百鬼夜行

 都の夜は、ふだんならば煌々と灯りがきらめきたいへんきらびやかだった。今をときめく室町殿を中心に、名のある武将、国主の邸宅がひしめいている。それをさらにとりまくのは、家中の武士たちの館、そしてずっと下がって商人町、職人町、市場などがあり、さらに外縁には、名だたる花街があった。
 長い戦乱の世が終わり、やっとのことで都に訪れた戦火のない日々である。行き倒れや物乞いの姿が少なくなり、都大路はこざっぱりとしてきれいなものだった。
 だが、その夜。
 怪異は起きた。
 どこから吹いてきたものか、一陣の陰風が夜半の大路を駆け抜けた。次の瞬間、地鳴りのような音があたりにこだました。
「何事!」
「さては、南朝方の残党か!」
都の警護にあたる屈強の武士たちはおっとり刀でかけつけ、そして目を剥いて絶句した。
 百鬼夜行である。
 牛の頭、猪の頭をもった、ふしくれだった鼻面の毛むくじゃらの長虫。
 鱗のある巨大な身体に、三つ目をつけた奇怪な獣。
 あるいはやせさらばえ、腹の異様に突き出した一つ目の餓鬼。
 顔はまったくの鼠のくせに、公卿の装束をまとった小人。
 どれも、ぼう、と光を帯びて、どこからともなく突然都大路に現れたのだった。
 下々の民は荷物をひきかついでただ逃げ惑うばかり、武士でさえあまりのことに、とっさに動けもしない。
「うわうわうわう」
一人の武士がわけのわからぬことをつぶやいて朋輩の後ろへ隠れようとする。人面の、それもひときわ悪相の竜が、巨大な目玉をむいてぎろりとにらんだ。
「ひいいっ」
「落ち着け、落ち着け」
「じゃというて!」
臆病な武士が叫んだ。
「どうすればよかろう」
「誰か有徳の僧はおらんか!」
「そのようなもの、この末世のどこにおるのじゃ……」
 けけけけけ、と甲高い笑い声をあげて、長い黒髪に裳唐衣をつけた女房の、顔の皮の半分がたはずるりとむけて目玉のむきだしたのが宙を飛んでいく。その向こうを、五重塔が動き出したかのような巨大な赤鬼が腰布ひとつでとげの生えた棍棒を一歩ごとに地について歩いていく。あたりが震えるようだった。
 あとからあとから魑魅魍魎は湧きだして、一筋の流れをなして都大路を我が物顔に通っていく。退治どころか、あまりのおどろおどろしさに、どこへ行くのか見定めることすらできなかった。
「どうしたよいかのう」
おろおろしているときだった。冷静な声がした。
「父上、鬼が通ります」
 幼い、童子の声だった。まだ高い、かわいい声だが、品があり、庶民のそれには聞こえなかった。武士はふりむいた。
「どこの若君か。ここは危ない。父御にそう申し上げて、道を変えていただくがよい」
都の大路の暗がりから、藤色の水干姿の童子が現れた。まだ本当に幼く、5~6歳に見える。後ろに高価そうな直垂を着た、妙に眼の細い武士が一人つきしたがっていた。
 都の警護の武士は首をひねった。鎌倉とちがって、この都ではまだまだ貴族の力は強い。かなり位の高い堂上公卿がうろうろしていたりする。この童子はどちらの大家の若君だろうか。
 童子は、恐れ気もなく百鬼夜行に近づいてきた。鬼どもの放つ不思議な光でその子を見て、武士はぎょっとした。なぜか、幼い少年がまったく白髪となっている。いや、と武士は思った。白髪というより、黒髪よりもあるいは美しい、銀にけぶる長い髪だった。そこまではよいとして、眼が尋常ならない。金色の瞳だった。
朋輩が袖を引いた。
「おい、この童、鬼の仲間なのではないか?」
「それにしては……」
武士は息を呑んで童子の面に見入った。花の御所で将軍の寵愛を受ける女御衆でさえ、はたしてこれほどの美貌だろうか。まだ子どもだが、成長したあかつきにはどれほど華麗を見せるか、想像できるような容姿だった。
「失礼だが、若君」
 じっと鬼どもの行進を見つめたまま、花のつぼみのような童子は冷静に答えた。
「気遣いは無用だ。わたしも父も、鬼など危険でもなんでもない」
後ろにいた狐顔の武士が咳払いをした。
「小犬の君……」
童子はきっとふりむいた。
「須々木、そなたは案内役であろう。分をわきまえよ。私の名は、殺生丸だ」
「ご無礼仕りました」
須々木という武士は卑屈に笑った。
「が、どうなさいます。これでは、お通りになれませんでしょう」
「口をつぐめ」
童子は無表情のまま、尊大に言葉をさえぎった。
 暗がりの中から牛車が現れた。数名の武士と郎党がその牛車を守っている。かなり身分の高い公卿の使う車だった。大きな牛はゆったりと歩み、近づいてくる。車の中から、誰かが声をかけた。
「ほう、珍しいな」
貫禄のある男の声だった。が、濁ったりしわがれたりしていることはない。高くなく、低くなく、おうような大貴族の風を思わせた。
 牛車がとまった。長柄が下ろされた。扉が開く。貴公子が現れた。
狩衣に指貫は、公卿の平常着だった。だが、なぜか貴公子はこの装束につきものの烏帽子をつけず、長い髪を後頭部でひとつに結っている。童子と同じ白銀の髪だった。
 明眸皓歯とは、このような方だろうか。都を警護する武士たちはあっけにとられて牛車の人に見とれた。端正な顔立ちに、ゆったりとした大君ぶりがよく似合った。
「父上!」
殺生丸というらしい童子はそう言って、貴公子のところへ走っていった。
 急に子どもじみて、年相応に見える。冷静さも尊大さもかなぐりすて、童子は父の衣の袖にすがった。
「あのように、鬼が。あれが百鬼夜行というものですか?」
「おお。承久のころはちょくちょく出たものよ。近頃はとんと見ないと思っていたが、またよく湧いたものだ」
貴公子は微笑んだ。
「怖いか、殺生丸」
「いいえ!」
むきになったようすで殺生丸は首を振った。
「でも、たいそう、むさ苦しいです」
ははは、と屈託のないようすで貴公子は笑った。
 須々木が話しかけた。
「牙の大殿、真に申し訳なく存じます。このようなものどもにさえぎられるなど案内役の不手際。ですが、これではお通りは難しいかと存じます。どうかまげて、お車を返してくださいませ」
「んん?」
牙の殿と呼ばれた貴公子は、からかうように笑いかけた。
 貴族の呼び名として、牙の、というのはかなり珍しい。警護の武士たちは、また首をひねった。
「まことに、やらずの雨に似ているな。この子をどうしても返したくないように見える」
「めっそうもないことで。ですが、これではいたしかたございませんでしょう。我が一族の結界へおもどりになり、方違えのうえ、お帰りいただくわけには」
小さな殺生丸は、心配そうに牙の殿の衣をつかんだ。
「院へお戻りになるのでしょう?父上」
牙の殿は、大きな手で子息の頭を撫でた。
「早く帰りたいか、ん?信太(しのだ)殿のところはいやか?」
童子は、下唇を噛んだ。端正な顔立ちが、泣きそうにゆがむ。
「だって、あの方は、わたくしを取って食らおうとなさいます」
須々木があわてた。
「殺生丸様、そのような!殿、がんぜないお子の言われることを、真に受けられますな」
牙の殿は、冷たい眼で須々木を見た。
「わやくというか、須々木。この子の心臓にどれほどの妖力が蓄えられているかよもや知らぬと申すか?」
須々木は、反論できずに震えているだけだった。
「や、何も、そのような……ここはただ、信太の一族の結界へお戻りいただきたく」
「もどったところを喰らうつもりか」
須々木は卑屈な表情でなんとか笑おうとした。
「めっそうもない……通れぬ道を通れとは、幼いお子のわやくでございます。さあ、お戻りを」
急に牙の殿は、にっと笑った。今までの冷たい表情はどこへ行ったのかと思わせるほど愛嬌のある、悪童のような笑みだった。
「須々木、信太殿には、こう伝えてくれ。わしは日ノ本で一番せがれに甘い、だめな父親にて、この子のわやくをどうしても退けられなんだ、とな」
「殿!」
牙の殿は、いかにも愛しげな手つきで、わが子の頭を撫でた。小さな殺生丸は信頼しきった目で父を見上げていた。
「白銀も黄金も玉も、そなたには代えられぬ。よし、そこで見ておれ。今、父が、通ることのできるようにしてやろう」
「はいっ」
何かいたずらを思いついた顔で、牙の殿は魑魅魍魎の群の前に立った。
「誰かある!刀をこれへ」
一人の武士が、錦の長い袋をささげてやってきた。殿は紅の袋を取り、緒を解いて一振りの太刀を取り出した。
「長袖の、お公卿様が……」
警護の武士たちは、意外な気がしていた。だが、牙殿は意に介さないようすだった。鞘をはらうと、驚くほど巨大な刃が現れた。だが重さを感じさせない。かるく反身になって刃を構える姿は、扇でも持つようだった。
「よいか、殺生丸。ひと振りだ……」
百鬼夜行に対峙したまま、視線だけ動かして彼は子息を見た。きらきらと輝くような目だった。
「ひと振りで」
右脇へ静かに構える。気合を入れた。
 警護の武士たちは、ぞくりとした。京の都とはいえ、ついこの間までは戦場だった。彼らとて、何度も生き死にの場面をくぐっている。殺気には慣れているつもりだったが、この貴公子の放つそれは、度を越していた。
「百匹の妖怪を薙ぎ倒す!」
刃は一文字に空間を薙いだ。ぎゅる、という重い音を聞いた、と警護の武士たちは思った。刃は鬼の群にまったく触れていない。が、次の瞬間、百鬼の行列を暴風が襲った。
「なにっ」
 突き立った矢でハリネズミのようになった古い甲冑の亡者。翼をつけた大きな目玉の化け物。空を飛ぶ巨大なみみず。頭の二つある化け馬。尖った歯をむき出しにした大河童。どこから湧き出したかわからない鬼の群は、凶暴な風神になぎ倒され、爆発し、飛び散っていく。
 ちぎれとんだ四肢は地面にびちゃっとぶちまけられ、すぐに塵と化して風にさらわれていった。
 沈黙が訪れた。鬼の群は、消えていた。
「うわうわうわ……」
うなされたように臆病な武士がつぶやく。牙殿は、得意そうに太刀を鞘に収めた。
「どうだ、殺生丸」
「父上、凄いです!」
「はっはぁ」
後ろで震えている須々木に向かって、彼はにやりと笑って見せた。
「残念だったな、須々木」
「は、いえ」
「我が一族の結界は、すぐ近くだ。もう案内は無用。さがってよいぞ」
須々木はしどろもどろだった。
 牙の殿はふりむき、家臣に何か言いつけた。空の牛車が動き始めた。
「殺生丸は、父とお散歩しような」
「はい!」
小さな手を出して、童子は父親の大きな手の中にすべりこませた。
「しろがねもこがねもたまも、なにせんに」
古歌を謡いながら、不思議な親子は歩いていく。
「まされる宝、子にしかめやも」
彼らが消え去った後もしばらくの間、武士たちは腰を抜かしたまま呆けていた。
 しばらくして、白髪の老武家が馬に乗ってやってきた。
「どうした、おまえたち!鬼は、どうなった?」
武士たちは顔を見合わせ、気丈なのがなんとか答えた。
「その、とあるお方が、追い払ってくださいました」
老人は、胸をなでおろしたようだった。
「そうか、そうか。よかった。わしの若いころにも一度、百鬼夜行に襲われたことがあってのう。鬼めは恐れ多くも、女院様の行幸を妨げたのじゃ。だが、その時はよくしたもので、別の化け物が現れて、追い払ってくれた」
「は、はあ」
「真っ白な大きな犬での」
「さようで」
「強いことはまことに強かった。あっというまに鬼どもを蹴散らしての。じゃが、帰り際に、“手間賃をもらうぞ”と言ってからからと笑い、女院様の牛車を引く牛をぱくりとくわえて、宙を飛んでいったぞい」
牙の殿とその小さな子息の後姿は、もう見えなくなっていた。