運のいい男 第二話

 ヘンリーは、ずっと黙って聞いていた。
「それで、どうなったんだ?」
「実は、おぼえてないんだ」
とルークが言った。
「あとからピエールに、手が付けられないほど暴れていた、って聞いた。あやうくピエールたちまで爪にかけるところだったみたい」
 部屋の外のテラスで、アイルはカイに目配せした。どうにもがまんできなかった。アイルたちはそっと頭をのばして、室内をのぞき見た。
 ルークは、片手で眼の辺りをおおっていた。
「ぼくは、竜に変化してたんだよ。とても信じられないと思うけど」
「そうでもないぜ?」
ルークは顔を上げた。
「え?」
ヘンリーは背もたれの高いイスの腕木で片手のひじを支え、その手でほおづえをついた。
「信じられるさ。というよりか、お前の正体がでかい竜だなんてこと、おれはとっくに知ってる」
「いつ?」
「つきあい始めてまもなくだな。ま、昔話はいい。で、子どもたちは?」
「その場ですぐに蘇生させた。ザオラルが効くまで、気が狂いそうだったよ」
「でも、うまくいったみたいだな。よかったじゃないか」
「だけど根本的な解決になってないよ。これから敵もどんどん強くなっていくと思うんだ。あの子たちを戦いに連れて行く限り、また死ぬかもしれない。目の前で子どもに死なれるなんて、もういやなんだ」
「連れて行かないと、いつまでも弱いままなんだろ?」
ルークは、手を握って自分の膝をたたいた。
「そうなんだけど……っ」
「おい、落ち着け」
「この世界でもう探していないところなんて、ほとんどないんだ。ぼくには、わかる。ビアンカは、あそこにいる」
「あそこ?」
「天空城で世界を巡ってただ一箇所、入れないところがあった。ごつごつした岩山が雲を貫いて立ち並ぶところ。その上に、見覚えのある神殿が建ってた。そうだよ、ヘンリー。あの場所だ」
ヘンリーの目は、大きく見開かれていた。幽霊を見た人のような目つきだった。
「あれか!」
「あれだよ。つまり、敵の本拠地だ。とてもあの子達を連れて行けない。頼む、ヘンリー、あの子達を、預かってくれないか」
「そう来たか……」
ヘンリーは吐息をもらした。
「ひとつ聞くが、なんでグランバニアじゃないんだ?」
「グランバニアじゃあの子達が、特にアイルが勇者だってことは知れ渡っているからさ。またサンチョあたりが連れ出してしまうに決まってる」
ドリスも怪しい、と苦笑い半分にルークはつぶやいた。
「おいおい、勇者殿を監禁しろっていうのか?第一、アイルにもアイルの意見があるんじゃないのか?」
「あの子は“お母さんを助けに行く”って言うに決まってるよ。でも!子どもたちが死ぬのを見ていられないんだ」
ヘンリーはイスから立ち上がり、おかしくなさそうな笑い声をたてた。
「知らなかったぜ。最近の勇者ってのは、パパがだめだと言ったら、おとなしくおうちにいるものなのか」
「ヘンリー!」
ルークも立ち上がった。
「君にだって、コリンズがいるだろう?!親の気持ちがわからないわけないじゃないか!」
疲れ果てたように肩を下げ、ルークはヘンリーから視線をそらせた。
「頼むよ……あの子たちの無事に比べたら、この世の救いも勇者の使命も、ぼくはどうだっていいんだ」
ぽつりとヘンリーが言った。
「パパスさんが泣くぞ」
 ルークのほほが、かっと紅潮した。
「ビアンカは、ぼく一人で助けに行く。ずっと魔界にいる母さんには悪いけど、今のぼくには、子どもたちのほうが大切なんだ」
「へえ」
なにげないようすで、ヘンリーはルークに近づいた。いきなりルークの服の襟をつかんでしめあげた。
「あんまりふざけたことぬかしてんじゃないぞ!」
外で見ている子どもたちが思わず息を飲んだほどの、きついなじり方だった。
 窓が揺らぐほどの勢いで、ヘンリーはルークの肩を壁にたたきつけた。
「勇者の使命なんかどうだっていい、だと?それじゃ、あのとき、おれがどうしておまえを旅立たせたと思ってるんだ!」
言いながら、どしん、どしん、と壁に親友をたたきつけた。ルークは、あっけにとられて口もきけないようだった。
「おまえが……パパスさんから受け取った使命の重さを思ったからこそ、おれは……もしそうじゃなければ、おまえを行かせたりしなかった!」
噛み付くように叫んだとき、羽飾りの帽子が降り飛ばされて後ろへ落ちた。大きな目がゆがみ、唇がふるえている。日ごろ、幾重にも身にまとっている気取りや余裕をすべてかなぐり捨て、ヘンリーは大声で本音をたたきつけていた。
「地下牢に閉じ込めたって!首に縄をつけてでも!おまえを、ひきとめたのにっ……」
言葉はとちゅうで途切れ、後は荒い呼吸にしかならなかった。

 子どもたちは、テラスの外で目を丸くしていた。
「あんな父上、初めて見たぜ」
コリンズがそうつぶやいた。
「ぼくだって」
とアイルは口の中でそう言った。
「お父さんがあんなこと考えてたなんて」
部屋の中に飛び出して叫びたい、とアイルは思った。ぼくは大丈夫、ぼくは戦える、だから、置いてくなんて言わないでっ……

 ヘンリーはそっとルークから離れ元のイスにすわりこんだ。片手で顔を覆い、小さくうめいた。
「ヘンリー?」
「うるさい」
「いや、あの」
「黙って聞け、意見してやるから」
眼の上から手を離して、じろりとヘンリーはにらんだ。
「おれは……」
言いさして、くちごもる。
「おれは、そうだな、ただの人間だ。人生はせいぜい五十年、コリンズが大人になるころにはもうこの世にはいないだろう。だから、あの子が国王としてうまくやっていけるように、この国を整えて準備してやるくらいのことしかできないんだ」
「ヘンリー……」
奇妙に真剣な表情で彼は親友を見上げた。
「あいつが生まれたとき、おれはやっと気がついたんだ。おれが今まで生きてきたこと、やってきたことは、全部あいつに“渡す“ためだったってことを」
「ぼくは、ぼくだって、たぶん、そうだよ。アイルとカイに、ぼくは平和な世界を渡したい」
「おれは、うらやましいんだよ」
「え?」
「パパスさんのこと、おぼえてるか?ラインハットの古代の遺跡で、あの人はお前といっしょに戦い、回復してくれてたよな」
「うん。よく思い出すよ。父さんも、いまのぼくみたいな気持ちがしたのかって」
「なあ」
ヘンリーは座りなおした。
「知ってるか?伝説の勇者の父は、天空人と結ばれて勇者が生まれる前に亡くなったそうだ。デールに聞いた話では、昔はどこかの山奥にその墓もあったそうだ。今はわからなくなってるけど」
長い指を組み合わせ、ヘンリーは記憶をたどるように話を続けた。
「よその国では、大魔王のダンジョン深部でやっと、生き別れになった父の死に目に会えた勇者もいるという。別の伝説だが、紋章を共有しているのに、勇者である息子とは、親子だと名乗りあうことすらできない父親もいたらしい」
「そうなんだ……。辛かっただろうな」
「いいか?」
とヘンリーは言った。
「おまえは、すごく運がいいんだ。なにしろあの子と、勇者と、剣を並べて戦ってやれるんだから。考えてみろよ、そんなことが可能だった“勇者の父親”が、何人いたと思う」
「それは……」
「おまえだけだ。今までの人生、おまえがいろいろと不幸な目にあってきたってのは、よく知ってる。でも、こと“勇者の父親”、として見た場合、おまえはものすごく運のいい、恵まれた父親なんだ」
やっとヘンリーは、いつもの表情で微笑んだ。
「アイルといっしょに戦い、必要なら全回復も蘇生もしてやれるんだから」
ルークは、元の椅子にすとんと腰を下ろした。憑き物が落ちたような顔をしていた。
「ぼくは、ラッキーだったのか」
「そうだよ。親ばかの幸せ者だ。アイルは、特別な使命をもって生まれてきたんだ。それを父親のおまえが邪魔してどうすんだよ」

 アイルは、そっと立ち上がった。
「戻ろう」
カイとコリンズも無言でその場を離れた。
 また足場を通って、コリンズの部屋へ帰るまで、子どもたちは無言だった。照れくさいし、どきどきしている。今、お父さんと面と向かったら、何て言っていいのかアイルにはわからなかった。
 コリンズの居室では、従僕のキリが待っていた。
「コリンズ様、どちらにいらしたんですか?」
「遊びに行ってただけだよ」
「アイル様、カイ様、そろそろ、お父上がお帰りになるそうですので、正門までお戻りください」
アイルは、妹と顔を見合わせた。
「ぼくたちも、お父さんと帰るんだね?」
キリはきょとんとした。
「はい。いつものように」
「よかったな」
とコリンズが声をかけた。なんとなく、いつもより、おとなしめだった。コリンズもコリンズで、何か考えているようだった。
「今日は、ありがとう。また来るね」
「ああ」
「今度はカエルレースやろうよ」
「よし、待ってるぞ」
手を振ってアイルはカイといっしょに廊下へ出た。
 預けられたりしなかった。お父さんだけ黙って行っちゃったり、しなかった。アイルはだんだんうれしくなってきた。
 足早に玄関ホールへ急ぐと、ルークとヘンリーが何か話しているのが見えた。
「いつ、行くんだ」
「一両日……せっかく決心がついたんだから、早いほうがいい」
お父さん、とアイルは呼んだ。
「どこか行くの?あのダンジョン?」
ルークは小さく微笑んで、アイルたちを見た。
「“封印の”?いいや、あそこは後回しだ」
「え~」
はっきりとした声で、ルークは言った。
「母さんを助けに行く。大神殿へ乗り込むんだ」
アイルは立ち止まった。
「母さん、ビアンカ母さん?」
カイはささやいた。
「そうだよ。パーティメンバーを選抜して防具を調えたら、すぐに出発する。アイル、カイ」
アイルは、名前を呼ばれて、ぞくぞくした。父さんの目の色。不思議な瞳。
「ぼくのパーティの最強メンバーは、君たちだ。いっしょに来てくれるかい?」
うん、うんっ。
 言葉にならず、ただうなずきながら、アイルは自分の手に妹の指がからんでくるのを感じて、ぎゅっと握り締めた。
 お父さんといっしょなら、どこまでも行かれることを、アイルは知っていた。