砂漠の行商人

 使い込んだ木の手桶の中に何やら妙な臭いのする立方体と、革のきれっぱしで作ったサンダル、やけにざらざらした長い布をつっこんで、ルークは相棒に手渡した。
「はい、君のお風呂セット」
「へえ?これはせっけんか?」
興味津々とラインハットのヘンリーは、手桶の中身を眺めた。
「このあたりで採れたオイルでできてるんだ。はい、コリンズ君もね。入り方はうちの子に聞くといいよ」
「ありがとうございます」
と答えはしたものの、コリンズは内心どきどきしていた。
 ヘンリー一家はテルパドールに滞在していた。表向きは貿易協定を結ぶために女王アイシスを尋ねたところだが、ヘンリーは裏で一仕事こなしている。その用事も無事に終わって船の準備も整い、一家は帰国するばかりになっていた。
「お風呂、けっこう楽しいよ?」
隣からアイルが話しかけた。
「すごく熱いけどさ。終わってから冷えた果物もらうと美味しいから」
にこにこと当代の勇者は言った。
「うー、うん」
コリンズはそう答えてこっそりあたりのようすをうかがった。
 そこはアイシスの宮廷ではなく、城内ですらない。テルパドールの市街だった。ローズとか薄い水色とか淡い緑とかやけにファンタジーな色合いの石を使って二階建ての建物が立ち並んでいる。建物どうしが接近していて道が細い。どうやら商店街らしいのだが、どの店もぎっしりと商品を並べ、また壁と言わず天井と言わずめったやたらに吊るしているので店主の顔さえ見えなかった。
 コリンズもたまにはオラクルベリーの下町を探検にいくのである程度は慣れているが、ただひとつ故郷と決定的にちがうところがあった。町をいく人々の視線が、コリンズたちにつきささる。
 宮廷衣装ではなく旅人の服だが、衣服の形が土地者のそれとは違う、髪と顔の色が違う、話す言葉も微妙に違う。
「気にしなくても大丈夫だよ」
とアイルが言った。事実、コリンズの母はアイルの母と楽しそうに話をしながら先に歩いている。色白の肌や薄い色あいの髪も注目を受けていたが、マリアもビアンカも、そしていっしょにくっついているカイ(アイルの妹)も、周囲を特に警戒しているようすはなかった。
「おまえ、怖くねえの?」
「最初はちょっとびっくりした。でも、お父さんが町の人と話してるのを聞いたら、なんか普通なんだもん」
「ルーク様は……なじみすぎだ」
「うん、まあね。お父さん、ときどき道を聞かれるんだ」
長い黒髪をターバンでまとめ、紫のマントで身を覆って歩くルークは、テルパドール人とほとんど見分けがつかない。
 先頭からそのルークが振り向いた。
「ほら、ここだよ」
それは石塀に開けられた馬蹄型のアーチだった。まるで巨大な鍵穴のように見えた。
 ビアンカが娘の手を引いた。
「じゃ、マリアさんとカイはこっちね」
アーチをくぐった先は、狭いが樹が植えられていてどうやら中庭らしい。マリアはうれしそうに微笑んだ。
「この間はローズオイルでしたわね。きょうはマッサージの時にオレンジオイルでお願いしようかしら」
マリアは、ヘンリーの仕事中ビアンカに誘われて何度か来たらしかった。
「オレンジいいわよ?あら、髪もそれでやってもらわない?」
「お母さん、私も!」
三人はまるで少女のようにはしゃいで中庭を横切っていった。
「じゃ、あとでねー」
ルークはそう声をかけると、女性たちとは違う方へ入っていく。そこは涼しげな部屋だった。左右に長く、両側に出入り口があり、人々は巨大な廊下のように行き来していた。壁は薄い緑色に塗られ、あちこちに窪みがあった。アーチ形の窪みの奥にはきれいな銀の盆が置かれ、その前にガラスの小さな器が並んでいた。お茶か何かのようで、コリンズたちのいるところまでかすかなミントの香りが漂ってきた。
 ルークはさっさと先へ行き、部屋の奥にいた男に声をかけた。
「えーと大人二人と子供二人」
そう言って何枚かゴールド金貨を渡していた。
「そっちの旦那と坊やは土地の人じゃないね。なんか借りるかね?」
ヘンリーはさきほどの手桶の中身をひょいと掲げてみせた。
「こんくらいは持ってるよ」
男はうなずいた。
「こんだけありゃ十分だ」
 受付で支払いを終えると、そばのアーチをくぐり、向こう側の部屋へ入った。そこは表よりも暗い感じがした。
「コリンズ、こっちだ。服脱いで。まとめて預けるから」
父に呼ばれてコリンズはぎこちなく薄暗い部屋の片隅へ寄った。大人二人とアイルがせっせと服を脱いでいるところだった。
「腰布以外はもって入れないからね、預けてね」
荷物番は小柄な年寄りだった。
「色男の旦那、いつ見ても凄い傷だな」
事情を知っているコリンズはひやっとしたが、ルークは笑い返した。
「もう慣れたでしょ?ここんとこ毎日来てるから」
「まあねえ。おや、白い旦那も同じ傷持ちかい」
ヘンリーは簡素なチュニックとズボンを脱ぎ捨て体に残る傷を人目に晒していた。
「ああ。なんせおれたち、いっしょに臭い飯を食ったもんでね」
誤解を招くような言い方をしないでほしいとコリンズは思うのだが。
「昔はやんちゃしたクチかね」
「今は丸くなったぞ、こう見えて女房子持ちで」
「そいつはよかったねえ」
気軽にしゃべりながらヘンリーは腰布一枚になり、簡単なサンダルをはいた。
「コリンズ君、行こ?」
すでに腰布一枚になったアイルに言われてコリンズはあわてた。
「あ、ちょっと待って、今ぬぐ」
アイルの皮膚の色はビアンカ似だが、屋外生活が長い分日焼けしている。似たような理由でヘンリーもラインハット人の標準から言えば浅黒いほうだった。たぶんこの部屋で一番青白くてひょろひょろなのが自分なのではないかとコリンズは思ったが、恥ずかしいなどと言っていられなかった。
――なんで父上はあっさり裸になれるんだ!
大急ぎで服を脱ぎながらコリンズは下を向いて真っ赤になっていた。
 次の部屋への出入り口はまた馬蹄型のアーチだった。壁はコリンズの身長くらいの高さまでタイルで覆われ、アーチそのものも派手なタイルの幾何学模様で飾ってあった。みんなのあとからコリンズがアーチを潜ると、部屋の温度が一気に変わった。
「暑い」
「そりゃ、お風呂だもん。あっちのほうがもっと暑いよ」
一番奥の部屋には釜があり、そこで湯を沸かして湯気をもうもうと立てている。部屋は磨いた石の壁で窓がなく、熱気が逃げないようになっていた。
 少し低めの天井にランプがあるのだが、その光は湯気のためにぼやっとけぶって見えた。
「こっちに席が空いてるよ」
ルークが指したのは石でできたベンチだった。
「ここでしばらく汗をかいてからお湯で洗い流すんだ」
ベンチにはもう何人か座っていた。
「お邪魔さん」
色素の薄い傷だらけの体を珍しそうに眺められても、ヘンリーはほとんど気にしていないようだった。
 ベンチに座って足を組み、ルークは話しかけた。
「ヘンリーは肌の色の違いってあまり気にしないよね」
隣でつぶやくようにヘンリーが答えた。
「オラクルベリーには北から南からいろんな人間が来るからな。第一……」
胸の前で腕を交差して、ヘンリーは軽く頭をそらせ、あくびをした。
「どんな肌の色だって、垢がたまりゃだいたい黒っぽくなる」
あっはっはと隣でルークは笑い声を立てた。
「ああ、あのころだね?」
視線を動かしてヘンリーは笑った。
「あのころだ。おまえなんか、真っ黒に見えたぞ」
「そうやって自分のことを棚にあげるんだから」
くっくっとヘンリーが笑った。
「そう思うと、ここなんか天国みたいだな。体を洗うためだけの施設があるなんて」
「ほんとだね。洗うだけっていうけど、体をこすって汚れを落としてもらうのは気持ちいいよ?あとでマッサージもしてもらうといい」
 父親たちの会話を聞きながら、コリンズはベンチにぼーっとすわっていた。物を考えられないほど暑い。
「コリンズ君、大丈夫?」
「う……ん……」
手で額をぬぐうと手の甲がびっしょり濡れた。
「はい、水」
アイルがガラスのコップを手渡した。一口ふくんで、コリンズはあまりの美味さに驚いた。本当はちょっとぬるくなった井戸水にすぎないのだが、この暑い部屋では最高の甘露のように喉を流れ落ちていった。
「い、生き返った!」
 アイルはコリンズの手を引っ張った。
「洗い場行こ?そっちのほうがまだ涼しいから」
暑さに弱い自分がつくづくなさけない。コリンズはベンチから立ち上がった。アイルは歩き出そうとして、ふいにあれ、とつぶやいた。
「どうした?」
アイルの目はサウナの客に向かっていた。
「あの人知ってる人かも」
それは口ひげをたくわえた中年の男だった。体つきは丸っこいが、腕や背中はなかなかがっしりしている。兵士には見えないが、体を使う職業かとコリンズは思った。
「だれ?」
「道具屋さん。ていうか、店を構えてなかったから、行商人ていうのか」
へえ、とコリンズはつぶやいた。
「さっき通って来たのが市場(スーク)だろう?全部小さな店だったけど」
「売り物は大きなリュックサックに詰めて担いでたよ」
 アイルはサウナの次の部屋へ入っていった。サウナの部屋と同じように石で出来ていて、大きな水盤がふたつある。どちらも彩飾タイルできれいに飾ってあった。片方が湯、片方が水の入った水盤だということは、湯気のあるなしでわかった。アイルは自分の手桶に湯と水を汲んで壁際へ座り込み、黒い石鹸を泡立て始めた。コリンズも真似をして、石鹸を体に塗りつけた。
「大分前だけど、ぼくらがテルパドールの町外れを通ったらさっきのおじさんが砂の中に倒れてたんだ」
せっせと身体をこすりながらコリンズは言った。
「それ、死ぬんじゃね?」
「うん。そう思って話しかけたら、水のあるところへつれてってくれ、って言うから、テルパドールのオアシスまで背中を押してあげたんだよ。オアシスについたら直接水をぐびぐび飲んで、それからけろっとして商売始めたよ」
「……客引きにしちゃ、命懸けだな」
アイルは手桶の湯をかぶって石鹸を洗い流した。
「さー、これからだ。コリンズ君、覚悟してね」
「ふぁっ?」
思いがけない言葉にコリンズは変な反応をしてしまった。

 体を洗ったあと、その部屋にいた浴場のスタッフにコリンズたちは呼ばれた。アイルは部屋の中央にいくつかある石のベッドに腹這いになった。コリンズも隣の台へ寝てみた。
「すいません、その子、外国から来たんです。肌が弱いと思うんで、気を付けてあげて下さい」
俺のことか?とコリンズが思っていると、うえからスタッフの言葉が降ってきた。
「男の子が弱音吐いちゃダメだね〜」
そこからコリンズは、人生で最も長い十分間を体験した。浴場スタッフがざらざらした布でコリンズの背中をごしごし擦り始めたのだ。
「あっ、ぎゃあああっ」
隣の台からアイルが言った。
「痛いのは最初だけ。ぼくも父さんも慣れたから」
「なー、なっ、なっ」
「大丈夫。死んだりしないよ」
「しししっ、しいっ」
「ぼく、こないだザオリク覚えたんだ。少しは慰めになる?」
腰布をめくってスクラブされて、コリンズは悶絶した。
「なるかーっ!ぎゃーっ!」
ざっぱーん、と音をたてて手桶の湯をぶちまけられて垢擦りは終わった。
「ひでぇ目にあった……」
アイルの肩を借りて休憩室まで移動して、ぐったりとコリンズは寝椅子にもたれた。
「はい、ジュース」
差し出されたコップは心地よく冷えている。ひとくち飲んで、ココナッツのジュースだとわかった。ごくごくとコリンズは飲み干した。
「ぷはぁ。もう一杯」
とつぶやくとアイルが笑った。
「いいよ、待ってて」
広々とした休憩室は、薄暗く、潮騒のような低いざわめきに満ちて、とても涼しかった。ふりあおぐと高い天井からひらひらした布が何枚も下がっている。その間を風が吹いてくるのだった。寝椅子の間仕切りなのだ、とコリンズは悟った。
 後ろの方で知っている声がした。
「コリンズ君、大丈夫だった?」
ふりむくと、腰布一枚に大きなタオルを肩からかけたかっこうのルークとヘンリーが歩いてくるのが見えた。
「おまえ、ぎゃーぎゃーにぎやかだったな」
と実の父はコリンズをひやかすようにそう言った。
「だって!体の皮が一枚ぺろってむけたんだから!」
「んなわきゃないだろ」
父親たちはそれぞれ寝椅子を見つけて腰かけた。
「お前の声、女湯まで聞こえたんじゃねえ?」
カイにも聞かれたか、とコリンズはぞっとした。
 くすっとルークが笑った。
「おかげでヘンリーはかわいそうに、どんなに痛くてもわめけなかったんだよね?」
ヘンリーが横目でにらんだ。
「おまえ、余計なことを」
「言わないよ、ぐっとか、ううっとか呻きながら、すんごい顔してたなんてことは」
その顔を想像してコリンズはにやにやした。
「コリンズ君、ジュースだよ」
お盆を抱えてアイルがやってきた。
「あと、冷たいお茶のポットとグラスは、お父さんたちの」
 四人ともそれぞれ飲み物を取ると、休憩室に涼しい風が吹き込み、沈黙が訪れた。周りには風呂上がりの客たちが思い思いにくつろいでいる。コリンズは、ふと気づいた。少しはなれたところに、さきほどアイルが行商人と呼んだ男が横になっているのが見えた。
「アイル、あそこにいるあのおっさん、さっきおまえが見つけた人じゃないか?」
アイルは首を伸ばしてその男を確認した。
「うん、行商人の人だ。だよね、お父さん」
ルークもそちらを覗き見た。
「ああ、あの人だ」
「行商人て、なんだ?」
とヘンリーが聞いた。
「町はずれの砂漠に倒れてたのを、ぼくらでオアシスへ連れていってあげたんだよ。仕事は道具屋だと思う。その場で行商をはじめたからね。いろいろとたくましい人だ」
とルークが答えた。
「何を売ってるんだ?」
とヘンリーがつぶやいた。
「普通だよ?聖水、満月草、天使の鈴、それとファイト一発と爆弾石だったかな」
ルークが真顔で言った。
「でもねえ、あの人、ぼくは前にも助けたんだ」
ほんと?とアイルが聞いた。
「うん。ビアンカと二人で初めてテルパドールへ来たとき、やっぱり同じとこで倒れててぼくらがオアシスへ連れて行ったんだ」
「十年くらい前だろう?」
「ぼくの体感だと去年かおととしくらいなんだけど、ほんとはそのくらいたってるよね」
「なんでそいつはそんなところにいたんだ?」
とヘンリーが言った。
「テルパドールの郊外だったらほとんど砂漠だろう。長居する人間は珍しい。一回や二回なら、うっかり水を持ってこないこともあるだろう。けど、十年も同じまちがいを繰り返すか?何か意図があって砂漠にいたとしか思えないな」
なんだろうねえ?とグランバニア親子は顔を見合わせた。
「待ち合わせかな。それで相手が来なかったんで行き倒れちゃったとか」
とアイルが言った。
「おまえだったら砂嵐がくるかもしれない町はずれで人と会うか?普通家の中じゃないか?」
コリンズが言うと、そうだよねえ、とアイルは考え込んだ。
「コリンズ君はどう思う?」
父親たちは寝椅子にぐてっと寝そべり、あるいは脚を組んでのけぞったかっこうで冷えた茶を飲みながら黙って休んでいる。コリンズはいそいで考えを巡らせた。
「いつだかアイル、名産品博物館のこと言ってたよな。テルパドールの名産品て、なんだっけ、砂漠の?」
「砂漠の薔薇。まるで薔薇みたいな形の砂の結晶なんだけど、確かに砂漠で探すとときどき見つかるよ。行商人の人はそれを採りに行ってたの?」
「ホントのところはわからないけど、俺、いい線いってねえ?けっこう珍しいんだろ?」
ルークがふと言った。
「大きさとか色とか種類があって、砂漠の薔薇には収集家がいるくらいなんだって」
ほら!とコリンズはそっくりかえった。
「十年近く砂漠の薔薇を採ってたなら、だいぶ金を貯めたはずだな。それならその金でスークに店を出せばいい。どうしていまだに行商人なんだ?」
とヘンリーが聞いた。
「そりゃ、えーと、使っちゃうんだよ」
「おまえといっしょにすんなよ」
なんだよっとコリンズはムカついた。
「じゃあ、あの行商人は、十年くらい前と今年と、二回だけ砂漠の薔薇を取りに行った、っていうのは?」
「その二回、薔薇を何に使った?」
「誰かにあげた……」
「誰に?」
「うー、そうだ、女の人?プロポーズとかに使ったとしたら?」
アイルとルークは面白そうな顔でラインハット父子のやりとりを聞いていた。
「ああそういえば、武器屋の娘さんがテルパドールに帰って来たってね」
「それ、クラリスさんのことだよね、お父さん?」
「そうそう。ビアンカとぼくが初めてテルパドールに来たとき、クラリス嬢はポートセルミで一番の踊り子さんだったんだ。石化が溶けたあとテルパドールに来てみたら、ぐっと落ち着いた感じになっちゃって」
「命短し、恋せよ乙女、と」
最後のはヘンリーだった。
「それでツジツマ合うじゃん」
とコリンズは言った。
「十年間恋し続けたご婦人に砂漠の薔薇をささげて結婚を申し込む男、なんてイイ話だろ?」
くっくっとヘンリーが笑った。
「お話っていうなら、そうだな、なかなかだ。けど、真実かどうかはわからないな」
「なんでさ!」
ヘンリーは寝椅子に背を沈めて指を折った。
「あの行商人と武器屋のお嬢さんの接点が不明。プロポーズの時に砂漠の薔薇が要るかどうかもわからない。さっき通って来たスーク(市場)で普通に花売りがいたからテルパドール市民が生花に不自由しているわけでもなさそうだ。それから行商人が砂漠の薔薇を探しに行った日に限ってルークが助けたというのが偶然過ぎる」
いちいち文句つけるんだから、とコリンズは唇を尖らせた。
「そんなこと言ったって、ほんとはどうかなんて、確かめる方法ないじゃん!」
「そうでもないぞ?」
「じゃ、父上やってみなよ」
あのう、と浴場の制服を着たスタッフが顔を出した。
「そろそろマッサージですが、どなたから?」
「今、行きます」
ルークたちは盆の上にグラスを置いた。ルークはそのままスタッフについていこうとしたが、ヘンリーは何を思ったか行商人のところへ歩いて行った。
「ちょっといいか?」
行商人はうとうとしていたところを起こされて、目をぱちくりした。
「ああ、起こして悪いな。お見かけしたんで挨拶しとこうと思ってね。あんたのことを、あの人から紹介されたんだ」
アイルがぽかんとしている。
「ヘンリーさん、知り合いだったの?」
「なわけないだろ。父上の常套手段だよ」
とコリンズが小声で答えた。
 行商人はとまどったようすだった。
「ええ、どちらさんで?あの人とおっしゃいますと?」
ヘンリーは営業用のスマイルを浮かべた。
「ここでお名前を出すわけにいかないあの人さ。実は今度うちでもアレを取り扱うことになったんでね、今まではあんたが独占していたらしいが」
行商人はあきらかにぎくっとしていた。
「や、何のことだ?あんた、誰だい?」
「これは失礼。おれはラインハットのヘンリー。前からあの石……」
うわっと行商人が声を上げた。休憩室にいた者たちが驚いてそちらを見た。
「まさか、あんた、そんな」
すっかり湯冷めしたらしい。青ざめたような顔で行商人は寝椅子から下りた。
「まさかも何も」
いかにも何の話か承知しているという顔でヘンリーは手を振って見せた。
「疑うなら直接確かめてくれ。こっちは国費で来てるんだ。あんたのところよりもいい値で卸せると思ってるが、いきなりってのも商売仲間の仁義にもとるからな。とりあえず挨拶しておこうと思ったわけだ。ま、よろしく」
行商人はにこやかな挨拶をふりきるように休憩室から飛び出した。
「お客さん?あの」
浴場スタッフ含め、全員があっけにとられてその後姿を見送った。くすくす笑っているのはヘンリーだけだった。
「アレって、なんのこと?」
とルークが聞いた。おいおい、とヘンリーが呆れ顔でつぶやいた。
「おまえが聞くか?テルパドールとグランバニアの道具屋だけが扱っている商品だぞ?」
「えー、なんだっけ、それ」
「ファイト一発、はともかく、爆弾石だ。世界中でそれを買えるのは原産国のテルパドールのほかはグランバニアだけだ」
「ああ、そういえばそうだね。あれ、じゃあ、テルパドール王家の好意で輸出してもらってたのか」
「あの行商人が扱ってたのは、横流し品だと思う」
「なんで?」
「正規品なら、店で売る」
と簡潔にヘンリーは答えた。
「早朝、横流し元と町はずれの砂漠で落ち合い商品をもらって、じっくり選んだ客にだけ声をかけて売り物を見せているんだろう、ちょうどおまえみたいな」
「ぱっと見、ぼくはテルパドールの地元の人に見えるらしいんだけどね」
「口をきけば外国人だとわかるだろ?」
「あ~、なるほど」
父上、とコリンズが聞いた。
「最初から知ってたの?」
「いいや?だからカマかけてみたんだ。俺も同じところから横流しをしてもらうからよろしく、とね。びっくりして飛び出したのは、横流し元のところへ駆けつける気だろうな。女王様に言っておいたほうがいいぞ」
最後のはルークへのアドバイスだった。
「そうしようかな。でもどうして爆弾石を横流ししたりするんだろう」
「爆弾石は魔法の玉の原料になるからじゃないか?」
コリンズはぎょっとした。
「それ、やばいじゃん」
お父さん、とアイルが小さな声で呼んだ。
「魔法の玉って、なに?」
「ゴメン、父さんも知らないんだ」
コリンズが振り向くと、アイルとルークが興味津々と言う顔を並べてこちらを見ていた。
「え?あの、オリハルコン鉱脈を砕くのに使う、すっごく強力な爆弾のことなんだけど」
魔法の玉は優秀な攻城兵器であり、使い方によっては大量虐殺も可能となる。持っているだけで近隣諸国から警戒されるレベルの軍事物資だった。
 グランバニア親子はひどく素直だった。おお~と声を上げて二人して感心したのを見て、逆にコリンズが不安になった。
「えっと、あの~」
コリンズの肩を、軽くヘンリーがたたいた。
「いいから、いいから。こいつは昔からこうなんだ。基礎的な知識がすぽっと抜けてる。ついでに言えば、魔法の玉よりこいつら親子の方が強いから、そんな物資があろうとなかろうと関係ない」
ルークは、あはは、と笑った
「あっ、ほら、マッサージだって。あれ気持ちいいよ。さ、行こ」
ヘンリーがため息をついた。
「おまえ、変わらないなあ」
「うん、君もね」
父親たちは腰布とタオルだけというかっこうでマッサージ室へ入っていった。
 アイルがコリンズの肩に触れた。
「ジュースのおかわり、もらいに行こう」
「ああ」
アイルは先に歩きかけて、振り向いた。
「でも、コリンズ君すごいね。頭いいし、物知りだし」
あかすりの時に根こそぎにされたかと思ったプライドが、コリンズの心にこっそり戻ってきた。
「どうってことない」
「そう?」
「そうさ。行こうぜ?それと、俺、ちょっとここの風呂が好きになってきた」
よかった~、と、アイルはとても素直な表情で笑った。腰布姿の男の子二人は、涼し気な休憩室の中を仲良く歩いていった。