テルパドールの戦い 3.月:未知なる敵

 人々の目がアイルに注がれた。
「あ、あのっ」
アイルはルークを見上げた。やっとルークは動くことができた。大丈夫、という手つきで息子の肩をそっとたたき、ルークは伝令の兵士に向き合った。
「代表と言うのは、一人ですか?」
兵士は兵士長を見上げた。兵士長はうなずいた。
「代表者一名と、護衛と思われる者多数です」
「いまは、どこに」
「門前にとどめています」
「では、玉座の前に呼んでください。言い分を聞きましょう」
アイルが手を伸ばしてルークの手を握った。ルークはきゅっと握り返すことができた。
 テルパドール宮廷の元老たち、兵士長、最も近くに使える女官だけが空の玉座の周りに集まった。広い謁見の間はがらりとしている。混乱を防ぐため、当分の間女王誘拐の件は国民には伏せておこうというのが元老たちの意見だった。
 やがて謁見の間の大扉が開かれ、光の教団の代表者が悠々と大階段を上がってきた。
 どれも頭巾とマントという姿だったが、先頭に立つ人物がリーダーだろうとルークは思った。リーダーは玉座近くでみずから頭巾を後ろへのけて顔を見せた。
「あいつ……」
隣にいたビアンカがつぶやいた。
「いや、浴場のやつじゃない」
とルークが答えた。
 似ていることはよく似ている。特に顔が長く、寄り目で妙に思い詰めたような表情がそっくりだった。だが浴場の男よりも背が高く、態度が堂々としていた。黄色みがかった髪は長くフードからあふれていた。
 リーダーの背後には10人近い人数が従っていた。目立たない砂の色の頭巾とマントで身をすっぽりと覆いっている。猫背で中腰なためか、どれも上目遣いのようで気味が悪かった。
 リーダーはその場に仁王立ちになり、ぐるりとまわりを見まわした。
「我が名はモンストロッシ。さて、誰と話をしたものか」
小馬鹿にした言いぐさだった。
「この国をもらいに来たのだよ、我々は」
バカなことを、何を言うか、と宮廷は一気に騒がしくなった。モンストロッシと名乗った男はにやりとした。
「国はやらぬというのなら、女王に直接そう言っていただこうではないか」
テルパドール宮廷は押し黙った。
「さては、おまえたちか」
そう言われてモンストロッシはせせら笑った。
「その通り。女王アイシスの身柄はこちらの手のうちにある。その意味、わかっているだろうな?」
顔をこわばらせたまま、口を開くものもいなかった。
「ものわかりのよいほうがお互いのためというものだ。そちらから譲位の手続きを取っていただこう」
元老の中の最長老が押し殺した声で尋ねた。
「誰に譲れと言うのだ」
「それはのちほど明かす。言うことを聞かないのなら、アイシスの首を切ってこの王宮前に晒してやろう」
兵士長が叫んだ。
「よくもそのような!捕らえろ!」
その場にいた兵士たちが一斉に襲い掛かろうとした。頭巾の男たちはいっせいに杖を掲げた。
「おまえら、みんな魔法使いか」
モンストロッシは薄笑いを浮かべた。
「それ以上近寄るなら、攻撃魔法の餌食にしてやる。おまえたちにはどうしようかと迷う権利などないのだ。とっとと位を譲れ、国をよこせ!」
「ふざけないで!」
凛とした声が男の嘲笑を遮った。ビアンカだった。その手の中に灼熱の光球がすでに生まれていた。
「この城の中で好き勝手できると思わないことね。攻撃魔法ですって?メラゾーマの見本を見せてほしい?」
モンストロッシは青くなり、それから赤くなった。
「きさま、石像の分際で」
静かな声が応じた。
「石像の力、教えてあげようか」
その手が結ぶのはバギクロスの印。人の形をしたドラゴンが別の方角から光の教団の使者たちを狙っていた。
「女王様をどこへやったの?」
教団側は完全に押されていた。それまでの傲慢さを取り落として、モンストロッシはあとずさりした。
「待て、条件を変える」
ビアンカは凄艶な笑顔を見せた。
「私、光の教団には恨みがあるの。おまえたちを締め上げたほうが早いわ」
「締め上げている間に、女王は死ぬぞ」
ざわ、とテルパドールの宮廷が声を上げた。
「それでもいいって言ったら?」
宮廷中がきょろきょろした。そう言ったのは、アイルだった。
 ルークは息を呑んだ。まだ実の息子の中に別人の意識が存在していることに慣れ切っていないのだと自分でも思う。アイルは進み出て玉座の前に立ち、モンストロッシを正面から見据えた。
 せいいっぱい虚勢を張ってモンストロッシが尋ねた。
「まさか女王を見殺しにしろと言うのか」
アイルは深く息を吸い、それから口を開いた。
「そうです」
再び宮廷がどよめいた。
「アイル、ちょっと」
ビアンカが口をはさみそうになったのをとめたのは、元老たちだった。
「お待ちくだされ。あのお子、小さな勇者様は、今アイシスさまのお言葉を話しておいでです」
アイルはじっとしていた。その小さな体は威厳に覆われ、ルークを含めてその場を圧倒していた。
「光の教団の使者よ、私の身体を捕らえたつもりでしょうが、アイシスはここにいます」
声変わりしていない男の子の声が、なめらかにアイシスの言葉を告げた。
「何の手品だ……」
「では、おまえたちしか知らないことを言ってあげましょうか。夕べ私に一服盛ったのは誰か、眠りの魔法で兵士を眠らせ、部屋に押し入ったのは誰か、わたくしの身体を抱えて城を通り抜け、厨房の外の馬車に載せて連れ出したのは誰か」
モンストロッシはせわしなく目玉を動かして自分の仲間や宮廷のようすをうかがった。
「待て、おまえは天空の勇者のはず」
「アイシスは魂を切り離して依代にとどまることができると知らなかったのですか」
アイルが一歩踏み出すと、モンストロッシたちは一歩下がった。
「この場で死にたくなかったら、立場を弁えなさい」
 ルークはビアンカに視線を向けた。ビアンカはしぶしぶ手をおろした。あらためてルークが交渉を始めた。
「君たちに出せる条件を言ってみて」
モンストロッシは舌打ちしかけたが、アイルの一瞥を浴びてやめた。
「女王の身代金を要求する」
「金額は?」
「金ではない。戴冠式の宝冠と肩当てをいただく」
それは!と元老が声を上げた。
「女王の証ではないか!とうてい」
「無理だと言うなら女王は返さん」
宮廷中がアイルを見守った。
 テルパドールは、代々女王が世襲する国だった。女王は戴冠式に、国家の長の証と神官の長の証を同時に身に着けて臨むことになっている。偽女王が立とうとしているなら、喉から手が出るほど欲しいものに違いなかった。
「よいでしょう。飾り物など、新しく作ればよいこと」
モンストロッシは一度乾いた唇をなめた。
「こちらから指定の日時にテルパドール城地下庭園から人払いをすること。その日時、要求した宝飾品を二人の使者が携えて庭園へ来い。ただし、使いは武器、回復アイテムを持たないこと。あらかじめMPを0にしておくこと」
ルークは、あの公衆浴場に現れた寄り目男の言ったことを思い出した。アイシスを贖え、とは身代金を持ってこいということらしかった。
「そちらの要求はわかった。女王アイシスを髪の毛一筋でも損なったら、この取引はなしだ。いいな?」
ヒヒヒと卑しい声でモンストロッシが笑った。
「そちらの態度次第だ。おお、ひとつ言い忘れた。身代金を持ってくる使いの一人は、グランバニアのルーク、お前だ、ただし丸腰のまま、魔法力なし、回復アイテムなしでな」
「わかった。僕が行く。もう一人は誰だ」
「もう一人については、ラインハットのヘンリーを指定する。すぐに呼び寄せろ」
とモンストロッシは言った。
「ヘンリーはテルパドールとはなんの関係もない。どうして彼なんだ?」
それに答えたのは、アイルの中にいるアイシスだった。
「彼らの黒幕は、ラインハットのヘンリー殿に恨みをもっているのです」
モンストロッシはあっけにとられ、そして真っ赤になった。
「“大司教様”と呼ばれている男、そうでしょう。どれほどの者なのです?教団の幹部ならば、魔法使いでしょうか」
黙れ!とモンストロッシはいきなり吠えた。
「そう、恨みだ。ヘンリーだけではない、マリアもだ!」
「ぼく、ヘンリー、マリア」
ルークの表情が険しくなった。
「逃亡奴隷狩りか」
毒の滴るような声で使者は笑った。
「そうとも。大神殿の怒りを忘れたか。おまえたちは必ず処刑されるのだ。まあ、ヘンリーはお前に比べれば雑魚だが。三人ともせいぜい苦しんで死ぬがいい!」

 ラインハットからの使節一行がテルパドールへ到着したのは、それから七日ほどのちのことだった。
 テルパドール~ラインハット間には今まで国交はなく、直接の航路もなかった。テルパドールから見てラインハットは北東の果てにある。ラインハットはキメラの翼で使節団をサラボナヘ送り、使節団はそこからテルパドールへの定期航路を使ってこの国を訪れていた。
 使節団はみな、ラインハット風のどっしりとした毛織りの上着とマントという宮廷衣装でテルパドール王宮へやってきた。なかでも正使であるオラクルベリー大公ヘンリーは、ひときわきらびやかないでたちだった。使節団の中から一人進み出ると、玉座の四方に紗を張って姿を隠した女王に向かい、帽子をとって深々と一礼した。
「女王陛下には、ごきげんうるわしくあらせられ恭悦に存じます」
使節団の側からは、純白の絹を木の枠に張ったスクリーンのため女王の姿ははっきりとは見えないようになっていた。玉座に座っているほっそりした女性は、小声で挨拶を返したようだったが、声もはっきりとはしなかった。
「このたびは我が国と貴国との間に通商に関する協定を結ぶお許しを得たく、まかりこしました」
 使節団の中に混じっているコリンズは、そっと汗をぬぐった。
「暑くないのかな、父上」
「暑いでしょうね」
母のマリアがささやいた。
「コリンズも、気分が悪くなったらお言いなさいね」
と言われては、コリンズもがんばるしかない。父のヘンリーの舌はいよいよなめらかに回転していた。
 ラインハットにいる段階であらかじめ、コリンズは今回のいきさつを聞かせてもらっていた。テルパドールの女王様が危ないこと。でもその事はテルパドールの国民には内緒であること。身代金が要ること。その受け渡しにコリンズの父ヘンリーとアイルの父ルークが指定されていること。
「これが何より大事なんだけど、アイシス様を捕らえている連中はぼくとヘンリーだけじゃなくてマリアも狙ってるんだ」
ラインハットまでいきさつを説明しに来てくれたルークは、固い表情でそう言った。ぼそっとヘンリーが言った。
「逃亡奴隷は許さない、ということか」
「うん」
同じ部屋でその会話を聞いていたコリンズは、父と母の表情がこわばっているのを見てちょっとしたショックを受けた。
――あの父上がここまでマジになるなんて。
「だから、君に来てほしい」
少し考えて、ヘンリーは言いかけた。
「デール……」
その場には、ラインハット国王であるデールも同席していた。
「兄上がおいでになるしかなさそうですね」
やっぱりな、とヘンリーは言った。
「ルーク様、マリア義姉上のことですが、光の教団が狙っているとあっては、ラインハットでお守りすることができるでしょうか?」
ルークは首を振った。
「難しいと思います。アイシス女王は、『強くはないが恐ろしいほどしつこい』と言っていましたから」
ラインハットは、かつて光の教団の第二本拠地とも言うべき土地だった。その残党がひそんでいる可能性は高い。ラインハットはそういう意味でこのうえなく危険だった。
「でも、ビアンカならマリアを守れると思います。それと、子供たちも。身代金受け渡しのあいだ、ビアンカがマリアについていてくれると言ってました。ね?」
「ええ。まかせてちょうだい」
ヘンリーは少し表情をゆるめ、ラインハット兄弟は視線を交わした。
「では、妻をお願いします、ビアンカ様」
「いっそ、コリンズ君もいかが?うちの子供たちとまざっていたほうがいいわ」
 結局、ヘンリーは犯人側の要求を満たすためにテルパドールへ行き、身柄を狙われているマリアは身代金の受け渡しが終わるまでビアンカの預かりとなるためにテルパドールヘ同行することになった。当然コリンズも両親に伴われてテルパドール行きとなった。
 こうして砂漠の王国に到着したヘンリー一家は、女王の宮廷を訪れたのだった。
 ヘンリーはテルパドールの宮廷でひとわたり通商協定に関する話を終えて、片手を背後へ差し伸べた。
「これに控えますのは、私の妻オラクルベリー大公妃マリアと、倅、ラインハット王太子コリンズ。どうかご挨拶をさしあげることをお許しください」
コリンズは、はっとした。清楚に装ったマリアと並んで女王アイシスの前に出た。作法の時間に家庭教師から教わったように、片手を胸に当て片足を引き、一礼した。
 玉座の女性が何かささやいたようだった。そばにいた女官が畏まって聞き、こちらに伝えてくれた。
「良いお子でいらっしゃる」
「おそれいります」
マリアが答えていた。
 女王であり最高尼僧でもあるアイシスが敵に囚われている等と知られればパニックになりかねない。だからアイシスがさらわれた件は、賢者や上級の役人、女官のみがのみこんで、国民には伏せてあった。玉座にすわっているのは背格好の似た女官だった。表向きヘンリー一家はテルパドール~ラインハット間に通商協定を結ぶためにやって来たことになっていた。
 長い謁見が終わると、使節団はようやく割り当てられた部屋で休むことができるようになった。
 ヘンリー一家の“部屋”は、ほとんど別邸だった。テルパドール城のなかにあり、タイルで飾った小噴水のある中庭を二階建ての棟が四角く囲む造りになっていた。
 風通しのよさを重視したその構造はテルパドールの伝統的なつくりだった。中庭はそのまま一階の広間の一部であり、木陰と風と水の音を届けてくれた。
 コリンズは宮廷用の衣装を脱いで薄地のシャツに着替え、別邸の中を探検し始めた。いつもなら友達のアイルといっしょに遊びに出るのだが、今回アイルはものすごく疲れてしまい、ずっと眠っているのだと聞かされていた。
 二階にある、中庭を見下ろす回廊にいるとき、吹き抜けを通して下から話し声が聞こえることに気がついた。コリンズは階下のようすをうかがった。
「身代金の受け渡しが決まったよ。向こうがまた使者をたてて日時を連絡してきた」
アイルの父、ルークが別邸までヘンリーを訪ねてきたようだった。
「準備はどこまで進んでいる?」
寝椅子に寝そべってヘンリーは聞いた。手にしたシュロの大きな葉をうちわの代わりにしてばたばたあおいでいた。
 ラインハットによくある背もたれのついた高い椅子がこの邸にはない。すべて寝椅子かクッションだった。天井は低めで広々としている。広間を彩るファブリックは鮮やかな空色と金色、そして柔らかな薔薇色を基調にした色合いで、カーテン、タペストリ、絨毯のほかに、天井から形よく飾った薄布やリボンもタッセルも同じ色だった。
 そしてあらゆる空間を埋めるタイルは明るい緑を中心にしたもの。アイシスの趣味なのか観葉植物の大きな鉢が所せましと置かれ、まるで温室にいるようだった。
「準備はほとんど完璧。アイシス様の予知の力を思い知ったよ」
とルークは言った。
「お預かりした鍵をテルパドールの官僚に渡してお城の宝物庫を開けてもらったら、戴冠式の飾り物が一番上にあったそうだよ。保管用の箱ごと持って行こう」
ふん、とつぶやいてヘンリーはうちわをとめた。
「その前にやっとくことがある」