空飛ぶベッド

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第21回) by tonnbo_trumpet

★シナリオ上仕方ないのですが、作中ジョン君は亡くなることになります。死にネタNGな方はご遠慮ください。

 山羊のような髭とやせた体のせいで山羊そっくりに見える神父は、ジョンに目を細めて笑いかけた。
「そうだね、好きなものは何でも食べていいよ」
ジョンは笑い返して見せた。
「わあ……アップルパイも?」
神父は笑顔でうなずいた。
「よかったわ!」
ジョンの母が元気よくそう言った。
「さあ!母さんさっそく生地をこねなくちゃ」
いそいそと階段を下りていった。
「よかったな、ジョン」
父のハリスもそう言って、ジョンの頭をなでてくれた。
「父さんは神父さんを送ってくる。パイが焼き上がるまで昼寝してな」
ハリスはベッドのクッションをなおし、ジョンを優しく寝かせ、あごまでブランケットをかけた。クッションに埋まりそうになりながら、ジョンはうん、と言って横を向き、目を閉じた。
 木製のドアが開く音がした。大人二人の足音。そこにぺたぺたという音が混じった。犬のペロが忍び込んで来たようだった。
「ペロ、こっち!」
締め切っていなかったドアを抜けてペロはやってきた。ジョンのベッドへ飛び乗る。ジョンはブランケットをあげて、ペロを入れてやった。
「クーン」
久しぶりだった。片手で犬の毛並みをなでてやった。外はいい天気。風が木の葉を揺する音がした。
 その音に、忍び泣きの声がまじった。
「ジョンは、あの子は……」
奥さん、と神父さんが言った。
「申し訳ない」
「よさないか、おまえ。神父さんのせいじゃない」
すすり泣きが聞こえた。
「だって、手の施しようがないなんて……!」
二階にあるジョンの部屋の窓は、一階の勝手口の真上にある。父と母、そして神父さんや薬草に詳しい道具屋さん、遠くからきた治療師さんなどが帰る時に外で話し合うことは、全部ジョンに筒抜けだった。
「あの子がそんなことを知ったらどうなるか、どんなに悲しむかと思ったら、それが怖くて……」
大丈夫だよ、お母さん。ぼくはとっくに知ってる。犬のペロをなでてやりながら、ジョンは心の中でそうつぶやいた。
「何でも食べていいっていうのがどういうことか、ぼく知ってるんだ」
ペロは大きな目でジョンを見上げた。
「ほんと言うとね、ぼくは怖いんだ。死ぬことじゃなくて」
ペロをなでる手は、細く、骨ばかりになってしまっていた。
「ぼくが知ってるってことを父さんと母さんに知られるのが怖い。母さんはぼくが悲しむのを見たくないって言うけど、ぼくだって父さんと母さんが悲しむのを見たくないよ。なんとか、何も知らない幸せなジョンのままで死ねないかな……」
くーん、と忠実なペロが鳴いた。
「パノンさんは凄いなあ」
いつだかクリアベールに立ち寄った芸人をジョンは思いだした。この病室から出るチャンスはめったにない。評判のパノンを見に行って、しかも最後に楽屋で話をすることもできたのだ。
「『ぼくは笑わせるのと笑うのが仕事だからねっ』だって。きっと大変なことだよ」
勇気のバッチが欲しい。切実にジョンはそう思う。涙をこらえて顔をひきつらせている父母の前で笑うのは、すごく勇気がいることなのだ。
 腕の中のペロが身じろぎして、頭をジョンになすりつけた。ジョンはペロを抱えなおした。
「そうだね。ぼくは昼寝することになってたんだ」
クッションに頭を埋め、ブランケットを頭までかぶって、ジョンは目を閉じた。
「さあ、出発だ、ぼくのベッド!」

 そこは昼でも夜でもない、不思議な世界だった。前後左右を真っ白な雲が埋めている。でも、息苦しいことはなかった。
 文字通り雲を裂き、ベッドはぐいぐいと上昇する。ぽんっと音を立ててベッドは雲海を抜けた。
「わぁ!」
とたんに風を感じた。ベッドのヘッドボードにつかまって、ジョンは高らかに笑った。
 眼下には緑の大地が、上空には大空が広がっている。ベッドの行く手の右側は青天を燦々と太陽が照らし、左側は夜空に沈々と満月が輝いていた。
 風は背後から来る。ブランケットが帆のように風をはらんで広がった。
 胸がどきどきする。
 緑の草原を空飛ぶベッドの影が滑るように移動していく。
「海へ!」
遙か彼方の水平線をジョンは指さした。びゅん、と音を立ててベッドが加速した。
 背後からの鳥の鳴き声がした。頭上に編隊を組んだ灰色の鳥たちが現れ、挨拶するように声を上げて追い越していった。
「あはははは」
地上ではやはり、先のとがった編隊の影がベッドの影を追い越した。そのすぐあとに続く、巨大な影があった。
 ジョンは驚いて上を見上げた。太陽を覆い隠すほど巨大な鳥だった。上に誰か乗っていた。
「ラーミア!」
純白の霊鳥はベッドと並び、速度を合わせてくれた。ジョンは手を振った。ラーミアの乗り手は、笑って片手をあげた。
 あれは、そう、もちろん勇者だ。背後になびく赤紫のマント、額の金冠。ジョンは胸がいっぱいだった。めったに彼には会えないのだ。
 距離があるし風も吹いて声は聞こえない。だが勇者は指で斜め前の方角を指した。
「え、なあに?」
そちらを向いてしばらくは、何が来るのかわからなかった。それは真下から垂直に上がってきたのだ。大きな気球だった。
 ゆらゆらと気球は上がってくる。よかった、ガスは快調みたい、とジョンは思った。ずいぶんたくさんの人が乗っている。華やかな踊り子や高い帽子の神官が笑いさざめいていた。緑の服、緑の髪の勇者がジョンの方を見て、親指を立てて見せた。ジョンもまねをして、親指をあげた。気球はさらに上っていく。ベッドは気球の前を追い越して進んだ。
 いつのまにかラーミアは夜の側へ向かっていた。群青色の夜空に真っ白な巨体はよく目立った。
 ラーミアと入れ違うようにして何かが昼の側へ、こちらへ向かってくる。正面衝突しそうな勢いだった。太陽を反射して、それは金色に輝いた。
「マスタードラゴン!」
ジョンの声に答えるかのようにマスタードラゴンは翼を広げ、大きく振った。巻き起こる気流で空飛ぶベッドが煽られた。斜めになったベッドと黄金の神竜がすれ違った。紫のターバンの魔物使いと、ジョンよりちょっと年上くらいの男の子と女の子が笑って手を振っていた。
「あははははっ」
空を飛ぶのは楽しい。そうだよね?聞こえないはずのジョンの問いに、笑顔の双子がうなずいて答えてくれた。
「うふふふ」
 そのとき、遠くからボーっと音がした。ジョンは振り向いた。それはあっというまに近づいてきた。空飛ぶベッドの真下を、金色の蒸気機関車が走り抜けていく。ぽっぽっと煙を吐いて進む先頭車両の上に妖精の女の子がくっついていた。
「こんにちわーっ」
たぶん聞こえはしないだろう。が、妖精と、そして窓から天使が顔を出してこちらを見上げて手をひらひらさせて挨拶してくれた。
 にぎやかな妖精は手を真上に向け、うえ、うえ、と合図する。ジョンが釣られて振り仰ぐと、ものすごく近くに紫色の神鳥が降りてきていた。
 光沢のある紫色の羽毛に包まれ、理知的な目でこちらを見下ろしている。声にならない声で神鳥はささやいた。
「ほら、前に気をつけて」
え、とジョンは思った。さきほどまで青空が広がっていたのに、前の方に大きな雲の塊ができていた。悠々とそれは近づいてきた。
「あれは……」
ひゅう!と突風がきた。雲の覆いの一部が吹き飛ばされ、中身が垣間見えた。石造りの巨大な角塔だった。
「天空のお城だ!」
ベールを脱ぐように白い雲がひらひらはがれていった。ジョンはベッドの上にちょこんと座り、ただただ口をぽかんと開けて見とれることしかできなかった。
 角塔は二基あって双子のようにそっくり、しかも並んでいる。基部は広く壇状になっていた。正面には大きな扉、その扉を女神の石像が祝福していた。
「すごいや……」
大扉がゆっくりと開いた。空飛ぶベッドが速度を落とした。
「行こう、ベッド」
しずしずとベッドは進んで行く。もうジョンの視界いっぱいに天空城は広がっていた。城の大きさに比べて小さく見えた扉は、巨人が出入りするのかと思うほど高く、広かった。目に見えぬ招きを受けているようにジョンとベッドは天空城の扉をくぐっていった。
「天の神様、竜の神様、お願いです。父さんと母さんが、ぼくは幸せだったって思えるようにしてください」

 焼き上がったアップルパイを切って皿に載せ、ハリスはジョンの部屋へ持っていった。
「おやつだぞ」
ジョンは眠っているようだった。ハリスはベッドの横のテーブルへパイを置き、ブランケットを直してやろうと顔をのぞきこんだ。
 ハリスは、はっとした。
「おい、来てくれ、ジョンが!」
下からばたばたと足音がした。泣き顔を見せられないからと二階へ来なかった妻が必死で駆けあがってくるのだった。
「あんた、まさか!」
愛用のベッドのすぐ前に、ジョンの飼い犬がきちんと足をそろえて神妙なようすで座っていた。
 ぺロは知っていた。彼の主人はついに意志を貫いたのだ。クッションに半分埋もれているジョンの顔は、幸せそうに微笑んでいた。