不思議の館へようこそ 6.セクションナンバー564

「Bad∞End∞Night」「Crazy∞Night」(ひとしずく×やま△様) 二次創作小説

 薄暗い廊下の常夜灯の下に、ミクは座り込んでいた。手にはくしゃくしゃの手紙。絶望にいためつけられた瞳は獲物の従順さで狩られるのを待っていた。
「お立ちなさい」
頭の中の声がささやいた。
「何のために?」
「もちろん、ここから逃げるためですよ」
「できっこない。もう、疲れたの」
「だめだ。さあ、立って」
しつように話しかける声に促されて、ミクは壁を支えになんとか立ち上がった。
「今度はどこへ行くの?」
今度はどこで死ぬの?言外にそう訪ねて、ミクは壁に額をつけた。
「あなたにはまだ、選んでいない選択肢がある」
「ないわ」
「ありますとも。その台本をよく見て。時計の選択肢です。あなたはあのとき、時計のねじと、針と、振り子を調べることができた。ねじは行き止まり、振り子はセクションナンバー350へ続く。でも」
ミクは、はっとした。
「あたし、時計の針を調べてない」
「そうです」
ミクは足を引きずるように動き出した。危険とわかっている場所に近づかないようにしてゆっくり進んだ。廊下の扉がわずかに開いている。カイトの書斎、大時計の部屋だった。
 ミクは誰にもとがめられずに書斎へ入った。正面にグランドファーザークロックがそびえ立っていた。
 身を乗り出し、時計の盤面を覆うガラスのカバーをはずした。時計の短針と長針は、金色に輝く美しい細工物だった。

キラリと冷たく光る鍵・・・

 ミクはそっと手を触れてみた。
「これ、針なんかじゃない」
華奢に見えるが、それはしっかりした厚みを持ち、先端が鋭くとがっていた。わずかな灯りを受けて、そのエッジが輝いた。

セクションナンバー564 
時計の針は、本当はナイフでした。あなたはナイフを手に入れました。どこへ行きますか?1.ギャラリー、2.厨房、3.図書室

 PDF文書は、淡々と事件の顛末を語っていた。
「その日、隣接する二つの家族は、美空の方の家に集まって一緒に食事をしていた。酒が入り、大人たちはかなり酔っていた。夜も更けて隣家の叔父一家はそのまま美空の家に泊まった。そして夜が明けた」
助手はモニターの画面を目で追った。
「翌日、美空が警察へ連絡してきた。家族が部屋で死んでいる、と」
とカウンセラーは言った。
「警察が美空の家に着いたとき、彼らは美空の両親はじめ、ふた家族が布団のなかで死んでいるのを発見した」
「原因は」
「鋭い刃物で喉をかき切られていたそうだ」
助手は声も出なかった。
「犯人は?」
「わからなかった。未だに迷宮入りだ。遺体を調べた結果、殺された者たちは薬品などで人工的に眠らされていたことがわかった。犯人は無抵抗な人々を難なく殺害したわけだ」
「どうして美空だけが助かったんですか」
「その夜彼女は検査のために入院していた」
「入院?」
「彼女は睡眠障害に悩んでいた。一年以上前から睡眠薬を与えられていた」
カウンセラーと助手は互いの表情を盗み見た。
「まさか」
「当時、警察が結論を出したんだ、美空は無関係だと」
「ですが、しかし」
「病院は隣県で、往復できない距離ではなかった。しかし、確証はない」
「この悪夢は、でも」
「凶器も見つかってないんだ!」

「見~つっけた」
ミクの唇が動き、そうつぶやいた。
……どこへ行きますか?
「ギャラリー!」
 左右の手にナイフをそれぞれ逆手に構え、ミクはギャラリーへほとんど駆け込むように入っていった。できるだけ騒々しい音を立てて。
 ドアのすぐ脇で息を殺して待ちかまえる。廊下をランプが近寄ってきた。美しいメイコ奥様がランプを片手に部屋へ入ってくる。あの大きな袖には長い二つ折りのカミソリが隠されているはずだ。
 獲物を探して狩人がランプを掲げ、ミクの姿を求めて視線が室内をさまよった。そのうなじをめがけて、ナイフが空間を走った。
「うっ!」
ランプが落ちた。ギャラリーの壁に長い影が伸び、狂ったように踊り回った。
「まともに相手をするほど馬鹿じゃないわ」
彼女が動かなくなるまで押さえ込むと、ミクは冷静にランプの炎を踏みにじって消した。
 部屋の外で誰かが話していた。
「レン、なんか音がしたよ」
リンがくる。ミクは廊下を飛び出した。
「え、何、何?」
廊下の十字路に二人が立っている。その場へ飛び込みざま、左右のナイフをふるった。ナイフの切っ先はおもしろいように細い喉を切り裂いた。
「ちぇっ、やられた」
ごふごふと空気をもらしながら、人形が言った。
「あなたたちがいると不利だもの。先に消えてもらうわ」
ミクは近くの部屋のドアのすきまにナイフをすべりこませ、掛けがねをはねあげた。使っていないらしいその部屋に、リンとレンをほうりこんだ。
「これからおもしろくなるのにぃ」
喉を切られて頭をのけぞらせたまま、リンがぼやいた。ミクはくくっと笑い、乱暴にドアをしめた。
「順番通りだわ」
次はどこへ行こう?
「そうよ、キッチンだわ」
 ミクは自分が笑っているのを感じ取った。おさえようとしても口角が自然にあがり、ヒステリックな笑い声がひっきりなしに漏れてくる。
足取りも軽くミクは真夜中の館を厨房めがけて走った。
「あらお客様、こんなところへおいでになっちゃいけません」
レードルを片手にグミ振り向いてそう言った。
「いい匂い。おなかすいちゃった」
「あらあら♪」
グミの手が動いて、調理台の上のキッチンナイフを探るのがはっきりと見えた。ミクはスピードを緩めずにすすみ、凶器を探るグミの手の上に時計の長針を突き立てた。
「くっ」
グミがレードルで殴りかかった。それを片手ではねのけ、心臓めがけてもう一丁のナイフをつきたてた。グミはほとんど即死だった。
「お料理上手ね。うらやましい」
くやしそうなグミがうずくまると、ミクはナイフを回収し、ついでにレードルをとって鍋の中のスープを味わった。
「あははっ」
ミクは舌を出して唇のまわりを舐めた。
 すばらしい高揚感がわき上がってきた。あたしの勝ちだ。もうあの手紙の"落書き"は増えないだろう。ふと気づいて探したが、あの手紙/台本がなくなっていた。時計の針を調べたときに、落としてしまったらしい。
 ちょっと肩をすくめ、意気揚々とミクは図書室へ向かった。
 月光のあふれる図書室で、背中にナイフを隠し、ミクは執事を待った。長い日本刀は書架の梯子の後ろにもぐりこめば無効化できることは知っていた。
 がっと音を立てて刃が木の梯子の段にくいこんだ。
「しまった!」
梯子段の間から、ミクはナイフをつきだした。それは執事の頸動脈をとらえた。 執事の端正な顔立ちがすさまじく歪んだ。梯子の裏側へ手を伸ばしミクの肩を鷲掴みにした。が、その力は徐々に衰え、やがて梯子にすがるようにしてうずくまった。
「残念。もうグミはこないわよ」
月明かりの中に執事を残し、ミクは颯爽と図書室を出た。
 飛び道具を持っているカイトは少しやっかい。そう思ってミクは、元の廊下へ向かった。

 ちょっとした仕掛けを終えてミクはホールに立ってカイトを待ち受けた。吹き抜けホールの二階部分を取り巻く回廊から、カイトはうれしそうにねらいをつけた。
「その扉、壊れているんだ」
ミクは逃げた。やはり、この吹き抜けホールで身を隠すには、階段の下以外にない。
「どこにいるんだい?」
歌うようにカイトがいい、小学生の男の子のような無邪気な笑い声をたてた。
「知ってるくせに」
とミクは言った。
「でておいで、子うさぎちゃん」
二丁目の銃の装弾が終わるのを待って、ミクは階段を支える柱の後ろから歩みでた。
「おやおや、つまらないなあ」
ミクは真上で狙いをつけるカイトを見上げた。
 裕福でおしゃれな紳士が最新式の猟銃を構え、狙いをつけていた。
ミクは動かなかった。
 カイトが引き金を引いた。濁った重い音がホールにこだました。美しい顔立ちの半分を吹き飛ばされて、カイトが後ろへのけぞり、倒れた。
 ミクは、今まで隠れていた階段を踏んで二階へあがった。倒れたカイトの傍らに立ち、ナイフを片手に彼を見下ろした。
「キッチンにあった、パンだねよ、それ。ボウルにこびりついて残った分で、銃口をふさいじゃったの」
 必ず暴発するその銃が一丁めか二丁めかはわからないが、ミクは待ちさえすればよかったのだ。だが、カイトはもうその告白を聞くどころか、とどめさえいらないようだった。

 ミクはナイフを持ったまま、二階を歩いていた。初めてくる場所だった。無人の部屋が続いている。月光の中獲物を求めてミクは一巡し、吹き抜けホールへ戻ってきた。カイトの死体を乗り越えて二階回廊をすすむと、大きな窓があった。その先に、瀟洒なテラスが作られていた。玄関扉の真上だった。
「今晩わ。良い夜ね」
薔薇色の髪の令嬢が、テラスで夜風に吹かれていた。
「ええ。空気の中に末莉花の香りがするわ」
ミクはナイフを背中に隠して近寄った。
「ミク、真実は見つかった?」
「この館を出たいという気持ち、それだけが真実よ。ほかはどうでもいいわ」
挑戦的な口調でミクは答えた。
「それは一面だけよ」
他人事のようにルカは言った。
「真実はね、愛情なの」
ルカは半眼を閉じて、前髪を指ではねた。
「愛しているからこそ、この館にとどまってほしい。みんなそう思ったのよ」
ミクは言葉に詰まった。
「私の真実を感じてほしいの」
ルカは白魚のような指をさしのべ、ミクのほほに触れた。ナイフを持っている手を背中の後ろから動かすことができず、ミクはルカのするにまかせることしかできなかった。
「きれいな肌。すてきな髪」
ルカはうっとりと顔を寄せた。
「あなたの」
とミクは言った。
「アレは、たぶんリボンだわ。そうでしょ?」
「これのこと?」
ルカの手には、銀の縁取りをした青緑色のサテンリボンが握られていた。
「すてき」
と、ミクは認めざるを得なかった。幅広のそのリボンをツインテールに飾ったら、とても華やかでよく映えるだろう。
「それで首を絞めるの?」
静かにそう聞いた。
 一瞬ルカが硬直した。それが唯一のチャンスだった。ミクは隠し持ったナイフを二丁、ルカの白いブラウスの胸へ思い切り突き立てた。
「ああっ」
鮮血が溢れ、白いブラウスを染めた。ナイフを持つミクの手をルカは弱々しくつかんだが、ミクは容赦なくナイフで内蔵をえぐった。
「うぐっ」
ルカが崩れ落ち、うつむいた。艶やかな光を宿していた瞳がくもり、唇のはしから一筋の血が流れ出した。
「やめてよ、あなた、お人形じゃない。なんで血を流すの?」
「バカね」
という形にルカは唇を動かした。
「自分が何をしてきたと思うの?」
かすれ声と一緒に上目遣いで浴びせかけた嘲笑がルカの最後だった。
「人形でしょ?」
声が震えた。
「さっき、あなた、生首だけだったじゃない」
ミクはおそるおそるかがみ込み、彼女の首筋に触れた。継ぎ目などないなめらかな肌が白いブラウスの襟からのぞいていた。
「そんなの、嘘よ!あたし、見てたのに!」
ぞくっと悪寒がミクの背を這いあがってきた。
「人なんか、殺してないわ、全部人形よ、人形を壊しただけよっ」
ミクは早足でルカのテラスを後にした。
 吹き抜けホールの二階に、カイト人形がネジや歯車の散らばる床に壊れて転がっているはずだった。
「うそ……」
裏切られた。ミクはそう思った。カイトは、血だまりの中に後頭部を浸し、脳漿をまきちらして倒れていた。
「うそっ」
自分が謀殺したその死体の脇を抜けて、ミクは走った。
「逃げなきゃ、この家から、逃げなきゃ!」
階段を駆け下りて、ホールのドアへ飛び付いた。ドアは動かなかった。
 力まかせにそのドアを靴でけり上げ、ミクは館の中へ通じる廊下へ駆けこんだ。まだ出口はある。
「きゃあっ」
勝手口は動かなかった。しかもそのそばで、グミの死体が白目をむいて転がっていた。
「ちがうのっ、あたし、人形だと思ったから」
誰に向かって言いわけをしてるのかも、ミクにはもうわからない。
 ミクは館じゅう走り回った。ギャラリーではメイコ奥さまが死んでいた。図書室では執事が首から血を噴き出して書架の梯子にもたれて死んでいた。
「あの子たち!あれは人形よ!」
リンとレンを閉じ込めた部屋のドアを、期待を込めて明け放った。内部は静かだった。ただ、子供が二人、のけぞって倒れているだけ。二人の喉が大きく切り裂かれているのをミクは硬直したまましばらく見つめていた。
「裏切ったわね!」
ミクは、両手の中に顔をうずめた。
「人形だって、言ったのに!なんで、あんたたち、死んでるのよ」
ひくっひくっとミクはしゃくりあげた。
誰ともわからない声が、ミクに話しかけた。
「もういい。しかたがなかったんです。でもこれで、ここから出られる」
泣きながらミクはうなずいた。
「ベッドからシーツを取るといい。縦に裂いて、ロープをつくるんです」
ミクは震えながら作業を始めた。
「それから、あのテラスへ戻ってください」
「だって。ルカが」
「でも、あの場所からしか、逃げられないでしょう」
そう、扉は開かない。勝手口は開かない。窓は開かない。引き裂いたシーツに顔をうずめてミクは嗚咽をもらした。
 頭の中の声に促され、ようやくミクは作業を終えた。急ごしらえのロープを抱きかかえ、足を引きずるようにして部屋を出た。誰も邪魔をしに来ない。ミクはこの館で完全に一人きりだった。
 吹き抜けホールから二階へ上がり、カイトの死体を避けて、ミクはテラスへ出た。ルカの方を見ないようにしてミクはシーツの片端をなんとか手すりに結びつけた。
「さあ、行きましょう。あなたの勝ちですよ。館を脱出すればこの悪夢ともお別れです」
ミクは夜風を感じながら、テラスの手すりを乗り越えた。シーツにすがって少しづつ降り始めた。
 突然、がくんと身体が下がった。あわてて見上げると、テラスの手すりがこちらにむかって倒れていた。ミクの体重を支えきれずに、折れたようだった。
「早く降りて!」
頭の中の声が命じた。
「シーツがほどける前に!」
うふふふ、と軽やかな笑い声がした。ミクは頭上を見上げずにはいられなかった。
テラスの手すりの向こうに、ルカの顔がのぞいていた。美少女はにっこりとほほ笑んだ。
「あなた、死んだはずよ!」
「ざーんねーん」
白い手が手すりの一部をつかみ、ぐっと押し倒した。
 シーツが手すりからはずれかけ、ずるずるとミクの身体が下がった。
「やめて!やっと出られるのに」
ルカは笑いながらシーツの端をひっぱった。結び目が完全にほどけた。
「やめてーっ」
すがりついたシーツごと、ミクの体が落下していく。つかまるものを探してむなしく手を伸ばすミクに向かって、ルカは朗らかに言い放った。
「また今夜会いましょう」
ふふふふ、というその笑い声を聞きながら、ミクは地面へ激突していった。

カウンセラーは片手で額を支えてうつむいた。
「失敗だ」
美空は、低く嗚咽をもらしながら力なくベッドに横たわっていた。毛布からでている腕は細く、点滴のあとが無数についていた。
「これ以上、どうすればいい!」
激しくささやくカウンセラーに、助手はおずおずと声をかけた。
「仕方なかったんです。悪夢なんですから」
「結果が出なければなんだって同じだ」
ため息混じりにそうカウンセラーが言ったときだった。か細い声がした。
「いいえ」
半ば眠りの中にいる美空だった。
「私、最後の最後まで死ななかった」
くくく、とどこか狂った笑いが美空の唇からもれた。
「脱出はできなかったけれど」
笑いと同時に、涙の玉が目尻に盛り上がり、流れ落ちた。
「今宵はよい舞台でしたわ……」

静かになった部屋のなか
拍手を送る謎の影
「今宵はよい舞台でした」
手紙を拾って、泣いてた