花のサマルトリア 4.禁断の占い

「それはそうと、本物の紋章はどこへ行っちゃったの?」
「侍女の中に誰か知ってる子がいるかもね。聞いてくるよ」
すぐ飛び出していこうとする。
 サリューが帰ってきたときのようすから、サリューはこの城で働く女性たちにも人気があるらしいとアムは思っていた。
 アムは呼び止めた。
「待ってよ、いきなり紋章って言ったって、知らなかったらどんなもんかわからないでしょ?」
アムは持ちあわせた福引券の裏側にざっと絵を描いた。
「これを見せて、こういうの知りませんかって聞くのよ?」
そう言ってサリューに渡そうとした。サリューは手を出したまま、目を見開いていた。
「やだ、そんなに下手?」
「ううん。これ、水の紋章だよね」
「そのつもりで描いたわ。こんなんだったわよね?」
そう言ってサリューの手のひらに福引券を乗せてやった。
 サリューはわざわざその絵を上下さかさまに持ち直すと、息さえ殺してその絵に見入った。
「わかった……。水の紋章の正体!」
そういうサリューの顔は輝いているようだった。手ごわい謎を前にして、ひらめきだけを武器に、一歩も引かずわたりあう姿だった。
 アムは思わず目を見張り、改めて認識した。サマルトリアのサーリュージュ・マールゲムのような男は、おそらくこの世に二人といない。
「この水滴みたいな図形の両脇に、なんか描いてあるよね」
「ええ。こういうのがついてたでしょ?魚みたいなのが」
「これは魚じゃないんだ。上下逆に見てみて。これは壷だよ。魚の尾に見えたのが壷の口。ひれに見えたのが取っ手さ」
言われてみれば、壷に見えないこともない。
「それで?」
 サリューは無言で、一枚のタロットカードを取り上げて、絵面を見せた。
 一人の女が、両手にひとつづつ壷を持って立っている。片方の壷からもう片方の壷へ、水を流し込んでいるようだった。
「一滴もこぼさずに壷から壷へ水を注ぎいれる女……これが大アルカナの14番、“節制”。水の紋章は、節制のカードだったんだよ」

 結局、その夜はあきらめて、翌朝王妃のお声がかりで城中の者に紋章の絵を見せたのだが、持ち去った者、あるいは見た者はいなかった。
 王妃も国王も気の毒なほど謝りかえってアムたちがなぐさめるほどだったが、それでも紋章はでてこなかった。
 その日の午前中王宮の中庭で儀式が行われ、小さなサリーアンは精霊女神に誓いをたてて占い師の列に加わった。
 緋色のクッションの上にひざまずき、かわいらしい唇をひきむすんで天を見上げ、袖のレースの中へ埋もれそうな小さな手をあわせる姫君は、愛らしく、けなげだった。
「サリーアン」
感極まったのか、サリューはずずっとすすりあげた。
「ああ、ぼく、あの子がお嫁に行くときなんて、きっと泣いちゃうな」
 城中が騒然とし始めたのは、そのあとからだった。厨房に大量の食材が運び込まれ、女官たちが掃除の道具を持って狂ったように駆け回る。
 続々と楽師が到着し、広間の片隅で音あわせが始まった。その頭の上で召使いたちがタペストリや生花を飾り付けてる。
 国中から祝いの客が到着し、王と王妃、それにサリューとサリーアンは出迎えに忙しかった。
 アムとロイはお邪魔にならないようにそっと客室へ引き上げた。
 思い出したようにロイが言った。
「山彦が返らなかった、ということは、紋章はもう、城の中にはないわけか。見つからないと、どうなるんだ?」
「はっきり言って、あれが何に役に立つか、よくわからないの。精霊の加護を得られる、って言われているけどね」
アムは頭を振った。
「ねえ、盗みの現場は私の部屋、つまり後宮内にある客用寝室よね。近づける人間は限られてる」
「兵士や武官はだめだな。女……貴婦人でないなら、メイドか女官で、信頼されている人間というわけか。とりあえず盗めたとして、どうやって城外へ持ち出したんだ?」
今夜の宴のために、サマルトリア城では昨日から家臣も召使も城内で働き詰めだった。城へ手伝いに来た者はいても、城から出た者はなかったのである。
 そのとき、誰かが、入ってもいい?と声をかけた。見ると、シーラとカーラだった。
「邪魔にされたんで逃げてきたわ。まぜてくださる?」
アムは肩をすくめた。
「あたしたちも何をしたらいいかわからないの」
双子は顔を見合わせた。
「あらまあ。あなたたち、お忙しいのだと思ってたわ」
カーラがちらっとロイの顔を見た。
「前にいらしたとき、遊びましょって言ったら、大事な使命があって忙しいんだって、断ったじゃないの」
ロイは憮然とした。
「そっちのほうもどうもあやしくなった。先へ進むめどがたたないし、紋章もなくなっちまったし」
「紋章って、ほんとはタロットなんですって?」
「ええ。お詳しいんでしょ?」
シーラは肩をすくめた。
「お詳しいってほどじゃないけど、いちおう占い師のたまごだもの」
ロイはサイドテーブルからタロットカードの束をとりあげた。サリューがそこへ置いていったものである。
「タロットって、どうやって占うんだ?」
「そうねえ……」
ちょっと貸して、と言ってシーラはロイからタロットを受け取った。
「タロットの占いというのは、占譜を作ることなの」
「センプ?」
「あたしたちの家系ではそう呼んでいるわ。特定の形にカードを並べることよ。一番単純なのが、三枚を横一直線に置く展開法ね」
シーラはカードを三枚、サイドテーブルに並べた。
「左から、過去、現在、未来をあらわすわ。で、過去の位置にあるカードの意味を調べると、これは大アルカナの3番、“女帝”ね。意味は豊かさ、といったところかしら」
カーラが口をはさんだ。
「女性、家庭、快楽、なんていう意味もあるわ。もし恋占いだったら、過去に年上の美女と何かあった、なんていうふうに“読む”のよ」
きゃらきゃらと双子は笑った。
「で、現在のところに、“戦車”(成功)があって、未来の位置に“運命の輪”(時はめぐる)があるじゃない。恋占いだったら、それぞれ“一目ぼれして押しまくる”、“成就するまで時間がかかりそう”なんていう風に意味を取るの」
さすがに占いを専門にする一族は違う、とアムは思った。
「それぞれの位置に置くカードは、どうやって選ぶの?」
シーラは肩をすくめた。
「選び方?大変よ?占い師の修行は、そのためにあるんですからね。占いのテーマに意識を集中して、瞑想して、断食して、もういろいろ。でも、そういうのを全部やったあとは、そうね」
シーラはカードの束を集め、上から6枚を裏面のまま脇に置いた。
「こうやって6枚どけて、7枚目を表に返して過去の位置に置くの」
「上が下になるように返してはだめよ。必ず横へ向かってひっくり返してね」
「わかってるわよ、カーラったら。また6枚どけて、7枚目が現在。つぎの7枚目が未来。1枚あまることになるわね」
「で、カードが全部出そろったこの状態を、この占いの“占譜“とあたしたちは呼ぶわけ」
ふと思いついてアムはたずねた。
「もし紋章のひとつひとつがカード一枚にあたるなら、ねえ、カードを5枚使う展開法って、あるの?」
シーラとカーラは、押し黙った。
「5枚ですって?」
軽薄そうな笑いは影をひそめていた。占い師の直系の娘たちは、底光りのする目でアムを見据えた。
「ないわ。いえ、禁じられた展開法があるの。それが5枚のカードを必要とする占い方なのだけど……」
「それは、なんだ?」
せっかちにロイがたずねる。
「『この世が滅びに瀕し、道の閉ざされた時にのみ用いるべし』っていう但し書きつきのものよ。まず、使わないわ。使ったことない」
アムとロイは顔を見合わせた。
「それってなんだか、今のあたしたちじゃない?」
「ずばり、だ。そのやり方、教えてくれ」
カーラはタロットをまとめて箱に戻し、ふたをしめた。
「いい?ほんとに占うんじゃなくて位置の意味を教えるだけよ?」
カーラは深呼吸した。
「地図の、方位のようなものを思い浮かべてね。一枚目を置くのは、占譜の上端の真ん中、つまり、北。意味は“過去”」
シーラが続けた。
「次は下端の真ん中、つまり、南。意味は“現在”」
「三枚目は左端、つまり西。意味は“妨げるもの”」
「四枚めは右端、つまり東。意味は“助けとなるもの”」
「最期が中央。東西南北を結ぶ十字の交差点」
カーラの声は震え、低くなった。
「それは、なんて意味なんだ?」
シーラとカーラは、顔を見合わせた。
「この世が滅びに瀕したときに使う占いなのよ。この5枚目のカードがすべてを語るわ。意味は、“最終予想”、すなわち、“世界はどうなるのか”よ」