大穴30倍 4.オラクルベリー・ダービー

 サイクスのカジノ、花壇と噴水で飾ったその堂々たる正面入り口の上には、あでやかに笑うバニーガールの絵が掲げてある。壁にはいろいろなポスターが貼られて、客の目をひきつけるようになっていた。
 いわく、「テルパドール一の踊り子、当地にデビュー」。
 または「新台入りました。ファイブセブン、出血大サービス」。
 ときには「強力モンスター参入!格闘技場でがっぽり儲けましょう」。
 その日の夕方、そういったポスターの上に新しく大きな一枚が貼り出された。
「スライムダービー、開催決定。強豪赤スライム、人気の青スライム、最速のレーススライムはどっちだ!」
 同じポスターを支配人は、ウェイターたちに手渡した。
「スライムレース場の、目立つところに貼っとけ」
 ヘンリーは壁にピンでポスターの角ををとめ、片手で広げながら青スライムの雄姿を惚れぼれと眺めた。
「すげえな。青のやつ、やったじゃないか」
「うん、そうだね」
ルークは脚立を支えているので、下から見上げるように答えた。
「なんだよ。手塩にかけたスライムがG1に出るんじゃないか。喜んでやれよ」
「ダービー、G1なんだ……」
ポスターを留めて、ヘンリーが脚立から降りてきた。
「おれたちもウェイターのバイト代貯まったし。今日の日当をもらえば、お互いちゃんとした防具が買えるはずだ。いいことづくめだぜ。武器屋の親父、とっといてくれたかな。装備がそろったらいよいよオラクルベリーを離れて遠征できる。世界は広いんだ!」
「そりゃ、そうなんだけど」
ルークはぼんやりとピンの入れ物をひろいあげた。ヘンリーはその姿を横目で見て、かすかに眉をしかめた。
「おい。なんか、考えてるのか?」
「え?」
「あててやろうか。青のことだろ?」
ヘンリーは、脚立にもたれてルークのほうを見ていた。ルークは思わず苦笑した。
「なんでわかるの?」
「何年おまえと付き合ってると思ってるんだ。で?どうなんだ?連れて行きたいのか?」
「できるわけ、ないよ。あの子はもう、立派なレーススライムなんだから」
「そりゃそうだ。けど、青本人は、どう思ってるんだ?」
「さあ、聞いたことないよ」
ルークは乱暴に脚立をたたんだ。
「もう、いいんだ。ダービーで優勝すれば、きっとこのカジノで大事にしてもらえる。旅に出ようなんて、言えない」
ルークはそう言って、フロアのほうへ歩いていった。ヘンリーが、肩をひとつすくめてついてきた。
 二人とも、レース場の中に小さな聴衆のいたことには、気付いていなかった。
「ぴ、ぴきぃ」

 木製のボウルに魔物のエサをたっぷり入れて、ルークはスライムダービーに出走する選手たちに配っていた。
「がんばって」
「たくさん、おあがり」
ルークは一匹づつ声をかけてボウルを檻の中へ入れていった。
「君のは、これだよ」
 赤いスライムは、闘志満々だった。赤のエサは、わざわざ支配人からさしいれの、大きな陶器のボウルに入っていた。カジノの(人間用の)調理場で作らせた特別料理だと支配人は言っていた。
 扉を開けて陶器のボウルを入れてやると、赤スライムはさっそく食べにきた。
赤の隣に、新しく据えられた檻が、青のだった。
「ごはんだよ」
青スライムは、ぴきぃと鳴いたが、奥にいて出てこなかった。
「緊張してるの?お腹に入らなかったら、食べなくてもいいよ」
 青スライムは、ルークのそばへぽてぽてとやってくると、体の一部を長く伸ばして、ルークの手にまとわりついた。
「どうしたの?」
「ぴきぃ」
「だいじょうぶ。君は、いいレーススライムだよ」
ぷるぷるっとスライムの体がふるえた。
「“ちがう”って言いたいの?どうしてさ。自信、だしなよ」
「ぴきぃ」
レース係の助手がやってきた。
「ダービー始まるぞ。スライム出してくれ!」
ルークは、はい、と返事をして、選手たちの檻を次々と開けていった。
「みんな、おいで。出番だよ」
スライムたちは助手の手で地下室からレース場へ運ばれていった。
「ルーク、上行こうぜ。青の晴れ姿、見てやろうよ」
ルークは、空っぽの檻に目をやった。実力を出し切れない、小さな青いスライム。ルークは、強く頭を振って、歩き出した。

 深夜のカジノは、むせるような熱気だった。オラクルベリー中の勝負師が集まって、格上の大レースの始まりを待っていた。
 ふだんはモンスター闘技場にいる予想屋が、特別にスライムレース場へ店を出していた。大きな石版に次々とレートを書き込んでいく。その前に早くも人だかりがしていた。
「単勝を出すらしいぜ」
「ほんとかよ!」
 スロットマシーンの前で時間をつぶすような暇人たちも、今夜ばかりはスライムレース場へおしかけてきていた。黙々とスライム券を買うプロに交じって、騒々しく予想をしている。
「青はすげぇぞ~。今夜は、2コースか!いいとこへつけたな」
「おれは3コースの赤にするよ。一番人気だからな」
「赤の時代は終わりだろ?」
「バカ言え。おれが何回赤スライム様に儲けさせていただいたか!ポッと出の青なんかに負けるもんかい」
「予選で青が逃げ切ったのを見てなかったのか?」
「てめぇ、赤の追い込みを知らないな?」
たいていの客は、赤を本命、青を対抗と予測してスライム券を買っているようだった。
 カジノの付属楽団が、とっておきのファンファーレをぶちあげた。レース場の周辺から、どよめきが湧き上がる。ゲートにスライムが姿を現したのだった。
「本日はスライムレースにおこしいただき、まことにありがとうございます」
支配人も姿を見せた。助手がゲートの前に立って、合図を待っている。レース係は咳払いを一つして、のどをクリアにした。
「皆様、お待ちかねの……第一回、オラクルベリー・ダービー、これより開始いたします」
ぎらついたような興奮が、レース場の周囲に沸き起こった。
「3、2、1、スタートッ」
助手がレバーを思いっきり倒すと、いっせいにゲートが開いた。
「各スライム、いっせいにスタート……おっ」
レース係は、のどに物が詰まったような声を上げた」
「いや、2コースをのぞいて、スタートしました。青、どうしたのでしょう。ゲートの故障か?」
助手があわてて近寄っていく。
「故障じゃないです!」
助手の声は、悲鳴のようだった。
「おまえ、どうしたんだよ、走れよっ」
2コースのゲートは、たしかに開いていた。が、その中で、青いスライムは、からだをぺったりとゲートの底に貼り付けていた。