主ヘン十題 8.凶器 後篇

  実験の舞台は、ルークたちが間借りしている料理屋、あるみら亭の二階と決まった。オラクル屋の主人は、実験当日の夜、無表情な顔で問題のパズルボックスを抱えてあるみら亭に現れた。
「危ないことはないんでしょうね、オラクル屋さん」
 あるみら亭の主人リックスが心配そうに聞いた。オラクル屋は突き放すように答えた。
「この箱でケガをしたものはまだいない」
ヘンリーが横から口を出した。
「かってにころっと死んだだけだよな、二人ほど」
オラクル屋は鼻で笑った。
「おや、実験が怖くなったかね」
ヘンリーは腕組みをして応じた。
「それで挑発のつもりかよ」
 まあまあ、とルークは割って入った。
「とにかく、はじめようよ。そのパズルボックスをこちらへお預かりします。僕たちはこれから一晩、部屋にこもります。そうですね?」
オラクル屋は慎重な手つきで“呪いのパズルボックス”を手渡した。
「一晩、施錠させてもらうよ。鍵は私が持つ。明朝、開けに来る」
「疑り深い親父だ」
ぼそっとヘンリーは言った。
「実験には正確さが必要なのだ」
「へいへい。じゃあ、明日の朝会おう」
「大丈夫なのかい?」
あるみら亭の主人夫妻と看板娘のデイジーは心配そうだった。
「死にはしないって。それより、頼んでおいた食事なんだけど」
デイジーが大きなふたつきバスケットを抱えて差し出した。
「こんなものでいいのかな。あたしが作ったんです」
ルークはデイジーから食糧を受け取った。
「なんとかなるよ。……たぶん」
ヘンリーが部屋の扉を開いた。オラクル屋の主人は先に中へ入り、窓を閉め、辺りを見回し、ルークたちが中へ入ったのを確かめて自分は外に出て扉を閉めた。外から錠のかかる、ぴん、という音がした。
 ヘンリーは外に向かって声をかけた。
「デイジー、みんな、お休み」
まじめくさった声でオラクル屋の主人が返事をした。
「よい夜を」

 外で錠が降りる音を久しぶりに聞いた、とルークは思った。
「なんか、やだね」
それだけしか言わなかったのに、ヘンリーにはわかったようだった。
「こうやってると、今にもヨシュアが来そうだな」
ルークはしばらく黙っていた。
「どうしてるかな、あの人。あの人たち」
ヘンリーは首を振り、ベッドに腰を下ろした。
「今はよせよ。パズルボックスに集中しろ。な?」
ルークは深く息を吸った。
「ああ、うん。そうしよう」
ルークは彼の隣にすわった。
「聞くけど、なんでぼくがいると呪いのパズルボックスでも大丈夫なんだい?」
にっとヘンリーは笑った。
「そのバスケットを取ってくれ」
デイジー作の料理が入っているはずのバスケットを渡すと、ヘンリーはベッドの上に中身を取り出した。
「ミートパイに、エビときのこと野菜をつめた丸パン、スライスしたイカの酢漬け……デイジー、レパートリーが増えたな」
「こっちは何?ソーセージ、はわかるとして、木の実と生の穀物?」
バスケットの底のほうには小さな袋がいくつか入っていた。それぞれに奇妙なものが入れてあったのである。
「それはおれが頼んだんだ」
「こんなもの、食べるの?」
「おれじゃねえよ。あれさ」
と言ってヘンリーはパズルボックスを指差した。
「あれって」
こほん、とヘンリーは咳払いをした。
「最初にあのお客がこのパズルボックスを初めてオラクル屋に持ち込んだとき、なんて言ったか覚えてるか?50年前にラインハットで作られた、そうだな?」
「ああ、そうだった。それで?」
「昔お城(=ラインハット城)にあったパズルボックスのなかに、いくつか二重パズルボックスというのがあったんだ。つまり、上げ底」
「じゃあ、あれも?」
「たぶんな。そのパズルボックスの引き出し、本体にくらべてやけに小さくなかったか?たぶん、これは上げ底だ。そして上げ底になった空間にずっと隠れているやつがいる」
あまりに確信ありげな言い方についルークはつっこんだ。
「見てきたみたいだね?」
「小太りの親父が言っただろう。梱包するとかりかり音がするって。上げ底の“住人”が、出してほしがっている音だったんじゃないか?」
「まさか……パズルボックス自体、あんな小さいのに」
「虫ならどうだ。サソリとか、あるいは大型の蜘蛛。じゃなかったら小さな蛇。いや、蛇ならカリカリは変か」
ルークはめんくらった。
「サソリが、なんだって?」
ヘンリーはじっとパズルボックスをにらんでいた。
「なにってつまり、誰も気づかない凶器の正体さ」
「サソリが人を殺していたっていうのかい」
「大きさはそんなもんだけど、あの最初の黒い服のお客の祖母上様がずっとかわいがっていたんなら、もうちっと気色のいいペットじゃないかな」
「かわいがったってどうしてわかる?」
ヘンリーは顔を上げた。
「50年間かわいがってきたんだろ?さもなきゃ、そのペット、生きていられないじゃないか」
「箱の中で?飼ってた?」
「ああ。たぶん、夜だけ出てくる秘密のペットだよ」
どうしてそんな、と言いかけてルークは思い当たった。
 年配の上品な婦人が夜、寝室で、夫も寝静まったあと、パズルボックスから秘密のペットを誘い出す。ろうそくの頼りない灯のもと、用意していたえさを与え、手に乗せてかわいがいる。そして、そっと呼びかける名前は、もしかしたら。
「恋人にもらったからだ」
若き乙女の日を華やがせたできごとの生きた記念、命ある思い出。老女の目に艶めいた輝きがよみがえる。
「その恋人の名前で呼んでいたんだ」
ヘンリーはうなずいた。
「たぶんな。けど、彼女は急な病気で世を去った。ペットのほうは、そんなことわかるわけがない。急に飼い主がえさをくれなくなったわけ、かまってくれなくなったわけがわからない」
ルークは思わず箱を見直してしまった。
 ヘンリーはためいきをついた。
「毎晩そいつは、主人の姿とえさを探して箱から出てきた。さぞ怖かったろうよ。いつのまにか、見慣れた寝室じゃないところにいるんだから。ある夜なんかは、梱包材に囲まれて閉じ込められもした」
かりかり、かりかり。あの男を震え上がらせた音は、孤独なペットの必死の叫びではなかったか。
「うまく出てこられたときは、その場にいる人間を主人かと思って近寄り、そうではないとわかったとき、防衛本能に従って攻撃したのかもしれない」
「欲張りの観光客と気の荒い叔母さんは、それで?」
「しっ」
 たいそうかすかなぴーんという音がしたのだった。ルークとヘンリーは二人ともその場に凍りついた。首だけ回してそっとパズルボックスをうかがった。
 ぴーん、と再び箱が鳴った。箱の上3分の一が横へずれる。誰も押していないのに、仕掛け金具が押し込まれ、反対側へ模様に紛れ込ませた切込み部分が突出した。
 ルークたちは黙って両側からパズルボックスを載せた台へ近寄った。
かち、と音がして部品がかみ合い、ぴん、と鳴ってレバーが弾かれる。見る間にパズルボックスは変形し、あの引き出しが飛び出した。ルークはその中をのぞきこんだ。あいかわらず空のままだった。
「ヘンリー、空だよ」
「しっ、もうちょっとだ」
 ささやき交わす間にパズルボックスはさらに姿を変えていた。引き出しが完全に本体から別れると、箱の対角線にだいたい沿って筋のような分かれ目が浮き上がった。息を呑んで見守る二人の目の前で、パズルボックスはきれいに二つにわかれたのだった。
 五十年間隠されてきた秘密の上げ底から、丸い赤い目が二つ、じっとこちらをうかがっていた。飼い主を探しているのだろう。怖がっているのかもしれないとルークは思った。ルークは手を差し出した。
「ルーク、そいつ、ひと噛みで人を殺せるんだ。気をつけろ?」
「大丈夫」
ルークには確信があった。
「きみの飼い主さんは、亡くなったんだ。でも、君は生きていかなくちゃいけない。おいで」
“凶器”が、みじろぎした。そして、パズルボックスの作り出す陰の中から、少しづつ這い出してきた。薄茶色の毛皮に赤い目と長い尻尾を持った、ひどくきゃしゃな、ネズミのような生き物だった。
 ルークの後ろでヘンリーが身構えたのがわかった。“ひと噛みで人を殺せるんだ……”。ルークはじっと待った。前歯が長い。毒をもっているのかもしれない、とルークは考えた。
「ずっと寂しかったのかい?」
自分を認め、自分に話しかけてくれる人間がいる、ということをネズミが理解するまで、ルークは手を差し出したまま、待った。
「さあ」
 長い尻尾が後ろへ伸びた。尻尾でバランスを取る特有の走り方で、ネズミはルークの手のひらへ駆け込んできた。ルークはそのまま手を顔の高さへ上げ、そっと頬ずりした。
 はうう、とうなってヘンリーが寝台へすわりこんだ。
「たぶん大丈夫だろうとは思ったが」
とヘンリーは言った。
「いつ見てもすげえな」
あはは、とルークは笑った。
「木の実があったよね。取ってくれる?それから、何かこの子が好きそうなもの」
ネズミの好みなんか知るかよ、とぼやきながらヘンリーはデイジーの用意してくれたえさの包みを取り出した。

 パズルボックスの“呪い”が解けたというと、オラクル屋の主人は珍しくうれしそうな顔になった。
「毒ネズミが巣食っていたのだな」
その毒ネズミはルークの膝の上でまどろんでいた。
「いえ、あのボックスはもともとこの子の専用の隠れ家だったんです。きっとずっとあの中で幸せに暮らしていたのだと思います」
あとから調べたところ、模様にまぎれた空気穴がついていて、最初からパズルボックスがこのネズミの家として作られたのだとルークは思った。
 オラクル屋の主人は眉をひそめた。
「中を汚したりしていないだろうな」
「自力で外へ出られるんですよ?この子は頭がいいし、行儀もいいんです」
オラクル屋の主人は耳を貸さずに、箱を取り上げた。
「まあいい。これで問題は解決だ」
あの、とルークは言った。
「それ、売っちゃうんですか?」
「無論のこと」
「でも、それがなくなっちゃうと、この子……」
 ネズミは衰えている。ルークにはよくわかった。五十年は生きてきたのだ。相当長寿の動物らしいが、視力が落ち、動きもおぼつかない。堅い木の実は、割って中身を取り出してやらないと食べられなかった。
「それ、売らないでおいてもらえませんか?」
「なんだと……?」
オラクル屋の主人の表情が変わった。
「まあまあ」
ヘンリーだった。
「あんたには理解できないと思うよ。おれだって時間がかかったんだから。だがこいつの心の中じゃ、商売の儲けも、馬車の値引きも、この年寄りの毒ネズミが幸せかどうかに比べりゃ、カスなんだよ」
「……バカか」
ルークは毒ネズミを守るようにそっと手で覆った。
「五十年もこの箱の中でこの子は幸せだったんです。外の世界なんて知らなくたって、満足して暮らしていたんだ」
ヘンリーが横からつけくわえた。
「あんたがこのかび臭い店にとじこもってるのと同じだな」
「心外だ。この店は私の」
と言いかけて店主は黙ってしまった。
「完全に理解してくれとは言わないよ」
ヘンリーは真剣だった。
「けど、こんなのはどうだ?」

 それからまた、一月ほどの時間がたった。ずっしりと重いゴールド金貨の袋を持って、ルークたちはオラクル屋へ馬車の代金を払いに来た。
「やあ、元気?」
ホイミスライムたちはいっせいに触手をなびかせて挨拶してくれた。店内へ入ると、奥のカウンターの上に大き目の鳥かごがあり、そのなかにあの毒ネズミがいた。
「久しぶり。ひまわりの種、あるよ」
かごの間から種を押し込んでやろうとすると、オラクル屋の主人が無愛想な声でとめた。
「割ってから食わせてやってくれ。もう年だからな」
 パズルボックスの問題を解決した代金は、このネズミの食費になってしまったのだった。オラクル屋の主人は馬車の値引きをしないことを条件に、ネズミを店に引き取ることを承知した。
 ルークはくすくすと笑った。
「仲良くやってるみたいだね」
くっくっとヘンリーが笑った。
「なんとなく顔つきも似てきたぜ」
 二人の声が聞こえているはずなのに、オラクル屋の主人はつんとした表情であさっての方を向いたままだった。そのようすが、鳥かごの中にちんまりとすわりこんで瞑想しているようなネズミにそっくりだ、とルークは思った。