主ヘン十題 5.温度 後篇

 オラクルベリーを出て南へ進むと、次第に荒地が多くなってくる。街道を離れて馬車は荒野へ踏み込んだ。
「ここいらでよかろう」
ピエールはそう言うと、鋼鉄の剣を下げて広い場所へ進み出た。
「来い、若造。たたきのめしてくれる」
真新しい鉄の鎧兜と盾は、夕べのうちにぴかぴかに磨き上げてあった。騎士、ついに戦場に立つ。ピエールは武者震いをした。
「ほんとにやるのかい、ヘンリー?」
「あいつのほうから御所望なんだぜ?」
ピエールは軽く咳払いをした。
「ほんの半刻の辛抱だ、ルーク。そいつの鼻をへし折ってくれるわ」
 攻撃力は互角、守備力はピエールのほうが上、さらにピエールには回復能力がある。勝負は決まったようなものだった。
「おもしろい。やってみな」
若造は、ふだんの旅装束の上に、鉄の胸当てをつけただけで、武器はチェーンクロス。ピエールに比べると、ごく軽い装備だった。
「十合ももちこたえれば、ほめてやるである」
ヘンリーはピエールから十歩離れた位置に立った。面の皮だけは厚いガキで余裕のある顔をしている。
「ヘンリー、頼むから」
「大丈夫、殺しゃ、しないさ」
時刻は、早朝。だが、はっきりとしない鉛色の空の下に、生暖かい微風の吹く、いやな天気だった。
 地面は白く乾き、しぶとい雑草でさえ地に葉を這わせてげんなりとしていた。
しぶしぶという顔つきで、ルークが片手をあげた。
「両者、離れて」
ピエールは身構えた。
「始めっ」
ヘンリーは間合いをとり、指先からチェーンを繰り出した。集団戦だったが、実際に一度戦ったこともあるので、ピエールはそのチェーンの先につけてある分銅の威力を知っていた。
 ひとつ揺さぶっておくか。ピエールは剣を構えたまま声を掛けた。
「おぬしの秘密、知っているぞ」
ヘンリーは、かすかに表情を変えた。
「なんだと?」
くいついてきたようだった。
「スライムナイトは、相対する者の“熱意”を、色合いで感じ取ることができるのだ」
言いながら、ピエールは有利な位置へとじりじり動いていた。ヘンリーは皮肉っぽい笑みを見せた。
「へえ。そりゃ、女の子くどく時には、便利だな」
「昨夜。おまえの熱意の色合いを見ていたのだ。ルークが、遺言を果たしたい、導きの勇者を探し出したい、と言ったとき、おまえの色合いは、鈍いオレンジ色か黄緑色ていどだった。熱意はかなり低い。どうだ、図星であろう!」
「ちっ」
ヘンリーは舌打ちした。好機と見て取り、ピエールは上段に剣を振りかぶった。
「もうひとつ、戦士たるもの、戦場で心を揺さぶられるとは、不覚と心得よ!」
ヘンリーのいまいましそうな表情が、ピエールの剣の下から、そのとき、かき消えた。
「どこだっ」
あたりを見回して、ピエールははっとした。ルークの姿がない。馬車も消えている。正面にヘンリーが立っていたが、本物かどうかはわからなかった。
「おれのほうからの忠告は、こうだ」
後ろから、ヘンリーの声がした。
「おしゃべりをしていると、先手を取られるぞ?」
ピエールは振り向いた。ヘンリーがもう一人。
「卑怯な。マヌーサを使ったか!」
3人目のヘンリーが横に現れて、けっとつぶやいた。
「そっちが先にゆさぶってきたんだろうが」
ピエールは目を閉じて、気配を探った。
「そこだっ」
かすかな手ごたえがあった。
「おっと」
ヘンリーの笑い声がした。
「戦士ぶるのは、かっこだけじゃないらしいな。じゃあ、こっちからも行くぞ」
とたんに分銅が飛んできた。盾で受けると、金属のたたきつけられる激しい音がした。ピエールはぞっとした。
 後ろから一撃。斜めから。横から。角度を変えて、分銅は次々と襲い掛かってきた。
「きさまっ」
真正面から分銅が飛んできたとき、ピエールは踏み込んで突きを入れた。が、剣は空を切っただけだった。
「よせよせ」
むかつくほど余裕のある口調で、4人に増えたヘンリーが言った。
「この武器は、ちょっとカスタマイズしたんだ。普通のチェーンクロスより長いから、おまえのリーチじゃ、おれに届かないぞ」
「そんなはずが、あるか!」
小さく笑う声がした。
「まあ、聞けよ。この鎖っていうのが、廃品利用でね。おれの首輪についてたのを使ったんだ」
ピエールは声のほうを狙った。が、またしても手ごたえはなく、入れ替わりに襲ってきた分銅に、したたかあごを殴られてしまった。頭がくらくらした。
「首輪?おぬし、人間だろうが」
「人間でも、いろいろあるさ。最初にこの鎖の先につけたのは、ちゃちな針金だった。けど、鉄格子の間を抜けて、食い物に引っかかったときは、うれしかったね!」
「そのおしゃべりをやめろ!」
「わかんねえやつだな。もう一丁やらなきゃ、だめか?」
分銅が風を切る音がした。ひゅん、ひゅん、という音は、チェーンを長く繰り出して、分銅を回転させているということらしい。ピエールは必死で気配を探った。
いきなり音が変わった。来る!ピエールはさっと盾を掲げた。が、分銅は生き物のように盾をすり抜け、首に巻きついた。
「うおぉ!」
乗っているスライムから落ちそうになる。ピエールはもがいた。するりと音を立てて、鎖は離れていった。
「この鎖、だから、おれは、使い込んでるんだよ。両手持ちの剣は、表芸っていうところかな。裏芸が、このチェーンだ。鳥を打ち落としたり、木の実を叩き落したりして、食糧調達にはほんとに役に立つんだぜ?」
「私は食い物ではないっ」
「誰が食うか、てめえなんざ」
ヘンリーが話している間に、ピエールは魔法を自分にかけて、失った分のHPを回復していた。
「ようし、回復したな。じゃ、残りのMPを自分で調べてみな」
言われるまでもなかった。残りMPで使える魔法は、ホイミ……二回には足らない。
「今、マヌーサの効果が切れても、おれのチェーンはおまえに届くけど、おまえの剣はおれには届かない。このまま続ければ、回復力が尽きたときが、おしまいだぞ」
「おまえに削られ続ける命なら、いっそ」
まだ修行中の技だったが、これしかなかった。
「回復は、せん。剣がとどかないときは、攻撃魔法が常道よ!」
“イオ”!
ラインハットからオラクルベリーへ来る間に、ほんの少し上がっただけのレベルでは、これがせいいっぱいだった。
 だが、成功したらしい。ピエールの目の前で、空気中の粒子が凝縮されていく。イオは全体呪文だった。相手を特定できなくても、確実にダメージを与えることができる。
 光が、炎が、踊り、爆音が上がった。
 やったか、とピエールは思った。
「ヘンリー!」
ルークが叫んでいるのが、意外と近くから聞こえた。硫黄くさい匂いがあたりに漂う。
「痛かったぞ、こら」
やつの声だった。
「HPがこんなに削りやがって。でも、今のが最後だな?」
やはり、倒すことはできなかったか、とピエールは思った。が、この勝負には負けられなかった。
「きさまは回復できんのだ!あとは我が剣にかけて」
「バカが。世の中には、薬草っていうもんがあるんだよ」
「くそっ」
 マヌーサで作られた幻影の荒地が、次第に薄れていく。目の前、十歩の距離に、ヘンリーがいた。ぴんぴんしている。
「ええいっ、くらえっ」
「あほうっ!」
ヘンリーのチェーンが空中を舞うように見えた。その下をかいくぐって、ピエールは敵に殺到した。いきなり腕を、何かに引かれた、と思ったとき、鋼鉄の剣がもぎとられた。
 分銅は剣の刃にからみつき、弾き飛ばしていた。
 ピエールは呆然とした。
「なにやってんだ、このアホが。よく状況を見ろ。おまえ、ルークについて旅する気なんだろ?おまえ一人がドジ踏んでも、パーティ全体に迷惑がかかるんだ。よく、覚えとけ!」
 ピエールは、かぶとの下で目を見開いた。
 スライムナイトは、“熱意”を温度に換えて見ることができる。
 ヘンリーの色合いが変化していく。
「攻撃ができなくなったら、ルークを守れ!」
薄いオレンジ色から、サンフラワーの黄色へ、そして、白熱へ。
「何のための回復魔法だ?アイテムでも何でも、手に入るものは何でも使え。頭を働かせろ!」
悲哀を意味する紫色が、忍び込んだ。
「おれにはできないことが、おまえにはできるんだからよ」
数歩、歩いて、ヘンリーは鋼鉄の剣を拾い上げ、柄をピエールに向けて、差し出した。
「おらよ」
 ピエールは、無言で受け取った。馬車のほうから、ルークが歩いてくるのが見える。こうなるのをわかっていたような表情で、“だから、言ったのに”と顔に書いてあった。
「おれの勝ちだな。そういうときはおまえ、なんか、言うことあるだろ?」
ピエールは、目をヘンリーに向けた。
 この若造。勇者を見つけることよりも何よりも、ルークに対して、最大の熱意を発揮するらしい。
ピエールは、ヘンリーを見上げて、思ったことをストレートに言った。
「……まいった」