パラケルサスの犯罪 6.第一章 第六話

 グラン・ウブラッジは、丘の町であると同時に巨大な建築物だった。すべての家という家が、背後の丘の内部にある通路でつながっているのだ。どの階の通路もたて穴と階段でつながっている。ここが要塞だったころは地面と同じ高さとさらにその下に巨大な空間があり、地下鉄さえ通っていたらしい。
「このあたりは、上から二番目の階層になります。アルフォンスさん、天井が低めなんで、お気をつけて」
ペインター大尉がエルリック兄弟を案内していくのは、なかなか豪華なフロアだった。ホテルにも見劣りしない。一定の間隔でとった大きな出窓からは、グラン・ウブラッジの古戦場……さきほどまでアルと兄が命を張っていた場所をまっすぐ見下ろすことができた。かなり高いところにいるようだった。
「何とか大丈夫です。ありがとう」
アルが言うと、大尉は、にこっとした。
「グラン・ウブラッジは、町そのものが大きな病院なんです。最上階とこの階は管理部になっております。今回おいでいただいたみなさんには、この階にある幹部用の宿泊施設や食堂を使っていただきます。エドワードさん、お疲れではないですか?」
「べつに。休むより、事情を知りたい」
「わかりました。ちょうど、他の錬金術師の方々も会議室にみえているそうです。こちらです」
社長室と札がかかっていてもおかしくないような、つやのある木製の扉を大尉が開けた。それは、重役用会議室だった。アンティークめいた大テーブルに、すわり心地のよさそうないすを配している。テーブルには三人の錬金術師と、妙に威圧的な人物がついていた。
 大尉が敬礼した。
「東方司令部より派遣の、エルリック錬金術師と、助手の方をおつれいたしました。こちらは、グラン・ウブラッジ病院長、ヘイバーン博士です」
ヘイバーンは、大柄で体格のいい男だった。同じ部屋の錬金術師たちより、はるかに軍人らしい。なんと、目線の高さがアルより少し低いくらいだった。スティール・グレイの瞳が、探るようにエドを見た。
「マスタング君が送ってきたのが、君か?まだ子どものようだが」
エドの靴が、遠慮なく毛足の長いじゅうたんにふみこんだ。
「おれは十三です、院長さん。それが、なにか」
「いや。国家錬金術師だというから、期待していたのだが」
エドの目が、険悪につりあがった。
「文句はマスタング大佐まで言ってくれ。用がないのなら、おれたちは次の汽車で帰る」
ぴく、とヘイバーン院長のこめかみが動いた。
「誰も追い出すとは言っておらん」
エドは、ヘイバーンを真正面から見据え、その視線を、ボイド、マーヴェル、ロングホーンの三人へ順に移していった。だが、さきほどとは、彼らの態度が違っていた。エドが見せつけた手際に、よほど感服したらしかった。
 ボイドが、咳払いをして言った。
「先月号の『エメラルド・タブレット』に、エルリックという名で論文が発表されていたのを見たのだが、もしかしたら君かね?」
エドは、手近な椅子をひきだし、どっかりとすわった。
「おれじゃない。弟さ。だよな、アル?」
エドが見上げる。存在しないはずの顔面が、熱くなるような気分をアルは味わった。
「もし『リバウンド防止のための小規模スクリプトの一案』を読まれたのでしたら、ぼくです」
マーヴェルが、顔を上げた。
「ぼくも読んだよ。あれは、君かぁ。とってもおもしろかったよ」
「ありがとうございます。本当は、兄さんとふたりで作った構築式なんですけど、『エメラルド』は、国家錬金術師の論文は投稿を受け付けないから」
 一般の錬金術師と国家錬金術師は、犬猿の仲だった。一般の術師は「月刊エメラルド・タブレット」に、国家錬金術師は「国家錬金術機関月報」に、と論文の発表先が限定されている。もっとも、エドに言わせると、「月報」はおもしろくないので、兄弟はもっぱら「エメラルド」を愛読していた。実は読者層はかなり重なっているらしい。
「ヘイバーン院長、彼らは実績のあるきちんとした錬金術師です」
今まで黙っていたロングホーンが、少しくやしそうに言った。
「『エメラルド』は、論文審査が厳しいんです。一回や二回じゃ載せてもらえません」
え、そうなんだ、とアルは思ったが、黙っていた。
「よかろう」
と、ヘイバーン院長は言った。
「では、事情を説明する」
百万の兵士を指揮するような声で、院長は話し始めた。
「これは、単なる横流し事件だ。最初に、私の管理が不十分だったことをお詫びしておこう。犯行グループの一人が副院長とあっては、面目次第もない」
だが、恥ずかしそうな雰囲気はみじんもない。ヘイバーンは見るからに闘志満々だった。
「グループの一人、ベイツ医療器具社の、アンドルー・ベイツ社長が自首してはじめて、事件の全貌が明らかになった。グループには全部で五人。それぞれ、象徴的な呼び名を持っている」
ヘイバーンがあごをしゃくると、大尉が、テーブルの上に一覧表を広げた。
「まず、“マイダス”ことベイツ。“アスクレピオス”ことマクラウド博士。そして“ハンニバル”ことローフォード元大佐。ただしここまで分かった時点で“アスクレピオス”は毒をあおり、“ハンニバル”と“マイダス”は殺されてしまった。射殺したのは、“ニムロデ”ことラッシュ少佐だった。今は意識不明だ」
今出た名前で四人、とアルは心の中でカウントした。
「あいにく“マイダス”は、最後の一人の通称は知っていても正体を知らなかった。どうやらその最後のメンバーが組織の横領した物資を隠匿しているらしい。この男は、おそらく錬金術師だ。私は、この最後の男を割り出し横流しにあった大量の薬品を取り戻してもらうために、各地へ錬金術師の派遣を依頼した」
ボイドが聞いた。
「なぜ、その男が錬金術師だと断定できるのです?」
「うむ、断定というより、推測に近いのだが。選ばれた通称に、共通点のあることに私は着目した」
そう言って、ヘイバーンは、大尉の広げたリストを指さした。
「“マイダス”というのは、神話に出てくる大金持ちの王だ。ベイツは商人だが、金持ちだった。同じく神話の医学の神、“アスクレピオス”と呼ばれたのは、医者のマクラウドだ。そして騎兵隊長ローフォードの通称“ハンニバル”は、古代の名将という具合だ」
「呼び名と職業が一致しているわけですか」
「例外はない。“ニムロデ”は神話に“力ある猟師”として登場する人物だが、狙撃兵はよくハンターに例えられるので、ラッシュの通称に、この名が選ばれたのだろう」
ヘイバーンは、鋭い目で招聘された錬金術師たちを見回した。
「最後の一人の呼び名は、“パラケルサス”だ。この男が錬金術師でないはずがない!」
アルはうなずいた。それでは五人目の男は史上最も有名な錬金術師の名を、通称にもらったことになる。
 ヘイバーンが吼えた。
「必ず探し出せ。この不面目の、償いをさせてくれる!」

 東方司令部の電話交換手は、時々妙なコールを受けることがある。妖艶な女性の声や、あきらかに怒り狂った男性の声が、マスタング大佐を要求するのだった。
「一般回線からの取次ぎは断ること」と、交換台のマニュアルには、いつのころからか、手書きで書き込まれていた。
 その日、交換手は、南方司令部管轄の軍用回線からの電話を取った。
「こちら、東方司令部」
「マスタング大佐を頼む」
押し殺したトーンだった。交換手はちょっとためらったが、取り次ぐことにした。
「お名前は?」
「エドワード・エルリックだ!」
大佐の執務室の電話機が二、三度鳴った。
「マスタングだ」
「おい、大佐」
「ああ、君か。そっちはどうかね」
「“どうかね”じゃねぇ!てめぇ、こんなめんどうな仕事押し付けやがって。なにが“私の代わりにちょっと顔を出してくれ”だ。おかげでおれとアルは、グラン・ウブラッジで体を張るはめになったんだぞ」
遠慮なしに噛み付いてくる。大佐は受話器を耳から放して聞き流し、エドが呼吸のためにひといきついたところで話し掛けた。
「そのあたりはよく知ってるよ。ウブラッジ事件は、『セントラル絵入り新聞』で、一面トップだ。東部でも君たちは有名人だな」
「何の話だ?」
「君たち兄弟の記事とイラストが、新聞に載ってるんだ。私はイーストシティの売店で買った」
「ちょっと待て。それ、まさかダブリスで売ってないだろうな」
「さて。南部のことはわからない」
受話器は沈黙していた。
「どうかしたかね?」
「よ、用事思い出した。またな」
「もう電話しなくていいぞ。私は忙しい」
言い終わるよりもはやく、電話は切れてしまった。