コリンズの冒険 第一話

 深夜、国境の関所へ向けて、尋常ではない速度で馬を駆る人影があった。あたりは闇の中である。
「誰だ!」
当直の衛兵が二人、疾走してくる騎馬に槍を向けた。
「ヘンリー・オブ・オラクルベリー!」
大声で返事があった。衛兵はすぐに槍を収め、用意の替え馬を引き出した。
「お急ぎください、殿下」
オラクルベリー大公は、当年二十五歳。押しも押されもせぬ、ラインハットの宰相である。もう、めったなことでは単騎で関所を越えたりする事はなかった。
ヘンリーは緊張にこわばった顔で馬を替え、たずなをさばいて一気に地下通路へ下った。目指すは王都、ラインハット。

 ヘンリーが都の正門へ到達したとき、一番鶏が鳴いた。そのまま速度をゆるめずに城内へ入り、もどかしげに馬を降りたとき、国王付きの侍女シビルが走ってきた。
「陛下は、峠を越えました」
ヘンリーは疲労の濃い顔にさっと喜色を浮かべた。
「だいじょうぶだって?」
シビルはくまの目立つ顔で涙ぐんでいた。
「今はお休みでいらっしゃいます。どうぞ、こちらへ」
 ここ数日、国王デール一世は高い熱と激しい嘔吐に悩まされていた。一方ヘンリーは、北ラインハット一帯を襲った豪雨と洪水のために、昼夜の別なく奔走していた。国王危篤の報が入ったのは昨日の夜更けだった。
 大水の出た地方へ人や物を送るために、キメラの翼は使い切ってしまっていた。セルジオがあわてて号令を飛ばしてオラクルベリー中の在庫を調べさせてくれたが、ヘンリーは待ちきれず、一人馬を飛ばしてラインハットへ向かったのだった。
 シビルの先導でヘンリーは城内のデールの病室へ向かった。徹夜したらしい従僕や侍女があちこちにいる。貴族たちも集まってきたらしいが、シビルはうまく彼らの目を避けてヘンリーを案内していった。城内にはどこか、ほっとしたような空気が流れていた。
 病室の控えの間には、侍女たちとともに、国王の生母アデル太后が詰めていた。声を潜めて太后はささやいた。
「もう、だいじょうぶだそうな。どうなることかと思いましたが……」
「安心しました。義母上も、どうかお休みください」
太后は微笑んだ。
「ヘンリー殿も夜通し駆けていらしたのであろう?」
「ええ、まあ。少し、顔を見てきてもいいですか」
太后がうなずいた。ヘンリーは音を立てないように病室の扉を開き、内側へ滑り込んだ。
「兄さん?」
 デールは目がさめていたようだった。どっしりとしたカーテンを深くひいた室内は、薄暗く、豪華な調度がシルエットになってかえって不気味だった。高い天蓋の下、絹のとばりのなかの大きな寝台の上に、紙一重で命をつなぎとめた国王が横たわっていた。
 ヘンリーはベッドのそばにあった椅子を引き寄せて逆向きに座りこみ、背もたれの上に両腕を乗せて額をつけた。
「……驚かせてくれるなよ」
デールは片手でなんとかとばりを引きあけて、ささやいた。
「ごめんね」
デールは、透けて見えるほど白い顔になんとか笑みを浮かべた。
「おまえが死んだらと思ったら、おれ、もう」
ヘンリーは腕に顔を押し付けたまま、言葉を切った。
「ねえ、兄さん?」
「ん?」
「そのことを考えてみたのだけど」
ヘンリーは顔を上げた。
「そのことって、死ぬことか?」
「ええ。ありえない事じゃないのが、よくわかりましたから。私は、国王としてなすべきことをしておきたいのです」
「何を?」
「後継者の指名です。コリンズを王太子にしたいのです」
「デール」
ヘンリーは弟の顔を見なおした。
「だって、おまえまだ二十四だし、これから結婚して後継ぎができるかもしれないし」
「これから結婚相手を選んで、婚礼をあげて、なんとか子供をもうけて、その子が育って?」
どこか大儀そうにデールは唱えた。
「私がその前に死んだら、ラインハットはどうなります?」
ヘンリーはためらった。重ねてデールが、正解を承知している問いの答えを強いた。
「兄さんなら、ご承知のはずでしょう」
ヘンリーは弟の、真剣な目を見返した。
「まず、内乱になるか。ラインハットの歴史上、何度も起こったことだ」
「その通りです。私は、王位継承者なしで死ぬわけにいかない。起きられるようになったら、臨時の最高会議を召集してください」

 半月ほどたってから、デールの望みどおり、最高会議が開かれた。会議の席には、珍しく太后アデルと、オラクルベリー大公妃マリアが姿を見せた。
「今日は半ば最高会議、半ば家族会議なので、母と義姉に参加してもらいました」
病の癒えたデールは、聡明な瞳で閣僚たちを見渡した。
「諸卿もすでにご存知の通り、私は、後継者として、甥のコリンズを指名したいと思います」
小さな吐息が閣僚たちから漏れた。
「異議はありません」
オレストが言った。
「コリンズ様はいまのところラインハット王家に連なる唯一の、戴冠の可能な男子であられます。妥当な人選かと存じます」
他の閣僚から拍手が起きた。
「ありがとう。これで反対しているのは兄さんだけですよ」
ヘンリーは不満そうに腕を組んで宰相の席に座っていた。通常の会議ほど行儀がよくはなく、足を高々と組んでいた。
「あいつは六歳だ。時期が早すぎる」
「では、今は内定ということにしましょう。コリンズが十になったら、正式に立太子式を行います。それでどうですか?」
ヘンリーは顔をしかめて何やらうなっていたが、一つ咳払いをした。
「おれが問題にしているのは、コリンズの素行だ。とてもじゃないが、国王がつとまる器とは思えないぞ」
会議室は、あっけにとられたような沈黙に満ちた。
「兄さん、それ、本気で言ってます?」
「本気じゃ悪いか?」
オレストが咳払いをした。
「自分のことを棚に上げて、ずうずうしいにもほどがありますな」
トムが同調した。
「コリンズ様など、まだかわいいもんです、昔の殿下に比べれば」
年配の閣僚たちが口々に言い出した。
「あんなもんじゃありませんでしたな」
「死屍累累でしたからな」
「時々思うのですが、コリンズ様の手口は、殿下がこっそり教えたのではないかと」
ヘンリーの額に冷や汗が浮いた。
「ちょっと、まて」
「ヘンリー殿」
太后アデルだった。黒いレースの扇の陰に笑いを隠して太后は言った。
「昔わらわのドレスの内側にミミズを押しこんだ方が、立派な大人になっておられる。コリンズはヘンリー殿によく似ておるゆえ、なんとかなりましょうよ」
「まずい……」
ヘンリーは進退窮まって、きょろきょろした。マリアはくすくす笑っている。
「ユージン、なんとか言ってくれ」
タンズベール伯爵は苦笑いを浮かべた。
「申し訳ありませんが、私も被害にあっておりますので」
ヘンリーはあわてた。
「おれが何をした?」
「標的は私の父、先代タンズベールだったと思うのですが、謁見室の床に油を塗った覚えはありませんでしょうか?」
「しまった……」
「旧悪がたたりますねぇ、兄上?」
デールは涼しい顔をしていた。

 オラクルベリーの港町をはずれて海岸沿いに少し行くと、人気のない岩礁地帯に出る。潮が引くと平坦な一枚岩が現れて、自然が造った岩舞台になった。
 密輸入の相談をする大人や、ないしょ話をしたい恋人どうしがよく使う場所だが、オラクルベリーの下町を縄張りにする悪童のあいだでは、グループどうしが決着をつける場所として知られていた。
 正午。
 黄色と緑のチェックの入った、だぶだぶの青いシャツを着たやつが、先に来てふんぞり返っていた。後ろの岩のあたりに、赤毛がちょろちょろ見える。いつもくっついてくる子分らしい。
「約束が違うぞ。一対一のはずだ!」
青シャツは怒鳴り返してきた。
「おまえの後ろにいるのは、なんなんだよ」
「ギャラリーだ!」
青シャツがあごで合図すると、赤毛もでてきた。それどころか、青シャツの子分が総出だった。
「おい、よそゆき、見物人は見物人だ。手だしなしでいこうぜ」
「いいだろう。でもおれが勝ったら、よそゆきって呼ぶのをやめろ」
「だっておまえ、いつもよそゆきを着てるじゃないか」
ブーツとズボンはサイズが小さいだけで大人と同じデザインだが、上がいけなかった。子供っぽいスモックなのだ。でかいポケットがかなり恥ずかしい。六歳のプライドが崩壊しそうだった。ケープを脱いできてよかった、とコリンズはひそかに思った。
「うるさい、さっさと来い」
 青シャツはものも言わずに殴りかかってきた。
 遅い。
 軽くかわしてこちらからあごへ一発。青シャツは後ろへのけぞったが、すぐに態勢を立て直してきた。
 その鼻先へ右手のこぶしをすばやく突き出す。
 が、これはフェイント。
 本命はひざ蹴り。そのとき、自分の視線は相手の顔に集中しておき、どこを攻撃するつもりなのか、悟らせないこと。
「ぐっ」
青シャツは、下腹を抱えてうずくまった。勝負あった。
「よそゆき、こっちを見ろ」
突然、青シャツの子分が叫んだ。見ると、赤毛のやつがチューリーをつかまえていた。
「あ、このやろう、チューリーをはなせ」
よろよろ立ちあがって青シャツが言った。
「だめだ。このちびは、昨日こっちの縄張りへ迷い込んできたんだ」
相手の縄張りへ入って逃げ切れなかったものは、文句なく捕虜の扱いだった。
「チューリーはちっちゃいんだぞ?まだ五歳だぞ?手加減しろよ」
「だめだ!」
後ろで子分たちが不安そうにざわざわした。
「おやぶ~ん」
チューリーはもう泣きべそをかいていた。
「しょうがないな、じゃ、おれのカエルをやる。チューリーと交換だ」
青シャツは、おぉっと言った。
「カエルって、おまえのレースガエルか?」
 トノサマガエルレースは、男の子たちが夏のあいだ熱中する遊びだった。青シャツはじめオラクルベリーの少年たちにとって、今年のチャンピオンであるカエルのボナパルトは、垂涎の的だった。
「そうだ。もったいないけど、しょうがないや」
「ようし、本当だな、よそゆき?ズルすんなよ?」
「おまえといっしょにすんな。それから、おれが勝ったんだから、よそゆきって言うの、よせよ」
「おまえが青シャツって言うのをやめたらな」
「じゃ、なんて呼ぶんだ?」
「おれはテッドだ」
それが本名らしい青シャツはえらそうに言った。
「ふーん。コリンズ。おれの名前はコリンズ。よく覚えとけ!」

 ここで待っていろといったのだが、テッドは疑りぶかかった。しかたなくコリンズは、テッドといっしょにオラクルベリーの屋敷町までやってきた。
「すげえとこに住んでんな」
「うるさい。カエルやらねえぞ」
自分の家に近づいて、コリンズは首をかしげた。ついさっき出てきたときとようすが違っていた。
「ショーンのやつ、何してるんだろ?」
侍女のショーンは腕いっぱいにコリンズのおもちゃを抱えて運んでいた。この次に部屋を抜け出したらおもちゃを全部捨てる、と脅されていたのを思い出して、コリンズはぞっとした。
 が、ショーンは、家の前に止まった馬車におもちゃを運び込んでいた。ほかの侍女たちがコリンズの服や、訓練用の木刀や、本などを積み込んでいる。ひっこしのようだった。
「すげぇ。ラインハット正規軍だ」
テッドが声をあげた。町のあちこちから、いかめしい制服姿の兵士たちが家のほうへ集まってくる。すぐ横を一人通っていった。コリンズは思わずテッドの陰に隠れた。
「なにやってんだ?」
「見つかりたくない」
「おまえ、なんかやばいのか?」
 兵士たちはコリンズの家の前で、整列した。ひときわ大男の隊長が“気を付け”の指示を出した。
 テッドが言った。
「あ、ヘンリー様だ」
「知ってるの?」
「あたりまえじゃないか。この町のご領主だもん。でも今日はなんかいつもとちがうな」
コリンズには、テッドの言う意味がわかった。
 乗馬用の皮手袋をはめながら、ヘンリーは足早にやってくる。その顔が、いつものように余裕ありげな表情ではなく、真剣だった。
 なんか怒ってんぞ、とコリンズは思った。ただ家を脱走したくらいではそれほど怒らない人なのだが、コリンズはなにかいたずらを見つかったのだろうか?
一瞬、ヘンリーの視線が自分を捕らえたような気がして、コリンズは首をすくめた。
 隊長が敬礼した。
「街門、大橋、封鎖完了したしました。二個小隊が引き続き街中を捜索いたします」
「手数をかけるな、バンゴ」
「めっそうもない」
「いいか、子供と思って油断しないでくれ。あいつはこの町を遊び場にして育ったのだ。念のため、海上も封鎖したほうがいい」
「了解」
ショーンが来て、荷物はつみ終わったと言った。
「お部屋はもう、空になりました」
「マリアは?」
「奥方様は馬車に同乗してお城へ行かれます」
「おれは馬で行く。ショーンも後から来ておくれ」
ショーンは急にうつむいた。
「あたくしのような役立たずが」
「何を言うんだ、ショーンでなければあれのお守りはできやしないよ。大丈夫、すぐに見つかる」
ヘンリーはケープが翻るような勢いで片手を伸ばした。
「草の根分けても探し出せ!」
隊長以下、一つ敬礼するといっせいに動き出した。
「なんかすげえなあ」
「のんびりしてる場合じゃないぞ」
コリンズは考え込んだ。部屋が空になったということは、壷に入れておもちゃ箱に隠しておいたボナパルトも運ばれてしまった、ということだった。
「ラインハットへ行かなきゃ」
「なんで!」
「ボナパルトが連れていかれたんだ」