パラケルサスの犯罪 27.第五章 第四話

「え!」
とつぶやいて、思わずアルは身を乗り出した。
「いや、今回の事件は全部自分がしたことです。が、本当の“パラケルサス”はローフォードという男でした。故アーサー・ローフォード中尉です」
「それはもしかして、死んだローフォード大佐の家族か?」
「息子さんでした。父一人、子一人だったそうです」
大尉は一度口をつぐんだ。
「アーサーは、友達でした。父親が南部の英雄ですから、父親も回りも、みんなアーサーは軍人になると思い込んでいたのですが、本人は錬金術師になりたかったそうです」
「じゃあ、そいつが?」
「はい。連続作動トリックの本当の考案者です。よく、自分の手帳に、シンボルや図を書きこんで、うれしそうにしてましたっけ」
アルは、エドが思いついたことを熱心に手帳へ書いているようすを思い出した。アーサーの姿は簡単に想像できた。
「それが、配属先の意向で、なんとも無駄な攻撃に加わって、ひどく負傷しました。野戦病院へ運ばれたのですが」
大尉は首を振った。
「放置されたのです。悪意、嫉妬、そんなものさえなかったようです。原因は、単純な手続きのミスでした。鎮痛剤だけ与えられ続け、気づいたときは、幻覚から逃げられなくなっていました。自分がアーサーのところへ行ったときは、人の顔さえ見分けがつかず、アヘンを求めて暴れるだけの廃人になりはて……そのまま、自分の目の前で死にました。中毒死扱いです」
「ひどい」
アルには想像ができた。たぶん、その手続きを怠った人間を、大尉は激しくなじっただろう。その結果が大乱闘だったとすれば。
「いろいろあって自分はグラン・ウブラッジへ来ました。最初にやったことは、ここにお住まいのアーサーの父上をお訪ねして、自分の力が及ばなかったことをお詫びすることでした」
「それがローフォード大佐だよな。じゃ、そのときから」
「大佐はご自身の計画を打ち明けてくださいました。そのときアーサーの代理としてグループに加わることに何の疑問もありませんでした。“パラケルサス”は、自分がアーサーの代わりにもらった名前です」
「アーサー・ローフォードの手帳を、あんたは今も持ってるんだな?」
「はい。あいつの手帳を解読するためにグラン・ウブラッジで錬金術について猛勉強するはめになったんですよ。あの手帳はまだ見つかってないんですか?」
「どこに隠したんだ?」
「管理部の、自分の机の中です。領収証入れの箱の底にしまってありますよ。アーサーのトリックは実は不完全だったんです。まあ、アマチュアですからね。アルフォンスさんの、ええと、スクリプトでしたっけ。あれを加えて初めて使えるようになりました」
「だいたい、わかった」
エドはぶすっとした口調で言った。
「あんた、優しすぎる」
一度見たことのある、照れくさそうな表情で、大尉は笑った。
「気弱な性分なんですね。つくづく、軍人には向いてないです」
アルは口をはさんだ。
「でも、ターナーさんは、そういうところが好きなんじゃないですか?」
ぽっと大尉は顔を赤らめた。
「困ったな」
「どうなんですか?」
「シャーロットは、かわいい人です。強いですけどね。自分もあのくらい強かったらよかったんですけど。でも、こうなっては」
大尉の背が、丸くなった。
「もうお目にかかることもないでしょう。どうか忘れてください、と彼女に言ってください」
おなじみの怒鳴り声で聞こえてきたのは、そのときだった。うんざりした表情でエドはつぶやいた。
「来たぜ、小心者の威張りくさりが」
面会室の、アルたちの後ろのドアが開き、ヘイバーン院長の巨体が勢いよく入ってきた。
「ここで何をやっとるか!」
エドは立ち上がり、ゆっくりふりむいた。
「事件が終わったんで、のんびりしてたんだよ。なんだ、この面会室じゃ、茶も出ないのか?」
「誰が滞在を許可した!とっとと帰れ!」
「忘れるなよ、おれたちは東方司令部から派遣されてるんだ。帰ってから一部始終を書面にして、司令部に報告する義務がある」
「帰ってから書け!」
「いやいや。錬金術上の大問題が未解決のままでね。それが解決しないと、完全な報告が出せないわけだ」
院長の額に筋が浮いた。
「どこまでも腹の立つガキだ!それならさっさと解決しろ」
「無礼な発言は報告から削除しといてやる。こっちにいる間にちょっと実験がしたいな」
「実験なら、先日やっていたではないか」
「もう一度必要なんだ。あとでごたごたするのはごめんだ。実験を許可するというあんたの証明を出してもらいたい」
「誰が出すか、バカにするな」
「いやならいいんだぜ?まだまだ居残ってやる。大尉、毎日面会に来るから安心しろ。事故も拷問も起こらないようにしてやるからな。なんか欲しいものがあったら言ってくれ、差し入れるから。なんなら、きれいなお姉さんにラブレター届けてやってもいい」
「エルリーック!」
院長が怒鳴った。
「ああん?」
院長はペンを取り出した。後ろにいた兵士が、おそるおそる公用便箋を差し出した。
 いまいましげにアルたちをにらみつけながら、院長は許可証を書き上げ、署名し、その便箋をエドの目の前につきつけた。
「“本日から三日間、学術目的に限り、エルリック錬金術師に実験を許可する。病院長ホレイショ・ヘイバーン”。これで文句あるまい」
「たった三日か?」
「三日後にセントラルから視察がくる。それまでに終わらせろ」
「へえ、誰が来るって?おれの知り合いかな」
「ふざけるな!いいか、三日だぞ」
エドは肩をすくめて、許可証を受け取った。そのとき、エドの唇のすみが、にやりともちあがるのを、アルは見ていた。

 がさがさと音を立てて、エドは南部の地図を広げた。
「ここがグラン・ウブラッジ。こっちへこういくと、ダブリスだ。駅を降りてこの道をまっすぐ行くとカウロイ湖がある」
「名前は知ってるけどね」
ジョン・クラウンはつぶやいた。小さな事務室の向こうから、駅員が何事かと言う顔でこちらのほうを見ている。
 電話をもらって、クラウンはセントラルからこの町へ、とんぼ返りして来たのだった。駅舎では、エルリック兄弟が待ちかまえていた。
「カウロイ湖はすぐわかりますよ。観光名所ですから。深い森の中にある、とてもきれいな湖です」
クラウンは、アルの巨体を見上げた。
「そんなことより、逮捕のいきさつ、細かく教えてよ。ね?教えてくれるっつーから、わざわざセントラルから飛んできたのにさ」
「おいおい」
エドが言った。
「ただでネタをよこせって言うのかよ」
「なんてこすっからいガキだ」
「なんか言ったか?だから、ちょっと頼まれてくれれば、事件の全貌を説明してやるよ。なんと容疑者との独占インタビューつきだ」
クラウンは身を乗り出した。
「本当だねっ!」
エドは地図を突き出した。
「カウロイ湖へ行け。そこの森番を訪ねて、ストックしてあるものをもらってきてくれ」
「ストックって、何の」
エドは小声で説明した。
「そんなもん、なんに使うんだい?」
「手品に決まってるだろ?マジックには、タネがつきものさ」
「まあ、いいけど。ダブリスか。急ぐの?」
「急ぐ。明日には帰ってきてくれ。それから、肉屋には近寄るな」

 ちょっと力を入れたら、チョークは折れてしまった。
「あ~あ」
アルはつぶやいて、紙箱の中へチョークを入れ、新しいのを取り出した。チョークの線が途中で切れたりしたら力は循環しない。円であることが絶対に必要なのだ。
「頭じゃわかってるけど」
 グラン・ウブラッジの周囲は、要塞だったころの名残をとどめ、コンクリートできれいにならされている部分が多い。そのあたりは練成陣を描くのも楽だったが、少しはなれると土がむきだしになり、描くのは一苦労だった。
「このへんは、木の枝か何かでひっかいたほうがいいな」
アルは立ち上がって、使えそうなものはないかとあたりを見回した。
 三日、と切られた期限は、すでに一日を使ってしまっているが、描くべき練成陣は大量に残っている。モノは単純なのだが、正確に描かなくてはならないので、アルは苦労していた。
 首をうんとのけぞらせないと、グラン・ウブラッジのてっぺんは見えない。そこでは今、エドが、例のガラス天井に張り付いて、チョーク描きをしているはずだった。
「兄さん、またぶつくさ言ってるんだろうな」
“こんなめんどくせーもん描くの、ひさしぶりなんだよ!”。
くす、と笑いがもれた。
「おれが自分でやったほうが絶対、早い!」
夕べ、チョークを投げ出して、エドは言った。
「だめだよ。ヘイバーン院長の鼻をあかしたいんでしょ?院長の自業自得にするっていうのがポイントなんだから。院長の目の前で兄さんがやっちゃって、どうすんの!」
「わかってるけどな……」
「ほら、時間ないよ?クラウンさんがもってかえってきたアレに、まためんどうな細工をしなきゃならないんだから、それも忘れないでよねっ」
アルは頭を振って、またチョークをとりあげた。
「アルフォンス君」
名前を呼ばれてアルは顔を上げた。ロングホーンと、ほかの錬金術師たちだった。
「何をしてるんだい?」
「実験、だと思ってください」
「連続作動の実験か?」
「そんなようなものです」
ボイドたちは、アルが延々と描いてきた練成陣を、眺めていた。
「何をやる気なんだ?」
報告書に載せるためにちょっと実験を、とアルは言いかけて、ためらった。用意していた言い訳は、あまりにもウソくさかった。
「大温室を、つぶします」
アルは言い切った。
 三人とも驚かなかった。
 ロングホーンは、にやっとした。
「たいへんみたいだな」
アルは肩をすくめた。
「いっぱいあるもんですから」
「君の描いていた練成陣は、単純な構造だが」
「高さだけが問題なんです」
「で、それから?」
「このあいだの応用なんですが、兄が、上でちょっと……」
説明すると、ロングホーンは口笛を吹き、マーヴェルはうわぁと言った。
「ターナーさんとは別の意味だが、君ら、実はオニかね?」
「ぼくも兄に、そう言ったんですけどね」
「そうしたら?」
「“何言ってんだ、こんなんじゃ、まだまだヌルイほうだぜ?“って」
こぶしで口元をおおってボイドが笑った。ロングホーンは腰をかがめて、チョークの入った紙箱を取り上げ、一本づつ出してボイドたちに渡した。
「さて、あといくつ描くんだ?」
アルはいちど、断ろうかと思った。が三人の顔を見て、心を決めた。アルは答えた。
「グラン・ウブラッジを囲むように、いくつでも!」