パラケルサスの犯罪 3.第一章 第三話

 車掌が鐘を振り回して叫んだ。
「グラン・ウブラッジ。グラン・ウブラッジ。これより検問が行われます。乗客の皆様は全員汽車を降りて、並んでください」
ジョン・クラウンは、乗客にまじってぞろぞろと汽車を降りた。駅舎は小さく、検問所は屋外に作られていた。その前に、長蛇の列がすでにできていた。
 クラウンはあたりを見回した。どこから見ても平和な村にすぎなかった。駅の周りにちょこちょこと建物があり、その外がすぐ、緑の平原になっている。とても大量の兵士の血が流れた戦場には見えなかった。
 が、よく見ると、古いトーチカが点々と放置されている。土と雑草に覆われて、小さな丘のようだった。その間には、かつての敵が置いたらしい、障害物。錆びた有刺鉄線がからみついたまま風に揺れていた。
「憲兵さん、すいません」
クラウンは、会社が発行した身分証明書をかざして、黒い制服の憲兵を呼び止めた。
「ぼくはこういうものです。報道関係者なんですが、今回の事件に関してちょっとお話をうかがえませんかね」
若い憲兵は顔をしかめ、うさんくさそうにクラウンをながめた。おろしたてのチェックのスーツと、色を合わせた蝶ネクタイは、この田舎町には派手すぎただろうか。クラウンは、ハンチング帽をかぶりなおした。
 憲兵はそっけなく言った。
「事件のことは、軍の広報部へ問い合わせてください」
ここでひきさがるわけには行かなかった。
「いや、うちは、臨場感のあるコメントと絵入りの解説が売りなんですよ。ね、ローフォード大佐は本当に」
「お答えできません」
「どう見たって大佐は、それにマクラウド博士も」
「列にお戻りください」
「憲兵さん、もしかして、大佐逮捕に立ち会ったりしてない?うわ~、ちょっとだけでも話してくださいよ」
「自分は……困ります!」
「もう、お堅いなあ」
クラウンは、スケッチブックを取り出すと、うろたえている憲兵のようすをさっと描きはじめた。
「君、それを渡しなさい」
クラウンが目を上げると、階級章に星の多い別の憲兵がにらみつけていた。
「そんな、商売道具を」
「写真撮影ないしスケッチの許可はあるのかね?南方司令部は報道関係者を特別扱いしない。広報部へ行ってくれ」
「わかった、わかった。ほら、このページだけ渡しますから」
「いや、画材は全部没収する」
「え、そこまでやる?スケブは勘弁してください」
クラウンはあせった。
 そのとき、憲兵の横から、青い制服の士官が声をかけた。
「ページだけでいいのじゃないですか?」
階級章からして、大尉らしい。色白で鼻筋の通った二枚目顔に栗色の髪、穏やかな目をした青年士官だった。
 はるかに年上の憲兵は、なだめるような言い方に苦笑したが、肩をすくめた。
「ペインター大尉がそうおっしゃるなら」
「では、クラウンさん、こちらへ来てから描いたページだけ、没収させていただきます」
クラウンはさきほどの若い憲兵のスケッチを渡した。
「上手だなあ。ほら、君の絵だよ」
若い憲兵は、恥ずかしそうに受け取った。
 ペインターと呼ばれた士官は、おもむろにフォルダを取り上げると、丁寧な口調で検問を待つ人の群れに呼びかけた。
「この中に、セントラルからおいでのボイドさんはいらっしゃいますか」
後ろのほうから、背の高いやせた男が立ち上がった。
「私だ」
ペインター大尉は敬礼した。
「錬金術師のボイド氏ですね?グラン・ウブラッジへようこそ。司令部まで車でご案内しますので、こちらでお待ちください」
ボイドという錬金術師は、手を上げてみせた。
「荷物が多いんだが」
すぐにペインターは部下らしい兵士に言った。
「ウィーバー君、お荷物をお持ちしてくれないか?」
気配り上手らしい。事務畑で出世するタイプだな、とクラウンは思った。クラウンの前を、手ぶらでボイドが行く。額が広く髪が後退していて、なんだか神経質そうな男だった。
「大切な商売道具なんだ。気をつけて扱ってくれよ」
ペインター大尉は再びフォルダを開いた。
「西部からお越しの、マーヴェル様」
「こっちだよ」
別の男が、甲高い声で言った。今度はやや肥満気味の小柄な中年である。ペインター大尉は、やはりその男を丁寧に列から連れ出した。
「北方司令部所属のロングホーン様」
ロングホーンは、背が高いのに猫背で歩く、陰気な顔つきの若い男だった。
 クラウンの隣で、誰かがつぶやいた。
「みんな錬金術師か?何人来てるんだ?」
検問の列を待つ人々の間から、うらみがましいためいきがもれた。
「特権階級よね」
「こっちは何時間も待つっていうのに」
「なに、あの態度」
「しかたがない。国家錬金術師なら、指揮官クラスだ」
クラウンは口をはさんだ。
「ボイドもマーヴェルもロングホーンも、国家資格のある錬金術師じゃないですよ」
隣にいた男が聞き返した。
「あんた、新聞記者さんか。本当かね?」
「新聞社の資料室には国家錬金術師のリストがありましてね。今回の事件は錬金術がらみだってタレコミがあったんで、調べておいたんです」
ペインター大尉は、こほんと咳払いをして、ボードにはさんだ書類をめくった。
「東方司令部派遣のエルリック様、と助手の方はいらっしゃいますか?」
誰も声をあげなかった。
 クラウンも、検問待ちの人々も、なんとなく首を伸ばして、その人物を探した。もう一度ペインターが呼んだ。
「E・エルリック様、ならびに、A・エルリック様?」
隣の男がクラウンに小声で聞いた。
「聞いたことがあるかい?」
「エルリック、エルリック、と。ああ、最新版のリストで見たな」
「じゃ、国家錬金術師か。二つ名は、何ていうんだ?」
「なんだったかなぁ。すいません、おぼえてないです」
クラウンのすぐそばで何かが動いた。見上げるような鎧だった。
「え、君?」
大きなトランクをわきに抱えてすわりこんでいたエドワード少年が、その横で立ち上がった。
「行かないとな」
「そうだね」
クラウンは、初めてエドワードの着ている黒い服に気付いた。憲兵隊の制服と同じ色、同じ材質。階級章はない。
「きみ、軍属だったのか」
〝仕事〝で、グラン・ウブラッジへ来た、この少年。
 エドワードの赤いコートが、平原をわたる風をはらんでひるがえった。その背に大きく、王冠を戴き、翼のある、十字架にかけられた蛇の図形が描かれていた。
 エドワードは列から出て、ペインター大尉の前に立った。
「おれがエルリックだ」
大尉はぽかんとしていた。
「E・エルリック氏は、この書類では33歳とありますが」
エドワードはぶすっとした表情になった。
「その書類不備、まだ直してないのかよ。おれがエドワード・エルリックだ。こっちは弟で助手のアルフォンス」
鎧の頭部が軽く揺らいだ。
 車を待っていた三人の錬金術師が、鎧を装備した大男をうさんくさそうに見上げ、そのそばの、いかにも小柄な少年に冷笑を向けた。
「小学生の錬金術師がいてたまるか」
「坊や、ふざけてないで、はやくママのところへ帰りなさい」
汽車の乗客たちも、ひそひそとささやきあった。クラウンのそばで、りんごをくれたあの男の子、リッキーと、その祖母が、心配そうに二人を見ていた。
「おばあちゃん、あのおにいちゃん、軍の人なの?」
白い目、好奇の視線のすべてを、エルリックと名乗った兄弟は、顔を上げたまま受け流した。白い手袋をはめたエドワードの手が右のポケットにすべりこみ、ほどなく、銀色の時計を持って現れた。
 片手で鎖をはずし、エドワードは蓋をしたままの懐中時計を肩の高さに掲げ、もう一度名乗った。
「エドワード・エルリック。十三歳。国家錬金術師だ」
ペインター大尉は、ごく、とツバを飲み込んだが、すぐに足をそろえ敬礼した。
「グラン・ウブラッジへようこそ」
エドワードはちらりと振り返った。リッキーがどことなく寂しそうな顔で見ていた。
 ペインター大尉が、傍らの、やはり呆然としている兵士に言った。
「あ、トランクをお持ちして」
兵士が来たが、エドワードは片手を振った。
「自分で持てる」
そして、すべての視線をふりきるように、鎧をまとった弟と二人、歩き出した。