テルパドールの戦い 10.愚者:自己陶酔

 白麻のチュニックに金と赤のウェセク(丸襟のような首飾り)、ワニを象った前立てのある赤い帽子。それに合わせた緑の飾り帯や金の装身具の数々。うっとりとボアレイズは見とれた。
 計画が始まったとき、成功祈願のつもりでまっさきにその衣装を注文して作らせた。これを着たら、きっと自分はセベク神のように、テルパドールのワニの神であり太陽神でもある神のように見えるはず。群衆の前での演技にボアレイズは習熟している。いやが上にも神々しく、徳のある賢者のように振る舞うのだ。
――イブールよりも、うまくやれるのだ、私は。
 それはボアレイズの信念だった。確かにミルドラース様はイブールを信用して教祖の地位につけた。しかし、見よ、イブールは失敗したではないか。
 もっと群衆の人気を得なければいけなかったのだ。もっと支持があれば、光の教団は栄えていたはず。教祖が私だったらもっとうまくやれた!
 ボアレイズも建設途上の大神殿を見たことがあった。見事な彫刻で飾られた白亜の大聖堂、その中の広い石舞台。ボアレイズはそのとき、嫉妬に身を焦がした。こんな見事な舞台に立つのがこの私でないなんて!
 ちょうどそのころイブールは、天空城がよみがえり勇者が世界中で転戦しているとの報に怯えたのか、地下の小聖堂へ籠ってしまっていた。ボアレイズには信じられなかった。なんてもったいないことを。
 結局少年勇者の一行によって光の教団は壊滅の憂き目にあった。ボアレイズはイブールと心中する気はまったくなかった。
 ボアレイズは隠し金を抱えて腹心の信者三名、グリンカー、トッペ、ガバイドと一緒に教団から姿を消した。隠し財産の半分は教団の金庫から拝借した。残りはラインハットで貯えたものだった。
 ラインハットで過ごした十年はむだではなかった。太后になりすましていたモンスターと結託し、可能な限りの富を吸い上げ、ボアレイズは隠しておいた。
 だがラインハットのことを考えると、ボアレイズはキリキリと胃が痛くなる。ボアレイズの凋落の原因となったあの事件、それをつぶさに思い出すからだ。あのままラインハットを抑えておければボアレイズは、イブールに代わって教祖になれたかもしれないのに。
「あのクソガキのせいで!」
ラインハットのヘンリー。その名をなんど呪ったかわからない。あの忌々しい若造がすべてをぶち壊したのだ。ヘンリーはボアレイズをラインハットから追い出した。あの若造、逃亡奴隷のくせに!ボアレイズを称え、崇め、すがる大群衆を、あの男はすべて取り上げた!これほどの罪があるだろうか?
「いいや、ない!」
そう思いながら痛む腹を抱えてボアレイズは地方に隠れ住んでいた。
 事情が変わったのは、ある者が訪ねてきたときからだった。
「あなたを教祖にお迎えしよう」
なんと甘美な。黄金の蜜のように彼の計画はボアレイズの耳に注ぎ込まれた。
 テルパドールを乗っ取って、新しく光の教団を国教とする国を造り上げよう。そのために女王をかどわかし、譲位させる。こちらの息のかかった女を新女王に仕立てたら、あなたが教祖となって新しく教団を造るのだ。
「途絶えてしまった光の教えをさらに広めようではありませんか、ボアレイズ殿」
それはあまりにも素敵な未来図だった。ボアレイズはぼうっとなった。
「それほど言うのなら、微力ながらお力添えいたそう。だが、モンストロッシ殿、貴殿はモンスターだな?」
大神殿や教団本部で見かけたことのある、人間に変化できるモンスターだとボアレイズは指摘した。
「その通り」
ボアレイズは咳払いをした。
「ああ、その、ゲマ殿とのご関係は?」
光の教団のなかでボアレイズが一番苦手なのがゲマだった。イブールの高弟と名乗っていたが、とうていそんなものではないとボアレイズは知っていた。有り体に言えば、イブールよりもゲマが怖くてしかたなかったのだ。
「教団の兄弟子として敬意を持っておりますが、直接には知りません。あの方は、魔界のいわばエリート。私とは微妙に立場が違う」
「違うというと」
モンストロッシはにやりとした。
「私と私の一族は魔界より地上が気に入ったのです。酒も食い物もうまいし、おもしろいことがたくさんある。何より、魔界にはゲマ殿はじめ私らより強いみなさんが多いが、地上なら私の一族が最強でいられる。やりたい放題できる」
ぐっとモンストロッシが顔を寄せてきた。
「正直に言いましょう。貴殿の財力を頼みにしている。それと、人をたらしこむ能力もね」
「……『折伏する』と言いなさい」
モンストロッシはあっさりと同意した。
「ああ、それでもいい。テルパドール乗っ取りには貴殿の力が必要なのだ。お返しに私たちは、王宮前広場を埋め尽くす群衆が熱狂的にボアレイズの名を叫ぶ光景を捧げよう」
その時こそ、セベク神の装束で私は群衆に臨むだろう。ボアレイズはゾクゾクしていた。
「よろしい。だが、力添えには、条件がある」
嬉しさを隠して、ボアレイズは重々しく告げた。
「ある男を破滅させてほしい」
ほう、とモンストロッシはつぶやいた。
「詳しくおうかがいしよう」
こうしてモンストロッシとボアレイズの共闘が始まった。
 テルパドールをターゲットに据えたのは、いくつか理由があった。もともとボアレイズ自身がテルパドール人で、群衆受けが良いだろうと思われることがひとつ。テルパドール独特の王位継承システムのために、王家と血縁関係のない娘でも新女王になれるというのがひとつだった。
 ボアレイズはまずテルパドールに拠点をつくった。グリンカーたちといっしょに布教を開始し、それと同時に新女王のスカウトを始めた。女王候補は何人かいたが、一番条件の良い娘が女官メティトだった。
 一見、メティトの守りは固いかのようだった。が、彼女が親からの無条件の肯定を渇仰していることをボアレイズは見抜いた。あとは簡単だった。”我が教えの娘、メティトよ”とよびかけてやるだけで、メティトは捨てられた仔犬のような目でボアレイズを見上げるようになった。
 一方モンストロッシは魔界から一族をちゃくちゃくと呼び寄せ、テルパドール人を装って住み着かせた。正直に言って、ボアレイズはモンストロッシを信じ切ってはいなかった。モンストロッシの周りにモンスターらしき弟子兼護衛がたくさんいるのを見て、自分も実働戦力が欲しくなってきた。ボアレイズはテルパドールの近辺から傭兵隊を雇い、当座の手駒にした。
 メティトから急報があったのは、準備段階が終わろうとしているときだった。いわく、”女王アイシスが天空の勇者を宮廷へ呼び寄せています……”!
 モンストロッシの決断で計画は始動した。天空の勇者とその父が介入するというのなら、できるだけこちらに有利な状況を造らなくてはならないとモンストロッシは言った。
 女王誘拐の手はずはすでに整っていた。女王付きの女官が誘拐犯の味方なのだから、計画は完璧だった。天空の勇者とその一家がテルパドール宮廷へ現れた日、ボアレイズたちは女王アイシスを眠らせ、連れ出した。
 番狂わせが起こったのは、そのあとだった。アイシスは天空の勇者の中に己の魂を宿らせ、こちらに話しかけた。アイシス自身は、拐われてから一度も目をさましていない。
 譲位の交渉に出かけたモンストロッシは肝を冷やしたようだった。正面切って立ち向かうのは愚者のやること。モンストロッシは、すぐに勇者の父、グランバニア王を人質にする方針へ切り替えた。
「そしてボアレイズ殿、あの男もともに身代金の受け渡し役としてやってくる」
ボアレイズは、その話を聞いたとき、期待に身を震わせた。
「グランバニア王はこちらで人質として確保する。貴殿はあの男を自由にできる。思う存分、恨みをはらすがいい」
はらしてやるとも、とボアレイズは心中固く決意した。ただし、自分の腹心グリンカー、トッペ、ガバイドの三人を自分の代理としてルーク連行の一行に混ぜるように主張し、容れられた。
 ラインハットのヘンリーを憎みながら手を出せなかった隠棲の時代、ボアレイズは彼について調べ上げることに大金を注いだ。特に周囲の人間関係の弱みや劣等感について。
 傭兵隊長テリャクに命じてナイフファイトを仕掛けさせたのはその研究の成果だった。親友より早く戦線を離脱したため戦闘能力が低いこと、それが大きなコンプレックスだとボアレイズは見抜いていた。そして、確実ではないが、同じ友、グランバニアのルークに対して大きな負い目を感じているらしいことも。
 どう料理してやろうかとボアレイズはわくわくしていた。人の心の襞をのぞき、あやつるのはそもそもボアレイズの得意技だった。
――それなのに!
『その声、ボアレイズか』。
たった一言でヘンリーは正体を見破った。あっというまに立ち直り、さっさと姿を消した。どこまで憎たらしい男だ!とボアレイズは心中激しく罵った。
 ボアレイズは傭兵隊長に捕まえておけ、と命令してモンストロッシに会いに出かけた。目当ては、モンストロッシが抑えているはずのグランバニア王だった。グランバニアのルークを殺すと脅せば、ヘンリーは確実に降参してくるはずだった。
「貴殿が捕らえた人質を」
「大司教殿、こちらの人質を捕獲したいので」
顔を合わせた瞬間、お互いの言葉が噛みあった。
 モンストロッシとボアレイズは、愕然とした顔つきでお互いを眺めた。まさか、二人の人質が二人とも逃走するとは。いったい何をやっていたんだ!とは互いが互いに言いたいことだった。トッペたちもその場にいたが、ばつの悪そうな顔で沈黙していた。
 こほん、とボアレイズが咳払いをした。
「二人とも逃げたとは。これからどうするおつもりかな、モンストロッシ殿」
何か問題が起こった時、相手をなじることで責任を逃れる、それはボアレイズの常套手段だった。モンストロッシの顔が赤く染まった。
「責任をかぶせあっても仕方がない!」
苛立った口調でモンストロッシは言った。
「逃げたと言っても、この庭の中にいることは間違いない。南東の非常口は施錠したし、階段は見張らせているからな。とにかく捕らえるのだ。あの二人を抑えなければ、天空の勇者は我々に牙を剥くだろう」
ラインハットのヘンリーはナイフしか持っていない、グランバニアのルークにいたってはほぼ丸腰のはず。ボアレイズはうなずいた。
「さよう、捕らえればよいことだ。あとはどこにいるか、ということだけだな」
モンストロッシの顔が明るくなった。
「そうだ、あの二人が今一番欲しているのは戦う手段だ。おそらくエルフの飲み薬を狙ってくるはず」
おお、とボアレイズは声を上げた。
「私がメティトに命じておいたアイテムだな」
手柄を取るときはすばやく。長年光の教団で磨いてきたスキルは、ボアレイズの中で今も健在だった。
「そうだ、この女王の寝室のまわりに兵を埋伏しておくのだよ、モンストロッシ殿。うちの傭兵がうろうろしていては警戒してよってこないだろう。一見無人のようにして、二人が近寄り、逃げられないような距離になったところで一気に捕獲する。おわかりかな?」
わかった、と無邪気にモンストロッシは答えた。
「こちらの傭兵は若干名が敵に捕まったらしい。そちらから人手を出せるかね?」
半分が行方不明になったことは伏せてボアレイズは話をすすめた。
「魔界から一族郎党を人間に変化させて連れ込んである。あいつらを使おう」
「それがいい。ぜひ、そうしなさい」
ボアレイズのスキルは絶好調だった。

 女王の寝室はサラボナから輸入した貴重な木材を使って建てられていた。よく磨いて艶を出したダークブラウンの柱も、微妙に色合いの異なる二種類の板を組み合わせた床も、アイシスが気に入って採用したものだった。
 テルパドール城の上にある通常の寝室とちがい、ここは女王が息抜きをするための空間であり、ある意味リゾート、別荘のようなものだった。
 ここが時々秘密の寝室と呼ばれるのは、周辺の土地の起伏や回りに植えた木々のために存在がわからないようになっているからだった。場所を心得ているのは代々の忠臣と気に入りの女官、召し使い、庭師のみ。そのいずれにしても、女王の許可がない場合、まず近寄らない。庭園そのものが女王の別荘なので、この寝室はプライベートのなかのプライベートである。
 人が来ない、という理由で、寝室そのものはたいへん明け透けだった。地面から数段上に土台と木の床があり、柱が建っているが、この寝室に天井はない。柱頭を結ぶ梁に熱帯性のツタがからむのみ。普通壁を入れるべきところにあるのは繊細な彫刻をほどこした木製のラティス、そして淡い薔薇色のカーテンが金のリングで梁から留められてふんわりと下がり、壁の代わりになっていた。室内はそれほど広くはないが、たっぷりとクッションを置いた低めの寝椅子と円形の小卓が置かれていた。照明は天井や壁ではなく、床に直置きする凝った細工のランタンに入れたキャンドルだった。
 寝室の中、贅沢な四柱式天蓋のあるベッドの奥にはガラスの一枚板をはめた窓があり、その手前に白い陶器のバスタブが用意されている。香り高い豊かな湯に身を沈めてガラスの向こうを眺めると、華麗な熱帯植物の大庭園を楽しむことができた。
 砂の大陸の彼方に日が沈む。地下庭園石垣のガラス窓からも紅と黄金に染まる砂漠が見える。庭園内では石壁に取りつけた壁掛け松明が次々と点火される。中央の泉には暗くなった水面に金波銀波が輝き、華奢な噴水は真珠の首飾りのような水を噴き上げてやまない。
 その日、日没のころ、女王の寝室はことさら静かだった。が、実際はかなりの人数がその場所に集まっていた。全員寝室のまわりの植栽の中に身を伏せ、息を殺して隠れていた。
 特に布陣が厚いのが、寝室の柱のうちの一本だった。その根元に超貴重な魔法力回復薬であるエルフの飲み薬を埋めてある、ことになっていた。
「本当にあるのだな?」
小声でモンストロッシが聞いた。
「あの娘の知らせだ。まちがいない」
とボアレイズが答えた。向こう側の対策は、すべてメティトを通して筒抜けになっている。策士気取りの若造が、策に溺れるがいい。頼みの薬を取りに来て囲まれたと知ったときのヘンリーの顔をもうすぐ見られるはず、そうボアレイズは期待していた。
 しっとモンストロッシがささやいた。
「来たぞ」
二つの人影が女王の寝室につながる小道に現れた。その場にしばらく二人はうずくまっていた。
 啼き猿の声がかすかに聞こえた。実は見張りに立っている傭兵のつくり鳴きで、頭下げろ、静かに、という意味だった。
 来い、来い、包囲網の中へ!ボアレイズは小鼻から漏れる興奮した鼻息さえ手で抑え、じっと待った。
 二人が動き出す気配があった。草を踏む足音がして、梢の葉が揺らいだ。
 テリャクをはじめ傭兵の残党は鉄の剣を構え、モンストロッシの一族は杖を握って待ち構えた。二人がエルフの飲み薬を掘り出したら一斉に襲いかかる、とボアレイズたちは決めていた。
 ゆっくり時間がすぎた。一度、低い声でささやき交わすぼそぼそした声が聞こえた。木材のきしむ、ぎしっという音もした。……だが、土を掘るような音が、一向に聞こえてこなかった。
――なにをしているんだ。
横からモンストロッシがボアレイズを小突いた。二人は、頭を上げて彼らのようすを探りたい欲求に耐えられなかった。
 薄暗い小道をボアレイズはそっとうかがい、息がとまりそうになった。
「いないぞ!」
モンストロッシはものも言わずに飛び出した。
「見張り!あいつらはどこだ!」
見張りに立った若い傭兵はおろおろしていた。
「わかりません、自分も隠れておりましたので」
どこかに彼らが潜んでいると思うのか、若い傭兵はきょろきょろした。
 地下庭園はうす暗くなっていた。空気の取り入れ口から夜風の匂いがしている。庭園に飼われている鳥類が遠くで鳴き、噴水から落ちる水が水面をたたく音が微かに聞こえた。
 また、ぎしっと音がした。さきほどと同じ音だ、とボアレイズは思った。草むらで葉がうごき、傭兵隊長テリャクが飛び出してきた。
「あいつら、あそこに!」
テリャクの指は寝室の屋根を指していた。
 プライベートの中のプライベート、女王の寝室は、柱と柱の間に梁を渡してあるだけで天井板がない。その梁の上にいる人物が、下からツタにすがって上ってきた人物の手をつかんで引き上げていた。
「バカが!そんなところに」
何もないはずだった。だが、寝室の上の二人は、大きな布づつみを取り上げ、悠々と中から何か取り出していた。
「バカはおまえだよ、ボアレイズ」
世界で一番嫌いな声がそう答えた。
「おまえがたぶらかした女官は、そこにブツを埋めたと言ったんだろ?掘ってみな。エルフの飲み薬の小瓶に入ってるのはオリーブ油だ」
ボアレイズは叫んだ。
「きさま、この小賢しい若造が」
それを遮ったのはテリャクだった。
「降りてこい、二人とも。こっちの数を見るがいい。わざわざ包囲網の真ん中に入り込むとはバカをやったものだ」
剣を手にした傭兵たちが寝室を取り巻いた。
 その後ろに頭巾とマントをつけた者たちがさらに囲んだ。
「私の一族だ。言っておくが魔力は十分だ。降参しろ」
モンストロッシだった。