猫カフェスィートポウ

 子猫はクッションの上から身を起こした。おぼつかなげなしぐさは、一瞬で確信に変わった。猫族本来の野生が生後数か月の体に宿り、輝きだす。
「みゅあぁっ」
 小さな肉球から爪をむきだしにして子猫は走り出した。
「みゃっ、みゃうっ」
 その場にいた数匹の子猫が一斉に反応した。本能のおもむくままに子猫軍団は一人の客にとびかかった。
「みーっ!!!」
 最初の一匹がズボンの生地に爪をひっかけ登攀を開始した。別の子猫は靴の上に乗り、その背中を踏み台にして兄弟猫がよじ登ろうとする。
「待って、待った、きみたち」
 客は大きな手で子猫を次々とつかみあげ、そっと室内へおろした。
「これじゃ歩けないよ。みんないい子だから、ちょっと待っててね。お店の人と話があるんだ」
 そう諭されても、かまわずに子猫たちは突進してきた。
 一人の店員がそのようすに気付いた。
「こら、ダメ!お客様、大丈夫ですかっ?」
「ベルト?どうしたの?」
 別の店員が部屋のドアを開けてのぞきこんだ。ドアのすきまから成猫たちがなだれをうって乱入し、全員が問題の客に向かって殺到した。
「なんか変なの!ドア閉めて!」
 先に入っていた客たちが、なんだなんだとざわめいている。店員のベルトは、猫まみれになった客になんとか近づいた。
「あの、爪がお洋服に……すみません、うちの子たち、いつもおとなしいのに、こんなに興奮するなんて。」
 高い声がさえぎった。
「大丈夫。うち、動物多いから」
「お父さん、慣れてるんで平気です」
 客と一緒に入ってきた、小学校低学年くらいの男の子と女の子だった。顔が似ているので、おそらく双子だろうとベルトは思った。二人ともオフホワイトのハーフパンツの上に男の子は濃い紺色の、女の子は赤紫の、おそろいのフーディを身につけ、両手を前ポケットに入れていた。
「ほら、おいで~」
 女の子の方がそう言うと、猫たちはぴくりと耳を動かした。数匹が優雅な動作できびすを返し、少女のところへ集まってきた。少女は絨毯の上に膝をついた。
「みんないい子。可愛いのね。まるまるしてる。いっぱい御飯食べて、ここで幸せなのね?」
 ベルトはようやく落ち着いた。
「お客様、どうぞこちらへ」
 あの、と最初に入ってきた客が言った。
「ここは、どういうお店なんですか?」
「当店は猫カフェですが」
 猫カフェ「スィートポウ」のスタッフ、ベルトはそう答えた。
「ねこ、かふぇ?」
 その客は背の高い男だった。オフホワイトのVネックのセーターの襟から綺麗な鎖骨が見えている。下は黒のスキニーパンツ。実に足が長い。たっぷりした紫のニット帽で頭を覆い、同色の薄手ジャケットをひっかけていた。
――この人、どこかで見たような……。有名人?アスリートかも。
 ベルトも、他の女子店員や客たちも、ちょっとぽうっとなっている。涼しげな眼をした、珍しいほどの男前だった。
「ペットショップとは違うんですね?」
 ベルトは咳払いをした。
「はい。こちらは猫と一緒にくつろいでいただくことが目的のカフェです。お客様は、プレスの方ですか?」
 一瞬、彼は首を傾げた。
「プレス……いえ、取材とかじゃないです。ぼくはルークと言います。子供たちは男の子がアイル、女の子がカイ」
 アイルとカイというらしい子供たちはぺこんと頭を下げた。
「お店の前にあったパネルなんですけど、あの写真の猫はいますか?」
 カフェは、このオラクルベリー市の旧市街に近い大通りから、一本入った路地にあった。なかなかいい場所で、以前は大きめの美容院だったものをカフェに改装している。
 外壁に蔦をはわせ、クラシックな窓にはプランターを吊るし、ドアわきに凝ったベンチを置いてその上に店の看板猫のパネルを並べていた。
「ジェニーちゃんですね。はい、今日もお店に出ています」
「よかった、その子に会えますか?!」
 ベルトはためらった。ルークという客は熱心すぎた。
「うちの子たちは、テイクアウトはご遠慮願っているのですが」
 ルークは顔の前で手を振った。
「もちろん、無理に連れ出したりしません。ジェニーちゃん含めて猫たちをじっくり見たいんだけど、いいですか?」
「もちろんです。あ、当店ではお客様に、お飲み物をお一人につきひとつ注文していただいてます。ご注文の後はお好きなお席でおくつろぎください」
 ベルトの説明を聞きながら、ルークの顔はどんどん明るくなっていく。最後は満面の笑顔だった。
「アイル、カイ、聞いた?何か飲み物を買ったらあとは猫と遊んでいいんだって」
 アイルが片手を上げた。
「ぼく、冷たいジュースが欲しいな。町じゅう歩き回ってくたびれちゃった」
「じゃあ、アイルにお金渡しとくね」
 絨毯の上で猫と遊んでいる少女に、アイルは声をかけた。
「カイ、何にする?」
「お兄ちゃんと同じの」
 カイは顔も上げずにそう言った。
「わかったー。お父さんはコーヒー?」
「冷たいコーヒーお願い。アイルの好きなお菓子も買っていいよ」
「やった!」
 アイルはカウンターに近寄って声をかけた。
「すいませ~ん」
 午後のはじめの豊かな日差しが部屋に降り注いでいた。部屋は大きめのだ円形の部屋だった。この一家のほかには客が二三人いるだけで、静かなクラシックが低めの音で流れている。
 客たちは店の入り口で靴を脱ぐことになっている。フロア全体が厚手のじゅうたんで覆われて、直接座れるようになっていた。また部屋の壁に沿ってぐるりとソファが造りつけられていた。
 ソファで囲まれた空間には奇妙なものがそびえたっていた。籠でできた塔だった。見た目は巨大な積み木だが、積み木のひとつひとつが箱型に編んだ籠であり、それを子供が乱雑に積み上げたような形をしている。
 猫たちは塔を駆け上がり、また駆け下りて、元気よく遊んでいる。時々は籠に開いた穴から中に入って隠れたり、いきなり飛び出したりした。
「猫カフェって、いいなあ」
 アイルからアイスコーヒーのグラスを受け取ってしみじみとルークがつぶやいた。
「天国みたい」
とカイも言った。ルークとカイは、並んでソファに座ってドリンクを楽しんでいる。二人の膝の上は猫たちが押し合いへし合いしていた。
 ジェニーもその中に交じっていた。すらりとした体形の若い雌で、豹のような斑点の毛皮に覆われ、頭に赤みがかった茶色の筋がある。看板猫を務めるだけあって、なかなかの美人だった。
「君がジェニーちゃんだね。うちのプックルの小さいころに似てるからもしや、と思ったんだけど、ちょっと違うみたいだ」
「ええ、違うの?!」
とカイは言った。
「ジェニー以外の子もだめ?」
とアイルは尋ねた。
「なんか違うんだ。みんな可愛いんだけどね。マスタードラゴンの探しているアレとはちがうよ」
「そっかぁ」
 アイルはソファにあぐらをかいて、チョコをかけたクッキーをせっせとつまんでいた。
「またオラクルベリーじゅう探さないと。あ~、今日でもう十日目だよ」
「もっと早く見つかるかと思ってたの」
とカイが言った。
「珍しい体験をしてるってことはわかってるし実際おもしろいんだけど、少し長すぎるかも」
 膝へ上がってきた茶トラの背をなでながら、ルークはしょんぼりした。
「ごめんよ、お父さんふがいなくて」
 双子は顔を見合わせた。
「っていうか、驚きなんだ」
「そうそう。お父さんでも見つけられないの?って」
「正直、ぼくも意外だよ。マスタードラゴンから話を聞いたときは、けっこうすぐに解決すると思ったんだ……」