ジャハンナへの道 6.魔界っ子

 戦士マローンはばかでかいブーツでのしのしとジャハンナの街中を歩いていた。この町で暮らす者に明確な掟はないが、ただひとつ、救い主であるマーサの意に沿わぬ行動は慎むべし、という暗黙の了解があった。人間になってからのマローンは、そのためにモンスター時代の行動原則をだいぶ曲げなくてはならなかったが、今はなんとか妥協点を見つけていた。つまり、自分をジャハンナの守り手という位置に落ち着けたのである。
 というわけでマローンは、今日も市場でケンカを仲裁し、ついでに新入りの生意気な若造を一、二発ぶん殴り、いい気分で歩いていたのだった。
「ジャハンナもけっこう人が増えたもんだ」
 顔見知りの商人が店から挨拶してくる。いちいち手を振って答えているうちに、マローンの足は武器屋の店先へ向いた。いつぞや、人間になりたてでまだ血の気の多いのが二人して武器屋の店先で売り物の剣を構え、いざ切り結ぼう、というときにマローンが割って入って止めたので、武器屋の主人はマローンの顔を見ると粗略にしないのだった。
 魔界にしては天気のいい日だった。マローンは、自慢の鎧の肩当てがぴかぴかしているのを気持ちよく意識していた。上背のある大男のマローンが鎧に身を固めていると、ちょっとした迫力だということをマローンはよくわかっていた。人間になってよかった、と思えるのは、たとえばこんなときなのだった。
 武器屋の店先はけっこう客がたくさん来ていた。明らかに家族らしい人間の男女と子供二人、まだ変化しきっていないモンスターたち、そして魔族らしい背の高い男という顔ぶれだった。
「マローンさん、いい天気だね」
さっそく主人が声をかけてきた。
「ああ、商売繁盛でけっこうだ」
主人は愛想よく笑った。4万Gもする復活の杖が売れたらしい。店に来ているのはたいしたお大尽らしかった。
「こちらさまには炎のブーメランで?はあ、今装備なさいますか?」
人間の一人、黒髪を首の後ろで結んだターバンの男が後ろにいるモンスターを指した。
「彼にお願いします」
ぽよん、と音を立ててばかでかいスライムベホマズンが前へ出た。主人は真顔で緑色の巨体に向かって、装備の仕方を説明している。あの主人、元はたしかスライム系だっけか、とマローンは思った。
 店先においたテーブルの前、長い足を組んですわっている魔族の男が声をかけた。
「もうよいのか?私は行くぞ」
銀の髪、赤い瞳の、たいした男前である。どうして人間の一家といっしょにいるのか、マローンは首をひねった。
「待って」
一行の中の少年が声をかけた。
「武器は大事だもん、もう少しだから待ってて」
黒髪の男が魔族に声をかけた。
「そういえば、あなたも武器を買わなくていいんですか?」」
「いらん」
一言で魔族は退けた。マローンはつい、そのいらついている男を観察した。胸板が厚くひきしまった体つきで、よく鍛えているらしいことがわかる。だが、肝心の腰には武器を帯びず、丸腰だった。よほど魔法に自信があるか、さもなければ武闘家なのかもしれないとマローンは思った。
「だったらせめて、予備の武器を装備してください。いろいろ買い換えたからあまってるんです」
「余計なお世話だ。私の剣技はこのあたりのモンスターに見せてやるためのものではない」
マローンがカチンと来たのは、最後のセリフを聞いたからだった。マローンはわざとゆったりした歩調で歩き、にこやかに笑いかけた。
「いいお日和で。お隣に失礼」
返事を待たずにその尊大な魔族のいるテーブルへ座り込んだ。
「わしゃあ、この武器屋のご主人とはなじみでね」
穏やかに言っても、機嫌の悪そうな美青年は会釈ひとつしない。
「ジャハンナの周りを歩きまわるつもりなら、いい武器と防具は絶対必要だよ。半端な強さじゃないからな」
馬鹿にしたようなフン、というつぶやきがかえってきた。
 人間の女が近寄ってきた。
「戦士さん、あなた、昔はモンスターだった人かしら?」
豪華な金髪を三つ編みにして肩から垂らしたなかなかの美人だった。二人の子持ちには見えない若々しさと色気の持ち主である。
「そうだよ、奥さん。あれ、奥さん方はちがうのかね」
「人を探して、オモテの世界から来たの」
「オモテの世界!じゃあ、この町には驚いただろう」
「びっくりしたわ?だって、モンスターが人間になるなんてね。みんな、マーサ様のお力なの?」
「そうだとも」
美人の奥さんによく似た少年が伸び上がって聞いた。
「小父さん、モンスターのときはきっと強かったんだね!今も戦士だもん」
子供は無邪気でいい、と思いマローンは相好を崩した。
「わしなんぞ、どうってことないがな」
「え~、そうなの?」
男の子はかわいらしく首をかしげた。
「じゃあ、魔界で強いのは誰?」
「そうさなあ」
マローンは腕組みをした。
「そこらへんにいるモンスターも、オモテの世界にくらべるとちいっと手ごわいんだが、坊主が知りたいのはそんな雑魚じゃないんだろう。強いといったらまず、ミルドラース様かな」
まあ、と金髪美人が言った。
「戦士さんよりも?」
さりげなく持ち上げられて、マローンは気分がよかった。
「わしなんぞ、とてもとても。ミルドラース様は強いぞ。たとえ伝説の勇者でも、あの方の足元にも及ばんだろうよ」
ふ~ん、と少年は何か考え込んでいるようだった。ちらっと銀髪の男前を横目で見て、さらに聞いてきた。
「じゃあ、ミルドラースという人が魔界で一番なの?」
そのとき、誰かが話に割り込んできた。
「ミルドラースなんぞ、まだまだよ!」
それは若いチンピラだった。
「おまえ、こないだ町に来た新入りの」
「ああ、新入りだよ?新入りだが、ミルドラース一人をそう持ち上げられちゃ、黙っちゃいられねえや」
「聞き捨てならねえな。じゃ、ミルドラース様より強いってやつを言ってみろ」
「言ってやろうじゃねえか。聞いて驚け、地獄の帝王、エスターク様と言うお方だ」
マローンはあせった。
「ばっ、バカ野郎、こんな町のど真ん中で、おまえそういうことを大声で言うんじゃねえ」
魔界の奥底に在る帝王のことは、モンスターたちの間では秘中の秘である。あわてて黙らせようとしたとき、横にいた魔族が言った。
「かまわん。言わせてみろ」
無愛想な声だが、なんとなくおもしろがっているような口調だった。
「ありがとうよ、男前の旦那。エスターク様はな、天界の竜の神様にさからった最初のお方よ。今は魔界の底で眠っていらっしゃるが、いったん目を覚ましたら、ミルドラースなんぞぼっこぼこにしてくださるに違えねんだ、え、どうだい、戦士さんよ」
「ちっ、エスターク様を持ち出してこられちゃ、かなわねえな」
「へっ、こちとら魔界っ子でぇ。ざまあみろ」
さきほどの少年が双子らしい少女と二人、くすくす笑っている。
「おもしろいしゃべり方だね、お兄さん」
「お?気に入ったか、坊主」
「うん。『こちとら魔界っ子』っていうの、おもしろい」
男の子が目を輝かせた。
「それじゃあさ、魔界で一番強いのは、エスターク様っていうひと?」
「ところがどっこい。まだ強ぇやつがいるんだな、これが!」
「え、ほんと?」
チンピラはすっかり悦に入っている。
「魔界にこの人ありと名をとどろかせ、かつてはオモテの世界でも大暴れした悪(ワル)の中の悪!」
「うん、うん!」
子供たちはすっかり惹きつけられているようだった。母親らしい金髪美人と、父親らしい黒髪の若いのまで身を乗り出した。
「放火殺人当たり前、冷酷非情傍若無人」
「わー、すごー」
なぜか人間の一家は、ちらちらと銀髪の美形に視線を走らせている。美青年は、あさっての方を向いて腕組みをし、長い足を組んですわっているのだが、魔族である以上、その尖り気味の耳ですべて聞こえているはずだった。
「魔界最強のその男の名は!」
ふすん!とチンピラは鼻から息を吐き出した。
「大盗賊、カンダタ親分だーっ」
そう言ったとたん、あああぁぁぁ?と声を上げて、人間の一家がずっこけた。マローンの視界のすみであの銀の髪の魔族の男まで椅子からずるりと滑ったのが見えた、ような気がしたが、あらためて見ると勘違いだったようだった。
 チンピラはまだテンションが高い。
「カンダタ親分はこないだっから行方不明になっちまったんだが、まちがいねえ、魔界だろうと地上界だろうと親分は最強だぜ。そしてその一の子分こそおれさまよ」
「あの」
と黒髪の若いのが言った。
「親分さんとは、はぐれちゃったんですか?」
チンピラは指でぽりぽりと首のあたりをかいた。
「まあな。だが親分、安心して下せえ。親分のお留守中、ジャハンナのシマとお預かりしたお宝は、きちっとお守りしますぜ」
目がどこか遠くのほうを見ていた。
 くすくす笑いながら金髪美人がチンピラの隣に座り込んだ。手には、小さな酒瓶と杯を持っている。市場の中の店で手に入れてきたらしい。
「面白いお話を聞かせてもらったわ。これはほんのお礼。さ、飲んで?」
美人にすすめられて、チンピラはうれしそうに杯に手を伸ばした。
「すいませんね、奥さん」
「あらいい飲みっぷり。カンダタ親分の一の子分さん、でいいのかしら。結局、魔界で一番強いのは、カンダタ親分なのね?」
「あったりめえよ!」
「その次がエスタークという人」
「そのとおり!」
「さすがだわ。もっと飲んでね。魔界っ子ですって?」
「カンダタ子分よ」
「それじゃあよくご存知なんでしょうね。で、エスタークのすぐ下がミルドラースという人?」
「そうなるかな」
「じゃ、ほかにまだ強い人はいないの?」
ぐびっとチンピラの喉が音を立てた。
「奥さん、いくら魔界に強いのが多いたって、親分は別格としてエスタークとミルドラース、その後と言うと……あっ、そうだ、この魔界でもずっと離れたところにたいそう勢いの盛んな魔族の王国があるってぇ話を聞いたことがある」
「あら、王国?」
へえ、と子供たちが身を乗り出した。
「強ぇのがひしめいているそうだが、力のヘルバトラー、炎のアンドレアル、技のギガデーモン、魔力のエビルプリースト、とこの四人が四天王だそうだ。エビルプリーストだけはとっくの昔に死んじまったらしいけどな」
「あら~」
なぜか困ったように金髪美人は笑った。
「じゃあ、そうね、強い剣士はいないの?」
「魔界だからねえ。人間と違って戦いのときに必ず武器を使うとは限らねえんだが、ああ、そういえば一人、いたなあ、すげえ剣士が」
「その四天王とは別の人でしょう?」
「あたりめえよ。名前は確か、アドン、だっけ。人前にめったに顔を見せないんだが剣を取るとすごく強くて、ええと」
「なあに?」
「たしか、誰かより強いんだ。あー、誰だっけかなあ……まあいいや。あとは奥さん、たいしたやつは残っちゃいねえ。ひとやまいくらのがりがり亡者でさあ」
がたん、と音がした。あの銀の髪の魔族が立ち上がったのだった。
「おい、そのチンピラを黙らせろ。そいつは何もわかっていないのだ」
「なんだと、この野郎」
氷のような視線で魔族は若造をにらんだ。ひっとチンピラがつぶやいた。
「な、なんだよ、てめえ」
といいつつ、逃げ腰になっている。助け舟を出そうかと思ってマローンはやめにした。もともとこの魔族の若者が持っている壮大な力の気配を感じ取れないバカにはちょっとびびるくらいがいい薬になるだろう。
 カンダタの子分と名乗った若造は、まだ虚勢を張っていた。
「武器ひとつもたねえくせに、態度がでけえじゃねえか」
「武器か」
と魔族の男は言った。
「いいだろう。見せてやるか」
そして片手を空中にかざし、一言つぶやいた。
「来い!」
見物していたマローンは、あわてて空を振り仰いだ。何かが飛来してくる。魔界のもろもろを締め出すことのできるはずのこのジャハンナへ、何か飛んでくるのだ。それはいともやすやすと聖水の結界を破り、黒いつむじ風となって魔族の男を取り巻いた。
 足元のつむじ風は、光沢のあるシャンパンゴールドの金属の靴、ついでブーツに見えた。が、すぐに鎧に付属するすね当てだとわかった。草摺り、胴丸、肩当てが風の中から生まれ出て男の体に沿った。人間の好む形よりかなり不規則で、手甲も肩当もまるで魔獣のようなデザインだった。かぶとにいたっては、はっきりと魔獣の貌を象っている。そのかぶとの後ろから、長い白銀の髪が流れ、腰にまでかかっていた。