花に鳴くうぐいす 第一話

「White Letter」 〔by GonGoss様〕二次創作

雲の切れ間からヒラヒラ 不思議な手紙が届いた
小さい綺麗な封筒 真っ赤な宛名と押し花
中には空白の手紙 [ ](スペース)改行それだけ
言葉は何も書いてない それでも内容がわかる

「ここ」に来いと書いてあった 
気づけば「ここ」まで来ていた
見えない人が待っていた 
見えないけれど人だった

 その年の一月は、正月を迎えても世間にあまり華やかさがなかった。町はどこも正月飾りが少なく、聞こえてくる音もひっそりとしている。毎年テレビでは芸人が大はしゃぎをするのだが、それさえも今年は控えめだった。
「つまんねぇ」
和服姿の少年がつぶやいた。
「しっ」
とそばにいた振袖の少女がたしなめた。
「これで失礼いたします」
 静かで落ち着いた住宅街の中の、古風な日本家屋の前だった。その家の女主に、客側の一行の一人が辞去の挨拶をしているところだった。
「ええ、お母様によろしくお伝えくださいね」
家の女主人は年配の上品な婦人だった。一つ紋のついた白緑の無地に黒の帯を締めている。かすかに光沢のある帯締めが唯一の華やぎだった。
 婦人は懐から袱紗に包んだものを差し出した。
「ささやかですけど、おおさめになって」
「まあ、そんな」
会話の相手は驚いたようだった。
「先生にこんなことをしていただいては困ります」
「いいえ、ぜひ。芽衣子さんのおめでたいお話だというのに、時節柄派手なお祝いができなくてねえ」
 芽衣子と呼ばれた客側の若い女性が恐縮したようすで祝いを受け取った。
彼女は、先生と呼ぶ女性に比べるとはるかに華麗な装いだった。紅梅色の江戸小紋、地は七宝つなぎである。真冬だがコートを用いずに白いファーをかけていた。
 しばらく門の前で話をしていたが、別の婦人たちが訪れたのをしおに、芽衣子は同行をうながして立ち去ることにした。
「では、ほんとうにこれで。良いお初釜をありがとうございました」
年配の婦人“先生”は、茶道の教授だった。先生は、芽衣子の傍にいた少女に声を掛けた。
「美玖さんも、お手前が上達なさったわね」
「ありがとうございます」
若竹色の地に小桜の江戸小紋の少女が生真面目な表情で会釈をした。
「本年もよろしくご教授お願いいたします」
「はい」
ほほほ、と先生は笑った。
「先生、あたしは?」
振袖の少女が待ちきれないような顔で催促した。
「鈴さんは、まだまだ。ちゃんとお稽古の間中正座していられるようになりましょうね」
「もうっ!」
隣にいた少年が口を挟んだ。
「もうじゃないだろ?今日だって立てなくてふらふらしたくせに」
「蓮のばかっ」
まあまあ、と先生が言った。
「でも、今日はとてもかわいいわ。お振袖、つくっていただいたの?」
鈴の初釜の衣装は、山吹色の地に朱色と緑の胡蝶の飛ぶかわいらしいものだった。
「そうです。蓮のは、おさがりだけど」
朽葉色の無地の着物に竜胆色の袴の取り合わせはかなり古風だが、顔立ちの整った少年にはよく似合った。
「ふたりともすてき。お雛様のようね」
そのとき、勝手口を開けて茶道の弟子の女性が出てきた。
「先生、こんなものが、待合に」
手渡したのは封筒である。
「芽衣子さん、お忘れ物よ?」
待合を最後に使用したのは芽衣子たちだったのだ。芽衣子はそれを手に取った。
「私のではないと思います。宛名がないわ。これ、誰の?」
同行の者たち、美玖、鈴、蓮に芽衣子は封筒を差し出してみせた。
ただの白い封筒に見えたが、事務用品ではなかった。手漉きの和紙らしい。やや粗い繊維の中に、色褪せていない紅の梅の押し花が形をのこしたまま漉きこまれていた。
 茶道を習いに通う女性たちのなかには、こういうタイプの小物を愛用する人が多い。ある意味よくある趣向の封筒だった。
「何か書いてある。名前じゃないの?」
封筒の表、普通宛名の書かれるあたりには名前ではなく、達筆な字で一行半の文章が書かれている。その文字が朱筆だった。
「『花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば』?これ、筆ペンじゃないんだ。うわ」
鈴は指で封筒の脇を押した。
「封してないよ?開けてもいいかな」
誰かがいい悪いを言いだす前に、鈴は中をのぞいて便箋をひっぱりだした。同じく手漉きの凝った便箋は白紙だった。
「あれ、何も書いてない」
蓮がその便箋を受け取って、空に向けて透かし見た。
「なんだろ?あぶりだしでもないみたい」
芽衣子がその封筒と便箋を取り戻した。
「やめなさいよ、ひと様のものを。でも、これじゃわからないわね」
そのとき、若竹色の袖がすっと差し出された。
「それ、私のだわ、姉さん」
「え?」
芽衣子は戸惑った。が、そうね、とつぶやいて真剣な表情の妹の手に、その封筒を乗せた。

 リビングからは、はきはきした声が聞こえていた。
「もう聞いてよ、 “時節柄”って言われちゃったわ。戦時中ですかっての」
「そりゃまあ、そうですけど」
「だってあたしのせいじゃないじゃないの。え?もちろん。これでパスポートが出なかったら外務省なにやってんのってことでしょ」
蓮はいらいらしたようすでつぶやいた。
「長いなあ、芽衣子姉」
「伯母様と話してるんでしょ?一時間はたっぷりかかるわよ」
姉と呼んではいるが、双子にとって芽衣子は従姉にあたる。双子の父親と、芽衣子の母、今芽衣子が電話をしている相手が姉弟だった。
「あの母娘は性格そっくりなんだよな。おたがい遠慮しないでモノをはっきり言うし、親分肌でなんでも仕切ろうとするし」
その姉が、この春に結婚することが決まった。せんだっての初釜は茶道の先生への報告も兼ねている。母娘で話し合うこと、決めなくてはならないことは山のようにあった。
「芽衣子姉は学校の友だちとか職場の人とかみんな呼んでやりたいんでしょ?伯母様だって賛成だったじゃない。全部で200人くらいかな」
「伯父様の仕事の人脈まで入れたら、そんなもんじゃきかないだろうな」
芽衣子の父は静岡に地盤を持つ保守系の代議士だった。双子の生家はそのあたりの旧家で、その議員の個人では最大の支援者である。大学に入ったときから仕事を持っている現在まで芽衣子は東京に住んでいるが、地元では一種のお姫様扱いだった。そして地元では芽衣子の夫となる人は、自動的に芽衣子の父の地盤の後継者と見なされている。
「ええ、なに?」
急に芽衣子の声が低くなった。
「なによ、母さんらしくない、はっきり言えばいいのに」
しばらく話を聞いた後、芽衣子がこちらへ声を掛けてきた。
「ねえ、美玖どこ行ったか知らない?」
双子は顔を見合わせた。
「えーと、朝から出かけちゃったよ?」
「どこへ?」
「わかんない!」
「そう」
姉がまた電話にもどったのを双子は知った。
「美玖姉のことになると、ちょっと、こう」
蓮は手のひらで何かを押し下げるような仕草をしてみせた。
「まあ、しょうがないわよ。伯母様のほうが継母ってことになるわけだし」
訳知り顔で鈴がつぶやいた。
「美玖姉はシンデレラだもんね」
 芽衣子と美玖が母親違いの姉妹であることは一族の中では知らない者はいなかった。ただし美玖は戸籍上、芽衣子の父の妹の養女ということになっているため、芽衣子一家の中で美玖のみが姓が違い、初音姓を名乗っている。
「でも伯母様も芽衣子姉も優しいよ?」
鈴はふんと鼻で笑った。
「伯母様のは優しいっていうんじゃなくて、遠慮してるのよ」
蓮が言い返そうとしたときだった。マンションのドアのキーを回す音がした。噂の主が帰ってきたのだった。
「おかえり!」
 美玖は、コートのままそそくさと自分の部屋へもどろうとしていたらしかった。が、ちょっと笑って、ただいま、とつぶやいた。
「どこ行ってたの?」
「今年はどこもつまんなくねえ?」
平成元年一月の末である。
 この月の七日昭和天皇逝去を受け、翌八日には昭和から平成へと元号が変わっていた。
「どこ行っても『謹んで哀悼申し上げます』のポスターばっかりだし、TVは昭和スペシャルばっかりだし」
「NHK教養が一番おもしろいなんてね」
美玖はハンドバッグを置き、黙ってコートを脱いだ。双子のシンデレラ呼ばわりにもかかわらず、芽衣子も芽衣子の母も、美玖には高価な本物のブランドを惜しみなく与えていた。
「美玖姉、どしたの?元気ないね。どこ行ってたの?」
単刀直入に鈴が聞いた。
「え」
美玖は驚いた顔になった。
「そんなことないよ?ちょっとね、人に会ってきたの」
「誰?男?」
「そんなんじゃないわよ、もう、鈴は」
あきれたように美玖が言った。
「いいじゃない、話してよ。どんな人?」
ちゃかすような鈴に調子を合わせず、美玖は考えながらつぶやいた。
「あたし、見えない人に会ったわ」
「ええ?」
双子が同時に言った。
「人ぉ?見えないのに?」
「見えないけど人だったわ。言葉も聞こえなかったけど、何を言ってるか、わかった」
頑固に美玖は言い張った。
「なにそれ」
「姉さん、電話してるの?」
逆に美玖が聞いた。
「うん。披露宴に呼ぶ人数のこととか、お色直しとか、写真とか」
「忙しそうね。じゃ、あたし、部屋にいるから」
美玖は年下のいとこたちにそう言って、自分の部屋へ行ってしまった。
「なんか、アレだね」
「なんか、あやしいよね」
双子の意見は一致していた。

 男子の制服は学校のエンブレムをポケットに刺繍した紺のブレザーとズボン、白いシャツに中等部用の臙脂色のネクタイ。女子の制服はブレザー、シャツ、ネクタイまで同じでボトムが細かいひだを入れたスカート。双子が着ているのは都内にある中高一貫の私立校のそれだった。
「めーちゃん」
二人が意を決して長姉に相談をもちかけるまで、初釜の日から半月ほどかかっていた。
「なによ?」
芽衣子は顔を上げた。リビングは結婚式関連の資料であふれかえっている。ウェディングドレスをオーダーすることになったので、そのためのデータが多かった。
「話があるんだけど」
「美玖姉のことで」
「あんたたち」
と芽衣子は言った。
「最近なんかやってると思ったら、美玖のあとをつけまわしてるの?」
「心配してるの!」
鈴が力説した。
「元気ないし、ずっと考え込んでるし、食欲ないし、冗談言っても笑わなくなったし」
芽衣子はためいきをついた。
「あの子はあの子でいろいろあるのよ」
「めーちゃん、気づいてたの?」
と蓮が聞いた。
「美玖のこと?姉ですからね」
「美玖姉、部活やめちゃったらしいよ」
「春から受験だからでしょ?」
「それで、学校の後、家に帰らないでずっとあちこちうろついてるよ?」
じろっと芽衣子は従兄妹たちをにらんだ。
「あんたたち、制服のまま美玖のあとを追いかけたわね?学校に連絡行っちゃうわよ?」
「だってさあ」
芽衣子は見ていたカタログを閉じて脇へ押しやり、双子の方へ向かって座りなおした。
「わかった、わかった。とにかく、あんたたちの心配してるってのを、一から話してごらん」
双子は顔を見合わせた。
「たぶん、あの、お茶の先生のとこに行ったときからじゃないかな」
「だよね。あのあと、ミク姉がどこかへ出かけて、変なこと言ってて。全部それからだと思うの」
あのさ、と蓮が言った。
「あのときミク姉は変な手紙をもらっただろ。白紙の。めーちゃん、覚えてる?」
「覚えてるわよ。赤い梅の押し花のついた白い封筒ね」
「中は白紙だったよね。どうしてあれを、ミク姉は自分のだと思ったんだろう?」
「あの封筒に書いてあった文句があったわね」
“花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば”、という謎めいた文句を双子は思いだした。
「あれは、古今集仮名序に出てくる文句よ。中学じゃ、まだやらないか」
「え、うん」
芽衣子は立ち上がり、本棚から一冊の本を抜きだした。
「これ、歳時記っていうのよ。俳句とか作るのに、季節の言葉、季語を入れるでしょ。それを集めたやつね。これを見て」
芽衣子は「春」という項目を指でめくり、とあるページでおさえた。
「あの封筒の押し花は梅だったでしょ。梅の咲く頃になると、その年で最初の鶯の声を聞けるの。その声を、“初音”と言う」
すらすらと芽衣子は歳時記を読み上げた。
「うぐいすの鳴き声のこと?」
「そうよ。表書きにもあったでしょ、花に鳴くうぐいすって。これは、初音様、と書いてあるのと同じね」
すごー、と鈴はつぶやいた。
「じゃあ、あのお初釜のとき、美玖姉はとっさに古今集まで思い出して自分宛てだとわかったわけ?」
ん~と芽衣子はつぶやいた。
「そこまでは断言できないけどね。むしろ、あの日自分宛てに手紙が来ることを美玖が知ってたっていうことじゃないかしら」
えっ、と双子は同時に言った。
「じゃあ、知り合いから来た手紙だったの?」
「だから美玖姉には内容がわかったんだ。それでどこかへ出かけた」
「そこで“見えない人”に会った?」
芽衣子が妙な顔になった。
「なにそれ」
「美玖姉がそう言ったんだよ」
「あの手紙、ほんとに白紙だったのに」
ふうん、と芽衣子がつぶやいた。
「白紙の手紙で意味が通じるのはね、手紙が来たらこれこれのことをして、例えばどこそこへ来てっていう打ち合わせが事前にしてある時よね」
「それじゃ、変じゃない?」
と鈴が言った。
「前もって打ち合わせをして、手紙をやりとりして、で、美玖姉は会いに行ったんだよね。で、どうしてあんなに元気ないんだろ。振られた?」
ちょい待ち、と芽衣子が言った。
「その結論早すぎるから。美玖は“見えない人に会った”って言ったんでしょ?もしかして、待ち合わせの場所に人が来なかったんじゃないの?」
「“見えない人に会った”=“会えるはずの人の姿が見えなかった”?」
「そういう解釈ね」
「どうして来なかったのかな」
「わからないけどね」
芽衣子は真顔になった。
「これもひとつのメッセージかも」
「どんな?」
「状況を考えると、ひとつしかないでしょ。“あなたに会いたくない”、もしくは、“今はあなたと会えない”」
「ひどっ」
「結局振られたんじゃない」
「微妙に違うと思うわ。で?」
「で、って?」
もどかしそうに芽衣子は言った。
「あとをつけたんでしょ?ここんとこ、あの子はどこへ行って何をしてたの?」
えーと、と双子は言って、記憶を探った。
「定期で駅の改札に入って、それから適当に電車に乗るんだよね」
「で、ふらっと降りるの」
「たとえば?」
「山手線の駅をひとつづつ動いてるみたいなときもあったかな」
「あの子、何をやってるわけ?」
「駅を降りるとふらふらっと駅前を歩いて、またもどってくるんだよ」
「何かしてるってわけじゃないみたい」
「この間は駅前の大きな通りをずっと歩いていったの。もしかしてどこか行くのかなと思ってついていったら、住宅地みたいなとこへ出てね。ゆっくり散歩してた」
「はあ?訳わかんない」
芽衣子は言った。
「ほんとにそれだけ?」
「一番意味がありそうって言えば、あれかな。その住宅地の真ん中で、一軒の家をじっと見てた」
「誰さん家?」
「人は住んでないと思う。中古住宅販売って書いてあったから」
「あの子、売り家の広告を見てたの?」
「ううん、家のかどのゴミ置き場にさ、引越した人が捨てたらしいものがまとめて置いてあって、それを見てた感じ」
「粗大ゴミの何がおもしろかったのかしら」
「粗大っていうか、ゴミの山だよ。それと、その一番上の、壊れた赤いラジカセを、美玖姉はずっと見てた」
片手の手のひらにあごを乗せて、芽衣子はためいきをついた。