パラケルサスの犯罪 11.第二章 第五話

 ほんの少し扉を開き、アルたちは内部へ滑り込んだ。
「よし。見つからなかったみたいだよ」
返事はなかった。アルはふりむいた。エドは、硬直したようにつったっていた。
「兄さん?」
エドは大きく目を見開き、その場に立ち尽くしていた。左手が上がり、光の中へそろそろと差し出された。
「うわ!」
アルはやっと、あたり一面にふりそそぐ、膨大な量の太陽光に気がついた。
「ここは、温室?」
 今までいた、巨大工場めいた地下と同じくらい広々とした空間だった。が、ここの天井は大聖堂のように高く、鉄の梁の間にガラスを貼ったもの。その上から真昼の太陽が熱く、まぶしく、ふりそそいでいた。
 グラン・ウブラッジ古戦場とは、別の側にあたる斜面らしい。
「こんなところがあったなんて」
二人が立っているのは、広大な体育館めいたこの大温室の、壁に沿ってめぐらされた通路だった。天井は高いが、床はこの通路よりまだ下にある。
 その床の部分が見えないほど、真っ白な大きな花が一面に咲き乱れていた。
 エドは先に立って歩き出した。
 とつぜん、水の音がした。アルはきょろきょろした。
「あれだよ」
 エドが指差したのは空中を縦横に走る細いパイプだった。しばらく見ているとパイプにあけた小さな穴から、細かいシャワーがいっせいにふりそそいできた。
 雨のよう、というより、霧に近かった。
 空気が心地よい湿り気を帯びていく。
 白い花の花弁に、美しい水滴が宿った。
 土の香りがいちだんと強まった。
 誰もいない。
 はるか上空のガラス天井の向こうに、飛んでいく鳥のシルエットが見える。
 ここは、無音の世界だった。
 アルは通路の手すりによって、下を覗き込んだ。
「この花、なんだろう」
「降りてみようぜ」
 通路の先に、下り階段が見えていた。二人は、なんとなく自分たちの足音もたてないようにしながら、下へ降りていった。
 一階へ降りて間近に見ると、その花が以外に背の高いことがわかった。
「おれの目の高さだな」
「だいたい、150センチ弱だね」
「数字で言うなよ」
太めの茎が、まっすぐ直立している。見る人もいないこの温室で、大きな白い花は、今を盛りと開いている。いくつか、実もできているようだった。茎の表面に、白よい粉が吹いている。
「ふむ」
エドはつぶやいて、葉を一枚むしりとった。手でくしゃくしゃともみ、鼻に近づけた。
「うぇっ」
「臭う?」
しばらくエドは、片手でぱたぱたと空気をはらっていた。
「兄さん?」
「ケシだ」
「え?」
エドは、引きつったような笑いを浮かべていた。
「なんともやばいところへ来たみたいだぜ、アル。ここは、ケシ畑だ」
そのときだった。背後で、重い金属の音がした。
「なんだ、君たちは!」
さきほどまでアルたちのいた通路に、青い制服の兵士が立っていた。血相を変えている。
「侵入者、侵入者!」
呼子が吹き鳴らされた。兵士たちが軍用のブーツで床を踏み鳴らして、通路の上を走ってきた。ペインター大尉の部下、管理部の兵士ではなかった。憲兵隊ともちがう。グラン・ウブラッジの常駐部隊らしい。
「待った、おれたちは」
「射撃用意」
全員が銃を構えた。アルは思わず、構えを取り、背中にエドをかばった。
「やめろ、アル」
「だって」
「降伏する。ここは、しかたないんだ!」
ひどく真剣な顔だった。アルは構えを解き、両手をあげた。
「エルリックさん!」
ペインター大尉が、険しい目つきの兵士たちを割って前にでてきた。後ろから錬金術師たちが顔をのぞかせている。
「悪い、大尉。やっちまった」
こわばった顔でエドが笑った。ペインター大尉は、うめいた。

 ヘイバーン院長は、怒りのあまり肩を震わせていた。
「即刻射殺でも、文句の出ない状況だぞ。わかっているか!」
 蒸気式エレベーターを降りてすぐのところにある、地下空間だった。殺風景なスペースの中央にある指令所のようなところに、兵士たちが銃を手にして、エドとアルを取り囲み、狙いをつけていた。
 ペインター大尉と他の錬金術師たちは、兵士の輪の外で青い顔をして立っている。
 エドは、腕を腰に当て、自分よりはるかに背の高い院長の顔を平然と見上げていた。
「やれるもんなら、やってみな」
いっせいにチャッと音がして、銃口が兄弟に向けられた。
「国家錬金術師の肩書きに守られているつもりか?」
院長はせせら笑った。
「最重要機密施設へ侵入した現行犯だ。国家資格など、剥奪だぞ」
「取り直すさ」
「何を言ってる。ブラックリスト入りだ。一生錬金術とは縁が切れるようにしてやる。きさまは確実。きさまの弟も、そっちにいるバカどももな」
「なんだって!」
ボイドが叫んだ。
「冗談じゃないぞ。たかが」
と言ってボイドは黙り込んだ。
「たかが、じゃない」
ヘイバーンが、妙に優しい声で言った。
「グラン・ウブラッジがひた隠しにしていた軍事機密、阿片粉末製造の現場に踏み込んだのだぞ」
「脅かすなよ。じゃ、このやばい花畑はグラン・ウブラッジの機密にすぎないわけだ。軍部のトップがらみかと思ってひやひやしたぜ」
「きさま……いずれそうなるのだ!」