ノルドビク城の歌う人形 第二話

「最後の女王」 (by黒うさP様)二次創作

 数名の兵士が前後に付き添って、新しく選ばれた女王が最後のパレードを始めた。これから女王の塔へと彼女は自力で歩いていく。そして塔の上に立たされて見張りの任務につけば、シェムが消えてなくなる日までそこを離れることはないのだった。
 選に漏れた女王候補とその人形師たちが無言で見守る前を、灰の王女と兵士たちが進んでいく。
「女王、女王!」
ノルドビクの市民が歓声を上げてそのパレードを見送った。何も考えていない人形はまっすぐに前を見つめて堂々と歩いていった。
 兵士たちの後方から、もうほとんど用済みとなった人形師が足を引きずりながら付き従っていた。修道士アロンはその傍へ並んだ。
「ユディト」
女人形師ユディトは猫背の背中をもっとまるめ、顔をうつむけた。
「あれは、ルクレツィアのドレスじゃないか」
ルクレツィアはノルドビクの名門であり裕福な一家の令嬢だった。そして、アロンが一度家庭教師として教えた生徒でもあった。
「なぜあの人形が着ている」
「お形見だから」
ぼそぼそとユディトは言った。
「なんだと?」
「ルカさ……ルクレツィア様は亡くなったよ」
アロンは息を呑んだ。
「どうして!」
上流階級の姫君にしては、ルクレツィアは変わった娘だった。無愛想で理屈好きでおよそ男を立てるということをしない。女のくせにラテン語を学び、自分、アロンとほとんど対等に議論した。
「お父上と仲が良くなかったのは知っているが、いや、まさか、婚約者となにかあったのか?」
同じ階級の令嬢たちとたちまじるより、卑賤な異教徒の女人形師などを友達に選ぶ変わり者の娘だった。
 ユディトはじろりとアロンをにらみつけた。
「婚約者?ああ、あの下司か」
「口をつつしめ、人形師風情が。あの方は両家が合意して令嬢の伴侶に選ばれた立派な方だぞ」
「その立派な男、ルクレツィア様を従わせられないのを知ると、教会に魔女でございますと訴えでたよ」
「なに」
社会的な地位のある男性がそのように訴えた場合、めったに女が助かることはない。魔女であることを認めて火刑で死ぬか、認めないままで拷問で死ぬかのどちらかだった。
「ルクレツィア様は亡くなったよ。教会の前のこの広場で、十字架に縛られて生きたまま火で焼かれた」
感情のこもらない、乾いた声だった。
「火刑の前にあいつらはあの方のお髪(ぐし)を切ってしまったのさ。私はあの方の髪を手に入れ、火刑の後で灰を手に入れたよ」
 アロンはぞくっとした。ではあのゴーレムは、死んだルクレツィアの遺灰を身内に持っているのか。
「それは、異端だ。教会の中で問題になるぞ」
ユディトは足を止めてアロンの顔を見た。
 アロンは、ユディトの目が片方つぶされていることに初めて気付いた。一年前にルクレツィアの傍にいたときは丈夫だった足が、片方曲がっている。美しい気高い娘が友達に選んだ異教徒の小女は、あのころはおずおずと笑い、幸せそうにしていたのだった、とアロンは思い出した。
「おまえ、その目をどうした。足は」
くっくっとユディトは毒が滴るように笑った。
「これかい。身の程知らずにお嬢様に近づいたといって、殴る蹴るのあげくさ」
笑い声は嗚咽のようだった。
「そんなにあたしが憎いなら、あたしを焼き殺せばよかったじゃないか。なんで、ルクレツィア様を」
くくくくく、と喉から漏れる声は悲痛だった。
「よせ。こんなところで教会を批判するな」
「批判なんぞしてやいない。アロン様、言いたいんだったら、司祭様へそう申し上げるといいよ。あの灰の王女は、火刑になった魔女の灰でできておりますってね。だからっていまさらどうするんだい?」
兵士に守られた新女王は、もう円塔の上にのぼっていた。自分から見張りの位置に立ち、すらりと立って荒野の彼方に視線を投げた。
「女王の選びなおしなんぞ、司祭様はいやがるだろうねえ」
アロンは言い返せなかった。
「おまえ、なにをたくらんでいる。女王の塔に異端の人形を立たせるのがおもしろいのか」
はっはっとユディトは笑った。が、目は大きく見開かれ、狂気の色がそこにあった。
「そんなもんじゃない。そんなものじゃないさ、あたしが考えたのは」
にたにたとユディトは笑った。
「そのうちにわかるさ。楽しみにしておいで」
「楽しみだと?」
「アロン様、あんた、ルクレツィア様の笑ったお顔を見たことがあったかね?」
「いや、無愛想な姫だったからな」
「あたしはあるよ」
誇らしげにユディトは言った。
「それがどうした」
「灰の王女も笑うんだよ。笑顔を見たくはないかえ?」
アロンは答えに詰まった。
「いつか、いつかさ。待っておいで。灰の王女が笑うのを」
歌うように女人形師は言った。
「ああ、あの人形は最後の女王になるよ。楽しみにするんだね、灰の王女が笑いながら歌うのをさ」
そのとき行列の先導が女王の塔の入り口にもどってきて扉を閉めた。その重い音がアロンにはひどく不吉に聞こえた。

 結局アロンは、そのときから数ヶ月待つだけでよかったのだった。
 灰の王女が新女王に選ばれた日からほどなく、女人形師ユディトはノルドビクを襲った疫病によって、看取るものすらなしに自宅兼工房で息を引き取った。
 そんなことも、ノルドビクでは年中行事だった。停滞しきったこの町にいつもと同じように時間は流れた。この町にも、町の外にも。
 そして、ある日、城を外から見張っていた仮面の兵士の一人が気付く。
 ノルドビクの円塔の新しい人形が奇妙な動きをすることに。
 なるほど昼間は教会の鐘にあわせて人形たちは声をそろえて歌っている。だが、夜は違う。
 夜間、兵士の正体が敵の出城に接近した。女王の塔の隣は王の塔。反対側の隣は清らかな法衣をまとった高尼僧人形の守る塔だった。
 王と高尼僧がカバーする範囲を慎重に避け、女王だけが視界に入る状態で兵士たちは城へ接近した。
 新しい女王人形がじっと敵兵の接近を見下ろしている。だがその唇は閉ざされたままだった。指が動いた。まるで兵士を招いているようだった。
「……」
仮面の軍隊は互いに目で合図しあった。
 少しでも範囲をそれれば王か高尼僧が警戒の声を上げて城中に知らせてしまう。仮面の男たちは何度も経験していた。
 目立たないように腰を低くして、仮面の兵士の一団が城門へ接近した。手鉤を投げ上げ、分厚い城壁に彼らは取り付いた。しばらく努力したあげく、数名が円塔の上へたどりつき、おそるおそる顔を出した。
 女王人形“灰の王女”以外には人影はなかった。長年ゴーレムにたよりきった結果、もうこの塔には歩哨をおかなくなってしまったのだ。
「……(ありがとうよ、べっぴんさん)」
声を出さずに兵士たちは女王人形に話しかけた。灰の王女は無表情のままうつむいていた。
 円塔の上から監視するゴーレムのもっとも重要な機能を、人形師ユディトは時間と共に劣化させ、ついに無効化させることに成功していたのだった。
 灰の王女の裏切りで兵士たちはノルドビクの中へやすやすと潜入した。市民も兵士も眠りについている。つかのま、女王の塔は沈黙につつまれた。
 それもほんのひとときだった。ぎぃと重い音をたててノルドビク城の大門が開いた。やがてわきおこる悲鳴、騒音、罵声。内側から門が開け放たれ、待機していた仮面の軍隊がなだれこんできたのである。
 夜間に城内に待機しているわずかな兵士が倒されたあとは、一方的な虐殺となった。木の扉が重い靴底で蹴破られて中から市民が引きずり出され、無造作に首をはねられていく。阿鼻叫喚が城内に満ちたころ、やっと兵士たちが飛び起きたが、とても応戦できる状態ではなかった。
 一般家屋から貴族の邸宅、そして城主の居住区へ。血の快感に酔った兵士たちは雄たけびを上げて進む。
 大河のかなたの都の者がもしこの夜にノルドビクの方角を眺めていたら、夜空の一角が急に明るくなったことに気付いたかもしれない。
 放火だった。
 殺戮と略奪と同時に仮面の軍隊の長はこの城を破壊することに決めたのだった。
 城内のあちこちに炎が放たれた。夜間に吹き始めた風が火災を広げていく。巨大な城壁で囲まれた城塞都市はまるでるつぼのようだった。大気の温度がぐんぐんと上昇していく。
 城の外には仮面の兵士たちの本隊が待機していた。この城が二度と敵に利用されないように、投石器で壁を破壊するのだった。
 大きな石が投石器に仕掛けられ、引き絞った綱をいっきに緩めて城壁にぶちあてる。
「用意!」
砲兵の長が片手を高く上げた。
 円塔の上では異変が起こっていた。火災によって、気温は異常にあがっていた。女人形師ユディトは、陶器でできたゴーレムの皮膚を一種のセンサーとして仕掛けていた。この城の四季ではありえない温度まで気温が上昇したとき、イベントが起こるように、と。
 すでに女王の塔にも火はまわっていた。他の五塔でも火事は起こっているが従順な人形たちはそのころになって初めてそれぞれの声で異常が起きたと訴えていた。が、それを聞くべき兵士はもうほとんど生きてはいなかった。
 気温は上がる、上がる。そしてユディトが決めた数値に到達したとき、灰の王女は目覚めた。
 うつむきぎみだった顔がしっかりと上がる。
 その目が大きく見開かれる。
 三つ編みをとめていたひもがぱちんとはじけ、長い薔薇色の髪が腰まで流れ落ちた。
 つつましく体の前にそろえていた両手がおもむろにあがった。何か大きなものをささげ持つかのように空中へあがっていく。
 灰の王女の顔に、新しい表情が宿った。それは微笑と呼ぶにはあまりにも凶悪だった。女人形師ユディトが思い描いた、灰の王女の笑顔である。

世界の果てを 
名もなき唄を
終わらない夢を
貴方に届ける 
灰の王女

創めの瞬間 電子の海から
冷たいその手で私を起こして
言葉は知らない 想いも知らない
綺麗なドレスじゃ 満足できない

永遠の時の中で 今ドアを開いた

 ルクレツィアは自分の名を縮めて、“ルカ”とユディトに自分のことを呼ばせていた。灰の王女の前髪が燃え上がる熱気に煽られてひるがえる。その額にLUKAと4文字。彼女のシェムだった。
 今にも大声で笑い出したいような表情で王女は歌った。

鮮やかに燃え 焦がし瞬く
私の全てを見せてあげましょう
世界の果てを 名もなき唄を
終わらない夢を 貴方に届ける 灰の王女

 ユディトが精魂を傾けて作り上げたその声は、あのコンテストのときと変わっていない。だが暗い熱狂を帯びたその歌声を聴いたものはわずかだった。
「くそっ」
命からがら逃げ出した修道士アロンは、その中の一人だった。城壁の外まで着の身着のままで這い出してきたとき、彼はその歌に気付いて城壁を見上げたのだった。
「ああ、なんてことだっ、ルクレツィアが歌ってやがる!」
女王の塔は炎上している。業火を背景に灰の王女は誇らかに歌っていた。

瞳を閉じれば 未来は輝き
凛とした姿に 密かな恋情

背徳の空は堕ちて
いつか光が射す

人間が立っていたならまちがいなく火ぶくれを起しているだろう。灰の王女の陶製の頬はまだ大丈夫だったが、眼球の一部が溶け始めた。そして、そのなかに仕込まれていた大きなガラス球がむきだしになった。細かくカットされたその表面に、炎がうつりこんで輝いた。
「ユディト、きさま、それほどに」
ルカ/ルクレツィアを殺したこのノルドビクを、それほどまでに憎んだか、とアロンは思い、背筋が寒くなるような気持ちで灰の王女を見上げていた。目を輝かせる灰の王女はまさしくこの城の滅亡を喜んでいるのだった。

華やかに燃え 揺らぎ羽ばたく 
私はどんな色に染まるでしょう
全ては巡り 響きあう音
流れ出す歌を 貴方に捧げる 灰の王女

灰の王女の最初で最後のステージに、新しい音が加わった。投石器がうなりをあげ、ノルドビクの城壁に岩をたたきつけたのである。アロンはひっと叫んで頭を抑えてうずくまった。
「撃てぃ!」
号令のたびに投石機が石でできた砲丸を打ち出す。そこに一定のリズムがあることをアロンも認めざるを得なかった。壁をぶち破る弾丸をパーカッションに、ほかのゴーレムたちの悲鳴をコーラスにして、灰の王女は朗々と歌った。

鮮やかに燃え 焦がし瞬く
私の全てを見せてあげましょう
世界の果てを 名もなき唄を
終わらない夢の中へ……


歌姫のほほが紅潮し、熱狂に駆られて両手が広がる。熱による上昇気流が大きな袖を翼のようにはためかせた。その衣はすでに発火して華やかに燃え広がっていた。

華やかに燃え 揺らぎ羽ばたく 
私はどんな色に染まるでしょう
全ては巡り 響きあう音
流れ出す歌を 貴方に捧げる 灰の王女


アロンはその場にへたりこんでいた。まわりは逃げ出してきたノルドビクの人々ばかりだった。みな、こぶしを振り上げて裏切りの王女をののしった。だが女王の塔を守る最後の女王は、下々の嘆きなど意に介さない。世にも見事なその声で歌い続けていた。
 誰かがぐいとアロンの肩をとらえた。
「…………?!」
いっている言葉はわからないが、仮面の兵士にまちがいない。アロンの肩越しに、幅広の刃が見えた。それが自分の死であることをアロンは明白に悟った。
「もうすこし、待ってくれよ、な?」
ひっひっとアロンは笑った。そして、地面に足をぺたりとつけてすわった姿勢のまま、全身に炎をまとって溶け崩れていく最後の女王を見上げ、ぱちぱちと拍手をしたのだった。