オラクルベリーの豪商 第二話

 セルジオは震えた。たそがれの草原のあちこちでモンスターが立ちあがり、セルジオめがけてもっさりと動き出した。宰相オラクルベリー公爵の雇った男は、アウルベアを変化させて部下にまぜておいたのだった。その数、十数頭。セルジオは後ずさりし、それから一散に走り出した。
 変化を解かれたアウルベアは意外に敏捷だった。一頭が大きく跳躍してセルジオにつかみかかった。右肩に鋭い爪がくいこみ、激痛が走った。
 その時、何か重いものが飛んでいく音がした。一呼吸おいて、つかみかかっていたアウルベアがぎゃっと叫んでのけぞった。そのすきにセルジオは、必死で爪を逃れた。
 再び飛来音がした。セルジオは走りながら首を回し、そして信じられないものを見た。
 五、六頭のアウルベアをたった一丁のブーメランがなぎ倒し、大きく弧を描いて戻っていく。ターバンを巻いた若い男がこちらへ向かって走りながら受けとめた。
 アウルベアたちは痛みと怒りのうめきを上げ、若者に襲いかかっていった。若者はブーメランをベルトにさすと、両手で杖を構えた。古来旅人が道中の護身用に使う、バトルステッキの型である。
「おっとこっちにもいるんだ」
 威勢のいい声とともに、もう一人、緑の髪の若者が横合いからアウルベアの群れに斬りこんだ。モンスターの鋭い爪が日没の最後の明かりを反射してきらめいた。だが、若者の長剣はその爪を受けて、流して、返す刀で切り払った。
 たちまち数頭が草むらへ倒れこんだ。しかしセルジオをめがけていたモンスターどもが気づいて、二人のほうへ向かっていった。
「調子に乗るな」
緑髪のほうがそう言うや否や、左手に剣の柄を握り、右手ですばやく空を切った。押し寄せたアウルベアの足がいきなりぐらついた。ふらつきながら向かってくるモンスターを、ターバンの若者が杖の一撃でしとめた。
 バトルステッキと思ったのは、セルジオの見たて違いかもしれなかった。握りと石突の双方に威力があり、殴る、突く、払うの三動作が可能である。現に大型のモンスターが腹に重い一撃を受けてうずくまった。若者は杖を軽々と指先で回転させ、縦横に操って敵を寄せ付けない。こんな武術を、セルジオは今まで見たことがなかった。
 杖の若者の背後にひときわ巨大なアウルベアが迫った。
「おとなしくメダパッてろ」
呪文の直撃を受けたアウルベアは、その場でぐるぐる回り出した。再び杖と長剣が舞い、モンスターは次々と倒されていった。
 戦闘技術の鮮やかさと、戦いなれした度胸にセルジオはただまじまじと見つめるだけだった。
 最後の一頭を片付けて、若者たちは武器を納めた。
「大丈夫ですか?」
言われてセルジオは我に返った。
「そうだ、ネビルは」
ネビルはあの革箱を守り通せたのか?セルジオは探しに走ろうとしたが、肩の傷を押さえてへたり込んでしまった。
「すぐ手当てしないと。ぼくたちの馬車へ」
「私よりも、甥が」
「向こうへ走ってったやつだな?見てくる」
緑髪の若者が身をひるがえして駆けていった。セルジオはターバンの若者に助けられ、粗末な馬車の幌の中へ入った。
 回復呪文と薬草で、セルジオはようやく人心地がついた。ほどなく先ほどの若者がネビルを肩に担いで戻ってきた。ネビルではなく、緑髪の若者の片目のまわりがなぜか青黒くなっていた。
「気絶しているだけだ」
セルジオは身を乗り出した。
「ネビル、ネビル」
ぐったりしたネビルの体をゆすると、ふところから革箱が転がり落ちた。セルジオはひったくるように箱を取り上げてふたを開いた。中は空になっていた。セルジオはうめき声をあげた。
「取られたか。あの御免状を」

 ネビルはひとりですねていた。殺すと言われれば、オラクルベリー御免状を渡さずにはいられないではないか。御免状がなくなればオラクルベリーはいいように税をかけられ、根こそぎ搾り取られる。だといって、命に代えられようか?この私の命に。
 叔父は黙ったままだった。粗末な馬車の板張りの床が尻に痛かった。すぐ向かいに、緑の髪の、あの無礼な若い男が座っていた。
 男というよりまだ少年に近い。あごをあげ、片目に何か乗せて冷やしている。パニックになっていたネビルが彼の目をひじで強打したのだった。その後は記憶がない。気づいたら、このみすぼらしい馬車の中にいて、叔父が仏頂面でオラクルベリーまで連れ戻ってもらうところだと言ったのだった。
 ネビルの雇った護衛が、ラインハットの宰相、オラクルベリー公爵の回し者だったらしい。事態はものすごくまずかった。叔父の後継ぎ、九代目セルジオへの道が危うくなっていた。
「全部私のせいだと思ってるんでしょう?」
たまらなくなってネビルはつぶやいた。
「そんなことはない」
叔父は床を見つめたまま言った。ネビルはちっとも安心できなかった。自分のせいではないとはっきりいって欲しかった。
「私があれを渡したせいで、オラクルベリーはもうおしまいだ。本当はそう思ってますよね?」
「おしまい?」
叔父はつぶやいて、ネビルのほうを見て、あざけるような笑みを浮かべた。
「我らは番犬に手を噛まれたのよ。それだけのことだ」
叔父はため息をついた。
「ラインハットという番犬は、強くなりすぎた。が、しょせん犬だ。いくらでも手なずけられる」
ヒュウと音を立てて、緑の髪の若者が口笛を吹いた。
「さすが大富豪。そのいきだ」
布包みで半ば隠れた顔のなかで、見えるほうの目が笑いにきらめいていた。緑がかった青い目だった。ネビルはいきなり怒鳴った。
「おまえら、やっぱりつけてきたんじゃないか!」
「そこの旦那が宮廷に詳しいらしいからさ」
ネビルは貧乏人相手にはいつでも雄弁だった。
「傭兵志願か?あいにく私たちを助けてもコネはないぞ。第一、太后様ならいざ知らず、デール様にはなんの力もないんだぞ」
緑の髪の若者はあきれたような顔をした。
「よくしゃべるな、おまえ。傭兵になる気はないって。でも王様に会えないかな」
ネビルより先に、セルジオが言った。
「会ってどうするね、お若いの?なにか幻想を持っているなら、目を覚ましなさい。王族とは商人を、生きた財布だと思っている輩だ」
セルジオは苦い笑いを浮かべた。
「わかっていたことだった」
緑の髪の若者は、手で顔の上の布包みを押さえたまま肩をすくめた。
「そりゃあ、ものの見方の問題だ」
「若いな」
セルジオは苦々しげに言った。
「助けていただいておいて恐縮だがね、お若い方。私とて昔は王族にもいろいろあると思ったものだ。だが覚えておいて損はない。本質は変わらないんだよ」
「おれは、そうは思わない」
「それが若いというのだが。王族の本質は王族。商人の本質は商人。そしてモンスターの本質はモンスターだ。たとえばこちらが見方を変えたからといって、モンスターが人を襲わなくなるかね?」
 緑の髪の若者はなにか言いかけて口を閉じた。ネビルは小気味よくその姿を見ていた。
 若者は目の上の布包みを下ろし、布を開き、その中身に話しかけた。
「もういいよ。おつかれさん」
ありふれた布切れの中から、透明の青いものがそろりと流れ出た。それは床へ流れ落ちるとゆっくり固まった。丸い目が二つ、ぱちりと開いた。
「スライム!」
ネビルは硬直した。
「スラリンてんだ。スラリン、こちらはセルジオさんとその甥っこのネビル」
ぷよんと弾んでスラリンが近くへ寄って来た。ネビルはひっと叫んだ。
犬や猫ではない、スライムはれっきとしたモンスターなのだ。
「おいで」
呼ばれるとスラリンは嬉しそうに若者の手に流れ込んだ。
「ペットなのか?」
セルジオの目も、驚きに見開かれていた。
「いや、友達だと思ってるよ。あいつがそう言ったからな」
そう言って、親指で御者席を指した。セルジオは御者席に座っている若者の背を見据えた。
「モンスターを友達にする人間がこの世にいるとは」
「不思議だろ?やつは特別なんだ」
緑の髪の若者はどこか得意そうにそう言った。
「もしあんたが奴隷で、奴隷頭にいびられて、一日中きつい力仕事をやらされて、やっと終わってメシにありつくというときに、当の奴隷頭がもっと上の現場監督に殴られてたとしたら、あんた留めに入れるかい?」
「まさか」
とネビルは言った。セルジオも首を振った。若者はにやっと笑った。
「あいつには、できるよ。不思議なやつだろ?」
馬車がゆれた。
「橋を渡ったらしいな。もうオラクルベリーだ」
若者はそう言うと、肩にスラリンをひょいと乗せて、御者席へ出ていった。しばらくすると馬車は停まった。
「もう、街門の前ですよ」
ターバンの若者が幌の中をのぞき込んで言った。あのスライムは、今は彼の片手の中におさまっていた。
「おろしてもらえるかね」
彼は微笑んでうなずいた。
 外はすっかり暗くなっていたが、不夜城オラクルベリーは明るかった。ネビルはセルジオとともに馬車を降りた。
 これから商人組合の面々に、国王に御免状を見せて増税をやめてもらうように説得する計画が失敗した、と話に行かなくてはならないのだった。ネビルは大きくため息をついた。
「世話になった、君たち」
セルジオが重々しく言った。
「なにか礼をしたい。現金ならたやすいが、我が商会の護衛として雇ってもいいのだが」
紫のターバンの若者は首を振った。
「ぼくたちはラインハットへ行きますので」
「今のラインハットは、若い者にはいいところではないがな」
「おれの兄弟がラインハットにいるので、無事でいるかどうか確かめたい。それだけだ」
と、緑の髪の若者が言った。
「セルジオさんの御言葉に甘えて、一つ頼みがある。王様に会いたいんだが、どうすればいいか教えてくれないか」
ネビルは鼻を鳴らした。彼らは確かに普通の人間ではなかったが、国王に会えるとはとても思えなかった。
 セルジオはしばらく黙っていた。
「国王デール陛下は、学問を御好みになり、珍しい書物を集めておられる。セルジオ商会のラインハット支店は、希少な古書が手に入ると陛下へじきじきにお届けしているはずだ」
「書籍商なら、城内をうろうろしても怪しまれないかな」
「紹介状があればな」
ターバンの若者は目を輝かせ、羊皮紙を引っ張り出した。
「セルジオさん、ぜひ」
セルジオはさらさらと紹介状をしたためた。
「君たちの名前は?」
「ぼくは、ルークといいます」
紫のターバンの若者が言った。緑の髪の若者は短く答えた。
「ヘンリー」
そのヘンリーという若者を、セルジオは厳しい視線で見たが、なにも言わなかった。紹介状を渡すと、ヘンリーは軽く振って乾かした。
「ありがとうございました」
ルークは丁寧に礼を述べた。そして、不思議な二人の旅人は、オラクルベリーの雑踏へ消えていった。
「あんなやつらに紹介状を渡していいんですか?」
セルジオはまだ二人の消えたあたりを見ていた。
「あれは投資だ。城内では役に立つだろうよ」
大商人は薄く笑った。
「今どき、まったくのよそ者がラインハット城に入ることができるものならな」
門のほうから、セルジオ商会の者が数名、迎えにやってきた。ネビルは尊大に迎えのほうを見やった。
「遅いぞ!」
ネビルの頭を占めているのは、もう暖かい食事と贅沢な寝床だけだった。ネビルはセルジオのつぶやきを、うっかり聞き漏らした。
「さて投資はした。オラクルベリーにとって、吉と出るか、それとも凶と出るか?」