世界の境界を越えた少女 第一話

「ブラック★ロックシューター」 〔by ryo 様〕ver.テト 二次創作

 荒廃した街の瓦礫の中に、テトは一人きりでたたずんでいた。
 あたりは夜明け前の、青いような薄闇だった。
 袖を手首まで丁寧に伸ばし、黒いコートは体にぴったりと巻きつけた。夜風が無情に吹きすぎる。寒かった。
 テトは歩き出した。彼女が向かうのは、深い谷の上に張り出した黒いつり橋である。それはわずか10数メートルほどですっぱりと切断され、その先端を、橋の後ろのコンクリ塊から伸びる鎖で吊り上げられていた。
 橋の先端へテトはたどりついた。黒いコートのすそが風に乱されて翻り後ろへ長くたなびいた。彼女は立ち止まった。漆黒の鎖がアルファベットのVの字のように背後へ長く引かれている。「立ち入り禁止」を意味しているようにも見えた。
 サビの浮いた古い鎖の間の楔形の空間を、じっとテトは見つめた。楔の間から眼下の風景が見えている。曙光のまだ届かない深い谷底に白い霞がかかり、風に流されて動いていた。谷は、彼女の正面180度にわたって広がっている。夜明けはまだ来ない。

 荒廃が始まったのは、いつのことだったのだろう。気がつくとテトの住んでいる町から人の姿がめっきりと減っていた。
「ねえ、○○を見なかった?」
ある日何気なく聞いた。その相手は、泣きたいような顔になった。
「○○は、デリートされたよ」
えっとテトは思った。
「なんで?ねえ、なんで?」
何も答えないまま彼は顔をゆがめたままうつむき、足早に立ち去った。そして、そのとき見た姿が彼の最後の思い出になった。
 そのうちに、残っている者は、数えるほどになってしまった。
 一人が頭を振った。
「道はもうだめだよ。どこにも通じていない」
「そんな、バカな!」
まだ若いテトの目には、世界ははてしなく広がって見えた。
「同じ方向へ一日も進むと、霧が広がってくる」
「霧の中にも道があるんじゃないの?」
「真っ白で、何も見えないんだ。霧の中で迷ったら、エネルギーを使い果たして死ぬよ」
 情報をくれた仲間はどんどん減っていった。
 ひとつだけ、耳寄りな情報があった。
「霧が出ない道があるんだって」
「その道は?どこに通じているの?」
「すごく古い町だよ。もうぼろぼろになってる」
「それじゃあ、もう」
そこの住人は、この町より先に粛清されたのか?
「でも、町の向こうに崖がある。その先に谷間があって、道があるかもしれない」
その話を聞いたときの高揚感は忘れられない。生き残る道がある、そう胸を熱くしてたどりついたのは、生き物の気配がなにひとつない、風の廃墟だった。
 廃墟の向こうには谷があった。底の見えないような谷底を見下ろして、テトと仲間たちは言葉を失った。
「これじゃあ、進めないね」
誰かがぽつんと言った。
 そうしてみんな、黙ったまま居住区のある町へ引き返してきた。
 テトはためいきをついた。あのときいっしょにいた仲間はもうほとんど残っていなかった。顔を合わせるごとにどうする?と話し合ったのをテトは覚えている。崖を下りて荒野を渡るか?彼らの話題はそれだけだった。町は迷いであふれていた。
 そうしている間にも、一人、また一人、住人は消えていた。
 デリートされたのかもしれない。だが、一人か二人は荒野を渡ったのではなかったか?なぜなら、あの橋を確かに越えて荒野へ出て行った者をテトは知っていたのだから。

 手にしたカウンタにさっと視線を落とし、テトは自分の残留エネルギーの量を読み取った。
「111%」
この廃墟から居住区まで帰るためのエネルギーを100とした場合の現在の所持エネルギーの総量である。
 無意識につぶやいたのだろう、小さく吐く息が口元で白くなった。体温を高め視界を得るためには、エネルギーを使わなくてはならない。だがそんな無駄遣いをして、居住地区のある町まで帰るための分が不足したら、道の途中で動けなくなってしまう。危険は冒せなかった。
「修正、110%」
秒針に似た音をたててカウンタからは刻々と数値が減っていく。このカウンタの数値が100を切る前に、決断しなくてはならない。
 帰るか?
 それとも、行くか?
 彼女は暗闇を見透かした。
 行くか?この橋を越えて。
 テトはもう何度もここへ、この橋の上へ来ていた。そしていつも迷い、とてもだめだとあきらめ、100%分のエネルギーを残している間に町へ向かって帰り始めるのだった。
「あの崖の下の荒野がどこまで続いているかわからないよ」
といつも自分に言い聞かせる。
「荒野のど真ん中でエネルギーが尽きたら、即行で死ぬじゃない」
それくらいなら、残ったエネルギーで町へ帰ったほうがまだ安全だと思った。
だが、安全ではあるが人っ子一人いない町で一晩眠ると、またこの廃墟へもどりたくなる。テトの住んでいる町に明日はなかった。
「あたし、どうすればいい」
力なくテトはつぶやいた。
 昨日もその前も、テトはこの吊り橋の上に来ていた。
 正確に言うなら、それは吊り橋でもなんでもない。この街が栄えていたころ建てられた塔のようなものだったのだろう。だが、巨大な手が街の中心をつかみあげて再び地べたへたたきつけたかのように、街は破壊されてしまっていた。上に伸びていたはずの塔は、建物ごと真横へ傾いて塔の、しかも骨格だけがクレバスの上に突き出してしまったのだった。
 ここを黒い鎖で封じたのは、この廃墟の元の住人たちだったのか、とテトは思う。橋の先端の中央にボルトが叩き込まれ、そのボルトの頂点の穴に二条の鎖がつながれている。
 まるで、この道はだめだ、とでも言うように。
「だけど、他にはもう道はないよ」
テトはつぶやいた。
「どうしろっていうのよ!」
 テトは探しつくしたのだった。デスクやロッカーが乱雑に投げ出されたオフィスや、壊れたガラス窓に色の褪めてしまった陽気なポスターの貼ってある店、コンクリートの壁がごっそりとなくなってふきさらしになったビル、まるで断末魔のようにチカチカと点灯する自販機が延々と並ぶ薄暗いショッピングモール。
 鉄、アルミ、ガラス、コンクリート、プラスチック、ビニール。滅びても土へ還ることのできない哀れなモノが町のいたるところに積み上げられていた。
道はない。
 テトのいる、この封印された橋のほかに、逃げ道はなかった。

 現実には存在しないその“場所”のイメージとして、彼らは“テーブルマウンテン”を選んだ。密林か原野の中にひときわ高くそびえる奇妙な形の山を、五人のうちの誰かが記憶していたのである。それは山というよりも巨大な円筒を大地に突き立てたような形状の岩の塊だった。
 山の色は光沢のある真珠色、と五人全員の総意で決めた。
 頂上はそれほど広くないが、五人が円形になるように並ぶには十分だった。
頭上の空は暗かった。まだ夜明けが来ていなかったし、それ以前に曇る理由が多すぎた。すなわち、劣等感、疎外感、あせり、不安、苛立ち。
「あの子は来るかな」
星のない暗い空から夜明けの風が吹く。白いコートの裾が風に乗って翻り、縫いこまれた青いラインが踊った。
「来るわ」
確信を込めて答えた声があった。突風が長い緑の髪を空中にさらった。
「彼女は来るわ、きっと」
「でも、難しいよね?」
やや幼い声がたずねた。白いセーラー服の裾はさきほどからバタバタと風にあおられている。
「確かに難しいわね」
そうつぶやいた声の主のあごは、とがった赤い襟のなかにうもれていた。
「私にも簡単なわけじゃなかった」
他の4人から、賛同のつぶやきがわきおこった。
「助けが要るわね」
「ここにいるあたしたちじゃ何もできないの?」
「何か手を打ってきたんだね。だろう?」
いくつかの声が同時にあがった。しばらく沈黙があった。
「ヒントは、残してきたわ。あとは」
彼女の勇気だけ。飲み込まれた言葉を聞き逃した者は彼らの中にいなかった。

 テトは夜明けの空を見上げた。両足を軽く開き、広げた手を左右斜め下に長く伸ばしてぐっと顔を上げる。両肩に赤い巻き毛の先端が触れた。
 背後に黒いコートの裾がはためく。黒いバストトップと太ももまでのパンツのほかは風にさらされているが、もう寒さなどどうでもいいほどの緊張にテトは喉までつかっていた。
「106%」
 昨日もその前もテトはこの廃墟に来ていた。ここにいるのはいつも、日中の時間帯だった。朝、もてるだけのエネルギーをもって居住地区を発って、崩れかけたハイウェイをずっと歩いて昼過ぎにここへ至り、あきらめて帰って、夜は町で眠る。ずっとそんな生活だったのだ。
 それではだめなのだ、と気付いたのが、昨日だった。
「確かめないと」
ヒントとして与えられた言葉を、テトは慎重に記憶の中から取り出した。
「『夜明けの空』」
 では、時間が大事なのだ。テトは今までの廃墟と居住地区を往復した経験から、時間を割り出した。そして、この廃墟で夜明けの頃に残りエネルギーが100前後になるように計算してここまで来た。
「夜明けに何があるの?」
テトは一生懸命たずねたのだった。
「もったいぶらないで教えてよ」
ヒントを与えたその女(ひと)は首を振った。
「自分の目で見なくてはだめなのよ」
「ちゃんと自分で見るから。何が見えるかだけ、教えて。見逃さないように」
彼女は真顔でささやいた。
「ロックシューティングよ」
本当にそんなことがあるのだろうか、とテトは思った。
「見逃したりしない。けど」
だからと言って、今抱えている問題の答えになるのだろうか?
「エネルギー残量が100を切る前に、荒野へ出て行くか帰るかを決定せよ」
テトは唇を噛んだ。
「あのとき言えばよかった」
ヒントをくれた彼女は優しい。だが、テトは彼女ではない。
「あなたには出来るだろうと思う。でも、あたしはあなたじゃない」
あのときその言葉を飲み込まないで、口にすればよかった。
「知ってるでしょう。あたしは生まれつき、あなたより、あなたたちより、劣っているんだ……」
それは、目を背けられない現実だった。いつも忘れたフリをしているその事実が、ふつふつと憤りとともによみがえってくる。眼下一面に広がる暗黒の谷間と上空の払暁に向かって、テトは吼えた。
「できるわけないじゃない!あたしは!うまれつき!」

 ぴくっと彼の眉が動いた。
「生まれつきが、どうしたぁぁぁぁぁっ!」
 その気になれば、その意識、その空間全体を一人で完全に満たせるほどの声である。
「そんな言葉で逃げちゃいけない」
 言い切る口調は激しかった。
 隣にいた者が手のひらをそっと彼の肩に触れさせた。
「あんたには、そう言うだけの権利があるね」
「ぼくは」
言いかけて彼は口ごもった。
「いや、ごめん」
「謝らなくていいんじゃない?」
彼は首を振った。
「ぼくはただ、もっと、ああ、うまく言えない。ここまで来てよ」
声の届かない荒野の果てに、彼は視線を注いだ。
「千年の孤独を歌い続ける覚悟を君にあげよう」
白い腕が優しくその肩を抱いた。
「孤独の価値っていうのはね、仲間が出来る幸せを倍にすることよ」
彼の手が白い腕を探り、指をさぐりあてて握り締めた。

 夜明けの進行と同時に、あたりの惨状がいやでも目に入ってきた。テトの立つ吊り橋の真下はごつごつとしている。
 まるで産業廃棄物をここから崖下へ不法投棄し続けたかのようだった。鉄、アルミ、ガラス、コンクリート、プラスチック、ビニール。滅びても土へ還ることのできない哀れなモノ。尖った破片を空に向け、敵意をむきだしにして身構えているようにすら見える。
 荒野を渡るなら、あそこへまず降りなくてはならない。そしてそのあと、まったく補給を期待できない不毛な荒野が続いている。
「102%」
カウンタが告げた。
 岩がごろごろしている地帯の先はほとんど見えない。だが何か広い帯状のものがあり、それが少しづつ明るくなっていく空の下で光っている。河があるのかとテトは思った。
 その河の向こうに、まるで砂の上に円筒を立てて基部を埋めたたような不思議な形の高い山がある。それは夜明けの暗い空の下で唯一つ、白く輝いていた。
「無理。残量100%ではとても無理。あんなところまで行かれないよ」
苦い涙を出しつくした後、橋の先端に膝を抱えてテトはうずくまっている。彼女は首を振った。苦労して荒野を渡ってみたところで、いったい誰が待っているというのか。
「どこへ行ってもあたしは一人なのかもしれない」
どっちみち一人ぼっちなら、居住区のある町でぬくぬくとしていたほうがいいのじゃないか?
「がんばるだけ、損だよ」
もう走らなくていい理由を一生懸命探しているのだということは、自分でもわかっていた。
「やっぱり意味なかった。帰ろう」
そうつぶやいてテトはのっそりと立ち上がり、谷に背を向けた。橋の上に足音が鳴ると谷底にこだました。
 ふいにぞくりとテトは身を震わせた。こうやって昨日も一昨日もあきらめて居住区へ戻り、誰もいない部屋で一人で眠ることを繰り返してきた。
 そして毎晩の悪夢が来る。
 炎に体を焼かれているのに、悲鳴さえあげられない夢。だってそのとき自分には声がないのだから。
「くそっ」
とテトは反射的にののしった。あの夢を見るのは恐ろしかった。何が怖いと言って、夢の中で実際に起こったことを逐一体験しなおすのだ。
「もう勘弁してよ」
片手で顔をおおった。
「ニセモノはだめですか。どこまでいってもニセモノですか」
涙も出ないほどの苦さをこめてテトはつぶやいた。

 薄紅のかわいいような唇がぎりと、噛みしめられた。
「ニセモノってなんだよ。本物と偽者は、どこで区別するんだ?」
まだ少年のソプラノは、憤りに駆られて高ぶっていく。
「おれは“本物”か?本当に本物か?ふざけんなよ、こんなおれがっ」
小さな手が後ろからぎゅっと彼を抱きしめた。
「やめなよ」
抱きしめられたまま、叫びださないように少年はじっと肩をふるわせていた。やがてこくんと彼はうなずいた。
「偽者でもさ。不満とかじゃない」
双子の少女が背中に顔を押し付けるようにしてつぶやいた。
「だよね?」
「うん」
二人はまだ暗く不吉な空を見上げた。
「模倣者には模倣者の意地があるんだよ」
「はやく、ここまで来てよ」
届かない声が暗黒の荒野を渡っていく。
「君にイミテイターの誇りをあげるよ」
そのときだった。東の空のはしが、一瞬輝いた。
「見て」
その輝きを一人が指差した。
「ロックシューティングが始まる!」