強き心は 2.誘拐10分前

「もう逃げちゃったんだよ、きっと」
聞く者をいらだたせるような泣き声まじりに、小柄な子がそう言った。
「黙れ、テディ」
きつい目をした少年はじっと辺りを見回している。
「木の小枝が折れてる。たぶん、上へのぼったんだ」
「え~っ」
太った少年が不満そうに言った。
「おれ、もう、木登りはいやだからな」
「ふざけるな」
「ランスが上だって言うんだから、ランスが登ればいいだろ?こないだおれに行かせたときなんか、あいつ、べたべたしたもんをたっぷり塗っておいたんだぜ?おれもうやだよ」
ランスというらしいきつい目の少年は、いらいらと足を踏み鳴らした。
「きさまら、言うことが聞けないのか!王妃様の命令なんだぞ!」
「もうやめようよ~」
テディと呼ばれた小柄な子は、また泣き言を言い始めた。
「帰って、いなくなりましたって言えばいいじゃないか~」
「そうだ、そうだ」
ランスは真っ赤になったが、2対1では、分が悪いようだった。
 アイルのすぐ後ろで、くすくすとコリンズ似の少年が笑った。
「ランスのやつ、まいってんな。一人でくりゃいいのに」
カイは声を潜めてささやいた。
「何してんの?追いかけっこ?」
おなじみの笑顔で彼は答えた。
「あいつらの女親分の大事なヒカリもんを、おれが盗んで来たのを追いかけてきたんだ」
「そんな、ひどいじゃない」
「そっかぁ?じゃ、返す」
王子服の少年は、懐に手を入れると、紫色の大きな石の入ったブローチを引き出した。アイルとカイの間から、ぽおんと外へ放り出した。
「わっ」
驚いたのは、ランスたちだった。あわてて走りよってつまみあげる。
「こっ、これっ、どこから降ってきたんだ!」
きょろきょろしたあげくバルコニーから見下ろしているアイルたちと目が合った。
「おい、そこの!」
居丈高にランスは叫んだ。
「これを放り出したのは、おまえたちか!」
カイは大きな声で
「ちがうわ」
と叫んだ。
「おまえたち、よそ者か!降りて来い!」
きいきい声でテディが叫んだ。
「誰に断ってこんなところにいるんだ?」
目つきにも態度にも、こちらを見下している雰囲気がありありと伝わってくる。アイルとカイの知る限り、ラインハット城でこんな扱いを受けたのは初めてだった。
「誰にって……」
アイルはとまどった。そのとき、回廊の反対側で、笑い声がした。
「おれだよ!」
ランスたちはぱっとふりむいた。コリンズに似た少年は、ブローチを投げ出したのと同時に、反対まで走っていったらしかった。
「ヘンリー!」
歯軋り交じりにランスが叫んだ。王子服の少年は、胸を張った。
「そいつらは、おれの新しい遊び相手にするために、親父が呼んだんだ。何か文句があるのか、おい!」
強く出られるとかなわないらしく、テディと太った少年はしどろもどろになった。
「降りて来い、ヘンリー。宝石泥棒は、本当なら打ち首だぞ」
ランスはまだ強気だった。
「ああん?誰が何を盗んだって?」
「この宝石を」
言いかけてランスが青くなった。ヘンリーはにやりとした。
「よしわかった!警備隊を呼んでくる。“盗まれた宝石は、レンフォード家の坊ちゃまが持ってます”って言ってくるからなっ!」
「まてまてまてっ」
犯人にされそうになって、ランスが悲鳴を上げた。
「何て顔だよ、ランス、マックス、テディ!犬も食わねえぞ!」
あははははっと笑い声を上げて、ヘンリーは走っていってしまった。

 アイルは呆然としていた。
「あの子、本当にコリンズ君じゃないんだ」
「信じられないけど」
とカイは答えた。
「あの子、ヘンリーおじ様なんだわ。ねえ、これ、とんでもないことよ?」
アイルは深くうなずいた。
「本当にそっくりなんだねえ。顔も、性格も」
「違うったら」
カイはじれったそうに言った。
「ここ、昔のラインハットなんだわ。ヘンリーおじ様が子どものころの」
「えっ」
アイルは改めて辺りを見回した。
「だから、雰囲気がちがうのよ。それだけじゃないわ」
「そっか、これから誘拐されるんだ、ヘンリーさんが」
「それと、お父さんも!」
子どもたちは、顔を見合わせた。
「たいへん!警告しなきゃ」
「行こう。これから起こることを話したら、誘拐事件を防げるかもしれない」
アイルの胸はどきどきと高鳴っている。
「どうすればいいかなっ」
ちょっと考えてカイは答えた。
「たぶん、お父さんは、このお城の王様に会いにいっているはずだわ。いってみましょう!」

 交代まで、もう少しだ、とチャーリーは思った。そろそろ、足がつらくなってきている。隣で歩哨に立っているオレストは、まだしゃんと背筋を立てている。ちっと舌打ちして、チャーリーもできるだけ威儀を正した。
 王族居住区へつながる階段を警備するのは、名誉の役目なのだ。というよりも、チャーリーにとって大切なことに、給料のいい仕事なのだった。棒に振るわけにはいかなかった。
 視界の片隅で何かが動いた。扉が開く。子どもが二人、顔を出した。男の子と女の子。7~8歳だろう。服装からして、ラインハット貴族の子弟ではなかった。チャーリーはちょっとだけ気を抜いた。
「すいません。ひとつお尋ねしたいのですが」
話し方はていねいで、きちんと教育を受けたことがうかがえる。
「今日、このお城に、サンタローズから親子が来ていませんか?」
そういったのは、女の子のほうだった。二人とも、きらきらした目でじっとチャーリーたちを見つめていた。
 だがチャーリーは肩をすくめた。
「警備上、話せないことになっているんだ。悪いね」
「待てよ」
といったのは、オレストだった。子どもたちに近寄ると、じっと顔を覗き込んだ。
「やっぱり似てるなあ。な、チャーリー、家族なんじゃないか?そうだろ、ぼくたち?」
あ、という形に子どもたちは口を開いた。
「えと、親戚です」
オレストはにこっとした。
「そうだと思ったよ。サンタローズの戦士殿と、小さな息子さんだろう?先ほど見えて、陛下に謁見を賜ったみたいだよ」
子どもたちは顔を見合わせ、ぱっと笑った。
「本当に、来てるんですね?おと……パパスさん親子が」
「ああ」
そう言ってオレストは、かぶとの下に手を入れ、かりかりとかいた。
「おれはどうも、あのパパスさんて言う人を、前にどこかの城で見かけたような気がするんだが、気のせいかな?」
「きっ、気のせいですよ」
男の子はそういうと、階上を指差した。
「どうしてもパパスさん親子と会わないとならないんですけど、行ってもいいですか?」
チャーリーは声をかけた。
「あの戦士なら、さっき降りてきたなあ」
「え、本当?」
「お高くとまった侍女が案内して、東翼のヘンリー様のところへ連れて行ったみたいだな」
「ありがとう!」
子どもたちは手を繋いで、また扉から出て行こうとした。
「あのっ」
突然少年がふりむいた。
「どうした?」
「ぼくたち、似てますか、パパスさんと?」
オレストは笑った。
「ああ。目元が似てるね」
なぜかとてもうれしそうな顔で、子どもたちも笑った。