破壊神シドーと緑の王子 3.勇者があらわれた

 ヤス船長の操る船はからっぽ島へと近づいていた。もう舳先から、山頂の神殿のかがり火と、一番上ではためく旗が見えていた。
「やっとついたでヤス!」
と船長は言った。
「寄り道してもらったからね。ごめんね、船長」
とビルドは言った。いやいや、と船長は手を振った。
「それはかまわねえでヤス。でも、ビルドさんは、あれでよかったんでヤスか?」
ビルドはモンゾーラ島からの帰り道で、手持ちのガラス瓶に手紙を入れて海へ流した。
「よかったかどうかわからないんだ。でも、ここはルビスさまのおられない世界だからね。この海が、元の世界につながっていることに頼るしかないよ」
その海を通じて、ヤス船長もビルド自身もこちらの世界へやってきたのだから。
「まあ、あっちも、やせてもかれても神様でやんすから。きっとビルドさんのお祈りも聞きつけてくださるんじゃねえですか?」
「そうだよね、船長。ありがとう」
 そのときだった。いきなり船の舳先でシドーが立ちあがった。
「どうしたの?」
シドーは腕を背に回し、いつも背中に背負っている武器の柄を強くつかんだ。
「なんだ……この気配は!?」
「シドー?」
「おい、からっぽ島に何かいるぞ!」
「何かって?」
シドーはもう、答えなかった。巨大ハンマーの柄をわしづかみにし、背中からさっとおろして肩にかつぎ、ぎりぎりと唇を噛んで前方をにらみ据えている。まるで全身から火花を散らしているかのようで、黒い前髪の先端が震えていた。
「ビルド、戦いの準備はいいか?」
「待ってよ、シドー君。船長、とにかく桟橋につけて」
まさか、からっぽ島でハーゴンの亡霊が暴れているのか?ビルドはいそいで強い剣と盾を装備した。
 船が減速した。船着き場には、いつもの通り迎えが来ているようだった。ビルドは思い付いてビルダーの帽子をかぶり、ゴーグルをさげてみた。
「いないよ?」
「いいや、いる!前よりずっと強い気配だ!」
シドーはじっと船着き場をにらんだ。
「オレが最初に出る。ビルド、大丈夫だ。オレが守ってやる」
赤い目が吊り上り、唇から犬歯が見え隠れしている。シドーの身体から真っ赤なオーラが噴き上がった。
 船着き場ではルルが手を振っていた。
「二人とも、お帰り!」
ルルの後ろにはアネッサが兵士の一団を率いてその場にいた。
「やっ、ビルド、シドー」
 やおらシドーが船端を走った。船尾から船着き場へと大きく跳び、頭上にハンマーを振りかぶって兵士の一人に殴りかかった。
「シドー!」
アネッサが鋭い声を上げた。
 金の角がついた青いヘルメットの兵士をシドーは狙った。急襲にあわてるか、と思いきや、兵士はひと呼吸で鋼の剣を抜き、空中から殺到する巨槌に余裕で合わせた。激しい音が響いた。
 ビルドは息を呑んだ。
 一介の兵士が、闘志むきだしの破壊神と刃を交えて押し合っている。その力は拮抗していた。
 シドーの正体を知らない者はこの島にはいない。戦闘を生業とするアネッサたちでさえ、こんなふうに殺意満々でいきなり襲われたらうろたえるだろう。だがその兵士は、一般兵のヘルメットの縁からわずかに見える目を輝かせ、口角を上げていた。
 チカラのせめぎ合いは数秒続いた。押し切れないと見てシドーが一度ハンマーを引き、横殴りにぶん殴った。かなり大型のモンスターでもこの一撃で吹っ飛ぶほどの威力がある。
 ぐわん!と音を立てて鋼の剣がハンマーを弾き返した。同時に鋼鉄の刃が砕け散った。
 ヘルメットの下で、にや、と兵士は笑った。
「おひさ」
「キサマ、なにもんだ!」
シドーが叫んだ。
「俺を忘れただと?」
意外そうに兵士は聞き返した。
「生まれ変わったってのは、本当らしいな」
 兵士は少し間合いを取り、自分からヘルメットを外して小脇に抱えた。黒い前髪がこぼれた。
「俺はローレシアのロイアル。精霊ルビスによって選ばれた、三人の勇者の一人」
「ユウシャ……?」
シドーの目が驚きに見開かれた。
「てめえかーーーっ!!!」
「シドー君、その人は、だめーっ」
 ようやくビルドは、シドーに追いついた。
「シドー君、だめだよっ。ていうか、君の言う気配って、この人なわけ?」
「おう!」
「だって、そんな……。この人は勇者だよ。邪悪な気配なんかあるわけないじゃないか」
「誰が邪悪だと言った?」
とシドーは相手をにらみつけたまま反論した。
「強い気配がみっつくらい、からっぽ島の桟橋に集まってた。だから戦いの準備をした。それだけだ」
「シドー君、もしかして今まできみが感じてた気配って、善良か邪悪か、じゃなくて、強いか弱いか、だったの?」
ふりむいてシドーは首をかしげた。
「それ以外、何があるんだ?」
「ないよね……ごめん」
 ぷんすかしながらルルがやってきた。
「なーに、あんたたち、またケンカしたわけ!?」
「してないよ」
「じゃ、どういうことなの」
 ルルの向こうに、青の開拓地の兵士と、緑の開拓地の農民と、赤の開拓地のバニーが集まっていた。
「お騒がせしてごめんなさい」
大きな麦わら帽子を脱ぎ首からタオルをおろして、農民がそう言った。
「ぼくはサマルトリアのサーリュージュと言います。きみがビルド君?」
「はい」
白いファーの縁取りのある赤いマントを羽織ったバニーがルルに目を向けた。
「私はムーンブルクのアマランス。あなたがルルさんね?」
ルルは喉に声をからませたあげく、短く答えた。
「……そうです」
シドーが驚いた顔になった。
「ソウデス、だと?ビルド、ルルのヤツ、悪いモンでも食ったらしいぜ?」
「シドー君はちょっと待って。あとでちゃんと説明するから」
ビルドとルルは、前に出た。
 ビルドは片手を胸に当てて片足を引き、ルルはスカートのすそをつまんで腰をかがめた。
「精霊ルビスの御使い方、おいでを感謝します」
わわわわ!と、ヤス船長が口走った。
 ロト三国の王位継承者たちが大神官ハーゴンを討つために旅立ち、そして成功して凱旋した件はビルド、ルル、ヤス船長が元いた世界では知らぬ人もないほど有名だった。
 特にローレシアの王子ロイアルは精霊に選ばれた勇者であり、確か現在はローレシアの若き国王でもある。たいへんなVIPだった。
「精霊ルビスの命により参上した」
と黒髪の勇者は堂々と言った。
「きみがこの島のオーナー兼城主ともれ聞いている。不在の間に俺たちが黙って上陸したことはどうか許されたい」
 ふぉっふぉっふぉ、と聞きなれた声がした。
「ふむ、ロトの勇者さまぢゃな」
この島にはもう一人、元の世界生まれの者がいることをビルドは思い出した。生前はさすらいのビルダー、現在は自称“からっぽ島の神さま的な妖精的なアレ”、しろじいだった。
「ここで立ち話もなんぢゃ。みな、山頂の神殿へお越しいただこうか?」

 からっぽ島の山頂神殿は三つの開拓地の中央にある。それぞれの開拓地から住人がやってきて、その日は時ならぬ話し合いになった。
「時系列の順番で整理するとしよう」
としろじいが言いだした。
「数十年前のこと、のちに大神官となるハーゴンは、一人の人間ぢゃった。それがどういうわけか現世のすべてを憎み、破壊したいと念じるようになった」
「あいつはハーゴン教団を作ったの」
とルルが言った。
「モンスターと人間の両方を仲間にして、あちこちで破壊を繰り返したわ。あたしの故郷、ルプガナも例外じゃなかった。そしてあるとき、ムーンブルク王国を襲った」
その結果がどれだけ悲惨だったかを、ビルドは先日自分の目で確かめる機会があった。
「王は戦死、王国は壊滅ぢゃった……それでも飽き足らず、ハーゴンはロンダルキアに結界を張り、魔法陣を描いて宇宙を彷徨う破壊の意志そのものを神霊として召喚した。己の血を捧げての」
「俺たちは、ぎりぎりで間に合わなかった」
とロイが言った。
「冒険の旅の果てに俺たちはロンダルキアのハーゴン神殿に到達したが、幻術で妨害されたこともあって、破壊神の召喚を阻止することはできなかった」
「おかげでハーゴン、シドーの連戦をやるはめになったよ、ぼくたち」
とサリューが言い添えた。
「でも、そのときあたしたち、ハーゴンの息の音を止めたはずよ、破壊の神も?」
とアムが言った。
 シドーはむすっとしていた。
「言っとくが、オレは全然覚えてねえからな?」
それは本当だとビルドは知っていた。からっぽ島の浜辺で出会ったとき、すでにシドーは記憶喪失だった。
「ハーゴンの亡霊は、執念深かったんです」
とビルドは言った。
「ハーゴンは自分の幻術で作った世界に破壊神ごと逃げ込みました。そして、その世界に物作りのチカラをあふれさせることで破壊の意志を育て、破壊神シドーを復活させようとしました」
「それを君が阻止した?」
「ぼくと、シドー君と、ぼくたちが造ったいろいろな物を使ってです」
自分だけのチカラじゃない、とビルドは今でも思っている。
「あのヤロウ」
とシドーが吐き捨てた。
「なんのつもりか、まだこのへんにいやがる。わけのわかんねえことを言いながらうろついてたぞ」
サリューが顔を上げた。
「わけのわからないことって、どんな?」
あ~、と言いながらシドーは首をかしげた。
「ずっとオレのそばにいた、とか、ずっと見ていた、とか」
アムが柳眉を逆立てた。
「いやなヤツだと知っていたけど、もう犯罪じゃないの、つきまといなんて!」
サリューがまじめに答えた。
「もともとラスボスだよ?」
「そうだけど」
 ふとビルドは、場所も同じこの山頂の神殿にハーゴンの亡霊が現れたときのことを思い出した。しろじいに教えられてからっぽ島の旗を作った直後、神殿にハーゴンが現れて、結果としてシドーを異空間へ連れ去っってしまった。
――その時からわたしはずっとシドーさまのそばにいたのだ。私は見てきた、シドーさまとビルドをな。
苦労自慢とでもいうのか、妙にいやらしい、べったりした言い方を今でもおぼえている。
「シドー君」
とビルドは相棒を呼んだ。
「あいつは他にどんなことを言ってた?」
う~と言いながらシドーは腕を組んで首をかしげていた。
「なんか恩着せがましい感じのことをなんかいろいろ言ってやがった」
「『チカラをうしなったシドーさまを私がここに逃がしたのだ』とか」
「お、それだ!」
シドーは目を丸くした。
「オマエ、すげえな。なんでわかるんだ?」
「ハーゴンがそう言ってたんだ、前に会った時」
「いつだ?」
「破壊天体へ行く前。君は途中で気を失っちゃってた」
しろじいが、癖で自分のハンマーを立ててゆらゆら振った。
「そういえば、あったのう、そんなことが。やはりハーゴンは、シドーをあきらめきれんのか」
 ビルドはつい、つぶやいた。
「もう一回言ってあげたらどうかな?」
「なにをだ?」
とシドーが尋ねた。
「ぼくたち、異空間で対決したでしょう。そのときハーゴンに、悪くなかったって言ってあげてたよね、きみが」
 ねえねえ、とサリューが言った。
「よかったらそのときのやりとりを教えてくれない?」
「ええと、オマエが作ったまぼろしの世界は悪くなかった、ていう感じです、だよね?」
こくんとシドーがうなずいた。
「そう言った瞬間、ハーゴンはなんとも言えない顔をしました。あのとき何かが変わったんだと思います」
「どんな顔?」
「思ってもみなかったことを言われて不意を突かれた、みたいな」
「ふうん、おもしろいな」
とサリューはつぶやいた。
「ハーゴンには、破壊神召喚よりも欲しいものがあったわけだ。それを与えれば、満足しておとなしく冥府へ収まるかもしれないね」
「おい、緑のオマエ」
とシドーは言った。
「あのヤロウ、何が欲しかったんだ?」
どこかのほほんと緑の王子は破壊神に笑いかけた。
「絶対にあきらめられないものさ」
「ユメってやつか?」
「自分を犠牲にしても欲しかったものだよ」
「アイって言うんだろ?」
うふふ、とサリューは笑った。
「上手いことを言うね。まあそんなものさ。おかげで仮説ができたよ」
 サリューはしろじいを振り返った。
「神殿の主殿、実はぼくたち、精霊ルビスさまのおチカラでここへやってきました。ぼくたちは、この世界にルビスさまを召喚することになっています」
「なんと!」
しろじいが眼を剥いた。
「このからっぽ島へ?」
アムがうなずいた。
「ご自身のお出ましは、さすがにこの世界には難しいそうですが、私が依代となってルビスさまの神おろしをいたします」
「ハーゴンを成仏させるには、サシで話をつけるしかないってよ」
とロイが言った。
「う~む、やるしかないぢゃろうのう。あいつがうろつくとこのからっぽ島に被害が出るのぢゃ」
考えながらしろじいは言った。
「では、この場を提供いたしますぞ」
「そのことですが」
アムは神殿の石畳を高いヒールで踏み鳴らしてしろじいの前に立った。かっこうはマントを羽織っただけのバニーなので、身体の線はむきだし、太ももからハイヒールに至るまでの脚線美もよく見える。だが彼女の態度は毅然としていて、本職の巫女の潔癖と凛々しさを見せつけていた。
「私がルビスさまの口寄せをするのと同時に、ハーゴンの亡霊も呼び寄せなくてはなりません。ハーゴンの出そうな場所、好みの場所というのはあるかしら」
「う、うむ」
しろじいは考えるふりで彼女の脚を鑑賞していた。ビルドは咳払いをした。
「前から聞こうと思ってたんだけど、しろじい、この神殿の地下にハーゴン教会みたいのがあるよね」
「えっ、あ、おう。あるの」
「あれもビルダーが作ったの?」
「わしゃ、知らん。あれは前から、からっぽ島にあったのぢゃ」
美人バニーがビルドをまっすぐ見た。
「興味があるわ。そのお話、聞かせていただけるかしら」
彼女に“ビビッド”な建物だと言って通じるかしら、と一瞬ビルドは考えた。
「邪教の聖堂めいた広大な空間がこの神殿のある山の真下に存在します」
あれかよ、とシドーがつぶやいた。
「なんとなく、落ち着くんだ、あそこは」
サリューは感心したようだった。
「やっぱりシドー君はシドー君なんだね。どんなものがあるの?」
「どんなって、邪教のステンドグラスとか。鉄格子ごしだからよく見えなかったが、邪神の像とかもあるかもしれないな」
ロイとアムが顔を見合わせた。
「海底の洞くつの下の方みたいなもんか?」
「炎の聖堂ね」
オッカムル島の地底にあった炎の聖堂は、彼らロトの勇者たちが見た炎の聖堂の幻バージョンだったのだろうか。
「その場所への入り口は水の底にあって、さらに鉄格子でふさがれてるんですけど、ほかに入り口があるかも。ぼく確かめてきます」
「オレも行く!」
気の短いシドーはもう動き出していた。ビルドはあわてて追いかけた。
「おーい、俺らも行くか?」
後ろでロイが叫んでいるのが聞こえた。
「ごめんなさい、それはあとで!」
風のマントで空中へ飛びだす瞬間にビルドはやっとそれだけ言うことができた。