オラクルベリーの仮面祭 第二話

 なんだ、女の子じゃないか、という声でカイは目を覚ましたのだった。単調な音の繰り返しが眠気を誘う。すぐそばに、波が寄せているようだった。
 カイは強く首を振って、自分を叱った。目を覚ましておかなきゃ。
 あのウサギの仮面は引きちぎられて鉄格子の向こうの岩の上にある。その岩の向こう側に、人影が見えた。
「だって、ウサギですよ」
「どっかで取り替えたんだ。よく確かめろ!」
小太りの男と、しなびたような老人だった。だが、どう見ても老人のほうが立場が強いらしかった。
「やっと七歳と三ヶ月の男の子を見つけたってのに、お得意様になんて言うんだよ」
「お得意様って、ロクサスのお殿様でしょ?いつもは女の子をお買い上げなのに」
「ばかもんが、お得意様は、別口だ。どうも薄気味悪いのがなんだが、金払いがいいんだ。ご注文は七歳と三ヶ月の男の子だ」
「なんでまたそう条件つきなんですかね。適当な男の子を見繕ってお届けすりゃいいじゃないですか」
老人はわずかに残った歯をむき出した。
「お得意様にはわかっちまうんだ」
ふん、と老人は言った。
「まあいい。娘っ子ならなんとか売る手もある」
「そうですよね」
「ばかもんが、おまえのせいで儲けをむだにしたんだっ」
老人は激しく咳き込んだが怒鳴るのはやめなかった。
「ラインハットはここんとこ特に警戒が厳しくて、祭りでもなきゃ近寄れやしない。ロクサスの伯爵様との取引も、おかげでしょっちゅうはできないんだ。支払いもよかあないし。そこへ行くと今度のお得意様は気前がいい。七歳と三ヶ月の男の子なら、何人でも引き取るとおっしゃってる」
そう言いかけて老人はまた咳き込んだ。
「忘れるところだった、あれを持って来い」
あれというのは、いかにも奇怪な人形のついた杖だった。
「おまえさんからは魔法の匂いがするからね。用心のためさ。ヒヒ、これかい?珍しいだろう?魔封じの杖というんだよ」
おかしらと呼ばれた老人はそれを鉄格子の中のカイに向けて一振りした。
 老人は手下に、今夜中に取引するから用意をしておけ、と命令してどこかへ消えていった。
 カイは、海岸の洞窟に鉄格子をつけた牢屋に取り残された。
「こんなことは、はじめてじゃないもん」
カイは、どうしても震えてくる手をもう片方の手で握り締めて、自分を励ました。
「すきを見て、逃げればいい。だいじょうぶ、できるわ」
「できなかったら、どうするの?」
それは、奥のほうから聞こえた。子供っぽい、細い声だった。
「誰かいるの?」
声をひそめてカイはたずねた。
「わたし、カイっていうの。さらわれてきたの?」
 奥の暗がりから、カイより少し小さいくらいの女の子が一人、這うように出てきた。泣きつづけたらしく目がはれていた。
「コニー」
その子は名前だけ言ってしゃくりあげた。
「ふ、船で、つ、連れてこられたの」
「ここ、島なの?」
コニーはこくりとうなずいた。
「オラクルベリーの沖にある小島の一つよ。だから、逃げてもつかまっちゃう」
それは悪い知らせだった。どうしよう、とカイは唇を噛んだ。できることなら、うわ~っと声をあげて叫びたかった。
「でも、わたし、逃げなきゃ」
泣く代わりにそう言った。そのことで、少し落ち着いた。
「こんなとこで終わりになんか、できない。わたし、絶対逃げなきゃ」
コニーは目を見開いた。
「カイちゃんはすごいね」
カイはコニーのそばまで行って、手をつないでやった。
「わたしのお兄ちゃんがきっと助けに来てくれると思うの。いっしょに逃げよ?」
うん、とコニーは言って、初めて笑った。

 夜のオラクルベリーには明るく灯がともされて、仮面祭はいよいよ盛り上がっている。
「プックルはいっしょにきて。スラリンとメッキーは、留守番頼むね」
小さなスライムはぴきぃと鳴いた。
「大丈夫。すぐにサンチョが来てくれるよ。そうしたら、ぼくがカイを探しに行ったって、言ってね」
ポケットに薬草をつっこみ、大事な剣を背負って、アイルは宿の自分たちの部屋で、一生懸命仕度をしていた。
 メッキーがはばたいた。
「なんだって?大丈夫。カイは絶対、近くにいるよ。ぼくにはわかるんだ」
小さい頃から、ずっとそうだから。双子でも、普通そんなことはない、と人は言うけれど、アイルにもカイにも信じられない。お互いがどこにいて、どんな状態なのか、大体の見当がつくのだった。
「港へ行ってみるよ。ボートなら漕げるし。あの子は海の方にいる、そんな気がして、しょうがないんだ」

 ちょうどそのころ、一艘の小舟が沖の小島へ近づいていった。
 約束の時刻になると、無数の島の一つにたいまつの灯りがつき、くるりと回って小舟に合図を送った。
 舟には二人の男が乗っている。一人は棹をさして舟を操り、もうひとりはその主人のようだった。

 その島を人買いの一味が仮の泊りに選んだのは、島の、オラクルベリーと反対側の面がなかなかいい隠れ場所になったからだった。大きくえぐれて人が住める空間があり、自然にできた桟橋に船をつなぐこともできた。桟橋のそばに“商品”をいれておくための洞窟まであった。
 時刻は深夜を回っていた。人買いのおかしらは、ロクサス伯爵の到着を待った。伯爵は、オラクルベリーの祭で警戒が緩むときを見計らって取引したい、と言ってきたのだった。
 おかしらはお得意様のために獲物を探していたので、伯爵との取引に飛びついた。毎年オラクルベリーの祭は、商品集めに最適だった。

 アイルは、岩棚に身を縮め、巨大なキラーパンサーの頭をおさえた。
「しっ、プックル」
 先端に灯りをつけた小舟が、島の裏側へ回ってきた。その中に立つ男がアイルのいる岩棚からもはっきりと見えた。
 この島だ、という自信は揺らいでいない。だが、肝心のカイの姿が見えなくて、アイルは探しあぐねているところだった。そこへ、なんだかいい人には見えない人間たちが集まってきたのだった。
 そして、その小舟も。
 最初、黒い大きな不吉な鳥が、翼を広げて飛んでくるように見えた。すぐに黒いマントの男だとわかった。その顔の上半分が、カラスの仮面で覆われていた。
フードで頭部を隠し、大きな肩あてでマントの幅を広げて全身を覆っているので、体格さえよくわからない。男は身じろぎもせず、彫刻のように立ちつくし、舟は彼を乗せたまますべるように近づいてきた。
 従者が舟を島へつけた。同じくらい背の高い男だが猫の仮面をつけている。先に主人が舟を下り、猫の従者が金袋をいくつも抱きかかえてあとに続いた。
金を見て、老人がにんまりした。
「ようこそ、伯爵様。おや、仮面祭からおこしで?」
老人は小ずるい顔でそう言った。伯爵と呼ばれた男は無言でうなずいた。
「ご注文は女の子でしたねぇ。いい子が入りましたよ」
「まず、見せてもらおうか」
伯爵の声はよく通った。命令することに慣れたようすが感じ取れた。アイルは身震いした。悪者の伯爵を、アイルはやっつけて妹を助け出せるだろうか?
 人相の悪い手下が、奥から小柄な人影を連れてもどってきた。アイルは緊張した。プックルがすぐそばで軽くうなる。しっ、とアイルはつぶやいた。
「どうです。いい子でしょう」
それはカイだった。いやらしい老人は、とがった爪でカイのほほをつついた。
「いいところのお嬢様ですよ。ええ?きっと美人になりますねぇ」
伯爵はじっとカイを値踏みしていた。カイは、手を後ろに縛られ、口には猿ぐつわをかまされていたが、けがはなく、思ったよりしっかりしているようだった。
「いいだろう。この子をもらおうか」
「まいど、どうも」
老人は舌なめずりをした。
 猫の仮面の従者が金袋を持って、老人と小舟のちょうどあいだにやってきた。老人が合図すると、手下がカイを連れてきて従者に渡し、金袋を受け取った。従者はカイの腕をつかんで、小舟に乗せた。
「今だ、プックル」
アイルは小声でけしかけた。プックルはいさんで一歩飛び出した。が、すぐに足を止め、ぐるると鳴いた。
「どうしたの?あの男をやっつけて」
だがプックルはとまどった顔をして動かなかった。
「おい、なんだ?」
手下がアイルたちのほうを見た。アイルはあわてて首を引っ込めた。
「他に売り物はないのか」
と伯爵が言った。
「もう一人女の子がいます。お見せしましょうかね」
「ああ」
旦那もお好きだねえと言いながら、老人はまた手下に合図した。どこかで鉄格子の上がる音がして、別の子が連れてこられた。
 もういちど金袋と少女の交換が行われた。
 アイルは物陰を選んで伯爵の乗ってきた小舟のほうへ移動した。伯爵も従者も、舟の外にいる。アイルは音を立てないように小舟に乗り移った。カイはすぐにふりむいた。む、む、と何か言おうとした。
「静かにして。今縄を切ってあげるから」
アイルはこの世に二つとないアイル専用の武器を背中からおろし、鞘から抜き放った。かすかに光る刀身を縄にあてて、アイルは音を立てないようにこすりだした。

 アイルは横目で悪者のようすをうかがった。
「今回はこんなもんですよ、旦那」
と、老人は言った。
「あたしもこの道では何十年も食べてますけどねぇ、近頃は獲物が少なくていけませんや」
そう言って、老人はずずっとすすりあげた。
「こう警戒がきびしくちゃねえ。あたしのような年寄りには、生き難いご時世ですよ、まったく」
「それは気の毒にな」
伯爵はそう言いながら、人買いのおかしらのほうへ歩きはじめた。ぐちっぽく話していた老人が、ぎょっとした顔になった。
「伯爵様、なにか、まだご用で」
伯爵は無造作に老人に近づいた。手下たちが警戒心もあらわに老人の周りを囲んだ。
「いけませんや。ロクサスのお殿様ともあろうお方が、哀れな年寄りの稼ぎを掠めようなんざ、お名前にかかわります」
「人買いの上前はねるほど落ちぶれてねえよ」
くだけた調子で伯爵は言った。次の瞬間、光る刃がマントの合わせ目からすべり出てぴたりと老人の鼻先にとまった。
「騒ぐな!」
あわてて武器を持ち出す手下を、伯爵は一声で静めた。
「礼をしようと思っただけだ」
仮面の下に見える口元が、皮肉な笑みを浮かべた。
「ラインハットの領内で子供をさらうとは、なめた真似をしてくれたじゃないか!」
従者が仮面をはずして老人を取り押さえ、腕をくくった。
「三日前、ディントン領内の村から、鍛冶屋の娘で六歳のコニーをかどわかした罪だ。地下牢でたっぷり余罪を絞ってやるから、覚悟しろ」
「あんた、ロクサスの殿様じゃないのか」
老人はひっくり返った声で聞いた。伯爵と呼ばれていた男は左手でフードをはねのけて仮面をはずした。
「オラクルベリーのヘンリー」
げっと老人は声をあげた。
 いきなり波音が高まった。アイルは島の陰から、大きな船が回ってくるのを見た。老人をおかしらとあおぐ人買い一味の船だった。
 船は、アイルたちの乗っている小舟をひっくり返すほどの勢いで迫ってきた。
「つかまって、飛ぶよ!」
カイと、コニーという少女は、ちょうどアイルが縄を切り終わったときだった。子供たちは間一髪で舟と一緒に沈没するのを免れた。
「ヒヒヒヒヒ」
老人が狂ったように笑い出した。
「あんたの舟はなくなっちまったよ。さあ、どうするね、大公様」
ヘンリーと名乗った人は、むしろ生き生きして見えた。
「おまえの船で帰るさ!トム、やるぞ!」
老人の手下どもが刀を振りかざして襲ってきた。ヘンリーと、トムいう名の従者はあらためて剣をかまえた。
「プックル!」
アイルは大声でキラーパンサーを呼び、自分も剣を構えて乱戦に加わった。
「このガキはっ」
ごつい大男がアイルを見つけた。アイルはかまわずに飛びこみ、剣をふりまわした。
 殺すつもりはない。アイルの剣が足を斬りつけ、大男は情けない悲鳴をあげてうずくまった。その手から武器を蹴飛ばし、アイルは次の敵に向かっていく。
「坊や、やるね!けど、危ないよ」
数人を相手に切り結んでいたトムが声をかけてきた。
「おじさん、後ろ!」
「おうっ」
 プックルは乱戦の中で一人前以上の働きをしていた。プックルに追い詰められた男が、ついにわわわ、と叫んで逃げ出した。プックルは大きくジャンプをして、その男の背にとびつき、鋭い爪を立てた。血しぶきが飛んで男は倒れた。
倒れたむこうに、剣を構えたヘンリーがいた。アイルは思わず叫んだ。
「その子を殺さないで!」
ヘンリーは動かなかった。動きの邪魔になるマントはとうに脱ぎ捨てている。じっと目を見開いていた。ヘンリーは剣を鞘に収め、一歩近寄った。
 プックルは血の臭いと戦闘で興奮していたが、攻撃しようとはしなかった。
「プックルだって?本当におまえなのか。こんなとこで、何をやってる?おまえのご主人はどうした?」
プックルは悲しそうに一声鳴いて、ヘンリーの胸に頭を押し当てた。
「殿下、それは」
トムが驚いて声をかけた。人買いの手下のほとんどは、うめき声をあげて転がっていた。
「こいつはルークの猫だよ」
「わたしには野生のキラーパンサーと変わりなく見えますが」
「バカ言っちゃいけない。リボンをつけたキラーパンサーが、この世に二頭もいるか?」
アイル、と呼ぶ声がした。カイが、もう一人の女の子と一緒にそばに来ていた。
「あの人、プックルを知ってるんだわ」
「うん!」
 アイルとカイは、プックルに近寄った。すぐに気がついてプックルは双子のほうへ身を翻してきて、アイルのそばへ猫のように行儀よく座り込んだ。アイルはせいいっぱい背を伸ばし、その首に手を回した。
「この子を知ってるの?いつ会ったの?」
ヘンリーはなにか言おうとした。が、その視線がアイルの顔から、手に持った、子どもには大きすぎる剣にうつった。もう一度顔へ。そして、飛竜の姿を模した緑色のもち手のある、巨大な剣、「天空の剣」へ。はっきりとヘンリーが息を呑む音がした。
 急に、ヘンリーは微笑んだ。ときどきサンチョがするような、痛みの入り混じった笑顔だった。すぐそばへ来て、アイルの顔をのぞきこんだ。しばらく黙って見ていたが、ちょっとかすれた声で話し始めた。
「はじめてプックルに会ったのは子供のころさ。ルークというおれの友達が紹介してくれたんだ。これは本当は猫じゃなくて、ベビーパンサーっていうらしいよとルークは言っていた」
アイルは呆然としてつぶやいた。
「それは、おとうさん?」
ヘンリーは視線をカイへ移した。
「もっと言おうか?プックルという名をつけたのは、幼なじみの少女。強く、美しい、金の髪をした炎の使い手。こいつのリボンの、元の持ち主」
カイの目に、涙が盛り上がって溢れた。
「おかあさん」
ヘンリーは、その場に片膝をついた。
「オラクルベリーがご挨拶を申し上げる、グランバニア王ルキウス七世の御子、アイトヘル殿下、ならびに王女カイリファ殿下。我が領土へようこそ」
そう言って、くす、と笑った。
「あれからもう、七年か?おれの息子だって大きくなってるのに、ルークの子どもたちがいつまでも赤ん坊だと思っていたおれが、つくづくうかつだった」

 結局サンチョは、オラクルベリーの近くにある漁村に漂着していたことがわかった。嵐の夜に岩場でだいぶけがをして、動けなかったらしい。ヘンリーの部下が馬車を仕立てて、アイルたちをその村まで送ってくれることになった。
 ヘンリー自身はかなり忙しいらしく、すぐにラインハットへ行ってしまった。だが、出発前、最後に交わした会話を、アイルは忘れられなかった。
「道中、じゅうぶんに気をつけなさい。七歳の男の子を狙う連中がいるからね」
「七歳の子なら、たくさんいるよ」
「おれの息子も七歳になるが、なぜかあいつは狙われたことがない。誘拐されるのはいつも、特定の期間に生まれた少年だ。ちょうどきみぐらいのね」
緑がかった青い目で、ヘンリーはアイルをじっと見つめた。
「心当たりはないかな?」
アイルはぎくっとして、むやみに首を振った。ヘンリーはクックッと笑った。
「正直だね、アイル君。その気になれば、もう少し話してくれることがあるとにらんではいるんだがね?」
ヘンリーの唇が、声をたてずに動いた。
 たとえば、君の、専用の武器のこととか。
 アイルの手が反射的に荷物のほうへ動いた。祖父から父へ、父からアイルへと託された伝説的な宝剣が、その中に大事に収められている。
 笑いをこらえきれないという表情でヘンリーが見ているのに気がつき、アイルは赤くなった。
「さあ、気をつけて行きなさい。サンチョ殿によろしく伝えてくれ」
 双子は再び旅立った。
 アイルとカイがラインハットを訪れ、再びヘンリーに出会うのは、その翌年、二人が八歳になった春の、半ばをすぎたころになる。