ラインハット最後の日 第二話

 ネビルは、あっけに取られて室内を見回した。仕事でずっとラインハット城内に寝泊りしているのだが、母に呼ばれて久しぶりに実家へ帰ってみたら家がむきだしになっていたのである。金目のものがほとんどなくなっている。おおがかりな盗賊団が押し入ったように見えた。
「母さん、どうなっているんですか」
「避難の準備よ。決まってるでしょ」
せかせかとミランダは言った。
「あと4、5日で世界が滅びるというじゃないの。オラクルベリーにいたら、巻き添えだわ。だから大事な物をもって山奥へ避難するのよ」
「ああ、世界がねえ。やっぱり」
ミランダの目が光った。
「やっぱりって?ねえ、ネビルや、お前何か知ってるの?」
ネビルはもじもじした。
 ここ数日、雇い主のヘンリーについて、ネビルも災害対策室に常駐している。閣僚たちが深刻な顔で話し合い、兵士や軍人があわただしく出入りするのをつぶさに見てきた。頑固な国王と宰相兄弟に大臣たちが手を焼いていることも知っていた。
「そりゃ、みなさん心配してるっていうことですよ。勇者様は強いんだろうけど、でも、ほら」
「何が、ほら、よ?」
「9歳だから」
「まーっ」
ミランダは大声を上げた。
「そんな子に戦わせるなんて、親は何をやってんのかしら!」
「ごいっしょですけど」
ミランダは聞く耳持たなかった。
「やっぱりあたしが正しかった。誰がなんと言ったって、あたしは逃げるわよ」
そういいきってから、思いついたように聞いた。
「でも、花嫁選びのパーティを計画してるんでしょう?」
「あ~、え~、ま~」
ミランダはネビルの肩をつかんで、自分のほうを向かせた。
「どっちなの?パーティを、やるの、やらないの?」
「計画はしてます……」
「で!」
 小さいころから、どんなに取り繕っても、ミランダはネビルのウソを必ず見抜いた。それはもう、悪魔的なほど勘が働くのだ。そして、もともとネビルは、このての“内幕ネタ”を人にしゃべるのが、大好きな性格だった。
「実は、計画だけなんで。招待状を配って、パーティがあるんだな、と思ってもらうことが目的なんです」
ミランダの目がらんらんと輝いた。
「ほうら、ごらん!」
勝ち誇ったように彼女は言った。
「お前の荷物もまとめておいてよかったわ!いっしょに逃げるのよ。避難先は準備してありますからね。ディントンの北の山荘よ」
「ええっ?母さん、わたしには仕事が」
「仕事?命あっての物種でしょう!こんなときなんだから、仕事場からいなくなったってしかたないじゃないの。そうよ、おまえ、ラインハットのお城に居続けたりしたら、魔物が来たときに殺されてしまうわ。そんなの、王様だけで十分よ」
「でもぉ」
「ネビル!命が惜しくないのっ?!」
「惜しいですけど……」
だが、そんな山奥へ行ってしまっては、大好きな“内幕”情報を得ることもできなくなってしまう。
「すぐにラインハットへ帰って、向こうの荷物をまとめなさい。仕事なんか、ほうっておけばいいの」
「無理です。このあいだ新調した服がまだ仕立て屋から届いていないし」
「おまえ、生きるか死ぬかっていうときに、何を馬鹿なことを言ってるの!いい?あさっての朝、ラインハットの町の門のところで落ち合うわよ。そこから北へ向かって、ディントンをめざしますからね。いいわねっ」

 コリンズはラインハット城の玄関ホールにかかった大きな鏡で、自分の姿を点検していた。お城の仕立て屋が、大急ぎでコリンズのために造ってくれた新しい服だった。
 ヘンリーは、にやりとして言った。
「芝居の衣装だと思いな」
コリンズはためいきをついた。
「そうとでも思わなきゃ、やってられないや」
 大人と同じデザインの王子服だった。ぴかぴかの生地に金ボタンをつけ、体つきが立派に見えるように詰め物をし、袖に派手なスラッシュを入れてある。襟元はど派手なレースで埋まっていた。ゆったりした(かぼちゃ型の!)半ズボンにタイツ、それに同生地のケープと金糸で刺繍した長靴がつく。そして生まれて初めて大きな、羽飾りつきの帽子をかぶった。
 馬車も、真っ白に塗り、金具にメッキをして、これでもかというくらい飾り立てていた。
 コリンズといっしょに行くのは、従僕三名、御者一名、護衛の兵士の一団。リーダーはコリンズ付きの従僕、キリだった。手に蓋つきのバスケットを持っている。その中には、ラインハットの王子の紋章入りの招待状がどっさり入っていた。
「どんな風に言えばいいか、わかってるか?」
コリンズは横目でヘンリーを見た。
「いつもの父上みたくすりゃいいんだろ?わかってるさ。シロウトじゃないんだから」
ヘンリーは笑うだけだった。
「じゃ、行こう、みんな」
コリンズは話しかけた。
「いいか、空から目の前に大魔王が降りてきても、きりっとした顔、崩すなよ?おれはちょっとのんきでおぼっちゃんな“王子様“で、きれいなお姉さんに目がないっていう設定だ。町をぶらぶら歩きながら、目をつけた女の子に招待状を渡すから、馬車をゆっくり動かしてついてきてくれ。おれがどんなにきざなこと言っても、笑ったりすんなよ、いいな?」
「かしこまりました」
キリが代表してそう言った。
「じゃ、父上、行ってくる」
「おお。がんばれよ。ついでにラインハットのようすも見てきてくれ」
 そのとき、女官たちをつれて、母のマリアが降りてきた。すぐ後ろに、秘書を兼ねる女官、リルシィがいた。セルジオの長女でリルシィの姉、リアラが後ろにいた。妹を訪ねてきたらしい。リアラは微笑した。
「先を越されてしまいましたわ」
ヘンリーは帽子を取って挨拶した。
「おいででしたか、リアラ嬢。9代目セルジオを襲名されるとうかがいました。おめでとう」
 オラクルベリーの豪商で宰相ヘンリーの支持者である8代目セルジオには、三人の娘と一人の甥がいる。娘たちは上から長女で商売の片腕リアラ、次女でマリアの女官をつとめるリルシィ、三女ですでに結婚して他家の女将となっているリンダ、そして甥がヘンリーの秘書ネビルだった。
「おそれいります」
とリアラは言った。
「独り身の女がセルジオ商会の主人になるのはお店が始まって以来です。どうか、おひきたてを」
「それどころか、貴女は手ごわそうだ。お手柔らかに願いたいな」
「おたわむれを」
リアラはにっこりした。
「父のセルジオは、盛大な襲名披露を計画しておりますの。でも、コリンズ殿下の花嫁選びのパーティのほうが派手ですわね。それに殿下のご立派なこと」
コリンズはげんなりした顔をした。
「できたら、忘れてよ、リアラさん」
かわいい、という表情でリアラは笑った。
 マリアが声をかけた。
「コリンズ、これから行くの?」
「うん。夕方には帰るよ」
「気をつけていくのよ」
そばにやってきて、優しくマリアは微笑んだ。
「よく似合ってるわ」
「お芝居の衣装だよ、衣装!」
わざと乱暴にコリンズは言った。
「そうだわ、グランバニアのカイリファさまの招待状は取ってあるの?」
「えっ」
コリンズは赤くなった。
「カイは……ちがうんだよ。やるかやらないか、わからないパーティだし」
マリアはきっぱりと言った。
「ほかならぬそのカイリファさまが戦っていらっしゃるのですよ。きっと勝ちますとも。コリンズも、そう思うでしょう?」
「……うん」
コリンズは、服の隠しから、おりたたんだ招待状を取り出した。
「これ、カイに渡せたらって思って」
マリアはその特別の招待状を受け取った。
「では、これは取り除けておきましょうね」
ヘンリーがやってきた。
「勇者殿の一家が下界へ帰ってきたら、すぐに外交郵便でグランバニアに送ってやるよ」
すっと手を出して、コリンズの肩をやさしくたたいた。
「さあ、行ってこい。おまえはおまえにできることを力いっぱいやればいいんだ」
えへ、とコリンズは照れくさそうに笑った。
 リアラは咳払いをした。
「コリンズ様、ラインハットの街中をお散歩の際は、セルジオ商会のラインハット支店へお立ち寄りくださいませ。9代目セルジオが湯茶などご用意してお待ちしております」
ヘンリーはふりむいた。
「それはそうと」
ヘンリーはネビルのほうを見た。ネビルは、9代目は自分だと常々公言していた。さぞくやしいはずだが、今はなぜか、うつむいたままぼんやり立っている。
「ネビル、気を落とすなよ?まだリアラ嬢の婿のクチは空いてるんだろ?」
「えっ」
またまたネビルは、変な顔をした。
「どうしたネビル。おまえ今日はおかしいぞ。いつもそうだけど。ぼんやりしすぎだ」
「いえ、その、あの、こんなご時勢に、その浮かれたお話は」
「こんなご時勢?ああ」
ヘンリーは軽く言った。
「世界の破滅騒ぎだろ?大丈夫だって。絶対ルークがなんとかしてくれるから。おまえは落ち着いてリアラ嬢の口説き文句でも考えてろ」
「いやあ、はは、はは……」
力なく笑った後、ネビルは上目遣いにヘンリーを見た。
「ほんとに、ほんとに大丈夫なんですか?」
リアラはあごをあげた。
「絶対確実なことばかりやってたら商売になりゃしない。ネビル、9代目セルジオはルーク様に賭けることにしたわ。一度お味方すると決めたら、全力を傾けるのよ、ずっと昔、セルジオ家の初代がそうしたようにね」
「う、ああ」
「まさか、ネビル、ミランダ叔母さんに乗せられたんじゃないでしょうね?」
ネビルがぎくっとした。
「なんのことだいっ?」
「わからないならいいの。ミランダ叔母さんたら、あちこちで世界の終わりが来るから財産を金貨に換えて山奥へ逃げるって言いふらしてるわ」
「まいったな」
ヘンリーは首を振った。
「パニックを盛り上げているようなもんだ」
女官のリルシィはうなだれた。
「申し訳ありません、ヘンリー様。父も、身内からそんな者が出て、困惑しています」
マリアがそっとリルシィの腕をたたいた。
「リルのせいではないわ。叔母様と言う方は、きっと不安だったのでしょう。私たちだけでも、毅然としていましょうね」
「はい、奥様」
さっとヘンリーは、マリアの腕を取った。
「おれのマリア、おれの女王。ん~、すてきだ!いつものことながら。惚れ直しちゃうよ」
「まあ、ヘンリー……」
ぽっとほほを染めてマリアは夫を見上げた。マリアを愛しげに腕の中に囲い込み、その耳元に何事かささやく。マリアは幸せそうだった。
 コリンズはぼそっとつぶやいた。
「行くぞ、キリ」
「あの、ご挨拶はもうよろしいので?」
「父上と母上がいちゃつき始めると長いんだ」
そうですわねえ、とリルシィがつぶやいた。マリアの秘書をつとめている間に、ヘンリー夫妻の習慣になれてしまったらしい。
「じゃ、今日は忙しいし、行ってきます、リアラさん。リルシィ、ネビル、おれたちは出かけたって、あとで言っといてね」
だが、ネビルは心ここにあらず、と言ったようすだった。
 どうも、おかしい。とコリンズは思った。

 野次馬根性と計算高さはどちらもラインハット人の本領である。破滅の予兆が町を覆う毎日が続いても、ひとたび目立つイベントがあると、街中が集まってくる習性があった。
「なんだ、なんだ?」
「王子様がお出かけなんだと」
「えっ、田舎へ逃げようってのかい?」
「やっぱりラインハットはやばいのかっ」
だが、聞かれた方は、首を振った。
「いや、女の子にきゃあきゃあ言われてる」
「は?」
 目を丸くしている市民の前で、華やかな白い馬車がまた、とまった。きゃあっと声をあげて少女たちが押し寄せてきた。
「押さないで、押さないで」
立派なお仕着せの従僕が二人がかりで、列を整理している。行列に並んでいるのは、箸が転んでもおかしいような年頃の娘たちだった。
「招待状よ、招待状!あたし、お城の中を見るだけでもいい!」
「あたしは絶対、パーティに出るわ。田舎に引っ込んでいられるもんですか」
「荷造りしたものをほどいて、一番いいドレスを出さなきゃ」
「何が何でも新しいのをつくるっ」
訳知り顔の娘が、隣の子にささやいた。
「でもぉ、コリンズ様って、九つかそこらでしょ?年の差がずいぶんあるわ」
まわりからいっせいに声が起こる。
「年の差なんて!コリンズ様って、案外お姉さんが好きかもよ?」
「気に入られれば、玉の輿じゃないっ。じゃなくて、愛がすべてよ」
どいて、どいて、と列には、ローティーンの少女たちも並び始める。
「年増は引っ込んでてね。年がつりあうのは、あたしたちよ」
「なんだって、このガキ!」
だが、誰かが一言、すましてこういった。
「あたしは王様狙い」
なんですってぇ?とまた大騒ぎになった。
「パーティにはきっと、デール様もおいでになるわ。独身の国王よ?狙わない手はないでしょう」
なにせ、一代前には、庶民から王妃になりあがった例がこの国にはある。きゃああっ、と悲鳴とも歓声ともつかない叫び声が巻き起こり、行列はたいへん華やかだった。
 列の一番先には、コリンズが待っていた。先頭の少女がすすみでると、にっこり微笑む。
「あなたも、おれのパーティに来てくれますか?ありがとう。光栄です、こんなに美しい人が来てくれるなんて。キリ、招待状をお渡しして」
まじめな顔でバスケットから招待状を取り出し、娘に手渡しながら、キリは舌を巻いていた。
「あの親にしてこの子あり、と」
招待状をもらった娘が、はにかみながらくすくす笑い、スカートのすそをちょっとつまんでお辞儀するのを、いかにもたらしくさいにやけた笑顔でコリンズは見つめ、手を振っている。その表情が、ヘンリーによく似ていた。
「コリンズ様、そろそろ移動のお時間です」
「次はどこだっけ?」
「カフェかもめ亭前です。かもめ亭主人のジュストさんが待っているそうです」
コリンズは、わかったと言ってうなずき、馬車のほうへ向かった。
 ええ~っと女の子たちから、不満そうな声が沸き起こった。
「ごめんね、みんな!」
コリンズは振り向いて声をあげた。
「今日中に、ラインハットの町の中を全部回らなくちゃだめなんだ。でも招待状はお城にたくさんあるから、取りに来てね」
ぱっと両手を広げてアピールする。
「でも、オンナノコ限定だよっ」
きゃあきゃあという黄色い声に送られて、コリンズは馬車に乗り込もうとした。
 そのときだった。空の一角から、黒雲が湧き上がった。
「なんだ、なんだ?」
街の人々も娘たちも、コリンズ付きの兵士や従僕たちも、あわてて空を見上げた。黒い不吉な雲はインクを流したように広がり続け、太陽を飲み込んでいく。あたりが暗くなり、色彩が消えた。
「くそっ、台無しだっ」
コリンズはつぶやいた。
「殿下、早く馬車へ!」
キリがうながした。だが、コリンズはじっと空を仰いでいる。
「見ろよ、キリ」
キリはつられて上を見上げ、そして息を呑んだ。
 光の筋が現れていた。光でできた金色の4本の直線が空に現れ、45度の角度を保って交わる。その上に円盤が描かれ、さらに下には、何かの形ができつつあった。
「“太陽と門“だ!」
誰かが叫んだ。だいぶ前にラインハットから払拭されたはずの邪教「光の教団」の紋章だった。
 陰々とした風がラインハットを吹きすぎた。どこからか大音声が聞こえてきた。いかにも威厳のある、従いたくなるような声。だが決定的に暗く、陰鬱で、身震いするほど邪悪だった。
「われに従え!」
その声は命じていた。
「やがてこの地はわれわれが喰らう。命の惜しいものは、疾く我が門に下れ!」
最後に悪意に満ちた高笑いの声を響かせて、紋章と黒い雲は消え去った。
「キリ!」
あたり一面騒然としている。悲鳴とわめき声の渦の中から、 コリンズが叫んだ。
「城へ戻れ。父上に報告する!」
「はいっ」