破壊神シドーと緑の王子 2.潜入捜査

 赤の開拓地にビルドが作ってくれた更衣室は、ピラミッドの中にある。大型クローゼットのそばにドレッサーもおいてあり、着替えをしたらその姿見で外見を点検できるようになっていた。
 オンバが声をかけた。
「サイズは合ってる?ぶかぶかだったら、おばさんが直してあげるわよ?」
更衣室の中から、蚊の鳴くような声で返事があった。
「サイズは……あいます。けど、その」
「よかった!じゃ、こっち出てきて?背中の方を見てあげるから」
ううう、といううめき声が更衣室から聞こえてきた。
「どうしたのかしら~」
 ペロはこほんとせきばらいをした。
「オンバさん、ここはまかせてちょうだい」
事情があって地下洞窟で暮らしていたオンバは、幼女のまま年を取ったようなところがある。今はピラミッド酒場のバニーなので黒い網タイツに黒のバニースーツ、黒の蝶ネクタイという妖艶なスタイルだった。
「たいていの女の子は、初めてバニースーツを着たときは、照れくさいものなのよ」
「あら、そうお?すてきなお洋服なのに。ペロちゃんも似合ってるわ」
「ありがと。オンバさん、大好き」
ピラミッド酒場のマスターは、ペロの父、アーマンだった。アーマンは、バニーガールだったペロの母にひと目惚れして結婚したという。今はペロが酒場の看板バニー兼コックを務めているが、かつての母のイメージで髪を染めて巻き、赤のバニースーツの上に白の燕尾服を重ねていた。
 ペロは更衣室のドアをそっとノックした。
「男の人はみんな仕事に行ってて、ここにはいないわ。今のうちに仕上がりを見せてくれるかな?」
そろそろとドアノブがまわり、小さく開いた。新人バニーガールが出てきた。
「こ、こんなものかしら」
網タイツに包んだ足を内股にして、両手を胸の前で握り合わせている。大きく隆起した胸とくびれは、赤いバニースーツのダーツでぴたりと体に沿っていた。白いカラーとカフスが清楚で、その上に赤い蝶ネクタイが華やかだった。彼女の顔の輪郭を縁取るのは、美しい金の巻き毛だった。
「やっぱり!」
ペロは微笑みかけた。
「頭巾を取ったらきっと綺麗だろうなと思っていたの。その髪、自前なんでしょう?いいなあ、アタシは染めてるの。それにきれいなカール。ふわっふわじゃない」
ねっ、とペロはオンバの方を向いた。
「髪はどうしよう?このカール活かしたいわ」
「そうねえ」
上からじっくり点検してオンバは答えた。
「ポニーテールでいきましょう、うさ耳バンドが目立つようにね。それからお化粧しないと」
新人が怯えたようにつぶやいた。
「おけしょう、ですか」
くすっと笑ってペロは人差し指をたて、自分の唇に触れた。
「お肌すべすべね。唇もピンクですてき。でも、お店に出るときはお化粧が必要なの。大丈夫。ベタ塗りなんかしないわ。さっと薄化粧するだけ。ほんとにアナタ、綺麗だわ。すっぴんでこんなに透明感があるなんて、うらやましいなあ」
語りながらペロは、オンバに渡された白粉パフを手にはめた。
「ちょっと目をつむってね?」
低くささやきながら、少し紅潮している少女の顔に化粧を施していく。パフ、刷毛、まゆずみと進み、紅筆が最後だった。
「オレンジはないと思うの。パールピンクにする?あたしは濃い目のローズがいいかなって、ううん、いっそ赤はどうかしら」
「赤は……好きです。私のテーマカラーだし」
「アタシも好きな色よ?バニースーツも赤だし、これでいきましょう」
唇をふっくらと描きながら、ペロは微笑んだ。
「さあ、できたわ。ドレッサーで見てみましょ?」
鏡の前に立った彼女は、呆然としていた。鏡に映ったのは、ポニーテールの初々しい新人バニーガールだった。
「綺麗よ、アム」
たちまち首筋が真っ赤になった。
「ペロさん、私、あの」
わざわざ頬を寄せ、鏡の中に顔を並べてペロはささやいた。
「赤の開拓地へようこそ。いっしょにお店を盛り上げていきましょうね。あなたみたいな人が移民に来てくれて、うれしいわ」
「ペロさん」
消え入りそうな声でアムと呼ばれた新人は尋ねた。
「あの、ここって、ムーンブルク島の人たちはいるんですか?」
「その人たちは主に青の開拓地へ行ったと思うわ」
「あ、そうなんですか」
アムはあきらかにホッとしていた。
 後ろでぱんぱんとオンバが手をたたいた。
「さあ!デビューは今夜なんですからね。やることはたくさんあるわ。アムちゃん、まずトレイを持ってハイヒールで歩くやり方ね。それからバニーの御挨拶ポーズを練習しましょう」
「なにポーズ?」
オンバはやってみせた。
「はぁ~い♥」

 しゃっしゃっと音をたててアーマンがシェイカーを振っている。かつてオッカムル一の美人バニーとお似合いと言われただけあって、今でもアーマンはバーテンの白ワイシャツと蝶ネクタイが映える渋い男前だった。
「どうしたんだい、マッシモ」
シェイカーの中身をグラスに注いで、アーマンはにやにやした。
「どうしたじゃないよ、マスター」
カウンターにいるマッシモと、隣に座っているミルズは、明らかにそわそわしていた。
「昼間来た女の子、バニーなんだって?」
うん?とアーマンは言った。
「らしいねえ。ペロがうれしそうに世話を焼いていたよ」
「てれっとしたローブ着ててもあんだけスタイルのいい美人なんだ。あれが……バニー……」
ミルズは横を向いてマスクを抑えた。どうやら鼻血を吹いたらしかった。アーマンはコースターに乗せたグラスをカウンターに乗せ、ミルズがそれをつかんで一口あおった。
「若いもんはしょうがねえなあ」
鍛冶屋のカルロは少し離れたテーブル席で飲んでいたが、荒くれ二人組のようすを見て苦笑していた。
「道具屋のポックルも牧場にいるテッドも、今頃仕事になってねえぜ、たぶん」
ポックルもテッドも、赤の開拓地へビルドがスカウトした移民だった。どちらもあらくれたちと同じくペロの美貌と魅力と料理の腕にめろめろだが、それでも昼間現れた美少女移民には度肝を抜かれていた。
「あたりのようだな」
アーマンは酒場の入り口を指した。
 ピラミッド酒場は、ピラミッドの内部にある大きな酒場だった。ビルドが大木の樹皮、レンガ、いぶし銀タイル等を使って作りあげ、アーマン好みの粋なバーになっていた。
 バーのカウンターからはちょうどピラミッドの入り口が見える。そこから緑の服の商人と農民が入ってきて、酒場の裏手あたりをさかんに眺めていた。酒場の裏手は磨いた木の床を敷き詰めてピアノセットを置いたダンスステージになっていた。
「お二人さん、いいとこへ来たね」
とアーマンは声をかけた。
「もうすぐ、新人バニーちゃんのステージデビューだよ」
ポックルとテッドはいそいそとカウンターに座った。そこから見上げると、ちょうどステージが見えるのだった。
 少し調子の外れた、だが景気のいいピアノの音が赤の開拓地の夜をにぎやかに盛り上げている。
 アーマンはうきうきしている住民たちの前にルビーラのグラスを置いてやってから、自分はわきへよけた。
 ステージの赤いカーテン前にペロが現れた。
「ペロちゃ~ん」
すかさず声援が飛んだ。ペロは、片足を引いて両腕を天高く差し上げ、しなをつくり、身体の線を余すところなく見せるバニーの挨拶ポーズをしてみせた。
「はぁ~い、みなさん。今夜は新しい仲間を紹介するわ?」
口笛と拍手がやかましかった。
「さあ、カーテンを上げて!」
両側へカーテンがするすると引きこまれた。暗いステージの中央にブロックライトが光を投げかけている。その光の中に、ミスコンの女王が着るような、白い毛皮のふちどりのあるどっしりした赤いマントで身を隠した少女が、うつむき気味に立っていた。
「ヒューヒュー!」
 意を決したかのように彼女はマントの襟をつかみ、一気にはねあげた。
「闘うクイーンバニー、アマランス!よろしくっ!」
黒の網タイツ、赤のバニースーツに真っ赤なピンヒール。凛々しくも艶やかな美少女バニーの誕生だった。
「うぉおおおおーーーー!!アムちゃーーんっ!」
「あの脚で踏まれたい……」
「こっちむいてーっ」
黒いバニースーツのバックダンサーたちがステージ奥で踊りはじめ、オンバがピアノをかき鳴らした。
さあっ、と声をかけてペロが飛びだした。
「行くわよっ、ダブルハッスルダンス!」

 純白の雪を被った杉の木立は青い空によく映えて美しかった。真っ白な大地に堅牢な城がそびえたっている。周囲は足跡一つない雪原だったが、城正面の鋼の大扉から石畳で舗装した広場へ下ると、きれいに雪かきがしてあった。
 この城に所属する兵士たちが広場で横並びになり、それぞれ人型の模型を相手に剣の稽古をしていた。ヤッ、トウッといさましい声を上げ、練習用の剣を一斉に振るっている。それはなかなか見事な眺めだった。
 ターン、と鋭い音がした。木刀が宙を舞い、石畳へ落ちた。訓練していた兵士たちが驚いて振り返った。
「……やるのう!」
そう言ったのは、兵士の中でも古豪だった。試合の相手は距離を取り、きちんと一礼した。
「ジロームさま、何かありましたか?」
飾り毛を立てたヘルメットの女将軍がやってきた。どう見ても彼女の役職の方が上のようだが、年長者に対して礼儀正しい口調だった。
 かっかっか、とジロームというベテラン兵士は笑った。
「一般兵士の採用試験に、歯ごたえのある若いの来たんじゃ。アネッサよ、手合わせしてみんか?」
アネッサと呼ばれた将軍は驚いた顔になった。
「志願者が、ジロームさまから一本取ったのですか?」
「しかも、試合前に他の志願者といっしょにだいぶ走ってからの」
アネッサは兵士志願者に近寄った。それは青い服を身につけた若者だった。頭はレザーヘルメットで覆い、額の上にゴーグルをつけていた。彼は上半身がよく発達していて、特に肩から腕に筋肉がついている。そして手のひらには何かの握りだこがあるようだった。
「きみは、いい身体をしているな。スタミナもある。元職は鍛冶屋か?あらくれか?」
ふいに若者が口元をほころばせた。剣を手にしているときはチカラに目がいったが、彼はかなり若く、顔色はやや日焼け気味で浅黒く、整った顔立ちをしていた。
「勇者をやってました」
ついアネッサは笑いを誘われた。
「あっはっは、冗談が上手いな!本当は?」
まばたきひとつして彼は言い返した。
「王さまです」
「きみが国王なら私は破壊神だな。きみを一般兵に採用する。ジロームさまから装備一式を受け取ってくれ」
さっと若者は敬礼した。
「ありがとうございます」
「まった、まだ名前を聞いていなかった」
踵を返して走ろうとして、彼はふりむいた。
「ロイ、と呼んでください」
笑うと白い歯の目立つ男前だった。
 この城には女性兵士もかなりいた。兵士たちは男女とも広場のあちこちにたむろして、この新米兵士を興味津々と眺め、むしろ騒いでいた。
 アネッサは手にした剣をさやごと石畳に突き立てた。
「諸君!暇ならば体力づくりとして城のまわりを走ってもらうがどうする?」
「あっ、いえ、そのっ」
「なに、体力は十分だから訓練がしたい?なら再開しよう。素振り百本、はじめ!」
ひいっと悲鳴を上げて兵士たちは木刀を振り上げ始めた。

 城の一階に作られた兵士の宿舎は八台のベッドを並べた細長いつくりだった。部屋の両脇を槍のラックや鎧が占領しているので、あまり広いとは言えなかった。
 近衛兵のゼセルは新米兵士を宿舎へ連れてきた。新人は腕に自分の荷物と、城から支給された装備を抱えていた。
「壁際のベッドが空いてますよ、ロイさん」
ロイという新人兵士は空きベッドに荷物をのせた。
「ロイでいいですよ、先輩」
「きゃ~、先輩なんて……私はゼセルと呼んでください。ムーンブルク出身で二十歳。地味だけどスクルトが取り柄です」
ロイは笑いかけた。
「この城はムーンブルクの人が多いらしいな。さっきのジロームさまとアネッサさまも」
彼はいつ将軍の名を聞いたんだろう、と思いながらゼセルはうなずいた。
「そうよ。ロイは?どこから?」
「ローレシア」
ゼセルは首をかしげた。
「ごめん、わからない……。モンゾーラより遠いの?」
ロイはかるく目を見開いた。
「ローラの門の向こうだ」
「ローラの門て、海に沈んじゃったんでしょ?よく来られたね」
「精霊女神さまのおチカラでね」
「だれ?」
「ああ、いや、気にしないで。それより俺、メシが気になるな。さっきからいい匂いがするんだが」
「そうよね、ごめん、あの、装備着てみて?夕ご飯の時にお城の食堂でみんなに紹介することになってるの」
「じゃ、さっそく」
ばさっと青い上着をぬいだ。黒のインナーをつけた身体は、みごとに引き締まっていた。
「私は外にいます。着替えたら呼んでね~」
 宿舎のドアの外側に出ると、修道女のミトがいた。
「ミトさん、新人さんがね、いい匂いがするって」
「今夜は大鍋にたっぷりポトフを作ったんです。あとかぼちゃのパイとフルーツサラダも。気に入ってくれるといいんだけど」
「眉が太いけど、新人さん、不機嫌なわけじゃないみたいよ?ときどき笑うし」
「よかった。あの人、かっこいいですよね~」
「すんごく強いのは確か。ミトさんも気になるの?」
ミトは赤くなったほほを両手で抑えた。
「それは、その、新しい仲間ですもの。気になります」
 兵士の宿舎の扉が開いた。
「ゼセル、装備これでいいか?」
白地のアンダーウェアの上に金のセンターライン入りの青い袖なしコートを重ね、金の角のある青い兜をかぶった兵士が出てきた。
「わあ、ロイったら最初からお城の兵士だったみたい」
にかっとロイは笑顔を見せた。
「どうも。俺の剣は、故郷にいた兵士のおっさんたちから基礎を習ったんだ」
「私の師匠は、最初は父、父が戦死したあとはジロームさまでした」
「そうなのか。俺は早くに母親を亡くして親父は忙しくて、俺の相手をしてくれたのは、退役兵士のじいさまばかりだった」
 ロイは城の中をあちこち見回した。
「この城、温泉があるんだな。向こうは?作戦会議室?いいな!」
あの、とミトが声をかけた。
「私はミトと申します。あちらが教会、そのお向かいが食堂です。ご案内しますね」
よろしく、とロイは頭を下げた。
 ゼセルはミトと並んだ。
「ミトさ~ん、赤くなってるよ」
「ゼセルさんたら、もう」
「強いひと好きだよね、ミトさんて」
ムーンペタの教会でかくまってもらったのがきっかけで、今でもミトはシドーのファンだった。
「それにあの人も王国一の腕前って……」
と言いかけてゼセルは口をつぐんだ。リックの名は、青の開拓地では人は今でもあまり口にしなかった。第一ミトは、リックがモンスターと化して滅んだあの最後の姿を見ていない。
 ミトは少しうつむいた。
「修道女ですもの、私の“好き”は恋愛感情じゃないんです。ただ、自分にはできないことをできる人は尊敬します。私にとって、尊敬できる人でしたよ、リックさんは」
「リック、って?」
ロイだった。
「え~と、ムーンブルクの兵士だった人です。私たちが移住する前に、ハーゴン教団との戦いの中で亡くなったんですけど」
詳しい事情すなわち、リックがハーゴン教団のスパイとしてムーンブルクから内通し、ロンダルキアでシルバーデビルと化してビルダー率いるムーンブルク軍に滅ぼされた、という事情を、ゼセルは呑みこんで口にしなかった。
「そうか」
とロイは短く答えた。
「たいへんな戦いだったようだな」
「そりゃあ、もう、凄かったです。早くビルドさんとシドーさんが素材島から帰ってくるといいんですけど。いろんな話があって……。ああ、明日、訓練の前にいっしょに浜辺へ行きませんか。ビルドさんが考案した魔法兵器の陳列場みたいになってます」
ロイは笑顔になった。
「面白そうだ」
元気のいい男の子のようなその表情に、ミトは覚えがあった。この人どことなく、シドーさんに似ている。