ジャックのフォーカード 2.第二話

 二人でポーカーテーブルのある場所へ向かうと、クレイはすぐに見つかった。カジノフロアでアカデミックドレスをまとう者はそう多くはない。
 ポーカーを担当するディーラーは初老の小柄な男だった。慎ましい態度だが、年季の入ったポーカーマスターらしく時々猛禽のような目になった。
 テーブルについているクレイは悠々としていた。扇のように広げた自分のカード五枚をそのままテーブルに伏せて宣言した。
「私はもう、これでいいよ、マスター」
同じテーブルについている客たちが身じろぎした。遊び人でもなくギャンブラーでもない、学者然としたクレイの態度にとまどっているらしい。
「二枚換えてくれ」
「全部取り替えたい」
ポーカーマスターは客の求めに応じて慣れた手つきでカードを配った。
 クレイは、テオたちに気付いて薄く微笑んだ。どうやら同じテーブルの客たちはクレイの持ち札を読みかねているようだった。結局ほとんどが勝負を降りてしまい、残ったのは一人だけだった。
「ショーダウンを」
マスターに言われてクレイは手札を広げた。勝負相手はフルハウスを見せつけられてうなった。
「お見事!」
カジノコインは100枚ほどに増えていた。
「なに、これからさ。ねえ、マスター?」
「ではダブルアップをおつきあいくださいますか?」
「お手柔らかにね」
クレイ対マスターで、ダブルアップが始まった。最初に示された札に対して、四枚の札の中から最初より強い札を選ぶという単純なルールだが、成功すれば儲けが倍になる。
「最初は気軽なものさ」
 一回目のダブルアップは、場札4に対してクレイが9を引いて成功した。
 二回目は場札6に対してクレイはジャックだった。
 三回目は場札7に対してクレイはエースだった。
「四回目はどうなさいます?」
 ゆるく握ったこぶしを唇の下にあてがってクレイはしばらく考えていたが、首を振った。
「ここが潮時かな。おつきあいありがとう、マスター」
マスターはていねいに一礼して、稼いだコインをまとめて渡してくれた。
「クレイ、どうして次のダブルアップをしなかったの?ツキがきてたのに」
尋ねるロウに、クレイは穏やかに微笑んだ。
「最初の三回のダブルアップで、場に五枚ずつ十五枚の札が出たよね。マスターの手元にあるのは、残り三七枚だ。そろそろ勝てる確率が低くなったもので引き上げた。私は臆病なんだよ」
「なんで低くなったってわかるの?」
クレイは笑って答えない。
 テオはためいきをついた。
「確率を計算できたってことは、あんた捨て札を見てたんだな?」
「はは、冒険者殿の目はごまかせないね」
ロウは二人の顔を見比べた。
「どういうこと?」
テオはクレイを指した。
「このくえないお兄さんは、ダブルアップが終わってポーカーマスターが捨てた札十五枚を全部暗記したんだよ。そうすれば次に場に出てくる札の範囲を予想できる。それで勝てる確率を計算出来た」
クレイの口元がわずかにほころんだ。
「私の数少ない特技さ」
ロウは小さく口笛を吹いた。
「クレイとは神経衰弱やらないことにしたよ」
「その方が賢いね。さて、デル……ゼフはどうなったかな?」

 ゼフことモーゼフ・デルカダールのいるところはすぐにわかった。ルーレットテーブルのひとつが見物客でこみあっていた。
 意外なことに大半は賭けに参加せず、グラス片手に勝負を見物していた。
「えらく度胸のいい若いのが、派手に張ってるそうだ」
「おもしろそうだな」
 周りに群がる客のすきまからのぞいてみると、マスカレードスタイルに仮面のままのゼフが腕を組んですわっているのが見えた。
「さっきからストレートアップ(一点賭け)ばかりなんだ」
へえ!と周りから驚きの声があがった。
「それで大丈夫なのかい?」
「最初に一発当てて、その分をじゃんじゃんつぎ込んでる。スプリットベット(枠と枠にまたがる賭け)さえ用なしらしい」
クールで無表情な美女ディーラーが片手でルーレット盤にスピンをかけ、慣れたしぐさでボールを放り込んだ。
 見物も声を潜めてボールの行方を眺めている。カラカラカラ、とボールが走った。だが、固唾を飲むギャラリーの目の前でボールはゼフのベットと無関係な場所でとまった。
 一斉にため息がもれた。ゼフが一点賭けに使ったコインは、さっくりと姿を消した。
「これまでかっ」
とゼフがつぶやいた。
 くす、とクレイが笑った。
「もっと安全な賭け方をしないのかい?」
仮面のままゼフは横目で仲間を確認して胸を張った。
「どうせ一か所にしかボールは止まらないからな」
「君らしいね」
のしっと音がした。さきほどダブルアップで稼いだカジノコインが、ゼフの目の前に積み上げられたのだった。
「使ってよ」
ゼフはにべもなく断った。
「きさまの施しを受けると後が怖い」
クレイは笑みを向けた。
「やだなあ。何もしないよ」
じろ、と仮面の下からにらみつけた。
「全部なくなってもいいんだな?」
「あぶく銭さ」
物欲の薄い王子はそう嘯いた。
 ディーラーが咳払いをした。
「次の賭けが始まりますが」
ゼフは尊大にあごを動かした。
「そこにあるコインを、……11に賭ける」
ギャラリーがざわついた。
「二百枚近くあるんじゃないか?」
ディーラーが確認した。
「あの、全額でよろしいでしょうか」
「全部だ」
とゼフは答えた。
「ナンバー11のストレートアップで?」
「その通り」
 ざわざわと声があがる。
「いくらなんでも勇者すぎる」
「……勝算があるのか?」
ディーラーは11のマス目におさまりきらないほどのコインを山盛りにした。
 ルーレット盤が回りだした。美女は紅の爪にボールをつまみ、慣れたしぐさで投げ入れた。
 ゼフの表情は仮面で見えない。彼の椅子の背後でクレイが顎の下にゆるいこぶしを当てて眺めている。ロウは興味津々と美女の方を鑑賞し、テオはニヤニヤしながら見守っていた。
 小さなボールが運命を担って枠と枠の間を乗り越えて転がり、進む。やがてその歩みが遅くなった。枠を越えるたびに周囲から一斉にため息が漏れた。
 一人が気付いた。
「おい、もしかしたら」
ボールは迷いふらつきながら、11に近寄っていく。そしてその枠が止まりそうな場所に目立つマークがつけてあった。
 ジャックポット。
「うわわわわ」
期待とも恐怖ともつかないジワが来て、観客がルーレット盤をよく見ようとテーブルの上に伸びあがった。冷静を保っているのはプロであるディーラーと、テオたちだけだった。
 ことん、とボールが音を立てて止まった。
「やったー!」
「すげー!」
「初めて見たぜ」
見事にジャックポットを当てたゼフは、目を見開いたまま動かなかった。
 おめでとうございます、と妖艶な声で美女ディーラーが言った。シートの上には、巨大なカジノコインの山ができていた。

 あちこちで楽しそうなメロディが聞こえてくる。それに交じってピン!とかジャララとか、いろいろな音が混じって騒がしかった。
 スロットマシーンをたくさん並べている一画だった。音が鳴ったりぴかぴか光ったりにぎやかなマシンの列と壁の間に、二三人の男が集まって小声で話こんでいた。
「絶対いいところの坊ちゃんだ。百何十枚というコインを一点賭けだぜ」
「当たれば確か、三十倍以上だよな」
「それがよう!ジャックポットを当てたんだ」
「なんだと!じゃあ」
「十万枚くらい稼いだんじゃないか、あの若いの」
一枚20Gのカジノコインが十万枚なら二百万ゴールドの値打ちに等しい。ぎら、と男たちの目の中に欲望の炎が踊った。
「そいつら、今どこにいる?」
「祝杯をあげにバーへ行ったよ。ひと山あてた若いのが、チョコレートパフェをつまみに飲みたいと言ったんだ」
「……へえ。金持ちってのは、わからねえな」
 リーダーらしい男は心を決めたようだった。
「俺は一回外へ出て、仲間を集めてくる。お前ら、やつらを見張っとけ。準備ができたらやつらをおびき寄せる」
「どうやって?」
「バーで下働きをしている仲間が、あいつらのツレの名前を聞きこんでるんだ。たしかサマルとか言ったな。そいつが呼んでると言ってカジノの外へ連れ出すんだ」
「そ、それから?」
「辻馬車を借りてくる。俺が御者になるから、やつらを乗せろ。あとはいつものとおりだ。あそこへ連れ込んでたっぷり搾り取ってやる」
 見張れと言われた男たちはにやっとした。
「ああ、あそこなら邪魔も入らねえ」
「このネタ、上の方に話が行ったら『やめろ』と言われるかもしれん。今のうちだ。さあ、さっさと動こうぜ」
指示を聞いて見張り役はすぐにバーへ向かった。リーダーはその足でカジノの大階段をめざした。
 ピン、ピンと続けて四つの音が鳴った。
「おめでとうございます。六十枚のコインが当たりました。もう一度スロットをやりますか?」
その表示を見て、そのマシンの前に座っていた少年は首を振った。
「ここでやめるよ」
 賭けに熱中するフリをして追いはぎの会話を聞いていたサマルは、きょろきょろした。
 カジノのスタッフに話す?だが、証拠などひとつもない。第一、カジノのなかに、彼らの仲間が潜り込んでいるらしい。だったらかえって不利になる。
 動けるのは、自分一人。
「どうしよう。ぼく一人で、なにかできるかしら」
――しっかりしなさい!あなたは騎士の国の王子でしょう!
そう叱られたことをサマルは思い出した。
 サマルはうなずいた。
「まず、みんなが馬車に乗るのを停めなくちゃ」
稼いだコインを仕舞いこみ、サマルは立ち上がった。
 その時だった。誰かが後ろから声をかけた。
「坊や、迷子かな?誰と来たの?」

 ソルティコの領主館は、ロトゼタシア全土に知れ渡るほどの騎士養成所を敷地内に持っている。屋外練習場では青い制服姿の見習い騎士たちが一斉に木刀を振っていた。
「一、二!一、二!よし、休憩」
ふわああっと声を立てて少年たちは木刀を下ろした。南国ソルティコの日差しはきつく、門下生たちは休憩のために木立の陰へ入っていった。
「ボネ、おい、ボネ!」
ボネと呼ばれた門下生はきょろきょろして、やっと樹の後ろにしゃがみこんでいる少年を見つけた。
「ジエーゴ!こんなとこで何やってるんだ!」
ジエーゴと呼ばれた少年は、騎士見習いの制服姿だった。人さし指を唇の前に立て、低くささやいた。
「切羽詰まってるんだ、頼まれてくれ」
 ボネはジエーゴを隠すように木陰へ寄り、いかにも休憩しているようなそぶりでもたれかかりながら、肩ごしに聞き返した。
「おまえがデルカダールから脱走したって、こっちじゃ大変な騒ぎだぞ」
「もうばれてるのか?」
「門下生は表向き知らないことになってるが、お館さまが血相変えて偉い人たちと相談してた。控えめに言ってカンカンだ」
「しかたなかったんだ。殿下をお一人でお出しするわけにはいかないからな!」
「何の話だ?」
「いや、その、実は路銀に困っているんだ。オレの部屋から何か持ち出して売りたい。手伝ってくれ」
「ちょっと待てよ、領主館へ忍び込めって?」
ジエーゴは、お館さまこと現領主の跡取り息子だった。
「それ見つかったら俺のほうが破門食らうぞ」
「内側から鍵を開けるだけで」
いきなりジエーゴは押し黙った。ボネはびくっとした。いつのまにか目の前に、白い縁取りのある青いコート姿の背の高い騎士が仁王立ちになっていた。
「今、ジエーゴ坊ちゃんの声が聞こえたような気がしたぜ」
 ボネは直立不動の姿勢で騎士を見上げた。
「お耳のせいでは?あいつは今、デルカダールにいるはずです」
騎士は腕組みをして見下ろした。ボネはひきつり笑顔で見上げた。
 ふっと騎士が方の力を抜いた。
「おめぇの言う通りだな。まさか坊ちゃんが奉公先からとんずらして、ここへ帰ってきているはずはあんめぇ」
「そーですともっ。で、俺らに何かご用でしょうか、ベネディクト先輩?」
その騎士、ベネディクトは、片親の先祖の一人にホムラの里の民がいるそうで、話し言葉に独特の癖、巻き舌のべらんめぇ口調があった。
「用ってこたぁねえんだが、俺がさっき坂道を上がってお館へ戻ってきた時、出入り口んとこにセーラー服に半ズボンの坊主がはりついてお館の敷地ん中を一生懸命のぞいてやがんのよ。“何か用かい?”と聞いたら、飛び上がって逃げちまった。いいとこのお坊ちゃん風だったが、うちの坊ちゃんの友達かね?」
「自分は見たことないです」
「そうか、そうか。んでな、これは俺の独り言なんだが、今晩確かお館さまは大司教さまのお屋敷で寄合があるんで、お留守だぞ」
ボネは咳払いをした。
「そーっすか。なんか、戸締りとか心配ですね」
「そうだな。おめぇ、気が付いたら厨房あたりでちゃんと戸締りしてるかどうか、確かめてやっつくれ。頼んだぜ」
歯切れよくそう言ってすたすた帰っていくベネディクトを見送って、ボネはつぶやいた。
「ベネディクトさま、いい人だな」
 背後でガサガサ音がしてジエーゴが這いだしてきた。
「ボネ、悪いが、気になることができた。夜、もっぺん来る。厨房の勝手口を開けといてくんねえか?」
「あとで何か奢れよ?」
と言いながら、ボネは別のことを考えていた。
――おまえ、話し言葉がベネディクトさまに似てきたぞ?

 物陰に隠れて領主館を観察していると、門下生の制服を着た少年が一人飛びだして来た。
「師匠!」
その門下生こと騎士見習いのジエーゴは、あわてたようすでこちらへ走ってきた。
「サマル王子、カジノにいたのでは?」
「王子はやめてください。よかった、ぼく、師匠を探してたんです」
 13歳のサマルは、二つ年上のジエーゴを師匠と呼んで尊敬している。テオの一行の中で十代なのは二人だけなので、日ごろから二人一組で扱われることも多かった。ジエーゴの制服の袖をつかんでサマルは引っぱった。
「一緒に来て!モーゼフさんたちが大変なことになりそうなんです!」
その一言でジエーゴの顔色が変わった。
「ぬぁにぃ?」
デルカダールの王子モーゼフに一途な忠誠を捧げる騎士見習いに、見事に火が付いたようだった。