ジャハンナへの道 9.ジャハンナへの道

★このお話にはPS版DQ5のネタバレ(ミルドラース戦後)を含みます。未クリアの方がいらっしゃいましたらご注意ください。

「待って、ピサロ」
後ろからルークが来た。
「邪魔だてするな!」
魔王の手の中に、何かが生まれつつあった。その怒りに答えて現世に出現する妖刀、「魔界の剣」。ピサロはゆっくりと鞘をはらった。
 さっとルークはその前にまわりこみ、背後にアンクルホーンとビアンカたちをかばった。
「だめです」
「私に命令するか」
「そうじゃないけど、とにかく剣をひいてください」
ピサロは軽く頭をふりたてた。
「おい、そこの」
アンクルホーンは小さく縮こまっていた。
「聞こえているな。あれを返せ」
アンクルホーンは上目遣いに魔王を見上げ、あぶら汗をたらしている。
「きさまは知らぬか。私が本来の持ち主だ。我が名はデスピサロ。魔王宮の主だ」
ついにアンクルホーンは震え始めた。
「持っているのはわかっている。ミルドラースに命じられたか、あれを盗んで来いと。愚かなことよ」
慨嘆するようにピサロは言った。
「わっしゃぁ……」
アンクルホーンは一度口ごもった。
「今はわかるんでさあ。わっしらはみんな、なんもわからねえ愚か者でした。ミルドラース様のおおぼえをよくして取り立てていただこうなんぞ」
後悔の涙がアンクルホーンの眼に浮かんだ。
「けど、盗みの仕事の後、あっというまに追っ手がかかって、みんな、やられちまった。わし一人ここまでたどりついたときに、マーサ様にめぐり合って」
肩がふるえた。むせび泣いているようだった。
「それでようやく眼が覚めた!あれは、いけねえ!あんな、禁断の巻物はあっちゃいけねえんだ」
「そのとおりだ」
と冷静にピサロは答えた。
「だからこそ、私が自分の城の保管庫の奥深くにしまいこんでいたのではないか!それを盗み出しおって。さあ、返すがいい」
おびえきったアンクルホーンは、小さく、だがはっきりと首を振った。
「だめだ……あんたにもわたせねえ」
「なんだと?」
ピサロの眼が、剣呑に細められた。魔界の剣を一度ためすように振り、大またに一歩、アンクルホーンに詰め寄った。
 ひっとアンクルホーンは叫んだ。いきなり横っ飛びに逃れると、積んであった藁の中から長めの筒をつかみだし、ルークの胸に押し付けた。
「こいつを捨ててくれ!」
ルークは思わず手を伸ばしてその筒に触れた。はずみで筒の蓋がはずれ、中から古ぼけた巻物が転がりでた。巻きとめている紐も弱くなっていたらしい。水車小屋の地べたに落ちたときに紐はぷつりと切れ、巻物はくるくるとほどけていった。
「何か書いてある。ジャ……コー……シュ」
ルークは手を伸ばしてひろおうとした。指が巻物にかかるのとピサロが殺到するのが同時だった。
「触れるな!」
凄い剣幕だった。思わずビアンカはピサロの前に割って入った。かつてデモンズタワーの最上階でやったように、両手を大きく広げて叫んだ。
「やめてっ」
そのときああっ、と叫んだのは、しかし馬の怪物ではなく、ピサロでもなく、ピサロナイトだった。
「黄金の腕輪!」
ピサロナイトの眼はかっと見開かれ、ビアンカの手首に注がれている。ピサロナイトはまっすぐ腕を前に伸ばし、その腕輪を掴み取ろうと襲い掛かってきた。
「なんなの!」
「ビアンカっ!」
「お母さん!」
 グランバニア一家の悲鳴が交錯した。次の瞬間、ルークの手にした巻物から何かが噴きあがった。とてつもない暗黒の邪気の輝きだった。声にならない怒りの咆哮だった。ビアンカは思わず眼を閉じ、両手で頭を抱えようとした。
「な、なに?」
手首が引かれる。カンダタ子分にもらった金製の腕輪をはめた手が、巻物の方へ強くひきずられていた。
「終わりだ」
高ぶりの極みに達して真っ白になったような表情で、ピサロがつぶやいた。
「進化の秘法、黄金の腕輪。まさかこのジャハンナでそろうとは」
アンクルホーンは地に打ち伏して号泣していた。
「狂気の魔王が生まれる。勝てるかどうか、わからぬ」
どこか諦めたような表情でピサロは言った。その背後でピサロナイトが剣を抜いた。
「ピサロさま、お供つかまつります」
「黄泉路までつきあうか」
「はい」
ピサロはルークとビアンカに、哀しそうな視線を向けた。
「愛する者とともに狂うか、ルーク」
ビアンカは歯を食いしばっていた。
「ちょっと、勝手に決めないでよ!」
なに、とつぶやいてピサロは顔を上げた。
「もうちょっとで押さえ込める」
禁断の巻物を手にしたまま、ルークは苦しい表情でなんとか口だけ笑ってみせた。
「ビアンカ、がんばってよ」
「だいじょうぶ」
「おかあさん!」
「おとうさん!」
二人の子供たちは、まるで父と母を応援するかのようにそれぞれにしっかりと抱きついた。
 巻物は抵抗を受けて怒ったのか、さらに暗黒の瘴気を噴き上げてくる。はっと気合を入れてルークは押さえ込みにかかった。ルークの眼の中で虹彩が変化している。細く、縦長になり、金色がかっている。荒い呼吸の音が、さらに荒々しく変化している。竜変化、とビアンカは直感で思った。
「ルーク!」
ううっとうめき、ルークは一気に巻き物をまるめ、無理やりに筒へ押し込んだ。突然に邪気が消えた。
 ルークと抱き合うようにして、ビアンカはへなへなと崩れ落ちた。
「何だったのよ、まったく」
「よくわかんないけど、勝ったね、ぼくたち」
すぐそばにつかれきったルークの顔がある。ルークは笑っていた。
「ええ、勝ったわね」
ビアンカはあごを振り上げ、ピサロとピサロナイトを見た。二人は茫然としていた。
「信じられません」
ピサロナイトは、主人と違ってたいそう素直らしい。感嘆の声をあげた。
「一度始まった“進化”を抑えるとは。さすが天空の姫君と、その夫君だ」
 ピサロは無言だった。その手の中から、ゆっくりと魔界の剣が溶けて消えていく。ピサロは落ちていた筒の蓋を取り、ルークに差し出した。
「ありがとう」
「……」
筒にぱかんと蓋をはめて、ルークは首をかしげた。
「これ、どうしましょう」
 アンクルホーンは地べたにしりもちをついている。よほど恐ろしかったらしい。
「これ、ピサロのなんだね、本当は。捨てていいのかなあ」
アンクルホーンとピサロを見比べている。
 ピサロはようやく口を開いた。
「きさまにまかせる」
「いいんですか?」
「かまわん。それを押さえ込めるのは、おそらくおまえたちだけだろう。私が持っているよりも安全だ」
ルークは、ルーク独特のあどけないような顔になった。
「そっか。じゃあビアンカ、魔界のお土産にしようか。名産品博物館に飾るのにちょうどいいよ」
「そうね」
ピサロは長いためいきをついた。
「なんというやつだ、おまえは」

 禁断の巻物が暴れかけた一件は、ジャハンナの町を揺るがす地震という形をとったらしい。あれから一行が地下から上がってくると、ジャハンナの市街では市民があちこちにかたまって大騒ぎをしていた。
「怖かったわ」
「なんだったんだろうねえ」
地震の原因はルークの懐におさまっている。もう二度と地震は起きないだろうとピサロは思った。
「アンドレアルたちに連絡しろ。事件は片付いた」
「かしこまりました」
とピサロナイトは答え、それから遠慮がちに尋ねた。
「あのアンクルホーン、よろしいのですか」
王宮へ侵入した賊は一人残らず討ち果たす、と決めたのはピサロだったのだ。
「あれでは、なにもできん」
 事件の後、水車小屋にうずくまってしまったアンクルホーンにピサロが近寄ろうとすると、ルークとビアンカ、そして王子と王女がその前に立ちはだかって、やめて、を連呼した。
「アンクルホーンさん、後悔してると思うの」
「殺したらかわいそうだよ、ねえ」
子供たちにせがまれてしかたなくピサロは、アンクルホーンに向って“運のいいやつ”とつぶやき、あきらめたのだった。
「不思議な一家ですね」
「物好きと言うか、お人よしと言うか」
 ルークはアンクルホーンに向って、いっしょに来ないか、と誘ったのだが、アンクルホーンはジャハンナの水車小屋を守っていたい、と答えた。
「もしどこかでマーサ様にお会いになったら、このアンクルホーン、ジャハンナの大水車を守り通しますとお伝えください」
「きっと伝える。母も君を、誇りにすると思うよ」
思い出していたとき、ピサロのそばで、くすくすとピサロナイトが笑った。
「何がおかしい」
「いえ」
とピサロナイトは言った。
「ずいぶん、丸くなられた方もいらっしゃると思いました」
ふん!とつぶやいてピサロは顔を背けた。
「よろしいではないですか。今度ロザリー様のところへおいでになったら、お話いたしましょう。アンクルホーンの命をとらなかったと知れば、ロザリー様もお喜びになるでしょう」
「私は知らぬ。きさまが話せばいい」
「かしこまりました」
落ち着き払った態度があいかわらずむかつくと思った。
 ジャハンナでの泊まりは、その前日が最後だった。ルーク一行はすでに宿をひき払い、旅支度をして町の門を出たところにいた。ルークがこちらへ近づいてきた。
「ピサロ、ここでお別れです」
静かな口調だった。
「行くのか」
「はい」
ルークは肩越しに背後にそびえる暗黒の山を見上げた。
「母はあそこにいる。ぼくにはわかります。ここからは、ぼくたちだけで進むつもりです」
「勝手にしろ」
言い放ったが、ルークは穏やかに微笑んだ。
「ぼくたちの敵はミルドラース。アンクルホーンが話してくれました。ミルドラースは昔人間だったそうです。しかも神になろうとしていた。それが邪悪さのあまり、あんなふうに」
ピサロは軽くうなずいた。
「手ごわいぞ」
「承知の上です。ミルドラースが魔王だから、じゃない。ぼくとぼくの一家にとって、戦わなくてはならない相手だから戦います」
ルークはそう言いきった。すがすがしいような目をしていた。
 ピサロナイトが傍らで威儀を正した。
「どうか御武運を」
「ありがとう」
ルークはピサロたちに会釈して、静かに自分の馬車のほうへ戻ろうとした。
「待て」
ルークが振り向いた。
「おまえは……不思議なやつだ」
「ときどきそう言われます」
 じっとピサロは、黒髪の若者を眺めた。進化の秘法に触れても変化を起こさなかった人間。マスタードラゴンのお気に入りでありながら、天性のモンスター使い。人間界と魔界の新しい関係が、透けて見えるような気がした。
「おまえなら、もしや、エスターク様も」
「何ですか?」
ピサロはまだためらった。それから口を開いた。
「左、上、左、上、そしてその逆だ」
「え?」
「いつかおまえにわかるときが来る。その時まで覚えているのだ。いいな」
「あ、はい」
では、と言ってルークはあらためて戻って行った。
「エスターク様に会わせるおつもりですか」
「あの方も、ルークになら心を開くかもしれん」
それはほんのわずかな希望だった。
「私は戻ることができたが、エスターク様は長い間、苦しまれた。もうよかろう」
「ずいぶん昔のことですね」
「ああ。あれがまだ、生きていたころの、さらに昔からだ」
ふふ、とピサロナイトは笑いを漏らした。
「勇者殿ですね。懐かしい」
「よせ。もうあれはいないのだ」
ピサロの眼は、自然にルークの馬車のそばに立って妹と話している少年の上にとまった。
「もしや、と思ったが。時の流れはむごいものだ」
「お察し申し上げます」
ピサロナイトは敬礼した。
「お先に失礼して、ヘルバトラー様にご報告してまいります」
「許す。行け」
そう言う間も、ピサロの眼は少年の一挙一動を追っていた。
 ふと、アイルはピサロの方を見た。視線に気づいたか、とピサロは思った。アイルは後ろにいたビアンカに何か告げると、たっと走ってきた。
「ピサロ、ピサロ!」
無邪気な笑顔、屈託なくなつく子供。それは、遠い昔に山奥の村にいた少年を思い出させた。
「まだ何か用か」
突き放しても、少年はひるまなかった。
「うん、あのね」
真正面に立ち、両手を背中に回して組み、少年勇者は魔王を見上げた。
「ぼく、妹が、いるんだよ」
「知っている」
「血のつながったお父さんと、お母さん。双子の妹。人間もモンスターも含めてたくさんの友だち。ぼくはみんな持ってる」
「それがどうした」
「グランバニアにはお家があるんだ。にぎやかで人がいっぱいいる」
勇者は少年の声で告げた。
「だからピサロは、もう苦しまなくていいんだ」
ピサロは立ちすくんだ。見覚えのある紫の瞳がじっと見上げている。
「おまえか!」
あどけないアイルの顔立ちに大人びた表情が宿った。
「ああ。ぼくだ。見せに来たんだ。ぼくがあの村で失った物を、全部」
ピサロは思わず手を伸ばし、少年のほほに指を触れた。
「あの父さんじゃない。あの母さんじゃない。シンシアもいない。でも……ぼくは今、新しい家族を得た。前の分をうめあわせるほど、幸せだよ」
勇者はアイルの手を使って、ピサロの手をとらえた。
「だからあなたはもう、苦しまなくていい」
ピサロは軽くかがみこんで、小さな勇者の体を抱え込んだ。
「そんなことを言うために、生まれ変わったのか?」
「だって、あなたが言っただろう。また会おうって」
アイルの手がピサロの髪にもぐりこみ、そっと梳くのを感じた。
「だが、おまえは」
「うん。今度はほとんど純粋な人間なんだ。寿命はそれほど長くないよ。でも、時々会おうね」
「魔王が勇者に会いに?どこへ来いというのだ。天空城か」
少年は笑い声をたてた。
「ちがうよ、ここだ。ジャハンナだ。ピサロはもう、ここまでルーラできるんだろう?」
「おまえ、本気なのか」
「本気だよ」
馬車のほうで、ビアンカが呼んだ。
「もう出発よ!アイル、いらっしゃい」
「今行くよ!」
少年はそっと体を離した。
「じゃあ、今度ね」
ピサロは腕の中から小さな体を解放した。
「忘れないでね、ジャハンナだよ」
振り向いて一度手を振り、勇者はパーティへもどっていった。
 忘れるものか。ピサロは浅くうなずいた。馬車が動きだした。
「ロザリーにも会わせてやるか」
そうつぶやいてピサロは自分も移動の呪文を唱え始めた。唇がいつのまにか笑いの形になりかけているのを、一生懸命ひきしめる。だが心の中で考えていたのは、ただひとつのことだった。
 忘れるものか、ジャハンナへの道を。