10年目の奇跡 2.第二話

 ルークはチェスとヘンリーを見比べて、一度うなずいた。
「わかった。先に行ってる」
ルークは足早に宿屋へ向かっていった。
 また、さわやかな風が吹きすぎた。気がつくと、ヒューはいつのまにか、汗ばんでいるのだった。
 チェスがまた、嫌な笑い方をした。
「ちっくしょう、猫。あの猫だ。おまえ持ってないか?」
ヘンリーと呼ばれた旅人はしげしげとチェスを眺めた。夏の盛りだが、旅のほこりにまみれたマントが、ヘンリーの体のほとんどを覆っている。その下にのぞく足回りは皮のブーツで、ごくあたりまえの旅人の服装だった。
「なあ、ラインハットじゃ、弟王子が王位を継いだ。そう言ったな?」
「ああ。四、五年前に、前の王様が死んで、代替わりしたんだ」
「前の王様、何で死んだんだ?そんなに年寄りじゃなかっただろう」
「病気で死んだらしいなあ。子どもの一人が行方不明になって、それを狂ったみたいに探しているうちに、弱って病気になっちゃったんだってよ」
「そうか」
どこか沈痛な表情でヘンリーはつぶやいた。ヘンリーはチェスから顔をそむけルークの去っていった宿屋のほうを向いた。
「前の王様が生きてたころは、まだよかったんだ」
チェスはヘンリーの背中に向かって、まだ言い続けた。
「行方不明の子どもの絵姿を持って、おれたちはあちこち聞いて回るのが仕事だった。すごい懸賞金が出ることになってたんだ。幸運のお守り、あの猫の前足さえあったら、行方不明の子を見つけられたんだ、きっと」
からんでいたチェスが、急に黙り込んだ。酔いは完全に醒めたらしい。探るような目でじっとヘンリーの横顔をながめた。何かを思い出したいのだが、なかなか思い出せない、そんな表情になった。
「おい、知ってるか、あんた。懸賞金、まだかかってるんだぜ。もっともその子を探してるのは、優しいお父上様じゃなくて、おっかねえ継母様だけどな」
チェスは舌なめずりした。
「おまえの顔」
そのときだった。チェスの後ろの教会の壁で何かがびしっと音を立てた。ひっ、とチェスは息を呑み込んだ。
「あんまり見ないでくれよ」
視線だけ動かして、ヘンリーはチェスたちのほうを見た。ヒューは、先ほどとは別の意味で、凍りつくような気がした。
 さきほどヒューは、このヘンリーがルークと、楽しそうに笑いながら話しているのを見なかっただろうか。目の前にいるのは、うってかわって危険な男だった。
「おれ、生まれつき、恥ずかしがりやなんだ」
乾いた口調でそう言われて、チェスは、さきほど兵士に見つかったときよりもさらにいっそう怯えていた。
「おれはただ、あ……あなたが」
再び鋭い音が響いた。ヒューは、教会のレンガの一つにひびが入り、中心が抉り取られているのを見た。
 ヒューは首をひねった。ヘンリーがやったのなら、いったい、どうやって。彼の武器は、ベルトに吊るした剣のようだった。手はマントの中にあり、柄に触れた形跡もない。
「じろじろ見るなって言ったろ?」
チェスはもう、必死で首を振るだけだった。
 ヘンリーのマントが、一瞬跳ね上がった。何かが風を切る音がした。またレンガが砕けた。だが、今度はレンガの中に、小さな鉄の塊、分銅がくいこんでとまっていた。
 分銅の頭には細い鎖がつけられていて、その長い鎖の先は金属の大き目の輪につながっている。ヘンリーの中指が、その輪をひっかけていた。
 軽く指を曲げ、輪を引いて、ヘンリーは分銅を回収した。細い鉄色の鎖はきれいにたたみこまれ、分銅は手のひらに収まった。
「特に、服にそういう紋章をつけたやつに見られるのは、いやだなぁ」
凶器を隠した手は、またマントの中へすべりこんだ。ヒューは、細く息を継いだ。以前、アルカパの宿に泊まっていた戦士が、似たような武器を使うのを見たことがあった。鎖鎌、とその戦士は呼んでいた。
ヘンリーはゆっくりヒューたちのほうを向いた。
「おまえ、名前は?」
がちがちと歯をふるわせてチェスは言った。
「ち、チェス」
「そうか、チェスって言うのか」
にこ、とヘンリーは笑顔を作った。だが、目は笑っていなかった。
「なあ、チェス?言うことは二つある」
ヘンリーはあの手を前に出し、中指を立てた。
「ひとつ。おまえの考えていることは、あたりだよ」
チェスがぎくりとした。とたんに、ヒュンと音がして、分銅が風を切った。チェスの薄めの髪を削るような勢いで、左右斜めの軌道で分銅がまわってくる。
「ふたつ。だがその考えを人に言ったら、どうなるかわかってるよな?」
「だけど」
いきなり分銅がチェスの顔面向かって飛んできた。ヒューはとっさにチェスをつきとばした。大きく頭上に弧を描いて、分銅が戻っていく。ヘンリーの手が分銅を捉えて、ぱし、という音がした。
「おっと」
獲物を弄るような表情で彼は笑った。
「次に飛んでくるときは、ただの鉄の塊じゃないかもしれないぞ?」
恐ろしい男は、そのまま後も見ないで、歩いていってしまった。
「おい、チェス、おまえの考えって、何なんだ?」
チェスは首を振った。あごがまだ、がくがくとふるえていた。
「おれを殺す気かよ」

 夕方、ヒューは、いつものように従姉のやっている酒場に出勤した。
「今日は珍しく、お客の入りがいいのよ。新しい樽を開けてちょうだい」
「はい、女将さん」
伯父は酒場の主人だが、働いているのを見たことがない。十年以上前から、この従姉が女将として店を切り盛りしていた。
 ここ数年アルカパがラインハットの兵士に占領されてしまったのは痛かった。昔はオラクルベリーあたりの旦那衆が夏の間アルカパへ涼みに来て、おうように金を使って遊んでいってくれたのだが、このご時世にそんな客はほとんどいない。がらの悪いラインハットの傭兵が、飲んでは暴れるのがせいぜいだった。
「いらっしゃい、お客さん。旅の方?」
女将が年季の入った妖艶な声で客を迎えるのを、ヒューは厨房で聞いていた。
「こんばんは」
ヒューは、その声に耳をそばだてた。昼間会った、ルークという旅人の声だった。
「変わっていないですね、このお店も」
「あら、以前来てくださったの?」
「10年前に」
女将はころころと笑った。
「10年前って言ったら、お客さん、まだ坊やでしょう。あら、わかった。ビアンカちゃんといっしょに来た、あのかわいいお客さん?ほんとに?」
女将は、ぱち、と手をたたいた。
「またいい男に育ったわねぇ。なつかしいわ。ビアンカちゃん、引っ越しちゃったのよね。残念ねえ。今日は別のお友達とごいっしょ?いらっしゃい」
「看板バニーのママに歓迎してもらえるなんて、うれしいな」
快活な、女扱いの上手そうな声だった。昼の、恐ろしい鎖使いと同じ男だとは思えなかった。
「昔はほんとに看板娘だったのよ。10年前に来てくれたらねぇ」
「今はオトナの女性ですね」
ヒューは樽の口からフラスコに酒をうつし、女将のところへもっていった。
「あらためて、いらっしゃいませ。さ、呑んで?」
「ぼくは、その」
「あ~ら、お酒初めて?かっわいい」
女将の悪いくせがでたようだった。男前の客には商売抜きになってしまうのだ。ヒューは厨房へもどって、ため息をついた。
かた、と音がした。ヒューがふりかえると、ヘンリーがいた。
「昼間は、悪かったな」
そう言って彼は、にっと笑った。

 ヒューは、店の厨房で、簡単なつまみを作っていた。すぐそばにヘンリーがいるので、ひどく落ち着かなかった。
 借りるぜ、といってヘンリーは、厨房の砥石を手に取り、何か小さめの刃を鼻唄まじりに研いでいた。シャコー、シャコーという不気味な音が規則的に響いてくる。
「連れの、ルークのとこにいなくていいのか?」
ヒューが言うと、ヘンリーは刃を摘み上げて灯火にかざした。
「やつは女将といっしょに奥にいるよ。色っぽい話じゃない。ご隠居に昔話を聞きに行ったんだ。天空の勇者のことをね」
もうちょっとだな、とつぶやくと、ヘンリーは再び刃を研ぎにかかった。手のひらにおさまるほどの、柳の葉のような形の刃だった。とちゅうで急な角度に折れていた。鎖鎌の、鎌の部分らしい。が、以前見たものに比べて、異様に小さかった。
「それ、鎖につけるのか?」
「ああ」
くす、とヘンリーは笑った。
「びくびくすんなよ。これはおれのお守りなんだ。武器というより、食料調達のための必需品だったものでね」
「あまり見かけない形だ」
ヘンリーは片手を開き、細い鉄鎖を引き出した。
「この鎖、某所でもらったんだ。もらった、というか、おれの首輪についてたのを、廃品利用したんだけど。今見ると細いよなぁ。ガキだったんだな、おれ」
ヒューは、え、と思った。人間の、首輪?
「最初にこの鎖につけたのは、ちゃちい針金だった。そんなもんでも、手に入れるのにけっこう苦労したんだ。でも、鉄格子の間を抜けてうまく皿にひっかかったときは、うれしかったね」
ヒューは思わず眉をひそめた。鉄格子だと…?
「練習したら、枝にとまってる鳥を落とせるようになったんだぜ?相棒は同じことを小石でできるけど、何がいいって言って、投げ物みたいに一回きりにならない、ってのがよかった。われながら貧乏性だけどさ」
ヘンリーは、薄めの鉄片を取り出すと、鎖の先端についた留め金をはずし、研ぎあがった刃をとめつけた。
「こんなもんかな。それに、こいつなら、誰か殺るときだって、証拠になるような凶器が死体に残らないじゃないか。ちっちゃいから隠すのにも都合がいいし」
ひょうひょうとした顔でぶっそうなことをつぶやいて、ヘンリーはまた、留め金をはずした。
「う~ん、バランスがもうちょい」
「あんたいったい、どこから来たんだ」
「ん?ちょっと、きついとこ。なあ、おまえの友達の、チェスか。あいつ、口を閉じていられるかな」
「あんたが脅かしたんだろう」
「あれは礼儀上、ああいうもんさ」
「どこの礼儀だよ」
ヘンリーは答えずにさらに聞いてきた。
「チェスってのは、金は?」
「縁はない。言ったろ、脱走してきたって」
「昼間から飲んでたのに?」
「前からそうなんだよ。家の仕事も継がないでラインハットに行って一旗あげるとか言って、それであのざまで。やつのおかあさんがいつもぐちってる。けど、あれはあそこまで甘やかしたほうにも責任あると思うね」
「へえ、親掛かりか。そのおふくろさまに聞かれたら、チェスはしゃべっちゃうだろうな。で、聞いたら聞いたで、おふくろさまも人に言いたくなるだろうし」
やれやれ、と首を振った。
「チェスとおふくろさん、この村にラインハット関係の知り合いはいるのか?」
「知り合いかどうかしらないが、昼間、ラインハットの紋章の服を着た兵隊と話してたな」
「そりゃまた!すてきなやっかいごとが来たもんだ。絵に描いたみたいだぜ。しょうがない。やらなきゃだめか。めんどくせぇの」
はぁ、とため息を一つついて、ヘンリーは研ぎ直した刃を鎖にしっかりと固定した。
「砥石、ありがとうな」
何の屈託もなくそう言うと、ヘンリーは厨房から出て行った。
「“やらなきゃだめか”って、何をやるんだ、おい」
ヒューはその後姿にむかって、ぼうぜんとつぶやいた。