パラケルサスの犯罪 2.第一章 第二話

 戦場で死んだ将兵の遺族は、納税や配給などの生活のいろいろな場面で優遇されるという慣習があった。それほど厳重な検問でない場合、戦死者遺族は比較的簡単に通してもらえることになっている。
「それはよかった」
元軍人らしい年寄りが声をかけてきた。
「奥さん、ご主人は、どちらで?」
老婦人は、南方司令部所属の隊の番号を言い、誇らしげに言い添えた。
「砲撃を担当しておりました。重機関銃を扱っていましたわ」
「そうですか。わしは最初が騎兵隊、そのあとは、いろいろです」
老婦人は親しみのこもった笑顔を向けた。
「でも、なんでしょうね。えらい人が亡くなったなんて。娘から手紙で、グラン・ウブラッジの病院の副院長さんが、毒を飲んだんだと聞いてはいたのですけど」
クラウンは思わず口をはさんだ。
「ジョナサン・マクラウド博士だ。自殺らしいんですがね」
「シャーロットは、娘のことですけど、看護婦なんです。副院長先生はいい人だと言ってたんですけど、何かお悩みでもありなさったのかしら」
「大掛かりな犯罪に手を染めているのが発覚しての、覚悟の自殺だ、という見かたが一般的です」
「あんた、詳しいな」
向かいの席から、ぽつりとエドワードが言った。クラウンは笑顔になった。
「実を言うと、ぼくは新聞記者でね。知らないかな、『セントラル絵入り新聞』ていうんだ」
年寄りが顔を上げた。
「ああ、あの。知っとるよ、昔から売っている」
「やあ、ご存知ですか。うれしいなあ。うちは大事件のイラスト入り解説が売りなんです。大きな駅の売店にはたいてい置いていただいてますが。ええと」
「フランク・ディビス」
老人はそう名乗った。
「その記者さんが、グラン・ウブラッジへ何の用だね」
「そうですね、お話してもいいかな……」
クラウンはもったいぶって咳払いをした。ああ、何も知らない一般市民に、大事件の講釈を聞かせる、このために新聞記者になったんだ、ぼかぁ。
「グラン・ウブラッジが、かつて最前線だったことはご存知でしょう。今は前線がもっと南へ進んでいるので、わが国の領土になっていますがね。グラン・ウブラッジが取り壊されなかったのは、内部の野戦病院の施設がまことに立派で、惜しかったからだと言われています。それで現在でも、傷病兵中心の軍関係病院があの町にあるわけです」
「よく知っとるよ」
「ところが!先日軍と取引のあるベイツ医療器具社の社長が、グラン・ウブラッジの管理部に出頭してきました。副院長マクラウド博士をはじめ、上層部の数名が、大規模な横領に手を染めている、と告発したのです」
「まあ、でも」
と老婦人が言った。
「シャーロットの手紙では、ベイツ医療器具がつぶれたと言っていましたわ?」
「はい、ベイツ社長は、元軍人を横領グループの一人として告発したのです。ところが社長はなんと、その元軍人とともに、横領グループの別のメンバーの手によって射殺されてしまったようです。亡くなったのは、元南部戦線の英雄、ジョージ・ローフォード大佐です」
「なんじゃと」
ディビスが叫んだ。
「大佐が横領だと!そんなことが、あるものか」
「いや、しかし、現に」
「あの人は私心のない、立派な軍人だった。わしは、あの人の下で戦ったんだ」
クラウンはさっと取材用のメモを取り出した。
「あの、ディビスさん、お詳しいみたいですね。ローフォード大佐の事を、もっと教えてくださいよ」
ディビスは、鋭い眼光でにらみつけた。
「いいだろう。よく聞きなさい。大佐はな、最後の騎兵隊長と言われたお人だった」
横からエドワードがつぶやいた。
「騎兵隊?大昔だな」
「昔だとも、坊や。アレを見ぃ」
ディビスの指は、窓の外のグラン・ウブラッジを指した。
「グラン・ウブラッジはな、敵の要塞だった。機銃はとりはらわれたはずだが、今でも砲座はすべて、セントラルを向いとる」
老人の声に、苦渋が忍び込んだ。
「この平原はな、戦場だった」
 グラン・ウブラッジは、かつての最前線の一部だった。南側の国がこちらの侵攻を抑えるために、国境に展開した要塞群の一つなのだった。
 天然の丘を利用して、その斜面の部分に要塞都市は作られた。斜面を階段状に削り、ずらりと砲塔を据えた。そこに大口径の大砲と、当時の最新式の機関銃を設置する。侵攻の意図を持って近寄ってくる者には、容赦なく砲火をお見舞いするのだった。
「うっかり針を指に刺してしまってさえ痛いだろう?この戦場では、立っているだけで鉛の玉が雨あられと降ってきた。ぶち抜かれれば、手を、足を、眼球を、命を、確実に削り取る、死の雨がな」
「さぞ痛いでしょうね」
アルと呼ばれた少年がつぶやいた。
「なにせ、撃って出れば、確実に兵が死による。銃殺場と変わらんのだからな。我が軍は、あまりの被害の多さに、侵攻をためらい、むこうさんも、グラン・ウブラッジを出れば負けると分かっているから、守りを固めているだけだ。こう着状態に陥ってしまった」
「でも、戦争は続いたんですよね」
「そうだ。こちら側は、戦場にいくつも塹壕を掘り、トーチカを作って、その中に潜んで突撃のチャンスをうかがったんだ。だが、実際には、一年以上突撃命令が出ずに、塹壕の中で息を潜めていたこともあった」
「トーチカって?」
「鉄板やコンクリートでつくった、まあ、小屋だと思ってくれ、お若いの。トーチカは地面の上に建てるが、塹壕は穴を掘って地面の下に作る」
「それで大佐はどうしたんですか?」
「鉛玉をくらえば死ぬのは、人も馬も同じだ。が、大佐は、夜間、直卒の騎兵隊をひそかに戦場へ移動させ、真っ暗で相手の狙いが定まらないころを狙って突撃した」
「あ、そうか。それでうまくいったんですね?」
「いや。向こうも当然だが、見張りは立てていたからな。だが、歩哨が突撃に気付いて兵を起すまでの短い間に、騎兵は戦場の半分以上を走破していた。あとは、運任せだった。運がよければ生きて城砦にたどりつき、砲手を倒すことができる。悪ければ戦場に転がって、グラン・ウブラッジに新しい血を吸わせるだけのこと」
「なんだか、ひどい。自殺行為みたいな突撃じゃないですか」
「アル君と言ったかね、お若いの。しかたがなかったんだ。そして、ローフォード大佐には、自分の命を運任せにしてくれる部下がおおぜいいた。二千の騎兵が突撃し、百にも満たない兵士がグラン・ウブラッジへたどりついた。しかし、天は大佐に味方して、とうとう、グラン・ウブラッジは、落ちた」
ディビスはため息をついた。
「大佐は、それからも騎兵戦術で南部戦線で活躍した。本当ならもっと昇進していいお人だったんだが、辞退されてな。本官が戦場で死なしめた部下たちに申し訳ない、とおっしゃって。立派な人だった。最後の騎兵隊長だよ」
ディビスは、ぐいと胸を張った。
「本当なら、将軍閣下と呼ばれてもおかしくない。グラン・ウブラッジ陥落の少しあと、西部で戦場突破をなしとげた男が、今は大総統閣下だからな」
「キング・ブラッドレイ……?」
「そうとも」
いまだに鋭い眼光で、ディビスは片手を上げ、二本の指を折ってみせた。
「大量の機関銃が待ち構える戦場を突破したのは、南部ではまずローフォード大佐。西部ではキング・ブラッドレイ大総統。この二人が双璧だったのだが、近年、わが国には必勝の兵器が加わった」
窓の外を眺めたまま、エドワードがつぶやいた。
「人間兵器。錬金術師だ」
「そのとおり。考えてみたまえ。銃弾の雨の降る戦場を制覇する最上の方法は銃弾の届かないところから攻撃することだ。だが、飛行機械や、トーチカと同じくらいの防御力を持つ移動車両はいまだに実用化されていない。わが国の答えは、錬金術師だった」
老人は三本目の指を折った。
「東部内乱では、わしら古参兵は驚かされたよ。若造が、いきなり戦場突破をやってみせたのだから。焔の錬金術師、ロイ・マスタングだ」
エドワードが、ディビスのほうをまっすぐに見た。
「マスタングは、どうやって突破したんだ?」
「あの御仁の凄いところは、遠距離攻撃が連続して可能だということだ。たいていの錬金術師の練成の範囲は狭く、しかも練成陣のそばにいなくてはならないが」
「あいつは、目で見える範囲なら、かなり遠くても攻撃できる!」
「そのとおり。ほかにも長射程の錬金術師はおるようだがな。豪腕の錬金術師、鉄血の錬金術師が、次の戦場突破をやるかもしらん。なんにしても」
老人は、ふと自嘲した。
「騎兵の時代ではないな。あのころはまだ、戦場にもどこかゆとりがあったよ。いや、年寄りの愚痴だ。忘れてくれ」
小さくつぶやいたきり、フランク・ディビスは黙り込んでしまった。