上の階の男 1.第一話

 どっしりした豪華な館の広間に、展示台がいくつも並んでいる。
 台はあめ色になるまでよく磨いた木製で、上部にクッションを置き、その上に大切に展示品がのせてあった。
 その台に飾ってあるのは、グランバニアの名産品、モンスターチェスだった。手に取った者を、仕事に身が入らなくなるまで虜にするあやしい魅力を備えた遊具である。
 チェスボードはなめらかで、白の部分は真珠色に、黒の部分は漆黒に輝いている。だが、モンスターチェス最大の魅力はもちろんチェスの駒にあった。スライムやキメラなど実在するモンスターを忠実に再現したメタリックシルバーの駒が1セット付属になっていた。
 グランバニアの兵士ピピンは満足のため息をついた。
 ピピンにとって、このモンスターチェスは父の形見にも等しい。ひところグランバニアじゅうでこのチェスが流行し、一番の名人といわれたのがピピンの父パピンだったのだ。
「ルーク様は優しいなあ」
 チェスに囚われるものがあまりにも多いのでオジロンなどは“捨ててしまったほうがいい”と言っていたのだが、ルークが自らが館長を勤める名産品博物館にモンスターチェスを収納してくれたのだった。
「しかも、こんないい場所に」
ピピンがいるのは、名産品博物館の二階にある展示室だった。
 博物館は静かだった。もともと天井の高い豪華な造りの石造りの館である。この館は一階と二階に広間を持ち、それぞれ展示室になっている。ほかに三階の特別室と、ティールームになっている中二階のテラス、ジャンクをしまう物置、ちょっと特別な地下室、管理室、そしてフロントで申し込むと泊まれる宿泊施設などが備わっていた。
 二階の展示室は、ルーク王が収集した品物の中でも特にランクの高い名産品のみを集めた部屋だった。
 ピピンの目の前を妙齢のお嬢さんが一人、ご両親とおぼしい年配のご夫婦に伴われて現れた。この博物館も最近は見学者がずいぶん増えた。珍しいものが置いてあるというので見に来る人が多いのだ。令嬢はモンスターチェスの前でわざわざ立ち止まり、説明を読んでいた。なんとなくピピンはうれしかった。
 彼女がもう一度目を上げたとき、ピピンはまじめな顔で手を額に掲げ、敬礼した。令嬢はふっと微笑んで目礼して通り過ぎた。ぃよっしゃぁぁぁぁ!
 ルーク王のお供をして世界を回るようになってから、ピピンは世界中のあちこちで美人を見かけてきた。なんというかルーク様は、世界中に美人の知り合いが多い、とピピンは思う。けしからんほど多い。ぼくもルーク様のお供をしてレベルを上げていけば、そのうちいいことがあるかもしれない。第一、最近は美人に見とれるだけじゃなくて、向こうから微笑みかけてくれるようになったではないか。くぅっ、今夜も宿屋で鏡の前で決め顔の練習をしなくては。
「ピピン~」
高い声が自分を呼んでいた。ピピンは我に返り、あわてて二階の展示室を出た。
「ピピン、どこ?お父さんが、帰るって」
「はっ、ただいま」
ピピンは博物館の大きな石の階段を降りた。一階エントランスのフロントのそばに、かわいらしい双子の子供たちが立っていた。
「また二階にいたの?」
大きな目の男の子、アイトヘル王子が言った。ピピンは胸を張った。
「モンスターチェスはグランバニアの誇りですからね!本当ですよ、名産品ランクは9ですから。警備しておりました」
くすくすと愛らしい顔立ちの少女、カイリファ王女が笑った。
「ピピンはほんとにモンスターチェス好きなのね」
「いやいや、ほかにも貴重な品々が多いです。ボクは人類の宝を守るために警備していたのです」
「でももう、博物館の警備員さん、いるよ?」
ちっちっとピピンは指を振った。
「ボクはプロの、しかも正規のグランバニア兵士ですよ?素人といっしょにされちゃ困ります」
フロントの後ろからにゅっと何かが出てきた。
「いやいや、あの男はグランバニア人じゃ。おまえの先輩に当たる元兵士じゃぞ、この青二才が」
この建物のもともとのオーナー、デスじいである。
「え、そうなんですか?」
「そうじゃとも。失礼なことを言うでない!」
ぱかん、と頭をはられそうになったが、ピピンはよけなかった。デスじいには実体がない。真昼間にふらふらしているが、本人はとっくの昔にあの世へ行った幽霊なのだ。
「帰るって言ったのに、お父さんおそいね」
「ピピンがいたって言ってこようか」
「うん」
子供たちはフロントのすぐ後ろにある大きな扉を抜けて、一階の展示室へ入っていった。
 ピピンとデスじいのいる場所は、太い円柱で支えた古風で立派なエントランスだった。磨き上げられた石の床には臙脂色のカーペットが敷いてある。見学者はかなり多いが、その上を足音もあまりたてずに歩いていた。
 そのときだった。どっしりした豪華な館の大きな階段を、一人の男が足早に降りてきた。かなりの早足で、ほとんど駆け下りてくるような速さである。ピピンは思わず階段の方を見た。
 水色の貴族の服と青いケープ、白い羽を飾った同じ色の大きな帽子。かなり金のかかった身なりだった。片手で 何か大きな布の包みをかかえ、片手で帽子のふちを抑えて、とんとんとんとん、とリズミカルに降りてくる。形のいい眉をむしろひそめている。どこかきりりとした真剣なまなざしだった。男はピピンが目に入らないようすでまっすぐ降りてきたが、ピピンの真横の位置まで来たとき、さっと視線を投げた。
「よっ」
白手袋をはめた片手をあげてそう言ったが、にこやかというよりは真顔に近く、すぐに視線を前方へ戻して何か気になることがあるようすで足早にエントランスを通り抜けた。
「えっ、あれ?」
ピピンは自動的に手を敬礼の形に上げ、それから思った。
「あの人、誰だっけ?」
「あれ、今出てったのは」
真後ろからルークの声がした。子供たちといっしょに一階の展示室から出てきたところだった。
ピピンはふりむいた。
「はあ、ぼくに『よっ』って言っていきました。誰でしたっけ?」
ルークは不思議そうな顔をしていた。
「ヘンリーじゃないの?」
「あ、そういえば、そうでした」
 グランバニアの友邦、ラインハットの王国宰相である。ルーク王とは昔なじみでこの2人がお互いの城を訪ねあうところをピピンもよく見ていた。
 ルークが不思議そうな顔をしたわけをピピンは悟った。2人が会ったときはたいてい話がはずみ、近況や心配事、最近あったおもしろかったことなどをあらいざらい打ち明けあう。
「ぼくが来てるってわからなかったのかな。急いで帰っちゃうなんて」
ルークはピピンの肩越しにエントランスの外を眺めた。ピピンも顔を突き出した。名産品博物館の前庭には、もうヘンリーの姿はなかった。
「キメラの翼か何かで帰っちゃったんだろうね。こんなとこで何してたんだろう、ヘンリーったら」
「ヘンリー様は上の階から降りてきたようでしたけど」
「ピピンがいるのがわかったんなら、ぼくたちもいるってわかるだろうにね」
でもなんでこんなとこに?とルークはまだ首をかしげている。
「う~んと、ラインハットの名産品を見に来ただけだったんじゃないですか?」
「あ、あのオルゴールか」
 ラインハットの名産品は、記念オルゴールだった。今忙しそうに帰っていったヘンリー本人がマリア奥様(ピピンもお目にかかったことがあるが、元修道女だという清楚で美しい貴婦人だった)と結婚したときにお祝いとして造ったオルゴールである。一番上に新郎新婦の人形がついていて結婚ワルツにあわせて回る、というちょっと痛めのブツだ、とピピンは思い出した。
 デスじいがこほんとせきばらいをした。
「じゃが、オルゴールなら一階にあるんじゃが」
「あ~、あれ一階でしたっけ。たしかに二階においておくにはちょっとイタイですよね。もっと展示品が増えたら、地下にまわしてもいいんじゃないですか?」
ルークは苦笑した。
「ひどいな~」
「だってランクも低いでしょ?」
「7だから、そうめちゃくちゃ低いわけじゃないよ。でも、ヘンリーは気にしてるのかなあ」

ラインハット国王デール一世は、城の警備隊長トムの手を借りて馬から下りた。健康のために乗馬を始め、最近は3日に一度ほど馬場に出るようにしている。
「だいぶ慣れておいでになりました」
「ああ、そうだね」
兵士のささげる手ぬぐいで汗を拭いてデールは言った。
「もう少ししたら兄といっしょに遠乗りに行かれるかしら、私は?」
天気はすばらしかった。ラインハット城の前の湖はきらきらと輝き、気持ちのいい風が濡れた額にふれていく。
「馬車をお供に加えてくださるなら、お出かけになってけっこうです」
「なら湖の向こう側へ行ってみたいものです。私の大学がどのくらいできたか、見てみたい」
デールは湖を挟んで城の対岸に土地を手に入れ、そこに高度な学問のための特別な施設を作らせているのだった。トムは気持ちのいい顔で笑った。
「先日あのあたりを巡回しましたが、だいぶ学校らしくなっていましたよ」
「ほんとうですか?」
「今日は天気がいいから、工事中の尖塔が見えるのじゃないですか、あのあたりに」
トムは湖面を指差した。そのときだった。あたりが一瞬陰になった。太陽の光を何かがもろにさえぎったのだ。それは船だった。ラインハットの湖のど真ん中にかなり大きな帆船が空中から落ちてきた。轟音をたて壮大な水しぶきをあげて船は着水した。ばしゃあ、と音を立てて波が岸壁を洗う。
「わ、あれは」
トムと、部下の兵士たちがあわてふためいた。
「落ち着いてください、トム」
とデールは言った。
「兄が帰ってきたようです」
帆船はゆっくり回頭して桟橋へ向かっている。その甲板に、ヘンリーがいるのをデールは見つけていた。唇をへの字に曲げ、両腕を胸の前でしっかりと組んでいる。
「何か気に食わないことがあったみたいですねえ」
デールは心の中でそう思った。