ノルドビク城の歌う人形 第一話

「最後の女王」(by黒うさP様)二次創作

 東の空が血を流したように赤くなっていく。
 夜明けの空は陰鬱だった。秋の終わりの冷たい風が平野を吹き渡る。闇色の雲が動き、朝日は平原に光を一筋投げかけた。
 大地に隆起はなく、見渡す限りの平野が広がっている。曙光はまず、天主に届いた。平野にただひとつ聳え立ついかめしい城塞都市の主要部分である。
 太陽は、病んだように弱弱しい。それでも天主、領主館、都市の外壁を、太陽は次々と明るみへさらしていった。どれも石造りで重々しく、人を寄せ付けない雰囲気があった。
 光はついに外壁の基部を照らしだした。奇妙な微笑を顔にはりつけた頭蓋骨が夜明けの空を見上げていた。町の外壁の下は、引き取り手のない敵兵の死骸が累々と積み重なっている場所だった。
 もう何十年もこの町は仮面の軍隊に包囲されている。この土地は仮面の民のもの、だが町に住むのは、城の後ろの大河の向こうに広がる王国の民だった。この王国が大河のこちらがわに築いた出城はいくつかあったのだが、今はもうこの城しか残っていない。
 この都市の外壁は槍や剣で削られて傷だらけだった。投石器の石がめりこんでいるところもある。炎で焦がされた痕も残っている。血しぶきを浴びた部分は数え切れない。
 だが、この年月の間に幾度となく襲われても、城は堅固な姿のまま立ち尽くしている。この外壁の真下に立って見上げれば、尖塔の頂きは天の半ばに届くかと見えるほど巨大だった。
 平原は、しだいに明るくなっていく。
 この城を空から見ると、いびつな六角形に見える。この城を造った者たちは、分厚い壁が曲がる角のところに円塔を用意していた。円塔の数は全部で六つ。
 明るさを増す太陽は六つの塔にも光をそそぐ。大地から生えたような石組みの一番上、狭間胸壁で囲まれた塔のてっぺんに、誰かが立っている。城塞都市の外はすべて敵地。その大地をじっと見守っていた。
 夜明けの風が吹いた。見張りは微動だにしない。
 六つの塔にはそれぞれ見張りがいた。高貴な騎士の装束の者がいた。うすものをまとう艶やかな踊り子がいた。性別も職業もばらばらな六人は、それぞれ別の方向をじっと見据えている。彼らの影が円塔から外壁へ、そしてその下へと長く引いていた。
 領主館の上の鐘撞き堂からそのとき、鐘の音が鳴り響いた。ごぉん、ごぉんと余韻を引いて鐘の音は消えて言った。
 見張りたちは、半眼に閉ざしていた目を見開いた。うつむきかげんだった顔がまっすぐ前を見つめる。そしていっせいに歌いだした。
「オーオーオー」
「アーアーアー」
順にソプラノ、アルト、アルト、テノール、テノール、バリトン。見事なハーモニーで六人は歌い続ける。ラテン語の聖歌だった。
 都市の中では人々が動き始めた。鐘と共に響く聖歌に、誰も驚きはしない。ある者は水を汲み、ある者はロバの背に荷を積んでいる。道端には身寄りのない老人や捨てられた子供などがうずくまり、また一日、希望のない日が始まるのを鈍いような目で見ていた。
「ラーラーラー、ラ、ラ」
いきなり歌が狂った。誰かがまず音程をはずし、テンポについていけずにずれてきている。人々は初めて塔の上を見上げた。
「どこだ?」
「この声は、高尼僧か、それとも」
 領主館から武装した兵士たちが飛び出してきた。手にした棍棒で騒いでいる平民を無造作に殴りつけて叫んだ。
「騒ぐな、騒ぐな!広場に集まることは許さん。散れ、散れっ」
市民を蹴散らしながら、兵士が数名、都市内部の広場から円塔の中へ入り、城壁へと駆け上がっていった。
「『女王』だ!」
上から兵士が叫んだ。
「大変だ、もうシェムが消えかけているぞ!」
兵士は血相変えていた。
「誰か、人形師を呼んでくれ!」
その大声は街中に聞こえた。市民がその塔を指差し、悲鳴を上げた。この町を十数年守り続けてきた六体のゴーレムのうちひとつ、女王人形がついに今朝寿命を迎えたのだった。

 古い女王が死に、新しい女王が選ばれるといううわさはその日のうちに城塞都市ノルドビクの中に広がった。
 兵士も女中も職人も見習い小僧も、仕事が手につかないほどの興奮ぶりだった。
「人形小路じゃあ、みんな殺気だってるってよ」
「何を言ってんだ、いまさら。広場へ行ってみろ、もう賭けが始まってるぞ」
「なにっ」
だっと小僧が駆け出していく。掛取りの代金を握り締めて、どうするというのだろうか、と修道士アロンは考えた。
「まさか、使い込む気か」
 ほぼ一年の間、アロンはノルドビクを離れていたのだった。教会に籍を持つ学生として大河の向こうにある王国の都で過ごし、そこで世界の動きの一端に触れ、最新の理論を学んだ。
 大河の向こうから故郷へ戻ってきたばかりなのに、もう王都が恋しい。秩序と言うものを知らず、教導しがいもない、せせこましくてみみっちぃ庶民たち。そして、品性においてはそれほど変わらないくせに、やたらと高飛車に振舞う金持ちや騎士。
「早く行こうぜ!もう女王候補が出てくるらしいぞ」
 またうしろからどんと突き当たる者がいたが挨拶一つせずに走り抜けていく。アロンは罵声をかろうじて抑え、また教会に向かって歩き始めた。
「たかが人形だろう!」
アロンが生まれ育ったこの城、ノルドビクは人間の兵士ばかりが守っているわけではかった。異教の秘術によって生み出されるゴーレムが、ここ十数年昼も夜も敵を監視し続けているのだ。
 それこそが、ノルドビク城が敵地の中のただ一つの出城としていまだに健在である理由だった。教会は、しぶしぶながらもこの秘術を黙認せざるを得ないのだった。
 秘術とはまず土と水をこねて人形を作り、そこに命の言葉「シェム」を刻み込む。ゴーレムによってシェムは違うし、シェムが刻まれる場所も異なる。
 ゴーレムは、だからどのような形につくることもできるし、創造者が命令すれば従うのだった。
 ノルドビクの人形師たちは人間と同じ大きさのゴーレムを作りだした。都市の外壁をつなぐ円塔は六基。それぞれに名前があり、王の塔、女王の塔、高尼僧の塔、法王の塔、吟遊詩人の塔、踊り子の塔、と呼ばれている。王の塔の上には、覇気のある男性の姿をしたゴーレムに美々しい騎士の装束を着せて連れて行き、こう命じた。
「ここに立って敵を見張れ。敵が襲ってきたら叫んで知らせよ」
 従順な“王人形”はその場に立ち、ときおりまばたきしながらじっと命令を守った。彼には眠りも食事も休息も必要ないのだから。
 同じように、塔名にあわせて作られたゴーレムがそれぞれの塔を守っている。先日シェムを失って土に返ったゴーレムは、王の塔の隣、女王の塔のゴーレムだった。
「失礼、ちょっとどいてください」
案の定、教会の中は込み合っていた。いつもはあまり人のいない一階の後ろの立ち席でさえ見物客であふれている。修道士仲間が気がついて、どうにかアロンを入れてくれた。
「おそくなりました」
「いや、これからだ」
と修道士仲間が妙に浮き浮きと言った。
「ほら、最初の候補が来るぞ」
「おれは、あの子じゃないかと思ってるんだ」
 ちっとアロンは舌打ちした。賭けだ。教会組織の人間さえ、ダフ屋に金を支払ってどのゴーレムが女王に選ばれるかの賭けに加わっている。腐敗もはなはだしい、とアロンは思う。
 王都を見てきた目にはこの教会は古めかしくてみすぼらしい。それでもノルドビクでは一番の集会場だった。
 薄暗い内部をすすむと、町でも裕福な市民が坐る一階一般席が見えた。中央の通路を人が歩いていく。腰の曲がった老人と若い女だった。
「なんといっても、人形師のなかじゃ最長老だ、あいつは」
 人形師とは、ノルドビクの人形小路と言う小道に固まって住んでいるゴーレム造りのことだった。本来なら異端としてすぐに火刑になるところを、ノルドビクの市民に有益なゴーレムを供給しているから、という一点を持って教会から目こぼしをされている。
 それでも教会は“人形師は常に悔い改めていなくてはならない”と規定していた。だから人形師の態度が大きいと見れば、兵士や市民が飛んでいって殴ったり、物品を取り上げたり、裁判なしで牢屋につないだりできることになっていた。
 売春婦、泥棒、そして人形師の鞭打ち、杖打ちは、死刑囚の絞首や魔女の火刑と並んでこのノルドビクの市民の娯楽の一つになっていた。
「なんてくだらない」
 世界の動きの一端を見てきたアロンの目には、なんとも無意味な慣習にうつる。特に人形師たちがこのあからさまな差別から逃げられないように、服のどこかに黄色と黒の太い縞模様をつけなくてはならないという決まりにいたっては、ばかばかしくてたまらなかった。
 高齢の人形師は、黄色と黒のしまの上着を身につけ、ゆっくりと教会の中央通路を歩いてきた。円塔の見張り人形を選ぶコンテストは、彼ら人形師にとって最大の晴れ舞台なのだった。
「おお、かわいいじゃないかっ」
修道士仲間も見物の人々もざわめいた。老人が連れてきたのは大きく膨らんだ髪型に赤と白の奇抜な衣装の“娘”だった。
 女王候補のゴーレムたちはどれも若い女性の姿をしていた。ほほも手もなめらかで唇は美しく、肌がすべすべしている。泥をこねてゴーレムは作られるが、実際はかまどで焼かれ、陶器の肌を持っていた。
「遠見姫」
司会役がそのゴーレムにつけられた名前を披露した。
 遠見姫はとても自然に見えた。血色のいい薔薇色の肌につやつやした黒い髪の組み合わせで、ややぽってりとしたあつめの唇に微笑を浮かべている。
 彼女は祭壇の前まで行くと、大きなスカートのはしをかるくつまんでおじぎをした。くるりと群集のほうへ向き直るとにこやかに笑い、なんと手を振ってみせた。
 拍手が沸き起こった。遠見姫は高めのかわいらしい声で歌いだした。
「あたしを森へ誘うのは誰?森へお花を摘みに行くの。あたしを泉へ誘うのは誰?泉へお手々を洗いに行くの」
くるくると瞳を動かし、両手を舞うように動かして人形は歌っていた。
「若い娘そのものだな!」
「だが、女王役にはちょっと軽すぎはしないか?」
「いいじゃないか、踊り子ほどじゃなし」
人々はひそひそとうわさしながら歌を聞いている。一曲歌い終わったあと、人形師の老人は遠見姫を連れて祭壇前を退いた。
 その次に来た人形師は中年の男だった。彼のゴーレムは“まごころの君”だと紹介された。
「いつも~、忘れな~い~、あなたの~こと~」
まごころの君は濃いめのレンガ色の衣装をつけ、髪はあっさりと黒いリボンで結っている。両手を胸の前で握り合わせ、身をよじるようにしてせつなく歌い上げた。
「この子も悪くないな」
「おれはまごころを気に入ったよ」
 三人目のゴーレムは“白百合の娘”、四人めは“夢の伯爵夫人”だった。どれもノルドビクの平均的な女性より背が高く姿勢がよく、顔立ちも華やかだった。身にまとうものも、“人形だから”という理由で教会から目こぼしがあるので、実際のノルドビクの婦人が身につけるより露出の多い艶やかなドレスを着ている。
 容姿が華麗なら、声はさらに見事だった。本来女性は教会内では大きな声を出すことさえ禁じられている。神の栄光を称えるためにやっと口を開いてもいいというていどで、歌うなどもってのほかだった。だが、ゴーレムたちは歌った。
「声は“白百合の娘”が一番だな」
と修道士が言った。
「艶があるじゃないか。あの声で賛美歌を歌うのを聞きたいね」
 異教の秘術によって生み出されたゴーレムたちは“改悛の気持ちの現れ”のために、ノルドビクの教会の鐘が鳴ると聖歌を歌うことになっているのだった。
「はあ?声の質があわんだろう。きらきらした声なら踊り子がいる」
踊り子人形はソプラノだった。女王は高尼僧とともにアルトパートを受け持つことになっている。
「隣の“王”と歌うなら、ちょうどいいんだがな」
“王”と“吟遊詩人”がテノール、“法王”がバリトンだった。
「さあ、次で最後か」
アロンは何気なく女王候補の集まっている場所を見た。最後の人形師は女だった。黄色と黒の太いしまのスカートの上に黒い上着を重ねている。足を引きずりながら歩き出した。
 人形師の後ろから動き出したものがあった。
 アロンはその場で固まった。
「ルクレツィア!」
低く叫んだその声が聞こえたのか、女人形師が顔を上げ、アロンを見つけるとじろりとにらんですぐに目をそらした。
「おまえは、ユディトか」
女人形師ユディトは苦労して祭壇の前に出ると、司会役に小声で自分の作品の名を告げた。司会が咳払いをした。
「灰の王女」
重々しく告げられた名は、その歌人形によくあった。
 女王候補のゴーレムはやはり若い女の姿だった。だが、それまでの候補の華やかさに比べてひどく異質だった。背が高くすらりとした体つき、髪は長くピンク色をしている。それを三つ編みにして頭部に巻きつけてあるだけのシンプルな髪型だった。彼女の肌は、薔薇色でも白でもない。すすをかぶったような灰色だった。
「なんだ、地味だな」
「ああ、地味なんだが、目が離せないのはどういうわけだ」
「……顔のせいか?」
「というよりも、目か?」
人形師は灰の王女に、冷たく整った顔立ちを与えていた。目はどこを見ているのか、ひどく超然としている。その目、その顔をアロンは食い入るように見つめた。
「あの目、光るぜ」
と誰かが言った。ノルドビクの等身大ゴーレムは泥をこねて作った眼球をそなえている。だが、灰の王女の目はその泥玉の中に何か光るものをしこんであるらしく、教会内の乏しい灯りを受けて輝いていた。
 灰の王女が身につけているのは、修道女を思わせるひじょうにつつましい衣装だった。襟は首元までとめられ、ほかの女王候補のように胸までえりぐりをつけて鎖骨を見せたりはしていない。腕も指先しか見えない。袖は肩でおおきく膨らんで肘でとまり、手首に向かってらっぱ型に開く長いカフスがついたもの。ウェスト位置の切り替えは胸高で、スカート下のパニエは小さめなため、すっきりと足元まで広がっていた。
 だが、アロンはそのドレスに見覚えがあった。ドレスの地色は黒と白のちょうど中間の光沢のある灰色である。教会好みのつつましさに見せかけて、実は手の込んだ贅沢な織物だとアロンは知っていた。アロンの実家、ノルドビクの大商人が都から輸入して、とある一家に販売したものだったから。
「あれは、ルクレツィアのドレスじゃないか!」
 灰の王女は、光の当たり方でちらちらと輝く衣装を身につけ、にこりともしないまま群集のほうへ向き直った。薄紅の細めの唇が開いた。
「静寂の荒野を、鳥が飛ぶ」
人々は息を呑んだ。ほかの女王候補のときのように、くちをはさんだり私語をつぶやいたりするものはいない。灰の王女は最初の一声から教会内にいた群衆を魅了しさった。
「空の高み、輝きをめざし」
朗々とした発声だった。旋律はものがなしく、ひとつのフレーズが長く息継ぎするところがない。さらに強い感情をあらわして高低に大きく変化した。
 しかし灰の王女は驚くべき安定感で歌を支えた。低いメロディから声は力強く音階を上がっていく。最高のハイノートになっても声はまったく震えない。聞いていたアロンの皮膚に鳥肌がたった。
 灰の王女の動きは派手ではなかった。だが彼女の片手がわずかにあがるだけで空想の鳥は舞い上がり、人々の心をいやおうなしにひきずりあげていく。
「森よ、大河よ、あの鳥のために泣けと、風は歌い、舞い狂う」
誰も聞いたことのない調べだったが、哀しみを帯び、しかも凛とした声は歌によくあった。堂内にすすり泣きがもれた。
「私の心臓を与えよう!眠れる荒野に風よ、告げよ、あの鳥はけして帰らぬと」
アロンは震えた。アロンが知っているとある女性の魂そのものが、この歌う人形の中にそっくり写し取られているのだった。
「ユディト、なんてことをしてくれた!」
アロンの目の前で、ことは動いていく。歌が終わり鳴り止まない拍手の中、満場一致で灰の王女が、“女王”に選ばれ、司祭の手で金のティアラをかぶせられるのを、アロンは黙って見ているほかはなかった。