主ヘン十題 9.無言 中篇

 オラクルベリーの夜、とはいえ、ある意味この町がもっとも人通りの多い、熱気に満ちた時間のこと、町の一角にひとだかりがしていた。
「おい、あいつ本気みたいだぜ!」
「あーあー、綱をもちだしやがったよ」
人々は教会の前に集まり、顔をのけぞらせ、指で高みを指して騒いでいる。
「よっぽどスったんだなあ」
「気持ちはわかる。痛ぇほど」
「けど、死んで花実が咲くものか」
オラクルベリーの教会は、歓楽街にあるカジノその他の店と同様、終夜営業だった。ふだんなら教会には足も向けない罰当たりが、カジノでの運が上向くようにと熱心に祈りを捧げに来るからだ。だが、問題の男はどうやら手遅れのようだった。
「カジノから真っ青な顔で出てきて、そのまんまあそこへ登っちまったんだとさ」
「くそっ、スロットか?スライムか?モンスター格闘場か?かわいそうになあ」
教会の外壁の狭い足場に男は震えながら立っている。まだ若く、前髪がぺしょぺしょと額に張り付いていかにも影の薄い印象だった。どこからか持ってきた綱を壁の出っ張りに結びつけ、綱の反対側を輪に結んだところだった。
「おーい、あんちゃん、落ち着けや!」
「借金は、なんぼだーっ?」
影の薄い男はうなだれたが、涙をふきふき、手を広げてみせた。
「五本……500ゴールドか?」
男は激しく首を振り、綱の輪の中に頭をつっこもうとした。
「ご、5000か!うーん、ちょっとなあ」
困惑の呟きがあたりからわきあがった。
そのときだった。
「早まるなーっ」
 教会の前の道を、一人の男が息せき切って走ってきたのだった。額の禿げ上がった中年のやせた親父で、手には布の包みをかかえていた。
「か、金だ!工面してきた」
通してくれ、どいてくれ、と中年男は群衆の前に出た。
「2000ゴールドあるぞっ。これでなんとか払いを待ってもらえ!」
群集の視線が首吊り男に集中した。男はしゃくりあげた。
「だめなんだ、おじさん。借金取りがもう待てねえって。明日になったらおれは」
あとはすすり泣きに消えた。
群集はざわめいた。やせたおやじは辺りを見回した。
「みんな!たのむ、あと3000なんだ。5000じゃねえ、たった三千。100ゴールドづつでいい。あいつを助けてやってくれねえか」
5000はあまりにもでっかいが、100ゴールドなら。一人の男が近寄って、中年男に金貨を渡した。
「100で、いいか?」
中年男は大げさにぺこぺこした。
「すまねえ!ほんとにすまねえ!あそこにいるあいつには、身重の奥さんと年取った父ちゃんがいるんだ。ありがてぇ!」
人々の中から、また何人か出てきて金貨を差し出した。
「ああ、みんな、なんてお礼を言っていいやら……」
涙混じりに中年男は教会の若い男を見上げた。
「ほら、もう、900になった。あわせりゃ、2900だ。な?世間様は鬼じゃねえ。降りて来い。おまえからもお願いするんだ」
首吊り男はおずおずとこちらを見たようだった。
「いつもそうなんだよ、おじさん。おれは、いっつもぎりぎりのとこでうまくいかないようにできてんだ。きっと5000は無理だ。もうあきらめて、みなさんにお返ししてくれ」
「バカヤロウ!」
中年は叫んだ。
「みなさん、お願いだ。あと2100!それだけあればあいつは眼が覚めるんだ。どうか、どうか」
群集はざわついた。2100ゴールドとなると、けっこうな大金だった。教会の男は、静かに綱の輪の中へ自分の頭を入れた。
「待って」
誰かが叫んだ。
「おい!」
もう一人は制止した。
「でも、黙ってみていられないよ!」
黒髪の若い男が人々の間から出てきて、小さな金貨の包みを中年の男に手渡した。
「これ、使ってください」
「あんた……いいのかい」
「お金ならまた稼げます。でも、命はひとつだから」
うおおおおーっ、と中年男は両手を振り上げていきなり叫んだ。
「ありがたい!これで5000。本当に五千ゴールドになったぞ!」
 あたりから歓声と拍手が沸き起こった。中年男はだれかれとなく握手し、抱き合い、背を叩き合っている。最後の2100ゴールドを差し出した若者も同様に握手攻めにあっていた。教会の男はそのようすを見て、やっと下へ降りてきた。
「あの、ありがとうございます」
よかった、よかった、とまわりから声がかかる。
「妻も、どんなにか……子供が生まれたら、あなたの名をつけさせてください。どうか、お名前を」
「え、ぼくは」
黒髪の若者は、はにかんだ。
そのとき誰かがくちをはさんだ。
「こいつの名か?よく覚えとけ。『ネギをしょったカモ』だ」
黒髪の若者は振り向いた。
「ヘンリー!」
ヘンリーは答えずに大騒ぎの中心にいる中年に近づくと、最初に走ってきたとき持っていた包みをさっと取り上げた。
「おい、何するんだ」
「これが2000ゴールドだ?ふざけんなよ」
言うなり路上に包みの中身をぶちまけた。ごろんごろんと音を立てて小石が転がり落ちた。あたりは急に静まり返った。
「道のど真ん中でデキの悪い芝居をやってんじゃねえよ」
中年男は青ざめた。
「うまく3000ゴールドかたりとったつもりか?いや、最初に金を出したやつ、サクラだろう。それにしても、ちょっと首吊り騒ぎでいい稼ぎだ。甘い汁吸いやがって」
おいおい、どういうことだ!と周りから怒りの声があがった。
「さ、返しな。ネタは割れてんだよ。特にこの脳みそぽやぽやの俺の相棒からから取り上げた金、持ってかえれると思ったら大間違いだ」
くそっ、と中年男は叫んだ。禿げ上がった額のてっぺんまで真っ赤になっている。が、詐欺の共謀らしい影の薄い男は真っ青になって震えていた。
「とっ捕まえろ!」
「おれはなあ、明日の仕入れに使う金を出したんだぞ」
「おれの純情ふみにじりやがって!」
「騙したな?金返せ!」
「いや、おめえは金を出してねえ」
群集のけんまくに押されて中年のと若いの、二人の詐欺師は後ずさった。そのまま二人して走り出そうとした。
「おっと!」
ヘンリーが突き出した足に見事に引っかかり、その手から巻き上げた金の袋が舞い上がる。きれいにキャッチしてヘンリーは笑った。
「よし、回収終わり!」
くるっと彼は怒った群集のほうへ向き直った。
「金は戻ったぞ。みんな、こいつら、フクロにしちまえ!」
群集は怒りのやり場を見つけてはりきった。
「おうっ」
「このっ、このっ」
青ざめた詐欺師二人を取り囲み、今にも乱暴しそうだった。
「待ってくれ!」
ルークは二人の前に飛び出して、立ちはだかった。
「待って、もういいじゃないか。お金は戻ったんだ」
二人の詐欺師は信じられないという顔でルークを見ている。
群集を背にしてヘンリーがルークと相対した。
「どけよ。このまま収まるはずないの、わかるだろ?」
「いやだ」
とルークは言った。
「おい、おまえの脳みそ、どこまでぽやぽやなんだ」
「でも、もしかしてこの若い人、ほんとにお金に困っていたかもしれないよ?年取ったお父さんと、赤ちゃんが生まれるお嫁さんがいて」
ヘンリーは夜空に向って大口をあけて笑った。
「ないない!詐欺の手口だよ。決まってるって」
「そんなに決め付けなくたって」
「いいかげん肝に銘じろよ。人を見たらドロボウと思え」
「ぼくはいやだ」
ルークはきっぱりと言った。ヘンリーの表情が硬くなった。
「おい、いいかげんにしろよ」
二人はにらみあった。
「おまえの性格は知ってるが、いつまでそれで通すつもりだ?」
「一生このままでいいさ」
「騙されてもいいのか」
ルークは肩をそびやかした。
「人を疑うくらいなら、騙されるほうがいい」
「ふざけるなよ」
そのときだった。人々の視線がルークとヘンリーのやり取りに注がれているのを見た詐欺師たちが、いきなり立ち上がって走り出したのだった。
「くそっ、逃げたぞ!」
怒った群衆は後を追って走り出した。が、追いつけなさそうなのは誰の目にも明らかだった。
ルークとヘンリーは走らなかった。教会前の広場に、ほとんど二人きりだった。
「ちっ、袋叩きにしてやろうと思ったのに」
「なんでそこまでするんだよ」
「なんで?あの場所じゃ、あたりまえだったじゃないか」
あの場所、大神殿の建設現場ではそのとおり。ルークは首を振った。ここはオラクルベリーだった。
「だめだよ。君はやりすぎだ」
ふん、とヘンリーはつぶやいた。何も言わなかった。彼の表情はとらえどころがない。ルークよく知っている、いたずら小僧の面影を残す若者かと思えば、あの過酷な場所で作り上げられた非人間的で冷酷な人格のようにも見えた。
 いっそ何か言ってくれ、と思うほど長いあいだヘンリーはただ立っていた。
「帰るぞ」
ぼそっとヘンリーは言うときびすを返した。
「あ、あの」
「おまえはバイト遅番だろうが、おれは違うんだ」

 見れば見るほど市場にいたのは、夕べの二人組の詐欺師に違いなかった。首吊り役の青年と、実際に金を巻き上げる役の中年男である。中年男が何かをさせようとしていて、若い男がしぶしぶ同意した、という情景らしかった。
「きっとまた、あの詐欺をやろうとしてるんだ。だね?」
猫に同意を求めてしまった。
ヘンリー猫はちらっとルークを見上げた。
「ちがうのかい?」
猫は耳を立て、さっと左右に開いてまた戻した。
「みゃあ」
「抱っこ?あいつらに近づけばいいのかな」
しゃがみこむと、黒猫はルークの腕の中へ上がりこんできた。ルークは猫とデイジーの買い物をかかえたまま、詐欺師コンビに近寄った。
「すいません!」
最初二人はルークが誰なのかわからないようだった。
「夕べお会いしましたね。教会の前で」