花のサマルトリア 2.紋章消失

 それにしても。
 ふだんはサリューのことを戦士にしてはむさくるしさがなく、どこか中性的な感じがすると思っていたが、こうしてサリーアンと見比べると、変な言い方だが、上には上がいるものだと思う。サリーアンはどこもかしこも白と桃色と蜂蜜色で、ふっくらとやわらかそうで、ふわふわで、お砂糖でできているようだった。
 さきほどの女官がやってきた。
「王妃様方がお見えになります」
その先触れよりも、あまやかな香りのほうが早かった。やがて香りの主たちが衣擦れの音をさせて現れた。
 サリューはそっと妹をはなして、姿勢を正した。
「ただいま帰りました、母上」
サマルトリアの王妃は、娘によく似た高貴な美しい顔にあたたかい笑みを浮かべてもろ手をさしのべた。
「ちょうどよいところでした。おかえりなさい、私の大事なサーリュージュ」
サリューはおとなしく母の腕に抱かれ、王妃はちゅ、と音を立てて息子の頬にキスをした。
「サリュー!生きて帰ってきたのね?」
王妃の後ろから、顔立ちの似た女性があらわれた。生き生きした表情に華やかな雰囲気をもっている。年恰好からして姉妹らしい。
「うわぁ、一年ぶり?」
「やーん、日焼けしてる」
双子らしい娘たちが後に続いた。どちらもサリューやサリーアンの系統の容姿である。年齢は多少、サリューより上のように見えた。動作がなめらかで、血統のいい飼い猫を思わせた。
「どれどれ?ああ、サリューや。背が伸びたかね」
最後に来たのは、美しく老いた貴婦人だった。立ち姿にも身のこなしにもたるんだところがなく、圧倒的な存在感がある。若いころはさぞ嬌名をうたわれた美人だっただろうとアムは思った。
 どの女性も、本当にうれしそうだった。どうやらこの女ばかりの環境でサリューは一種のアイドルであるらしい。
「ええと、こちらが母上。僕と妹に長い名前がついているのは母上の趣味だよ。叔母上のリーヤ様。この国の一番位の高い占い師様なの。従姉妹のシーラとカーラ。気をつけたほうがいいよ、猫みたいに意地悪だから。さっき話した大占い師さまの祖母。今は引退してるけどね」
ひとりひとりに会釈しながら、アムは、やはり笑いをこらえていた。みんな同じ顔してるわ……
「ムーンブルグのアマランス様です。それから」
サリューがロイを紹介しようとしたとき、
「この方は存じ上げてるわ」
カーラと呼ばれたサリューの従姉妹が、いたずらっぽい笑みを見せて言った。
「ずいぶん前にサリューを尋ねてここへ見えたわね」
ロイは女性たちにかるく頭を下げた。
「そのせつはどうも」
何がおかしいのか、シーラとカーラはきゃらきゃらと笑った。
「まあ、ちゃんと口をきいた!」
「これ、失礼ですよ」
王妃がたしなめたが、彼女も笑っている。
「だってこのあいだは、そこの壁に背中とおしりと両手のひらをくっつけて、ものも言わずに震えてたじゃありませんか」
はじめてあったころのロイを思い出して、アムには、容易に想像がついた。ロイは、ロンダルキアをうろつく一つ目巨人よりも人間の女性の方が恐ろしいのだ。御婦人は、会心の一撃で殴り倒すわけにいかない。
 そんなロイが、老若六人ばかりのあでやかな女性たちに囲まれて“うちのかわいいサリューをどこへ連れて行く気なの”となじられたら、なすすべもなかったにちがいない。
 サリューは後ろからロイの首に両腕をまわして抱きついた。
「みんな、ロイをいじめたらだめだよ?」
「なかよしなのねぇ。つまんないの~」
シーラが剣呑な目でロイを見た。
「これ。申し訳ありません、ロイアル殿」
「いえ……」
王妃は美しい微笑をアムにも向けた。
「明日は娘のサリーアンの誕生日なので、ささやかな宴を催しますの。どうかそれまでご滞在くださいませね」
アムは視線でロイに訊ねた。ロイは、肩をすくめた。
「とりあえず、進めない状態だしな」
「では、お言葉に甘えましょう」
そういったとたん、女性たちの顔が輝きだした。
「さ、頭巾をお取りになって。髪を整えませんと」
「すぐにお湯を立てるわ。きれいな肌をしていらっしゃる」
「お召し物のみたてが楽しみだわっ」
口々に言いながらアムを取り囲んで、手を伸ばしてきた。
「あ、あの」
うろたえるアムに、サリューが笑いかけた。
「とって食べたりはしないよ。大丈夫。母上、明日の夜のパーティまでに、アムをとってもきれいにしてあげてくださいね」
「まかせてちょうだい」
「じゃ、ぼくたちは父上に会いにいこう」
キャーと言ったのだか、見捨てないでと叫んだのだか、定かではない。アムはあっというまにもみくちゃにされていた。ささやかな宴とやらに出席すると約束したのを、ひそかに後悔している。
「これが、明日の夜まで続くのかしら……」
アムはひそかにためいきをもらした。
 五つの紋章がなくなったのは、その日の夜のことだった。

 “どうしても水の羽衣を見てみたい”と、リーヤが言うので、アムは自分に与えられた客室へ戻って荷物を広げた。水の羽衣は難なく見つかったが、その上にのせておいたはずの紋章がなくなっていた。
 もしかしたらロイかサリューが持っているのではないかと思い、ロイの部屋の前へ来たとき、中からサリューの声がした。
「だめ。絶対、だめ」
ロイの声が、言い訳をしていた。
「逃げるなんて言ってないだろ。ちょっとローレシアのようすを見たいだけだ」
入り口からのぞくと、ロイはなんと窓の外から首だけ出していた。家出息子が脱走直前に見つかった、というかっこうである。
「ロイはもう、女の人怖くないでしょ?ずっとアムといっしょに旅をしてきたんだから」
「アムはちがう」
「女の子だよ?」
「んなこた、わかってる……まったくおまえ、うそつきだな。いつだかおれに、“女性心理はよくわからない”とかなんとか、言ったろ。あれだけまわりが女ばっかりで、片腹痛いぜ」
「だってぼく、男の子だもん」
「やめろ、気色悪い」
ロイは一度舌打ちすると、窓枠を乗り越えて部屋へ入ってきた。
「だって、とか、だもん、とか言うのやめろと言っただろうが」
「ああ、初めて会ったときだね?」
「おう。あのときは目の前が真っ白だったぞ。頼みの助っ人をやっと見つけたと思ったら、おまえみたいな…」
「“なまっちろいガキ”で?でも、ぼく、役に立ったでしょ?」
ロイは寝台の上にどっかりと腰を下ろし、横目でサリューを見ていたが、しぶしぶうなずいた。
「まあな。それにおまえ、強くなったよな」
サリューはえさをもらった子犬のようにうれしそうな顔になった。
「ほんと?まじ?」
「おまえのあの剣さばき、あれは、真似ができねえ」
「ぼくだって、ロイの真似はできないよ」
「されてたまるか」
ロイは、珍しくひょうきんに、片方の眉をつりあげてにやっと笑ってみせた。
 この冒険行で変わったのは、サリューだけではないことをアムは知っていた。ロイもまた、強くなったのだ。
 自分なりの剣法を身につけたことがひとつ、そして、自分とサリューとの違いを理解してそれを受け入れたことがひとつ。
 最近、特にロンダルキアに入ってからのロイは、冷静なリーダーシップをとりながら、体内に闘志をみなぎらせているのが傍目にもわかって、アムは時々目を見張るようだった。ちょっと、かっこいいかな、と思う。
「だからロイ、ローレシアへ帰っちゃだめだよ。敵前逃亡だからね」
「ちくしょう」
ロイがぼやいた。
「ねえ、ロイのとこは、まわりに女の人いなかったの?」
「ああ。母親は早くに死んだから、おれは顔もおぼえてねえ」
「ばあやさんはいたでしょ?」
「それはいたけどな。おれが5歳になったら教育係のじじいと交代した。じじいっても、現役の武官だったんだな、あれは。それ以来、家庭教師から召使いから世話係から全部、男。じじぃといっしょに、兵舎で暮らしてたみたいなもんだ」
「ぼくんとこは女官と侍女ばかしだったよ。へえぇ、ローレシアの王位継承者って、そんなふうなの?」
「いや、親父の教育方針だ。現におれの従弟は伯母の方針で坊ちゃん育ちだしな」
はあ、とロイはためいきをついた。
「おまえみたいな生き物が存在するっておれにはショックだったよ。何が驚いたって、平気で痛いとかさびしいとか言うし、面と向かって好きだのかわいいだの……」
サリューは笑い転げていた。
「そうだね!はじめてロイに、大好きだって言ったとき、卒倒するんじゃないかと思った」