ジャックのフォーカード 3.第三話

 二人の少年は大股に教会前の通りを歩いていた。
「まずバーへ行こうと思ったら、カジノの警備係につかまってしまって。迷子だと思われて、警備室へ連れて行かれそうになって時間を取られました」
とサマルは歩きながら説明した。
「結局つまみだされるようにカジノから出たのですが、遅かったみたいです。カジノの前で聞き込みをしたら、テオさんたち一行が辻馬車に乗ったってことはわかりました。でもどこへ行ったかがわからないんです」
サマルはうつむいた。
「ごめんなさい。ぼく、何もできなくて……叱られてばっかりで」
「いや、王子は貴重な情報を持ち帰ってくれました。初めて会った時のおどおどした王子とくらべたら、今の王子は雲泥の差です。僭越ながら言わせてもらえば、王子、やればできるじゃないですか」
サマルは思わず顔を上げた。
「ほんとに?」
ジエーゴは力強くうなずいた。
「自分で判断して自分で動くって、今の王子はかっこいいですよ。さあ、あとはオレにまかせてください。心当たりがありますから」
 二人は表通りを外れ、港に近い歓楽街へ入っていった。そのあたりは海抜0に近い。湿気が漂い、強い潮の匂いがした。狭い街路が連なり、間口の狭い店舗が続いた。店の入り口や路上には、ゴミや空き瓶の散乱する地べたに座り込む男女の姿があった。だらしない姿勢、脂っぽい髪、掻きキズだらけの皮膚、乱杭歯、厚化粧の崩れた顔、無精ひげ、酒臭さ、生気のない目が、この街はソルティコの陰の世界なのだと教えていた。
 品のいい少年二人はごみごみしたいかがわしい町ではかなり浮いていた。年季の入った娼婦が壁際に大股開きで座り込み、煙管をふかしながら話しかけた。
「坊ちゃん方、この町に来るにはちょいと早くないかえ?まだ毛も生えてないだろ?」
ジエーゴは後ろにサマルをかばうように立って聞き返した。
「婆さん、オレだよ。忘れちまったのか?」
娼婦は目を見開いた。
「おや、誰かと思ったらお館の若様じゃないか」
「アイツに会いに来た。通してくんねえか」
娼婦のいる場所の奥は細い路地になっている。女は目を細めて煙を吐きだした。
「アポはあんのかえ?」
「ねえよ。急な話だ」
しょうがないねえ、とつぶやいて女は体半分ずらせた。
「通るぞ。おう……サマル、行きますよ」
は、はいっと返事をしてサマルは、しわに白粉をはたきこんだような女のそばをぎりぎり通り抜けた。びくびくした態度がおかしかったのか、上目遣いでくっくっと女は嘲笑った。
 路地は長く続いた。両側はレンガを積んだ壁だった。路地の奥に光が見えた、と思ったとたん、その先が裏庭だとわかった。
 広めの裏庭にジエーゴは踏み込んだ。独特の男臭さがむっと鼻を衝いた。怪しげな樽や木箱が乱雑に置いてある。あちこちにたむろするガラの悪い男たちが一斉に話をやめ、ジエーゴとサマルの方を見た。殺伐とした視線にサマルは震えあがった。
「てめぇ、何しに来やがった」
顔に傷のある若い男が言葉を投げつけた。ジエーゴは見事に黙殺して、裏庭の奥に積み上げた木箱の陰に向かって声をかけた。
「ジエーゴだ。聞きたいことがあってきた」
「てめぇ、この」
あたりから一斉にあがる罵声は、一声で静まり返った。
「帰れ」
低い、うなるような声だった。冷静な口調なだけに、抑制された力の気配があった。
 木箱がつくる日陰に一人、若い男がいる。ジエーゴよりいくつか年上の、つまり二十歳に満たない年のようだった。陰になって顔立ちはよく見えないが、じっとこちらを見る眼だけが光って見えた。ここにいる連中の頭なのだろうとサマルは思った。
 ジエーゴは気圧されるようすもなかった。
「知りたいことがわかったら帰る」
「この間ケンカの仕納めに来たくせに、今頃なにしに来た」
ジエーゴは胸を張った。
「ありゃあ、オレがこの町を出る挨拶だ。言った通りオレは町を出てとあるところに奉公した。今はその奉公先の主人の用で動いている」
「知ったことか」
「馬車に旅人を乗せてよそへ連れていって身ぐるみ剥ぐ手口のヤツを知らないか?」
「……知らなくもないが、教えてやる義理はない」
「そいつ、たった今カジノで大もうけした旅人を連れてったぜ」
 ジエーゴがそう言ったとたん、裏庭がざわめいた。
「お頭に黙っての仕事か?」
「誰の仕業だ?」
 日陰の男が、その“お頭”らしい。雰囲気がわずかにかわった。
「詳しく話してみろ」
ジエーゴは振り返った。
「カジノで悪だくみをしていた者たちのリーダーの顔をおぼえておいでですか」
 注目を浴びて緊張したが、サマルは前に出て説明した。
「背が高くてがっちりした人でした。赤と白の縦じまの目立つ服を着ていて、ベルトに短剣があったかも。日焼けした顔で、髪が黄色っぽくて同じ色の口ひげを生やしていました」
 周りがブツブツ言い始めた。
「ネストルじゃねえか?」
「たぶん」
「あの野郎、お頭に話を通しもしねえで」
 ジエーゴは声を張った。
「そのネストルってやつの仕事場は?」
日陰のお頭が片手を上げた。ざわざわしていた手下はぴたりと黙り込んだ。
「あんたに話して何の得がある?」
取り付く島もない冷たい声だった。
 ジエーゴは答えた。
「オレが将来ソルティコの主になったら、おまえを守ってやる」
裏庭にたむろした荒くれどもが、どっと笑いころげた。はらはらとサマルはそのようすを見守った。
「本気だぞ。オレは、本気には本気、誠には誠を返す」
笑い声が止まった。なんとなく、あたりは静まり返った。
 沈黙の中、日陰の男が身じろぎした。
「今回だけだぞ。サン・デヴォーテ号を探せ。港の端に泊っている、一見洒落た船だ。ネストルはいつも獲物をその船に乗せて湾内で仕事をする」
ぱっとジエーゴの顔が明るくなった。
「サン・デヴォーテ号だな?行きましょう、サマル」
「はいっ」
希望が見えてきた。サマルは港まで走っていきたい気分だった。ジエーゴも大股で裏庭を横切り、元の路地へ向かった。
 最後の瞬間、ジエーゴは振り返り明るい表情で声を張った。
「借りができたな。ありがとうよ、セザール!」

 ソルティコ湾の内部は波が穏やかで、船はあまり揺れなかった。漁師の操る釣り舟も出ていたが、観光客の仕立てた遊覧船のほうが多かった。
「あんたら、ゲンジツわかってるのか?」
カジノから騙して引っ張ってきた一行は、なぜか悠々とサン・デヴォーテ号の船室でくつろいでいる。ネストルはつい、そう聞いてみた。
「現実ねえ」
そうつぶやいて、クレイとか言う学者風の若者がくすりと笑った。髪と目の色が淡く、色白だが、妙に肚の座った顔だった。獲物をだますために遊覧船風にしつらえた船室の、革張りのソファの背もたれに彼は両腕を伸ばして座っていた。
「それはまた、高度に哲学的問題だね」
天を仰いでクレイは言った。
 窓から海をのぞいていた風変わりな道着姿の若い男が、無邪気に尋ねた。
「ねえ、サマルはここにはいないんだよね?じゃ、どこにいるの?」
「まだそんなこと言ってんのか!」
このロウと呼ばれている若者は、まったく己のペースを乱そうとしない。傲慢なまでの鈍感さにネストルはイライラした。
「あ、知らないんだね?じゃあ、もう、いいや」
 ハーフマスクで顔を隠した身なりのよい若い男が、船室の壁によりかかったまま小さくうなずいた。
「テオ、もういいだろう。サマルはたぶん、まだカジノか町中だ。保護してやらなくては」
ジャックポットを当てたのはこの男だった。遊び好きの貴族風の姿だが、仮面からのぞく目は鋭かった。
「ずっと思ってたんだが、きみら、過保護じゃないか?」
 テオと呼ばれた男が初めて口を開いた。彼はずっと一人掛けのソファを占領している。
「あの子だって立派な旅人だよ。いつまでも可愛い弟扱いじゃ、成長ってもんがない」
 ネストルの袖を、舎弟がつかんで引いた。
「あの船長、こいつら、何なんでしょうかね?兄弟や親戚じゃないようだし、ダチどうしとも雰囲気が違うし」
クレイがこちらを見て、ふっと笑った。
「お気遣いなく。私たちは、そうだね、将来同じ職業に就く予定の、う~ん、弟子どうしかな」
「そうそう。テオが指導役でね」
とロウが着け加えた。
「指導なんだか、反面教師なんだか……」
ゼフが脇を向いてつぶやいた。
 テオはわざとらしく片手の指先を額につけ、ため息交じりに頭を振った。
「そんなふうに思ってたのかい?さすがの俺も傷つくな。俺たちはチームだろ?」
ゼフはハーフマスクを外してスーツの内側にしまった。強面だが目鼻のはっきりした男前だった。
「チームなのか?」
「チームじゃないなら、ハンドかな」
“ハンド” とは、ポーカーで配られる五枚の手札の組み合わせによる役のことだった。
 ネストルは不意にがまんできなくなった。このテオという男は、のうのうと能書きを垂れ、場の流れをすっかり奪っていた。
「ふざけるなよ」
声にドスを効かせてネストルは言った。
「金目のものを出してもらうぜ。嫌だというなら、ソルティコ湾へ沈める。洗いざらい差しだせば、命だけは助けてやる」
 テオは、おかしそうな表情で目をちょっと見開いただけだった。
「最高のハンドは同一スートの10、J、Q、K、A。ジャック、クィーン、キングを王子、王妃、国王に見立ててロイヤルストレートフラッシュと呼ばれるアレだ。ところが、実はその上がある」
「おい、聞けよ!」
 テオはうんちくを垂れるのをやめるつもりはないようだった。
「それにはまず、フォーカードを作るんだ。四つのスートから同じ数字を集めて四枚のことだね」
 ネストルは手下に合図をした。それぞれ刃渡りの長い短剣を抜いて、テオたちを包んだ。が、どれだけ鈍感なのか、一行は泰然とした態度を変えなかった。脅しを無視して、ふんふん、とテオの話を聞いていた。
「俺の手持ちはジャックのフォーカードだ。剣を意味するスペードの王子ジャック
テオは指を上げて、ゼフに合図した。ゼフは軽く口角をあげた。
「知恵を象徴するクラブの王子ジャック
クレイと視線を合わせ、にやりと笑い合う。
「愛を示唆するハートの王子ジャック
はいっとロウが手を上げ、ひらひらと振った。
「あともう一人、富を表すダイヤの王子ジャックがいる」
「御託はそこまでにしときな。アンタらの武器は乗船した時に預かってる。命が惜しかったら」
と言いかけてネストルは口ごもった。
 手下の一人が首をかしげた。
「雨ですかね」
だが、船窓の向こうに見えるのはリゾート都市ソルティコの晴れ渡った空と美しい海景だった。
「じゃあ、なんだ、この音」
強い雨かあられが船の屋根に降りそそいでいるような、バラバラバラ……という音がする。しかも、どんどん音は強くなってきた。
 船長、と手下が慌てた声をだした。
「どうした!」
「船がっ、壊れますっ」
見ると壁や天井にひびが入っている。甲板から舵を取っていた手下が叫んだ。
「くそっ、あのガキ、船に穴を開けやがった!」
「ガキだと?おい、何があった!?」
 波の音に交じって、遠くから若い男の声が聞こえた。
「その船、止まれ!止まらないと次はぶっ壊すぞ」
そのときネストルが振り向いて後ろを見たら、テオがにまぁと笑う顔が見られただろう。
 ネストルはムカついていた。
「どこのガキだ!俺の大事な商売道具を」
船室から勢いをつけて甲板へ飛びだした。
 ソルティコ湾の港の桟橋に、子供のように若い男二人が立っているのが見えた。そのうちの一人が、両手を腰に当てて胸を張った。
「サン・デヴォーテ号!こっちへ戻れ!」
「ふざけやがって……誰が戻るか!」
「よしっ、後悔するなよ。サマル、もう一丁行きます」
「用意、できてます!」
傍にいたセーラー服の少年が応じて足もとの袋の口を広げた。
 若者は器用に一回転し、天へ向かって片手を振りあげ、船へ向かってびしっと振り下ろした。
「持ってけ、一万コイン!宵越しの銭ぁ、もたねぇーっ!!」
天の高みから、何かが降ってくる。キラキラと陽光を弾くそれは、よく知っている形をしていた。
「カ、カジノコインだと?」
ネストルと手下たちの目の前で大量のカジノコインは轟音をあげて船に襲い掛かった。
「船室だ!」
とにかく屋根のある場所へ、とネストルたちは舵取りも含めて船室へ逃げ込んだ。
「こっちには人質がいるんだ、来るならきてみろ」
 しばらくの間、ネストルたちは息を殺して待った。
 耳を聾するようなコインの雨は止んだ。甲板を歩く足音がした。
 突然音を立てて船室の扉が開いた。
「御用だっ、てめえら、神妙にしやがれっ」
 いきなり正面から来ると思わず、ネストル側の初動が一拍遅れた。あっと思った時、さきほどまでトランプの話をしていたトレジャーハンターと三人の“ジャック”が動いた。
 ロウがつま先でネストルの手下の一人が握っていた短剣を真上に蹴り上げた。クレイは自分の斜め後ろにいた手下のみぞおちへ鋭く肘を突き入れた。ゼフは正面に立っていた手下の喉を大きな手でつかみあげ、そのまま壁へたたきつけた。
「おっと、キミはそのまま」
ロウが蹴り飛ばした短剣がいつのまにかテオの手の中にあった。その切っ先が、ネストルの首に突きつけられていた。わずかひと呼吸のうちにネストルたちは制圧されていた。
「四人の王子ジャックに一枚のジョーカー加えて、ファイブカードが出来上がる。これぞ最強のハンドだよ。な、ジエーゴ?」
“ジョーカー”は、両手に装備した双剣を構えたまま、物騒な笑顔になった。
「言いたいことはそれだけか、テオ?よくも王子方を危険な目にあわせやがって……」

 海を見下ろす白いテラスに、サマルたちは集まっていた。ソルティコ湾の奥に夕日が沈みかけるころで、そろそろお茶の時間からお酒の出る時間帯になってきた。
 坂道の上から、テオがぶらぶら歩いてやってきた。
「よっ。計算終わったぞ」
旅の仲間たちは身を乗り出した。
「先にマイナスの方からな。最初にコイン30枚×5人で150枚を購入。そして、ジエーゴがサン・デヴォーテ号にくらわしたゴールドシャワーが、締めて六万枚」
ジエーゴはしゅんとした。“ゴールドシャワー”は彼の一族が使う無属性全体攻撃だった。が、そのためには大量のゴールド金貨を使用する。今回彼が武器に使ったのは、カジノコインだった。
 モーゼフの手が、そっとジエーゴの肩をたたいた。
「そんな顔をするな。ジエーゴのおかげで俺たちは助かったんだぞ」
はい、とつぶやいたが、ジエーゴはうつむいた。
「でも、120万ゴールドの値打ちを、むざむざ……ごめんなさい」
 くすくすとクレイがわらった。
「騎士見習い殿がこうしおらしいと怖いね。雨でも降るのかな?」
ロウがうなずいた。
「ジエーゴ、気にしない、気にしない。命の方が大事だよ」
サマルがジエーゴを見上げて笑顔になった。
「そうですよ、師匠。たった百万Gやそこらじゃないですか」
 テオが口笛を吹いた。
「たった、って言いきるのも凄いけどな。さて、続きだ。プラスのほうはまず、クレイがポーカーで増やしたコインでゼフがジャックポットを当てた分が、約十万コイン。それからサマルがスロットマシーンで稼いだ分が150コインほど」
テオは咳払いをした。
「で、俺がちょこっと稼いだ分がざっとニ万コインかな」
 ええっという声がいくつも重なった。
「テオ、いつの間に?」
「君らのようすを見に回る前に、スロットマシーンでちょっとね。特に百コインスロットで良い台を知ってるってだけさ。プラスはだいたい十二万てとこか」
 ジエーゴはぽかんとしていた。
「ざっくり言うと十二万引く六万で、六万コイン。ほぼ全部景品に代えて、たった今町中の店で売り払ってきた」
仲間の前に金貨の入った袋をどんとおいてテオは笑った。
「次の遺跡探検用の準備金には十分すぎる!今夜は豪勢に行こうぜ!」
ロウとサマルがハイタッチではしゃぎ、クレイさえ口元をゆるめた。モーゼフは軽く腰をかがめてジエーゴと目線を合わせた。
「終わり良ければ総て良しだ」
忠実な従者は、やっと笑顔になった。