ベラヌールの守り 2.強襲計画

 シンディは痛み止めの煎じ薬の入ったカップを持ち、サリューの部屋へ向かっていた。
「失礼いたします」
 部屋へ入って、お薬をお持ちしました、と続けようとしてシンディはめんくらった。
「もう二十歳になろうってのに、あの人もいやだ、この人もいやだで、これじゃいったいいつになったら孫の顔が見られるのやら、あたしゃもう心配で」
自分のことをいっているらしかった。シンディは耳まで赤くなった。
「お母、女将さん、お客様に何を言ってるのよ!」
 サリューの連れが出発してから三日がたっている。サリューの世話は、宿の女中たちが交代でやっていたが、昨日あたりから困ったことが起きていた。
 サリューの部屋へ行った女中が、なかなか帰ってこないのである。
 客は“お人形のよう”と女中たちが噂するかわいらしい少年(もうすぐ17になると聞いて驚いた)なので、下働きの女の子がいりびたるのはまだわかるとして、ベテランの女中たちやこの宿の女中頭を務める古株さえ食事を運んでいったまま仕事に戻ってこないのだった。
 怒った女将が自分がお世話をするからと宣言して、朝食を持っていき……そのままもどってこなかった。
 シンディの目つきによほど非難がこもっていたのか、女将はあら、と言って照れ笑いを浮かべた。
「ま、聞いてたのかい?」
「お薬を持ってきたの!もう昼になるわよ?」
「あらたいへんだ。じゃ、サリューさん、お大事に」
「ありがとう、女将さん」
サリューはベッドの上に半身を起こして、にこにこと手をふって見せた。
 そそくさと女将が出て行くと、シンディは薬の入ったカップを手渡した。
「すいません、女将まで、おしゃべりしちゃって」
「気にしないでください」
ひとくち薬をすすって、少年は言った。
「ぼく、一日中寝てるでしょ?誰かのお話を聞いていたほうが気がまぎれていいし」
イルズ老人はおそらく痛み止めを使ってもかなりつらいはずだと言っていたが、サリューの微笑みは天使のようだった。
「ぼくね、とうとつに打ち明け話をされるのに慣れてるんだよ。信じる?」
「え?」
「なんかわかんないんだけど、昔からいろんな人に秘密とか悩みとかうちあけられるんだ。体質かしらね」
小首を傾げてみせる、その姿があどけなくて、シンディは腕にぴりっとした震えをおぼえた。抱きしめてみたいかも……。
「だから、ええと、シンディさんだっけ。なにかお話してくれませんか?」
「あたしの知っていることなんて、つまらないことばっかりですけど、そうですね」
シンディは、夕べ宿の食堂で客に給仕をしながら小耳にはさんだことを思い返した。
「デルコンダルで、王様のペットが町へ逃げ出して大騒ぎだったそうですよ?それから、デルコンダルとザハンの間の海で、このあいだまたすごい嵐があったんですって。船の木材がペルポイまで流されて来たって」
「へぇぇぇぇぇ」
サリューは目を丸くして聞き入った。
 何を話しても彼ならば、けしてバカにしたりしないで熱心に聞いてくれる。たぶんそれがサリューの聞き上手の、最大の秘密なのだろうとシンディは思った。
「ベラヌールの武器屋さんに外国からすごい大口の注文があったんですって。すぐ納品だからって、職人さんがみんな徹夜ですって。大かなづちを三十丁ですもん」
「すごいねぇ。でもあんな重いもん、そうそう装備できないでしょ?誰が使うのかな」
「きっと、巨人の住んでいる国なんでしょ、サマルトリアって」
サリューはかるく眉を上げた。
「外国ってサマルトリアなの?」
「ほら、ベラヌールで昔から商売しているお店はお互いに知り合いなんです。武器と防具のお店のすぐ隣がベラヌールの預かり所なんですけど、預かり所の若奥さんとはあたし、従姉妹どうしで」
実際、ベラヌールの老舗は、嫁、婿、養子をやったり取ったりして、ほとんどが親戚である。
「ファリシーが、その従姉妹のことですけど、言ってたんだから間違いないと思うわ」
「ぼく、そのファリシーさんに会えないかな?」
「どうして?」
「サマルトリアのことを聞きたいんだ。ぼく、サマルトリアで生まれたんだよ」
シンディはちょっとためらってから言った。
「じゃ、お願いがあるんですけど、いいですか?」
「ぼくにできることなら、いいよ」
「あの、ファリシーなんですけど、このごろどうも元気がないんです。でもあたしには何も話してくれないから困っちゃって。ファリシーもサリューさんになら何かうちあけるかもしれないでしょ?」

 驚いたことにシンディがサリューの部屋を出たころはもう夕方近くになっていた。女将の皮肉っぽい目つきを意識しながら忙しい時間帯をいっしょに働いたので、ファリシーに連絡できたのはその夜になってからだった。
 翌日、ファリシーが「青海館」へ来ると、シンディはうむを言わせずにサリューの部屋へ引きずっていった。
「ファリシーさん?来てくれてありがとう。ぼく、旅先で病気になっちゃったもんだから、心細くて。故郷のことを話してくれる人に会いたかったんです」
天使の笑顔一発で、ファリシーの緊張は目に見えて解けた。
「それはたいへんですね。ええ、あたしの知ってることならお話しますね」
ファリシーは小柄でほっそりして、若奥さんというよりまだ少女のような印象があった。翼をもがれた天使のような少年と二人で話しているのはなかなか絵になった。
「うちの手代のモーガンというのが、昔サマルトリアの預かり所でそのラーギーさんていう人といっしょに奉公していたんですって。ラーギーさん、今はひとり立ちして武器防具を扱っているっていうから、やり手なんですね」
「大かなづちも扱ってる?」
「ええ。サマルトリアのお城で兵隊さんたちに支給するための大口注文なんですって。モーガンの縁でうちのお隣の武器屋さんにお願いすることになって……武器屋のご主人さんたらベラヌールの武器職人を全部使わなくちゃって、おおはりきりでしたわ」
サリューは感心したようにいちいちうなずていた。
「本当はモーガンってなんとなく気味が悪くていやだったんです、あたし」
とファリシーは言った。
「いつも無口で、なんか眠そうな顔していて、そのくせ半開きの目の下から人のことをじっと見ていたりして。うちの主人も」
結婚したばかりの若妻は、夫のことを言うときにちょっとほほを染めた。
「モーガンにはよその支店へ行ってもらおうかって言っていたくらいです」
「ファリシーさんのところは、仲いいんですね」
赤くなった従姉妹に代わってシンディが言った。
「そりゃもう!大恋愛の末にお婿さんに来てもらったのよね?」
「わざわざ家付き娘だって言わなくてもいいでしょ、シンディったら」
ファリシーは幸せそうに文句を言った。
「あ、でも、顔が気に入らないからよそへやるなんて、立派な女主人のすることじゃないと思って、あたし」
「そんなことで悩んでたの!」
「え、うん」
「なんだ、いいじゃない、支店を任せるって言えば栄転よ?モーガンだって喜ぶわよ?」
「そうねえ」
 ファリシーは結局、かなり晴れ晴れした顔で帰っていった。
「よかったわ、サリューさんのおかげかしら。どうもありがとう!」
だが、サリューは別人のような顔つきで考え込んでいた。
「あ、ごめんなさい。痛み止めお持ちしましょうか?」
「ううん、そうじゃなくて。シンディさん、この南の島で事件があったらどういうふうになるの?」
「事件ですか?そうですねぇ、北の島からベラヌール市の雇っている保安隊が来て、犯人を捕まえると思いますけど」
「すぐ来る?」
「ええ。あ、でも、このあいだから北の島と中央の教会のある島の間の橋を修理してますから、東回りになりますね。ちょっと遅いでしょうね」
「それだ」
とサリューは言った。重ねたクッションにのせた頭をほとんど動かさず、目だけまっすぐにシンディを見つめて彼は言った。
「ベラヌールの預かり所がね、近いうちに襲われるよ」