主ヘン十題 8.凶器 前篇

 ゼリー状の青い物体の下に半透明の触手状のものがたくさん生えている。しかもそれがときどきぞわりと動く。その“足”のうえにある”頭“にはまん丸の目が二つと口がついていて、あらぬ方を向いて妙にうれしそうにしていた。
 オラクルベリーの名物道具屋“オラクル屋”は、このゼリーくらげを三つくっつけたものをのれんとして店の出入り口の上にかざっている。奇異な眺めではあるが、“オラクル屋”そのものが、この世のあらゆる珍品を扱います、と名乗るくらいだから普通の飾りでは追いつかないのだろうと市民は思っていた。
「やあ、元気?」
 飾りの真下で上を向き、ルークは手を振った。3匹のくらげはそろって触手をなびかせた。挨拶のつもりのようだった。ヘンリーはつぶやいた。
「おまえ、毎度毎度のれんに挨拶するの、やめろよ」
「だって知り合いになったんだし、いいじゃないか」
「知り合い?ゼリーくらげとか」
「ホイミスライムだって言ったろ?」
 オラクル屋の店内は薄暗かった。間口はホイミスライム3匹分の幅しかない。内部の照明は壁や天井のところどころにある灯火の、控えめな明かりだけだった。
 その灯が店内の壁を埋め尽くす棚を照らしている。もちろん商品の陳列棚だった。
 奇妙な図の描きこまれた巻物がある。どぎつい色の液体が入ったガラスの小ビンがある。蛙のようにも猫のようにも見える頭に女の体を持った陶製の人形がある。かと思うと、ほれぼれするほど手の込んだ繊細な金細工のネックレスや、指の爪ほどの大きさの楕円に風をはらんで進む帆船をこまかく描きこんだ細密画まで、確かに珍品ぞろいの品揃えだった。
 棚が取り囲む中央の空間には奥にカウンター、手前に平台がある。平台の上も珍奇な品々がところせましと並んでいた。
 カウンターの奥にはオラクル屋の店主がすわっていた。黒い丸い帽子を被った、どこか仙人めいた白髪のやせた年寄りである。
「よっ」
怪しげな店の真ん中で、ヘンリーは店主に向かって快活に声をかけた。
「馬車の金、持ってきたぜ」
店主はあわてるでもなく顔をあげた。
「全額かね」
ヘンリーは肩をすくめた。
「今日は400だ」
あまり表情を変えずに店主は言った。
「ごゆっくりだな。君たちの支払いの終わる前にほかの客が全額持って買い付けにきたら、私はそちらへ売るよ」
ヘンリーは出しかけた金袋をひっこめた。
「何だよマスター!ぼけてんのか?手付けから始まって、こうやって三日と開けずに稼いだ分持ってきてるだろうが。いまさらほかへ売るって?殺生だぜ」
「では耳をそろえて全額持って来たまえ」
融通のきかねえじじいだ、とつぶやきながらヘンリーは金袋をカウンターの上に置いた。
「前々からの分とあわせてこれで2000になるはずだ。だろ?」
店主は帳簿を取り出し金額をにらみながら計算していたが、やっとうなずいた。
「ようし。残りの金は必ず持ってくるから、それまで馬車は売り止めにしといてくれ。いいな?」
「ふむ」
と店主はつぶやいた。
「せいぜい、急ぎなさい」
ルークはやっと安心してぱっと笑った。
「はい、がんばります!」
 よかった、まだ売れてないや。ここ半月ほど、二人の話すことと言ったら、このオラクル屋が売り出した馬車の話題ばかりだった。馬車は世界を広げる魔法の鍵に等しかった。サンタローズにはサンチョが、アルカパにはビアンカがいるはずだ。ルークは馬車がほしくてたまらなかった。
 店主は羊皮紙の預かり証に領収額を書き込んで署名し、ヘンリーに渡してくれた。
「さあ、帰ってまた稼ぐか」
「ああ!」
二人が出口へ向かおうとしたとき、別の客と鉢合わせになってしまった。
「すいません」
 ルークが道を譲るとその客は細い声でいいえ、と言った。女性のようだった。若くはないが、老婆と言うほどでもない。なぜか黒一色の服を身に着けている。胸の辺りに何か大事そうに抱えていた。
「こちらでは買取をしていただけますの?」
店主は女客の方を向いた。
「ものによります」
女はカウンタの上に持ってきたものを置いた。
「どうかしら」
好奇心にひかれて、ルークはその品物を見に行った。それは、大き目の宝石箱ほどのサイズの木の箱だった。表面を淡いクリーム色に塗り、その上から豊かな色彩で華やかな花綱模様が描きこまれている。箱の隅にはそれぞれ、凝った透かし彫りを入れた金の補強金具をつけてあった。
「きれいだけど、どうやって開けるんだろう、これ」
「こいつはパズルボックスだ」
後ろからヘンリーがのぞきこんでいた。
「パズル?」
その美しい箱には、蓋と本体を分ける継ぎ目がまったく見当たらなかったのである。
女客はパズルボックスを手に取った。
「こうやって開けます」
年齢のわからない黒衣の女は、模様のいくつかに軽く触れ、金具を次々と押し込んでいく。パズルボックスは見る間に変形し、最後にかちりと音をたてて秘密の引き出しを吐き出した。
「すごいな!」
すごいよな、とヘンリーが応じた。
「こんな精巧なパズルボックスが今でもあったなんてな」
女は満足したようにうなずいた。
「これは祖母の形見ですの。引き取っていただけるかしら」
店主の目が疑わしげに女を見上げた。
「おばあ様は、これをどちらで?」
「50年以上前にラインハットで、ある人から贈られたそうです。ラインハットの工房製と聞いています。当時の流行だそうです」
だからヘンリーが知っていたんだね?、と目で聞くと、ヘンリーは小さくうなずいた。
「祖母は先日、急に病みついて逝きました。前の日には元気だったのに、次の日には冷たくなっているようなありさまで」
黒い服は、それでは喪服なのだろう、とルークは思った。
「ご愁傷様です」
「形見分けのとき私がこれをもらったのですが、宝石類と違ってかさばるのでこの町でお金に換えたいんです。家が遠方にあるものですから。これは恋人からのプレゼントだったと祖母は生前言っていましたわ。開け方は書いてきました」
そういって、羊皮紙を二つ折りにしたものをカウンターの上に置いた。
店主はパズルボックスを手にとってしばらく見ていたが、やがてうなずいた。
「500ならば引き取りましょう」
「けっこうです」
店主は金貨を数えて袋につめ始めた。
 女が袋を受け取って店を出て行くまで、ルークたちはその不思議な箱を眺めていた。
「おいおい、売り物なんだ。汚さないでくれ」
ヘンリーは肩をすくめた。
「誰も汚しゃしねえよ。この平台へ置けばいいんだろ?」
ヘンリーは返事を聞く前に店の真ん中の特別な品物を置く平台の端に、パズルボックスを載せた。
 まるでそれが合図だったかのように、また客が入ってきた。どやどやどや、と騒々しくやってきたのは観光客のようだった。
「ここがあの有名なオラクル屋だぞ!」
一人が言うと、ほかの客はいっせいにへえ!と言って、珍しそうに店内を眺め回した。
「商売繁盛でけっこうなことで」
からかうようにヘンリーが言う。店主は受け流した。
「もう帰りなさい。早く稼ぐといい」
ヘンリーの後ろからカウンタにやってきた客がいた。汗かきの小太りの男で、先ほどの観光客の先頭にいた男のようだった。
「ご主人、これはいくらだね」
持っているのは、貝の切嵌細工の黒檀の手鏡だった。
「妻の土産にどうかと思ってね」
店主はちらっと手鏡を見て、無愛想に答えた。
「それは映すものをちょっと不細工に見せる鏡です。奥様には別のお土産をお選びになったほうがいい」
げっと客は言った。
「まいったな。オラクルベリーのオラクル屋には珍しいものがあるというんで、女房から土産をねだられているんだ」
小太りの男は周りの棚を見回した。その視線が平台に移った。
「その箱は?女房が喜びそうだ」
「パズルボックスですか」
「こいつはこぎれいでいい。どうやって開けるんだね」
いつのまにかほかの観光客が集まってきていた。店主は客の手からパズルボックスを受け取ると、ヘンリーを手招きした。
「開けてくれ」
ヘンリーはちょっと肩をすくめ、たった今見たばかりのやりかたを繰り返し、見事にパズルボックスを開いて見せた。おおお、と観光客は素直な声を上げた。どうもどうも、ヘンリーはステージに立ったように挨拶してセールストークまで始めた。
「ちょっと珍しいものだから、お土産には喜ばれますよ。開け方を書いた指南書つきです。お代は、ええと」
たずねるようにヘンリーは店主の顔を見た。
「1000ゴールドです」
ルークはぱかっと口を開いてしまった。500で仕入れたんじゃなかったか?客は裕福な男らしい。うん、とうなずいた。
「そのくらいのほうが、ありがたみがあるね。よし、買おう」
表情をほとんど動かさずに、店主は答えた。
「まいどありがとうございます」
取引は成立した。

 ルークとヘンリーが次にその裕福な商人とであったのは、数日後、やはりオラクル屋のカウンターの前でのことだった。最初ルークには、同一人物だとわからなかった。あの無邪気な観光客、小太りの愛妻家ではなく、おびえ、あせり、いらいらした初老の男が店主にのしかかるようにして力説していたのである。
「1000とは言わない、が、とにかくこれを持っているわけにはいかないんだ!」
二人の間のカウンターの上には、美しいパズルボックスが載っていた。口角泡を飛ばす男に、店主は冷静に言った。
「当店では返品はお断りしています」
「待ってくれ、ひと一人死んでるんだぞ」
穏やかでない言葉だった。パズルボックスを買った男は青ざめ、無精ひげの生えた顔のままだった。目の下にくまができ、指先も震えていた。
「なんだこいつ」
後ろでヘンリーがささやいた。
「今にもちびりそうじゃねえか」
「しっ」
店主はため息をついた。
「このパズルボックスのせいで死んだ、と言い切れるんですか」
「死に方を見ると、ほかに説明がつかないんだ。死んだのは私の商売仲間で、オラクルベリーへはみんないっしょに来たんだ。あの日はほかの仲間はカジノを見に行ってて、宿で合流したときにこのパズルボックスを見せた」
 オラクルベリーにはよく見られる情景だった。ぜいたくではないが清潔でこぎれいな宿の食堂に、あきらかに地方から来たおのぼりさんたちがひとつテーブルに集まって、旅の恥はかきすてとばかりうれしそうに飲んだり食べたり、騒いだりしている。
 商売で来た者たちは額を寄せ集めて熱心に話し合うが、観光客たちはふるさとへの土産物を仲間内で見せて自慢しあうのだ。宿の女中が大きなマグをいくつも運び込んでテーブルに並べ、新しく受けた注文を厨房へ向かってがなりたて、床にはおがくずを撒き、天井には太い梁を通し、騒がしいが活気のあるそんな情景。ルークは陽気な若い女中の赤いほほまで見えるような気がした。
「パズルボックスはみんなの選んだ土産の中で一番の人気だった。私はひどくうらやましがられたよ。すると食事のあと、問題の仲間がこっそりやってきて、あのパズルボックスを譲ってほしいと言い出した。ホトケに悪口は言いたくないがあいつはそういう男でねえ。1200までなら出すと言ってきた」
つかれきった男の顔にやりきれない表情が浮かぶ。
「で、お売りになった?」
「むろん私は断った。女房に見せてうれしがらせようって物を人にやれるか、と思ってね。ところがその夜、あいつは私の部屋に勝手に入って、これを持ち出したらしい。次の日の朝、あいつは自分の部屋……仲間内では一人だけ“個室がいい”とごねて一人で一部屋を占領していたんだが、その部屋で冷たくなって見つかったんだ。すぐ横のサイドテーブルにこのパズルボックスを置いてね」