歳前後の少年だった。子供ながら、ラインハット王家独特の容貌をしている。突然注目を浴びて、やや紅潮していた。
「では、コリンズ、知っていることをお話なさい」
国王にそう言われて、王太子コリンズは緊張したようすで咳払いをした。
「ええと、先日お会いしたとき、勇者殿は天空への塔へ登ったと言っておられました」
天空への、とつぶやきかけてオレイルははっとした。思い当たることがあった。
「かつて資格なき者を拒めりという、あの幻の」
「そうだと思います」
コリンズは、せいいっぱい重々しくうなずいた。
「勇者殿の一行は、天空の城をすでに見つけられたようです。ただ、見るも無残なありさまとか。けれど、もし竜の神を探し当てることができるものがいるとすれば、きっと勇者殿とそのパーティだとおれは思います」
「ありがたい……神はまだ、地上をお見捨てではなかった」
オレイルの後ろで、使節団の一人が感極まってそうつぶやいた。
「と、いうわけで」
ヘンリーは何気ない調子で言った。
「あと一年持ちこたえれば、勇者殿がこの世を救ってくださることでしょう。救われたいと願う者には、それなりの作法と言うものがある」
「作法、でございますか?」
ヘンリーは微笑んだ。
「すなわち、救われることを信じて、持ちこたえること。あきらめぬこと」
あまりに確信ありげな言い方に、オレイルは思わず、うなずいてしまった。
「われわれにできることは少ないが、せめてその一年を持ちこたえなければなりませんな、長老殿?」
オレイルは意を決した。
「まことにおっしゃるとおりです。望みも湧いてまいりました。つきましては、ひとつ相談がございましてな。実は、今、町を一番脅かしているのは自然災害ではなく、ヒトなのでございます」

 この春のなかばごろ、レヌールの古城のあるあたりから、ひとり、またひとりと、町へ難民が流れ込んできたのである。病気なんです、飢えております、助けてください、そういってくる人々を、アルカパの市民は最初同情で迎えた。
 しかし、今日の日は昨日の倍の人数が来るとなると、アルカパにも限度があった。俺たちが食えない、送り返せ、という声が出始めた。だが、いかにも打ちひしがれた家族さえも、震え上がって答えた。
「頼むから置いてくれ!西はどこも泥沼の戦なんだ!」
アルカパの者たちは愕然とした。レヌリア大陸の西部地方は天候異変ですさまじい被害の出るさなか、王位を争って、複雑な内乱を繰り返していたのである。
「難民たちを元の土地へ返すために、どうぞしてこの西レヌール王国の乱れを治めていただけませんでしょうか」
デールとヘンリーは顔を見合わせた。
「とにかく、詳しいお話を伺いましょう」
「ありがとうございます。西レヌールと申しますは、王国といっても、領土はレヌリア大陸の西海岸にへばりついた猫の額ほどの土地、町らしい町はグロットくらいのものです。国には若い国王と、それを補佐する宰相がおりました」
と、最初に長老は説明した。
「国王にとって、宰相は父王の弟、叔父にあたります。事実、有力な貴族である叔父の後押しによって、彼は王位に着いたといえましょう。王は叔父を宰相の位に据え、たいそう尊んでいました」
そう言ってから長老は、つい上目遣いにヘンリーを見上げた。
「ええ、その、感謝の念は、しかし、年とともに薄れるものです。やがて王は政治を独占する宰相にいらいらしはじめました。そこへ王の取り巻きがささやいたのです、宰相様は王位を狙っていると」
「それで?」
デール王は真顔でうながした。
「王はひそかに軍を整えて、宰相を狙い始めました。が、その取り巻きの中から密告するものがあり、事前に宰相に露見してしまったのですよ。すぐさま宰相は恩知らずとののしり、逆に王宮を包囲してしまいました」
宮廷内にため息が漏れた。重臣たちはちらり、ちらりと、デール一世と宰相ヘンリーを見比べていた。
「このあとは複雑すぎて、おぼえきれませんでしたわい。とにかく、レヌールの国王も宰相も今は亡くなっていますが、どちらの派閥もばらばらに乱れ、またその中から数派が結束し、兵を集め武器をそろえて、王国全土で陣地の取り合いをしております。が、民の苦しみを救おうとするものはおりません」
「お話はわかりました。しかし、ラインハットはレヌールにとって歴史的に敵対してきた間柄です。わたしたちが乗り込んでいってもよい感情はもたれないでしょう」
「御意にございます。が、西レヌールで大きな一派を率いる者たちはどんぐりの背比べにあきあきして、ラインハットの力を借りたくなったようです」
「軍事援助を受けたいと?」
「つきましては、アルカパの私どもから話をつけてほしいと申してきました。ただ問題がございまして」
“問題”を説明しながら、オレイルはラインハットの重臣たちの顔を盗み見ていた。ほとんどの者、特に威厳のある壮年の将軍が気に入らなさそうな顔をしていて、オレイルは首を縮めた。
 が、デール王は同情的だった。
「諸卿の意見もあると思いますけど、わたしは西レヌール王国を助けたいと思います」
声をあげかけた将軍を王は片手を上げてとどめた。
「遠くない昔、ラインハットの軍があのあたりで暴れたことはみなも知っていることでしょう。責任を感じるのです。オレスト、わかってください」
ふぅ、とオレスト将軍はため息をついた。
「陛下のお気持ちはお察しいたしますが、ラインハットとてここ一年は生き残るかどうかの綱渡りです。聞けばこの問題はひときわ解決が難しいではありませんか」
はたして解決がつくのか、とオレストは言外に問うた。
 デール王は助けを求めるような目で兄を見た。ヘンリーはやはりためいきをついたが、しっかりとうなずいた。
「どうか、御安心を」
デール王はさっと喜色を表した。
「解決してくれるのですか?」
ヘンリーは自信たっぷりに言い切った。
「いかようなりとも、おおせのままに」