ジャハンナへの道 8.ピサロナイトの報告

 市場の中央には大きな共用井戸があり、その回りに簡単な屋根をさしかけて席を設けてあった。子供たちはピサロをそこまでひっぱっていった。
「それで?見つかったの?」
「子供は知らなくてもよい」
「そんなことないよう!」
ルークは井戸で冷たい水を汲んでもってきた。
「およし、アイル」
ほら、と言って水を渡すと、子供たちは喜んで表面に露を生じた陶器の椀に唇をつけた。
「つめた~い」
かわいいなあ、とルークは思い、ピサロの傍らに腰を下ろした。
「道具屋をまわってるんですか?」
「そういうことだ」
「ぼくたちにお手伝いできるなら」
言いかけたのを、ピサロはさえぎった。
「余計な手出しをするな。おまえたちには、あれは危険だ」
「あなたには、危険はないのですか」
「いや私にとっても、むしろ私には、非常に危険だ」
「だったらなぜ」
自分自身に言い聞かせるようにピサロは言った。
「私の責任だからな」
ルークは黙って美しい魔王を見ていた。
「いい人なんですね」
ぽつりとそういった。ピサロはふりむいた。
「私のことか?」
「はい」
「ふざけるな」
「そんな。ぼくはうれしかったんです。ぼくは魔物たちが好きです。あなたも含めて」
 ジャハンナの空の薄明かりが、よしを編んだ屋根の間からもれて影を落としていた。その影の中にピサロは身を隠すようにした。
「勝手な言い草だ。おまえはマスタードラゴンのお気に入りだろうが」
「マスタードラゴンも好きです。大きくて立派で、鱗がぴかぴかだし」
「アホウか」
あきれたような顔でピサロはつぶやいた。
「我々魔族と天空の竜は長年の仇敵どうしだ。知らぬはずがなかろう」
「マスタードラゴンは、でも、魔界の住人を憎んではいないと思います」
はっ、とピサロはおもしろくなさそうな笑い声をたてた。
「あれが何をしたか知っているのか?洗いざらい教えてやろうか。特におまえの息子の前の勇者がどんな目にあったか」
ルークはまじめに言った。
「勇者を悲しい目にあわせた。それであなたはマスタードラゴンが嫌いなんですか?」
「ばかな!」
ルークがじっと見ているとピサロは顔をそむけた。
「まったく忌々しい。なんとかあやつにひと泡吹かせてやる方法はないものか」
赤い瞳が動いて、井戸のまわりでたわむれている子供たちの上へ視線が走った。
「私が天空の血を手に入れたら、天の竜め、どんな顔をするであろうな」
いきなりピサロはカイに声をかけた。
「王女」
カイはふりむいた。
「なあに?」
「そなた、魔界の妃になってみるか」
えっ、とルークは叫んだ。さきほどの仕返しとばかり、ピサロはちらりとルークの顔を見てから、またカイに言った。
「私の王国に迎えとり、女王にしてやろう」
ちょこちょことカイはやってきた。ピサロの隣に腰掛け、きちんとひざをそろえ、不思議そうな顔で魔王を見上げた。
「私がピサロのお嫁さんになるの?」
「そうだ」
両手のひらで左右のほほをおさえ、カイは考え込んでいた。
「ぴ、ピサロ、まさか、本気で」
ピサロは尊大な表情でルークを見返した。
「ほう、おまえでも娘のこととなるとそんな顔をするのだな。私が本気であったらどうする?」
「いや、あの、あんまり突然で」
やおらカイが伸び上がった。両手のひらでピサロの顔をはさみ、自分の目を近寄せた。
「わたし、ピサロのことは好きよ?でも、先にお嫁に行くって約束しちゃった人がいるの」
一度言葉を切って、重々しく宣言した。
「お兄ちゃんよ」
お兄ちゃんことアイルもことのなりゆきに茫然としている。勇者と国王と魔王は雁首そろえて固まった。
「プロポーズはうれしいんだけど、……やっぱりわたしたち、お友だちでいましょう」
ピサロはもちろん、ルークもアイルも口が利けなかった。しばらくして硬直の解けたピサロが言った。
「そうか……先約があってはしかたないな」
誰かがくすくすと笑う声がした。
「お取り込みのところ失礼いたします、ピサロさま」
緑がかった甲冑の騎士だった。兜の部分を彼は取り外した。その下から現れたのは、長い黒髪だった。後頭部でひとつに束ねて結い紐でくくっていた。
「アドン、きさま」
ぶすっとした顔でピサロがつぶやいた。
「いつからそこにいた」
「『私が天空の血を手に入れたら』からです」
アドンと呼ばれた男はピサロと同じ尖った耳を持ち、眼帯で片方の目を覆っていた。
「言うまでもないが」
ピサロが言いかけると、その男は先手を取った。
「ロザリー様には黙っております」
「あなたはピサロナイトだよね?」
アイルが聞いた。
「はい」
「アドンて言うの?」
「本名です。『ピサロナイト』は称号のようなものです」
ピサロナイトは兜を小脇に抱え姿勢を正した。
「ピサロさま、ご報告が一件ございますが」
ピサロはルークと子供たちのほうを見た。
「お気遣いはいりません」
ルークがそう言うとピサロは肩をすくめた。
「話せ」
は、とピサロナイトは言った。
「捜索中の賊を一昨日、山中にて発見いたしました。こちらの手で例の……アイテムのことを問いただしたところ、いくつか自白を得られました」
「自白は信用できるのだな?」
「ギガデーモン様のお仕事ですので、まず」
「あれの責め問いはきついからな」
形のよい眉がわずかにひそめれらた。
 ルークたちは聞くともなく報告の内容を聞いていた。どうやら、ピサロの王宮に盗みに入った者が一人つかまり、ギガデーモンが拷問して何かを白状させたということらしい。
「賊はどうなった」
「耐え切れず、白状した夜の明け方には絶命いたしました」
「それだけ責めても、盗品のありかは吐かなかったのか」
「賊徒自身も、知ってはいなかったようです。ただ、仲間に手渡した、とのみ」
ピサロは小さく頭を振った。
「他の盗人と内容は変わらないようだな。もうよい。ご苦労だった」
「いえ、今までの賊の自白と異なる点がひとつだけあります」
「なんだと?」
ルークは、ピサロナイトの素顔が見えるような位置にいた。彼は隻眼だった。眼帯を当てていないほうの眼が、緊張した光を帯びた。
「今回捉えた者は賊徒の頭であったようです。死ぬ前に、盗み出した品はジャハンナのアンクルホーンに預けた、と自白いたしました」
思わずルークは言った。
「アンクルホーン?」
ピサロ主従がそろってルークのほうを見た。
「知っているのか」
「つい最近、あの水車小屋で一人アンクルホーンに会いました」
物も言わずにピサロは立ち上がり、水車小屋へ向かおうとした。
「待ってください。彼と決まったわけじゃない。手荒なマネはしないで」
「このジャハンナに、おまえが連れてきたもの以外にどれだけモンスターがいるというのだ。入り口にいたスライム、そしておまえが見たというアンクルホーンだけだ」
ルークは言葉に詰まった。
「決まったな」
白銀の髪を翻し、大またに歩き去ろうとする。あの、と言いながらルークは後を追った。
「いきなり剣をふるうなんてことは」
「場合による」
つれない返事を返して足早にピサロが行く。
「そんなことは!」
言いかけたルークの前にピサロナイトが立ちふさがった。
「ルーク殿、どうか、お静まりを。ピサロ様はたいへん危険な物を探しておいでなのです。ことは一刻を争います。どうかそのアンクルホーンに会わせてください」
「危険な物?なんですか?」
ピサロナイトは真剣な顔だった。
「それを本気で使ったら、また一人、狂える魔王が生まれます」

 掘り出し物を手に入れたビアンカが市場の井戸へもどってきたとき、二人の子供たちが走ってきた。
「お母さん!」
「なあに?どうしたの?」
「あれ、あそこ!」
子供たちは市場ほうを指差した。
「ピサロがなんかしようとして、お父さんがとめてるの!」
視線を向けると、ただならぬようすが眼に入った。
「ピサロとルーク、それにもう一人?」
「ピサロナイトだよ。水車小屋のアンクルホーンの小父さんが、何か隠し持ってるってピサロに言いに来たんだ」
「そしたらピサロ、急に立ち上がって水車小屋へ行こうとするの、お母さん、どうしよう!」
たしかにピサロのようすが普通ではないとビアンカは思った。魔王の肩書きのわりにピサロはむしろ無表情でめったに感情を動かしたようすなど見せないのだが、今は明らかに焦り、邪魔する者には厳しい気配を露骨にしている。
「先回りして、アンクルホーンを逃がすわ!」
そう決めたらビアンカは早かった。
「こっちへ来て。うまいことルークが足止めしてる。向こうの道から直接水車小屋へ行きましょう」
うんっ、とうなずいて子供たちがついてくる。ビアンカは地下への階段を足早に降りた。
 水車小屋の中はあいかわらず奇妙なからくりの動く音でがっちゃがっちゃとうるさかった。
「アンクルホーンさん、どこ?」
ビアンカは高い声で呼んだ。
「ちょっと怖い人が来るわ」
子供たちはきょろきょろと赤みがかったの巨体を捜している。
「あ、あそこだ!」
アイルが指差したのは、巨大なからくりの後ろだった。こちらを不審そうに眺めている。
「よかった、いたのね!」
ビアンカは駆け寄った。
「逃げて。あなたのことを疑ってるおっかない人が来るの」
アンクルホーンはビアンカと子供たちを眺めた。
「このあいだの、か」
「このあいだ……ええそう。あのとき鎧を着た魔族のハンサムがちんぴらをからかって脅かしていたでしょう。今度は本気みたい」
アンクルホーンはぴくんと震えた。なんとなくしぐさが逃げ腰になっている。
「とにかく今は逃げて。彼が冷静になったら話し合えると思うわ」
「おれをうたがってねえのか」
「もしあなたがあの人から盗んだとしても、殺されていいはずがないもの」
アンクルホーンはうつむいた。
「おれは、死んだほうがいいのかもしれん。なにもかもなくしちまった」
「馬鹿なこと言わないの!」
 そのときだった。背後で力任せにあげ戸を跳ね上げる音がした。ぎくりとしてアンクルホーンは顔を上げた。毛むくじゃらの顔が青ざめていた。
 冷酷非情の魔王がそこに立っていた。