レヌールの真の王 第三話

 ジャンヌはどうしても預言者比べを見たかった。
 ジャンヌが故郷を離れてアルカパへやってきたのは、数ヶ月前のことだった。アルカパ一という大きな宿屋の女将の好意で、雨風をしのげるし、毎日の食事ももらえ、小さな弟妹も安心して暮らせる。女将は、くるくるとよく働くジャンヌを気に入って、もう少し大人になったら女将の息子の誰かと結婚してくれないか、と言ってくれた。
 親なし宿無しの小娘にしては玉の輿だが、ジャンヌは即答できなかった。ジャンヌのあとからアルカパへ流れ込んでくる人々を見捨てられなかった。
 住んでいた村が突然兵士たちに襲われ、炎と絶叫の中で両親を失った。アルカパへ逃げてくるとちゅうはまるで地獄のようだった。それを覚えているからこそ、ジャンヌはぼろぼろになってアルカパへ到着する難民をひとりひとりいたわり、女中仕事の間をぬって古着や食事を運んでやっていた。
 それももう、終わるかもしれない。西レヌール王国に、誰でもいいからちゃんとした王が決まって、ジャンヌは村へ帰れるかもしれない!
 やもたてもたまらなくなって、ジャンヌは女将の見物にくっついてアルカパの丘へ来てしまった。アルカパの難民たちも、熱い期待を込めて、歩けるものはほとんど見に来ている。
 先の宰相の娘むこ、ルーサー将軍は神経質でいかにも気の短そうな老人だった。預言者は白髪の賢者風の男で、エルグリンと将軍は彼を呼んでいた。
 先々王の血を引くブラバット男爵は、ずるそうな目の太った男で、ちょっと年齢のわからない女預言者、アンドラを連れていた。
 先王の隠し子ケルナー王子は、妙におどおどした若者で、軍師だというひげの大男の言いなりになっている。その軍師が預言者を兼ねていて、名はオサイアラス。
 将軍と男爵と王子は、用意された席にそれぞれ腰掛け、三人の預言者だけが丘に広げられた真紅の敷物を踏んで進んでいった。
 その両側に、ラインハットの名だたる重臣が威儀を正している。大天幕を背にして見事な玉座がすえつけられ、近衛の兵士や宮廷貴族がおおぜいかしづいている。ジャンヌのいるところからも、ラインハットの王様が玉座に座っているのが見えた。
 王は二十代の青年だった。白の地に金糸で縫い取りを入れた衣装と、宝石らしいピンで留めた青緑色のマントが惚れ惚れするほど鮮やかだった。同じ色の帽子には、鮮やかな翠色の羽を飾っていた。
「よくおみえになった、預言者の方々。今日、この丘の上で、この国の未来の王が定まれば、わがラインハットはその方にお味方しよう。あなた方の力を見せていただきたい」
エルグリオンは、横を向いた。アンドラは薄笑いをもらした。オサイアラスだけがじろっと王をにらみつけた。
「前座はけっこう。偽者を相手に弁じるほど、私は暇ではない。ラインハットの国王陛下、本物の国王陛下にお目通りを願いたい!」
大音声で言った。
 玉座のまわりでため息やくすくす笑いが起こった。
「おいおい、ネビル君、もう少しもつかと思っていたよ」
年寄りの大臣があきれたように声をかける。
 ジャンヌの横で、アルカパの宿の女将がぷっとふきだした。
「あら、偽者だったの!ちょっといい男なのに」
ネビルと呼ばれた偽者の王は、いまいましそうな顔になった。
「すいませんね、ヴィンダンさま!」
ぶすっとしてネビルは答え、預言者たちのほうへ向き直った。
「ええ、ええ、わたしは王じゃないですよ。でも本物の陛下は、今この場においでです。どこにおいでか見破ったお方をラインハットは信じましょう」
 将軍と男爵と王子がそろって身を乗り出した。アンドラは日のあたる丘の上を、鶏のようなしぐさで見回した。エルグリオンは玉座の周りを一周した。オサイアラスはじっと目を閉じていたが、くわっと見開いた。
「そこな、お方!」
オサイアラスが、随行員の中から呼び止めたのは、飾りも何もない黒い服を着た青年だった。ケープと、黒い帽子に飾った羽だけが白い。下っ端の役人のような身なりだった。
「わたしが、なにか」
青年は、穏やかに言った。
「こちらへ。いや、尊い御身分なれば、なにとぞ、お運びを」
そのとき、アンドラがオサイアラスを遮るように飛び出した。
「あなた様の上に、天命が見えまする!」
青年はめんくらった顔で目をぱちぱちさせた。その腕をしっかりとつかんだのはエルグリオンだった。
「ラインハットの国王陛下とお見受けいたします」
「きさま、わたしが先に!」
「手を離しなされ、もったいなや」
三人の預言者は黒い服の若者を争いはじめた。
 では、この人が?ラインハットの本当の王というのはわりあい地味な人だとジャンヌは思った。しかし預言者が三人とも正解してしまっては、どうなるのだろう。三つの派閥の主が、すべて正当の王だなどということがあるのだろうか。
「待って、待ってください」
若者は叩き落とされた帽子をひろってかぶり直した。
「では、みなさんは、わたしが王だとおっしゃるのですか?」
預言者たちはいっせいにそうだと言い、また自分が先だと騒ぎ始めた。
「よくご覧になってください。ここには、まだこれほどの人がいるのです」
「何をおっしゃる。王たるものの威厳と気品は、隠すべくもございません。これぞ、他の者には求め得ぬもの」
「天命、見間違いようもない天命があなた様の上に」
「君臨すべく運命付けられた者の証は、見るものの目には明らかなれば。暗闇の中の星のように、ただひとつ輝いておられます」
黒服の若者はすっと両手を広げた。それだけで、かまびすしかった預言者たちが静かになった。
 ジャンヌは目を見張った。このひとは命令することに慣れている。ジャンヌには運命も天命もわからなかったが、この人がどうやら本当に国王らしい。預言者比べは、無効になったのだ。
「お三方、見ていただきたいものがございます」
若者は一度手をたたいた。お仕着せを着た従僕が、金の房を垂らした紫色のクッションを捧げてやってきた。クッションの上から若者は、コインをつまみあげた。
「これがなんだか、おわかりになりますか?ゴールドコインです。ラインハットで鋳造されたコインには、このように国王の横顔が刻まれています」
「あたくしはコインなどという俗事にはうといものですから」
アンドラが言う。エルグリンもオサイアラスも興味のなさそうな顔で横を向いた。
「それは失礼いたしました。もういちどうかがいます。皆さんは三人とも、私が王だとおっしゃるのですね。わたしだけがラインハットの王であり、ほかにはいないと」
「まずまちがいなく」
「いかにも」
「そのとおりですわ」
三人の預言者の答えを聞くと、若者はにこっとした。そしてゴールド金貨をつまみ直すと、指先でいきなり空中へ弾いた。きらり、きらりと光を反射して金貨は落ちてきた。横合いからさっと金貨をつかんで、若者はにやりと笑った。
「残念だったな。人違いだぜ」
アルカパの丘がどよめいた。
 預言者たちはあえいだ。
「そんな、ばかな!」
黒い服の若者はクックッと笑った。
「お初にお目にかかる。おれはオラクルベリーのヘンリー。こっちは弟のデールだ」
クッションを持っていた従僕がはじめて正面を向いた。
「初めまして、みなさん。兄のいたずらを許してください」
と、ラインハットの王が言った。
 三人の預言者と、その“真の王”たちは、言葉も出ないほどうろたえていた。
「悪いな。ラインハットの金貨はかなり技術水準が高いんだけど、さすがに色はつけられないんでね。で、コインに彫った彫像じゃ、おれたちの顔は見分けがつかないんだよな」
ジャンヌは思わずふところから金貨を出して裏返してみた。
 ラインハット王の顔が刻まれている。その顔は、目の前の二人の男のどちらがモデルだとしても不思議はなかった。
 ヘンリーとデールは、髪と目、肌の色が違う。そして表情や雰囲気も。こうして並べてみればこの二人を間違えるものはいないが、顔の造作だけは、ほぼ同じだった。
「わたしは、その」
言いかけたオサイアラスをヘンリーはにらんで黙らせた。
「往生際が悪いぜ?あんたらがコインだけを頼りに王を見分けようとしたのは明白だ。となると、あっちに座ってる“真の王”もあてにはならねぇよな?」
ジャンヌのまわりで、どよめきがおこった。難民たちも、派閥についていた一番下っ端の兵士たちも、国王候補を疑っていた。
「レヌールの民よ!」
よく通る声でヘンリーは呼びかけた。
「見ろ、おまえたちをへだてていたものは、ただのまやかしだった。おまえたちはみな、同じく、等しく、レヌールの者。これ以上の争いは無意味だ」
しんとしていたレヌール人たちは、いっせいにしゃべりだした。
「おれ、なにやってたんだ。国へ帰ろう」
「ばかばかしい。ああ、ずいぶん畑を見てねえな」
「帰れるの、あたしら?」
「村へもどろうよ。家族一緒ならやりなおせる」
元国王候補たちは、だんだん顔色が変わっていった。
「待て、待て、おまえら」
「軍の規律を破るものは軍規にてらして処罰するぞ」
どんなに叫んでも、兵士たちはせせら笑うだけだった。
「退役なら望むところだ。給金は村へ送ってくれよ」
ルーサー将軍は真っ赤になった。
「おまえら、烏合の衆が!おまえらだけで国が成り立つと思うのかっ」
オサイアラスが、ケルナー王子を引きずるようにして立ち上がった。
「今帰ってなんとする!何を喰って生きる気だ、かすみか!」
初めてレヌール人が動揺した。
「おまえらには王が要る。王につけば、食い物に不自由はさせん!」
そう言いきった。
「だめよ、そんなこと!」
 そう叫んだのが自分だと言うことに気づいて、ジャンヌはどきっとした。
 オサイアラスがにらんでいた。
「小娘。文句があるならでてこい」
 ジャンヌ、およし、と女将が言ったが、ジャンヌはふらふらと歩き出していた。だが、何かに突き動かされるように、次第に早足になった。女中の着る、粗末なスカートのすそをからげるようにして小走りに丘の上へあがり、オサイアラス以下預言者たちと向き合った。
「その、食い物って、どこから持ってくるの」
ジャンヌはかすれた声で言った。
「どこかの村を襲って取り上げる気でしょ。あんたたちがそんなことしてるから、いつまでたっても内乱ばかりなのよ」
「それがどうした?」
オサイアラスは鼻で笑った。
「おれの言うことを聞くやつらのほかは、面倒見てやる義理はないんだ!」
「あたしはいやよ!」
ジャンヌは腹のそこから叫んだ。
「正統でも大義でも、なんでもかかげて勝手に戦争ごっこやってなさいよ。けどあたしたちを巻き込まないで!」
言い切った瞬間、わあっと言う声が巻き起こった。ジャンヌは驚いてあたりを見回した。
「ジャンヌ、ジャンヌ!」
みな口々にジャンヌの名を唱えていた。中心になるのは、アルカパへ逃げてきた難民たち。ジャンヌが一生懸命面倒を見ていた人々だった。
 熱狂は兵士たちの間にも伝染した。
「聞いたか?あの娘、いいこと言うよ!」
「もっと言ってやれ、ジャンヌ」
「ジャンヌ!」
呆然とジャンヌは立ち尽くした。
「くだらん、またひとつ派閥が増えただけだ」
オサイアラスが吐き出すように言った。
「違うな」
それは、ヘンリーだった。
「おかしなものですね、人よりも目先が利かぬのに預言者とは」
傍らでデール王がそう答えた。
「どうやら、見つけましたね」
「ああ」
ヘンリーは静かにジャンヌの前にやってきた。
「ここにおられたか。レヌールの女王」
「あ、あの」
ヘンリーは笑った。
「ラインハット王の代理として、女王ジャンヌにご挨拶申し上げる。たった今からラインハットの友情はあなたのものだ」
青みがかった緑の瞳が、笑いを含んで見つめていた。
「あたし」
自分のしでかしたことの重大さに、ジャンヌはおろおろしていた。こんな立派な人たちの真ん中にしゃしゃり出たりして、どうしたって言うんだろう。
「ごめんなさい、わかりません」
ジャンヌは、思わず両手で顔をおおった。火が出そうだった。
「ただの、宿の女中なんです。女王なんて」
ヘンリーの後ろから、デールがきた。彼は静かに話しかけた。
「いけません、女王。いいですか、王になるべき天命なんて、あると思えばあるし、ないと思えばないんです。だが、ジャンヌ、あなたは、天命よりもはるかに重いものを抱えていらっしゃる」
「あたしがですか」
「落ち着いて、目を開けてください。心を開いてごらんなさい。聞こえないのですか、あなたの国民の声が」
ジャンヌは、おそるおそるふりかえった。ジャンヌ、ジャンヌ!人々は熱狂していた。ただひとつの希望のように、激しく腕を振りあげ、声をからして彼女の名を呼んでいた。
「あたし」
「引き受けなさい。あなたは、レヌールに現れた、新しい信頼の象徴なのです」
ジャンヌは、手をもみしぼった。
「怖いです。あたしなんかに、つとまりません」
「ラインハットが極力、お助け申し上げると言ってもでしょうか」
デールが優しく言った。
「でも!」
「何か“徴”があれば、納得するかな?」
にや、と笑ったヘンリーが聞いた。
「しるし?」
「そう。あなたが選ばれたのだという、証拠があれば」
ヘンリーは返事を待たずに、大声で呼びかけた。
「レヌールの民よ、空を見上げてほしい。諸君の王国の新しい始まりを告げる徴が、空に現れるぞ」
アルカパの丘を埋め尽くした人々、ラインハットの役人や兵士、三人の預言者たち、一人残らず彼らは空を見上げた。よく晴れて、雲ひとつない。穏やかな晴天だった。
 人々はざわめいた。空には、鳥の影すらも浮かんでいなかった。
「兄さん?」
デールがささやいた。
「心配するな。あとで見せる。伝書キメラが、ルークの手紙を持ってきたんだ」
「ルークさん?今、どのへんにおられるんです」
「やつの母上の実家へいったり、酔狂にも湖にもぐったり、妖精の女王に会ったり、いろいろと忙しいぜ、やつも。で、ちょっとしたシロモノが手に入ったらしいんだ。今、上を通るから、見てな」
一人の兵士が、空の一角を指差した。
「なんだ、ありゃ!」
 最初、湧き上がる夏の雲かと思った。が、それは動いていた。天空の強風に乗って、まさに悠々と空を滑ってくる。
 誰かが叫んだ。
「天空城だ!」
 ヘンリーはまるで彼自身が預言者ででもあるかのように、薄く笑みを浮かべ、片手を高くあげた。指先が示す頭上に、雲のすきまから、荘厳な石造りの城がかいま見える。城は昼下がりの日差しを一瞬さえぎり、その端を太陽光が、金のリボンのように縁取っていた。
 激しい風が、城にまとわりつく白雲のスカートを吹きちぎる。その、どっしりとした構え、端正な外観。高い尖塔がいくつも突き出していた。
 うおおおお、と興奮した群集が叫びだした。
「空の城だ、本物だ!」
「マスタードラゴン!」
「お見捨てではなかった!」
城は大きな丸い影を地上に落としていた。アルカパの丘は影の中へすっぽりと包まれていく。
 ジャンヌは震えた。
 奇跡が起こったのだった、ほかならぬ、彼女自身のために。