レヌールの真の王 第二話

 コリンズは謁見の広間を出て、大階段をまっすぐ下に降りていった。すぐ下の踊り場に、使節団を送り出したヘンリーたちがいた。秘書や従僕に何か言いつけると、ヘンリーは一人コリンズのほうへやってきた。
「さっきはいきなり話をふって悪かったな」
ヘンリーがからかっているのがわかったので、コリンズはわざと肩をそびやかした。
「いきなりだって?べつに驚いたりしなかったよ。父上、下へ行くの?」
ヘンリーがうなずいたので、コリンズはいっしょに大階段を降りていった。コリンズの後ろからヘンリーが唐突に言った。
「で、本当のところはどうなんだ?」
前後を省略した質問だったが、コリンズは意味を悟って声をひそめた。
「アイルの父上が天空への塔に入りびたりなんだって。レベル上げもかねて、でっかい黄緑色のスライムを捕まえるまでがんばるつもりみたい」
「まいったな。あいつスライム好きなんだよな」
ヘンリーは軽く自分の首の後ろをもんだ。
「一年て期限をきっちゃったからな。こんどあの子が来たら、とっとと進めろと言っといてくれ。こっちにも都合ってもんがあるんだからさ」
そうぼやきながらヘンリーは、貴婦人とすれちがえば帽子をとって慇懃に挨拶し、部下の官僚がいれば声をかけ、顔を知っている侍女が通ると笑って会釈して、と、まことに忙しかった。
 コリンズは付き合っていられなかったので、先に一番下へ降りて、石を積んだアーチから城の厨房へ顔を突き出した。厨房は中庭に面して半地下にあり、いい香りや湯気が立ち込めている。湯気を通して昼下がりの太陽が帯状に差し込んでいた。
 昼の片付けが終わり、夜へ向けて今はのんびりと下ごしらえの時間である。くつろいだ雰囲気がそこにあった。
「メルダ?いる?」
若い女中がくすくす笑った。
「コリンズ様、よいところに。オレンジケーキのタネがあまったので、メルダさんが何か作ってましたよ」
「やった!」
オレンジケーキはメルダが昔から得意とする一品で、コリンズの大好物だった。
「オレンジケーキ?いいな。おれにも」
アーチをくぐって、ヘンリーがぬっと入ってきた。
 昔の習慣をそのままに、しょっちゅう厨房へ来る癖がヘンリーにはあり、コリンズまで染まってしまった。こうしてやんごとなき殿下方は、厨房の作業台の前に顔をそろえ、木箱だのたるだのに腰掛けて、メルダの小言を浴びながら“何かひとくち”つまむのが日課になっていた。
 だがその日は先客があった。
「母上!」
「あら、コリンズ、ヘンリーも。二人ともお昼を食べてないでしょう?」
いまだにほっそりとして美しいマリアは、そう言って微笑んだ。
 ラインハット城の奥向きは、アデル太后が引退状態の今、すべてオラクルベリー大公妃マリアが取り仕切っている。城の各部署で必要なものは彼女が指示を出して調達するのだ。
 マリアは城の運営についてメルダの意見を聞くためによく厨房へ足を運び、メルダはこの若奥様に、まるで古参兵が将軍を仰ぎ見るように心酔していた。
 湯気の立つコーヒーとできたてのオレンジケーキをだしてやりながら、メルダは遠慮なくまくし立てた。
「さあ召しあがれ。お昼をあがってなかったんですか?この間も言ったでしょ!あまり根をつめるとお体に毒ですよ」
メルダにとってはヘンリーもコリンズも食べ盛りの腕白に見えるらしかった。
 ヘンリーはマリアの隣に座り込み、キスやささやきや甘い悲鳴や意味ありげなまなざしをまじえて、長々と恋人同士の挨拶を交わしてから、ようやくケーキに取り掛かった。
「おれだって昼を抜きたくなんかなかったけど、客が長話でさ」
メルダは眉をひそめた。
「お客様はアルカパですってねえ。あたしの妹がアルカパへ嫁に行ってるんですよ」
「え、そうなのか?けっこうたいへんらしいよ」
ヘンリーはアルカパの災難をかいつまんでメルダに話してやり、やれやれと言った。
「おれに任せろってデールに言っちゃったよ、あ~あ」
「ごめんね、にいさん」
返事をしたのは、国王その人だった。侍女もつれず、一人きりである。
 厨房の者はさすがにあわてた。
「まあデール様。メルダの焼き立てがありますの。ごいっしょにいかがですか?」
正式なパーティーに招いたかのように、マリアが悠々と言った。
「ありがとうございます、義姉上」
ほっとしたような顔でデールは作業台の一すみにすわった。すかさずメルダが焼き菓子を大きく切り分けてもってきた。
「何年ぶりですかねぇ。お小さいころヘンリー様と一緒にここへ見えたことがありました。覚えておいでですか」
デールはメルダに微笑みかけた。
「もちろん。あれはわたしの、生まれて初めての冒険ですよ」
なんとなく、城主一家は奇妙な場所で午後のお茶をはじめていた。
「兄さんを探してたんです。面倒なこと頼んじゃって、ごめんなさい」
ヘンリーはカップのふちを指ではじいた。
「お前は外交の方針を決めるのが仕事だろ。おれたちはその方針にできるだけ沿うようにするのが、仕事だ。気にすんな」
「うん」
何かまだ言いたげに口をつぐむ。
「あの話、気にしてるのか?」
西レヌール王国の内紛は、王と宰相の不和から端を発した。
「おれは今でも、仕えるべき主を正しく選んだと思ってるよ」
「わたしたちは、わたしたち、ですね」
「そうさ」
 こんなときコリンズは、もしかしたら兄弟がいる、というのも案外いいものかもしれない、と思う。
「で、どうすんの、父上?」
口元についたケーキの粉をぬぐってコリンズは聞いてみた。
「ふむ。問題は、誰を選べば、レヌール人がみんな納得するかだ」
 アルカパの町衆に、ラインハットとの仲を取り持ってくれ、と言ってきたのは1グループではなかったのだった。
 死んだ宰相の娘むこだった貴族崩れの軍人、先々王の王子の子孫という土地の大物、われこそは最期の国王の隠された息子と名乗りを上げた若者という顔ぶれである。
「めんどくせぇの。父上、くじ引きにしたら?」
「そう簡単にいくかよ。どのグループを選んでも他の2派を敵にまわすんだ。誰もが納得の行くような国王候補でないと、内乱は続くぞ」
「いっそ、父上がのっとっちゃいなよ」
「できるぞ、今なら。ラインハット王国軍はいたって精強なんだ。けど、そんなことしてもデールはうれしくないだろ?」
「ええ、まあ」
ヘンリーは腕を組んでつぶやいた。
「それにしても、芸がねぇよ、芸が。アルカパの長老に頼んで口を添えてもらうなんてさ。デールがもし、そのレヌールのどれかのグループのリーダーだったら、どうする?」
デールはくすっと笑った。
「そう……。私なら長老に同行してきます。そしてラインハットの宮廷で演説ですね。『貴国にとって、わがグループは救いの神である。われわれが西レヌールを制圧すれば難民問題の解決になり、同時に歴史的な対立を解消するきっかけともなる。今なら軍事援助をさせてやる』これくらいは言わないと」
コリンズは思わずつぶやいた。
「叔父上ってすごいんだね」
ヘンリーはにやっとした。
「いまごろわかったか?デールはおれより頭いいんだぞ」
「兄さんたら、芸だけじゃ王は勤まらないのは知ってるくせに。それよりレヌール問題ですが、くせものはあの預言者だと思うんですけどね」
「真なる王を見分けることができるってやつな?」
 西レヌールの内乱をリードする3つのグループには、それぞれお抱えの預言者がいた。それぞれが所属グループのリーダーを、“天命を受けたるまことの王”と呼んでお互いに一歩も譲らないのである。
「ガセだろう?天命がそのへんにごろごろしててたまるかよ」
「預言者3人をラインハットへ呼びつけて、能力比べをさせたら?」
コリンズは言ってみた。
「ネビルとかの中に、地味なかっこで叔父上に混ざってもらうの。ちゃんと見つけた預言者の勝ち」
ヘンリーは首をふった。
「だめだめ。いいか、ある国の国王を群衆の中から見分けるなんて、がきでもできるんだぞ。マリア、小銭持ってる?」
マリアは手にした巾着袋を広げ、1ゴールド金貨を数枚取り出した。
「これでいいかしら?」
「ん、ありがとうね。よく見ろコリンズ。ゴールド金貨の裏面には発行した国の元首の横顔が刻んであるんだ。これは、テルパドールのだな。女王様がついてるだろ?うるわしのアイシス様だ」
コリンズはがっかりした。
「なんだ、だめか。アルカパあたりじゃ、ラインハットの金貨がいっぱい出回ってるよね」
返事はなかった。
「父上?」
ヘンリーは金貨の一枚を取り上げて、じっと眺めていた。
「いや、コリンズの大当たりだ。こりゃ、使えるな」
そう言ってヘンリーはデールにその金貨を見せた。
「なるほどね」
兄弟はよく似た笑みを浮かべた。
「よし、預言者どうしで能力比べと行こう。真なる王を見分けてもらおうか」

 古都アルカパに、久々にうきうきした空気が漂っていた。ラインハット王の行幸である。
 アルカパ救援のために資材や食糧を持ってきてくれるという連絡もうれしい限りだったが、美々しい近衛兵に守らせた王の行列はそれだけで見ものだった。
 アルカパ市民が見守る中、郊外の小高い丘の上に、緑の地に金の波型十字を描いた戦旗が何流も翻った。戦旗の間に大天幕が張られ、国王と随行員がその中へ落ち着いた。
 正午、西レヌール王国の王位を争う三派が、臨時の休戦協定を結び、アルカパの丘へそれぞれのリーダーと預言者を送り込んできた。西レヌール王国の未来を決定する、預言者比べである。
 目のさめるような青空の、美しい日だった。
 ネビルは従僕たちの支える大きな姿見の前を行ったりきたりして晴れ姿を点検していた。
「悪くないねぇ。リアラに見せたいもんだ」
美人の従姉妹のことを考えてにやにやしていたとき、表で物音がした。近衛の兵士が誰何する声が聞こえた。
「コリンズ・オブ・ラインハット!」
甲高い声が答えた。
「宰相閣下はどちらに」
天幕の中にいたヘンリーが、内側から声をかけた。
「でかい声を出すなコリンズ。おれはここだ」
「あ、父上」
小柄な体がするりと天幕の内側へ入ってきて、つかんでいた羊皮紙の巻物を差し出した。
「伝書キメラが。父上たちが出たすぐあとに来たの」
ヘンリーは黙読して、コリンズと顔を見合わせた。
「まじかよ。あいつ、やってくれるな。今太陽は?」
「てっぺんに近いよ。間に合う!」
親子はくくっと笑いをもらした。
「ようし、コレが来てもきょろきょろするなよ」
コリンズは親譲りの不遜な笑みを口元に浮かべた。
「誰に向かって説教たれてんだよ。おれはトーシローか?」
「どうしてこう憎たらしいかな、このガキは」
従僕が割って入った。
「そろそろですが」
「わかった。ネビル、持ち場についてくれ」
「はいっ」
さすがのネビルも緊張してきた。