世界の境界を越えた少女 第三話

「ブラック★ロックシューター」 〔by ryo 様〕ver.テト 二次創作

 足元にキャノンを放り出し、テトは壁に背をもたれてすわりこんだ。声が涙混じりになっていた。
「こんなの、反則だろう!?」
誰に問いかけているのか自分でもわからなかった。ずっと相棒だと思ってきたキャノンは、ただの岩の円筒と化してそこに転がっている。軽く足を伸ばして、ブーツで蹴りを入れた。
「いてっ」
足のほうが痛かった。
 遠くから、口笛が鳴るのが聞こえる。まいたと思ったマンショニャッガーたちが追いかけてきたらしい。
「こんなん、ありか」
力なくテトは繰り返した。もう立ち上がる気力もない。このままここで狩られるのか、とぼんやりと思った。それならそれでいいかも。もう走るのがめんどうくさくなっていた。
 壁にもたれて見上げる空はどんどん明るさを増している。さきほどから耳鳴りを感じていた。
 色の薄くなっていく空の中央で、白いラインは逆に濃さを加えていく。黒い五本の線が空を区切っていた。
 ごくわずかに、ラインは変化していた。等間隔の縦線が挿入され、長大なラインはいくつものセルに区切られていた。
 そしてどこか遠くで巨大な岩を斜面から転がり落としているような重く低い音が響いてきた。
 まもなく異変は空に現れた。
 漆黒の塊が空をまっすぐに駆けていく。空に作られたセルの中へ、それはぴたりとおさまった。
 音は絶え間なく響き、やがていくつもの黒塊が空を切ってやってきた。最初の塊とやや距離を開け、次々とセル入りしていく。何個目かの塊からは、隣のセルだった。
「ブラックロックシューター」
大空に繰り広げられる情景は壮大で、そして幻想的だった。ロックシューティングがぼんやりとにじむ。自分が泣いているのをテトは知った。
「そこにいるの?」
そんなわけはない、と自分で思った。と同時に、もしかしたら、とも、思った。
「こんなに遅くなったのに」
仲間が一人だけ遅かったら、どうする?答えはひとりでに出てきた。
「きっと、心配する」
心配してるのかもしれない。
「あたしを?」
じわじわと涙があふれてくる。ほほをつたってこぼれていくのがわかった。
「ブラックロックシューターが?」
テトは片手を心臓にそっとあてた。
「いるんだ……、ここに!」
 ひゅるひゅると口笛が鳴る。石の柱の向こうから、恐竜とカマキリのあいのこのようなマンショニャッガーたちが醜い首をぬっとつきだしてきた。
 テトは壁から背を離して立ち上がった。
 ぼろぼろになったキャノンを見た。
 ヒビひとつ入らない壁を見た。
「まだ終わるかぁっ!」
片手でキャノンをつかみあげ、もう片方の手でピンクのヘッドセットの耳からパーツをむしりとり、一気にコードを引きずり出した。
 キャノン尾部、劣化したプラスチック部分にひじをたたきつけてパネルカバーを破り、コネクタを探りあてた。コードの先端を押し込んだとき、全身に震えが走った。
 ふるえはキャノン自体の振動だったのかもしれない。巨大な砲身が回転を始める。一瞬のうちにそれは粉々になり、ひとまわり小さいだけの内蔵ドリルが現れた。青みがかった黒い鋼が凶悪に回転していた。
 さきほどキャノンで殴ってもびくともしなかったレンガの壁に向かって、うなりをあげる巨大なドリルをテトはまっすぐ押し込んだ。
 たちまち激しい抵抗にあった。
自分自身のエネルギーが急速に減っていく。
「残量60、50、40……」
耳鳴りが激しくなり、視界が揺れる。全身でドリルの回転を受け止め、歯ががくがくした。残量を使い果たすの先か、壁が壊れるのが先か。
「マンショニャッガーどもが早かったらあたしは死ぬ。そうでなくてもカウンタが0になったら、あたしは終わり。でも、そのときは前を向いて死んでやる」
 目の奥でちかちかと星がまたたき始めた。左目の眼球に視界異常があらわれた。限界が近い。手にしたドリルが熱を帯びていく。髪にも顔にもコートにも、レンガの粉が大量にくっついている。レンガがドリルの刃とこすれあって、焦げたような匂いが空気の中に漂った。
「頼む!」
叫んだ瞬間、いきなり抵抗がやんだ。
 ドリルごとテトの上半身は壁の向こうへつきぬけた。同時にががっと言う鋭い音を立ててドリルの回転が停まった。
 いきなり足首をつかまれてテトは引きずり戻された。今までドリルの回転する音で、マンショニャッガーが近寄ってくるのが聞こえなかったらしい。
「ギュアア?」
三体の狩猟機械がテトを見下ろしている。テトを捕らえているのは、そのうちの一体のマニピュレーターだった。
「ちくしょう!」
ふらふらしながらドリルキャノンを持ち上げようとするが、余りの重量に腕が動かなかった。まるで手首が拘束されているように重い。バケモノの長い首が、息遣いが聞こえそうなほど近寄ってくる。合計九本の首が非人間的な目でテトを見据えていた。テトはぞっとした。
 ふいに腕が軽くなった。テトはつかんでいるものを夢中でふりまわした。
「来るな!あんたら、キモいっ!」
いきなり首の一本がふっとんだ。体液は出ないが、コードの束がばらけてあばれまわる。
「な、なに?」
テトは自分がつかんでいるものをやっと意識した。かなりの長さのある日本刀だった。
 ドリルだったのに、と思うよりも早く、体が反応した。拘束しているマニピュレーターをぶった切り、さっとあとずさって自分の足で立ち上がった。
 マンショニャッガーたちはカマキリめいた“腕”を伸ばしてきた。テトは片脚を前に踏み出し、その勢いで横殴りに刀で薙ぎはらった。金属のはずの狩猟機械が、おもしろいように切れた。
 マンショニャッガーが怯えたように下がった。片手に刀を引っさげてテトは無造作に近づいた。バックハンドの要領でいきなり胴体をたたき斬る。今度こそ体液が噴出した。
「ギ、ギ」
脚を切られて前のめりにマンショニャッガーがつっぷした。片手を軽く怪物の甲羅に添え、もう片方の手に刀を握り、柄まで通れと突きたてた。製品ナンバーと識別記号を書いたプレートがちぎれ、古代の狩猟機械は活動を停止し、獲物になりさがった。
 テトは刀の柄を両手でつかんで金属の腹を切り裂き、内臓パーツに守られたバッテリーをつかみだした。
 ひゅる、と残ったマンショニャッガー二体が口笛のような音を立てた。仲間が金属の塊となったのを見て、逃げ腰だった。
「やんのか?」
テトのつぶやきを聞いたのか、マンショニャッガーはたくさんの足を動かして石林へ消えてしまった。
 テトは、体を引きずるようにして壁を抜けた。
 向こう側の世界は、いつのまにか明るくなっていた。
 目の前に広がっているのは、やはり荒野というものだろう。だがずっと平坦に見えた。なだらかな丘がはるか彼方まで広がっている。ところどころに森があった。あの橋の上から見たとき、河もあったことをテトは思い出した。
 朝の冷たい風がテトの巻き毛をゆすって吹きすぎていく。
 その大気を、テトは肺の中まで吸い込んだ。
 風景の中にひとつだけ異物があった。歩いていかれるほどの距離に、黒いシルエットがある。どう見ても、単車が一台。
「乗れってこと?」
テトはそちらのほうへ歩き出そうとして、何気なく振り向いた。ドリルキャノンはもうないのだとテトにはわかっていた。
 自分が開けた塀の穴の真下に鞘が落ちていた。拾って刀を納めると、ぴったりだった。テトはもういちどしげしげと刀を眺めた。
 色の褪めた柄糸を巻いた柄に、ところどころ塗りのはげた鞘。そしてそれらに似合わないなんとも優美な薔薇色の下緒がついている。
 テトは鯉口から刀を一寸ほど引き出した。
 よく見ると鍔に近い刀身部分に銘が彫り込まれている。「累」と読めた。“死屍累々”の『累(るい)』かなと思った直後、テトは本当の銘を悟った。
「これ、『累(かさね)』だ」

ブラックロックシューター 何処へ行ったの?
聞こえますか?

あとどれだけ叫べばいいのだろう
あとどれだけ泣けばいいのだろう
もうやめて わたしはもう走れない
いつか夢見た世界が閉じる

真っ暗で明かりもない 崩れかけたこの道で
あるはずもないあの時の希望が見えた気がした

どうして

ブラックロックシューター 懐かしい記憶
ただ楽しかったあの頃を
ブラックロックシューター でも動けないよ
闇を駆ける星に願いを もう一度だけ走るから

怖くて震える声でつぶやく わたしの名前を呼んで
夜明けを抱く空 境界線までの距離 あともう一歩届かない

こらえた涙があふれそうなの 今下を向かないで 止まってしまう
未来を生きていたいんだ わかったの 思い出して
強く 強く 信じるの

そうよ

ブラックロックシューター 優しい匂い
痛いよ 辛いよ 飲み込む言葉
ブラックロックシューター 動いてこの足!
世界を超えて

最初からわかっていた ここにいることを
わたしのなかの 全ての勇気が
火をともして
もう逃げないよ

ブラックロックシューター ひとりじゃないよ
声をあげて泣いたって構わない 
ブラックロックシューター 見ていてくれる
今からはじまるの わたしの物語

 太陽がやっとこの世界を暖め始めた。身を切るようだった冷たい風が、皮膚に触れると心地よく感じるようになった。
 白いコートの裾が翻った。
「ぼくたちも、そろそろ行こう」
えっ、と二つの声が重なって響いた。
「あの子を待たないの?」
「彼女が追いついたときに、“この程度か”なんてがっかりさせたくないからね」
「同じところに留まっているわけにいかないじゃない」
 年長の者たちの言葉は少なかった。少年たちはもう一度荒野に視線を向けた。
 緑の髪の少女がふりかえった。
「きっと追いつくよ、あの子」
ん、と少年がうなずいた。
「同じ旅の途中なんだね、あの子もぼくたちも」

 こうして一人の少女が世界の境界を越えた。背中に刀を背負い、単車を駆って彼女は走っていく。
 その頭上に広がるのは、ようやく明けたばかりの空だった。
 テトは車を止め、片脚を地面につけて頭上を見上げた。
 テトにはわからない。
 2008年の春に誕生した彼女にとって、音楽とは電子の流れである。音楽のアナログな記録法には、あまりなじみがない。天頂を貫いて描かれたそれが、壮大な五線譜と音符だとはわからなかった。
「ブラックロックシューター」
それでも空を見上げてテトはつぶやいた。
「私を待っていて。ブラックロックシューター……、マイマスター!」

忘れそうになったら この歌を
歌うの