アクロバットスター 2.運河の町

 青と紫のシマ模様の腹、細い胴体、赤いヘルメットをつけたような頭に黄色い複眼。大きさはロバほどもある。イレブンは、パーティが倒したばかりの青蜂をしげしげと観察した。
 乗り手だったコボルトがいなくなっても、乗り物だった青蜂は大人しくその場に止まっていた。
「乗れるかな、ぼく」
嬉しそうな笑顔でイレブンが聞いた。
「お前、ウマはいけるんだからなんとかなるんじゃねえ?」
「やってみる」
恐る恐る鞍にまたがり、手綱を取った。青蜂はすぐに反応して動き出した。ブブブブという羽音を鳴らして青蜂がうろうろした。
 ダーハラ湿原は不思議なところだった。生い茂る樹木のせいでほとんど空が見えない。緑の天蓋の下は果てしない沼地が広がっている。旅人は沼地の小島や沼の中に作られたウッドデッキと、それらをつなぐ木造の橋を渡って旅するしかなかった。
 湿原の中はじっとりしていた。高い湿度を好む羊歯や苔類があたりを一面の緑で覆っていた。沼地は暗く澱んで見える。時々波紋が広がり、巨大な魚やモンスター化したカエルが棲んでいることをうかがわせた。
 頭上は色鮮やかな鳥類の天下だった。つる草のからまる太い枝から一斉に飛び立つと湿原の森はその音響に震える。そして残響も薄れて消えるとまた奇妙に緊張した沈黙が森を支配するのだった。
「まあ、イレブンさま」
セーニャが声をあげた。イレブンが蜂の手綱をあやつって沼の水面の上を飛んでいるのだった。
「一人で遠くへいくと危ないわよぉ」
シルビアが呼んでもイレブンは蜂を進めた。
「あそこのキラキラ見に行ったら戻ります!」
おいおい、とカミュはつぶやいた。壷、樽、そしてキラキラ。イレブンベビーはそのどれかがあると、どんな状況でも……たとえそのそばに強そうなモンスターがいても見に行きたがる。彼の悪い癖だった。
「ほっときなさいよ」
とベロニカは言った。
「このへんのモンスターなんて瞬殺でしょ、あの子には」
ベロニカがあの子と呼ぶのはイレブンサイコの方だった。彼なら心配には及ばない、とベロニカは指摘した。
 シルビアも事情がわかってきたらしく、それほど熱心に勇者を呼び帰そうとはしなかった。
 幸い何事もなかったらしく、しばらくすると青蜂に乗ったイレブンが戻ってきた。収穫があったのか、たいへんうれしそうだった。
「もういいか?先へ行くぞ」
少々うんざりした口調でカミュが言った。
「待って。あのさ、樹の上の方にキラキラがあったんだ。なにかいいものかもしれないよ?」
「その蜂、そんなに高く飛べねえだろ」
「上昇気流に乗ればいい」
イレブンが指す方を見ると確かに風が渦を巻いていた。
「なんでわざわざ」
とカミュは言いかけた。
「上の方を飛べばエンカウントはまずないよ。下であのモンスターに出くわすとさ、カミュ、またあの……」
カミュは赤面した。
「うるせぇ!わかったよ、蜂でもなんでもつきあってやる」
ダックスビルの"誘う踊り"にさんざん誘われたメンバーは、騎手のいなくなった蜂を選んで鞍にまたがり、上昇気流を目指した。ベロニカはセーニャの鞍の前の方に乗せてもらった。
「じゃあ、行くよ」
渦巻きの真ん中へ蜂を乗り入れたとたん、ものすごい勢いで上空へ運ばれた。気がつくと、パーティは湿原の天井にあたる樹木のさらに上にいた。視界が一気に開けた。風が強い。さわやかを通り越して顔にあたる風をきつく感じるほどだった。
「お姉さまっ、私たち、飛んでいます!」
「わかったからゆらさないでよ」
でこぼこ姉妹は賑やかに飛んでいった。
 シルビアも安定したフォームで青蜂を乗りこなしている。彼が今年のファーリス杯の準優勝者だったことをカミュは思い出した。
「アラ、意外に楽しいじゃないの」
カミュはなんとか手綱を操ってシルビアの隣に自分の青蜂をつけた。
「これ、どうやって降りるんだ?」
「下降気流を探すしかないでしょうね」
そんなもんどこにあるんだ、とカミュが下界を眺めてとき、前方から声が上がった。
 明らかに悲鳴だった。セーニャの青蜂が暴走している。手綱を嫌がって首を降り、乗り手を振り落とそうとジグザグに飛んでいた。
「あぶな……」
言うより早くラムダ姉妹を乗せた青蜂は、一番高い樹の枝の一つに激突した。
「セーニャ!しっかりして!めざめの花……薬草……くっ!」
樹の枝にぶつかったときにセーニャは気絶したらしい。体の小さなベロニカは妹の上体に押し潰されそうになっていた。
 カミュとシルビアはあわてて蜂をとばした。が、その二人より早く接近する青蜂がいた。
「イレブン、おまえ」
イレブンはいきなり自分の蜂でセーニャの蜂に体当たりを仕掛けた。
「とまれっ、お前、止まれよ!」
サイコだ、とカミュは直感した。目を凝らすと彼が二重に見えた。陰に押し込められたイレブンベビーが本体の背後で怯えている。だが恐怖か憎悪か、激情に突き動かされてイレブンサイコは叫び続け、その間も、ドンっ、ドンッと音をたてて体当たりを繰り返した。
「イレブンちゃん、手綱をつかむの!」
とシルビアが叫んだ。
「そのままじゃセーニャちゃんたち、落っこちちゃうわ!」
ダメだ、とカミュは思った。おそらく今のイレブンには聞こえていない。
 シルビアは左右の足で蜂の胴体を強くはさんだ。
「お行き!」
シルビアの乗った蜂が空中をばく進した。カミュもあわてて後を追った。
 イレブンは自分の剣を鞘ごとつかんで暴走蜂の頭を殴り付けていた。
「やめなさいっ」
シルビアが蜂を操って間に割り込んだ。敵意を込めてイレブンが睨み付けた。
 姉妹の乗った蜂はふらふらと逃げかけた。カミュはそのそばへ寄り添い、まずセーニャを、そしてベロニカを助け出した。
「もう大丈夫だ」
カミュはシルビアの背中越しにイレブンへ話しかけた。
「二人とも助けた。ほら」
 イレブンの変化は劇的だった。身体中の力が抜け、自分の乗っている蜂の背に顔を押し付けている。手綱を握る手が細かく震えていた。イレブンサイコは陰に退き、むっとしたような顔のまま薄らいでいった。
「とにかく、降りましょう」
シルビアにそう言われると、蚊の鳴くような声で答えた。
「……はい。ごめんなさい」
気まずいような沈黙の中、一行はダーハルーネに近い下降気流を黙々とめざした。一番後ろからしょんぼりしたイレブンの蜂がついてきた。

 長いトンネルを抜けた先の扉を開けると、ダーハルーネの町が広がっていた。パーティの一行は息を呑んだ。ほほを染めたセーニャがため息をもらした。
「まあ……なんて美しい町!まるで海の上に町が一つ浮かんでいるようですわ!」
 ダーハルーネは確かに美しい街だった。元は湿原の続きの砂州に作った小さな桟橋だったというが、今では埋め立てられ、白い切り石を扇状に並べた石畳の続く港となり、町の中に石造りの運河がふた筋並列に造られていた。運河には白い手すりの橋がかけられ、橋の下を軽快にゴンドラが走っていく。運河が海と出会うところにはダーハラ湿原から見えた灯台が建っていた。
 海の日差しを受けて町はきらびやかなほど明るかった。ピンク、黄色、黄緑等の建物はほとんど三階建ての高さがあり、アーチ形の窓には鮮やかな色の鎧戸をつけてそれを開けはなっている。窓の下には鉢植えの花、窓の外には赤と白の縞の日よけ、その下には木のベンチ。
 威勢のいい水夫たちの声が町のあちこちから聞こえてくる。新鮮で珍しい商品が所狭しと並べられ、各地の商人が熱心に仕入れに来ていた。
 セーニャほどではないが、カミュもやはりあたりを興味津々と観察していた。
「たくさんの金持ちや商人が行きかう、世界でいちばんデカい港町らしいぜ」
ふーん、とベロニカがつぶやいた。
「そんな街で自分の船を持っているシルビアさんってもしかして凄い人なんじゃないの?」
パーティはまだ町の入り口近くにいた。先頭にいたシルビアが振り向いた。友達を驚かすものを教室へもってきたいたずらっ子のように、うれしそうにシルビアは笑った。
「ベロニカちゃん。余計な詮索はヤボってものよん?アタシの船ちゃんは町の南西にあるドックの中でおやすみしているの。さっ!みんな行きましょ~!」
るんるんとしか言いようのないしぐさでシルビアは先に立った。後のメンバー、勇者イレブン、カミュ、ベロニカとセーニャ姉妹はきょろきょろしながらその後をついていった。
 数日前まで一行は砂と岩のサマディーにいた。王国の都は確かに豪華で繁栄していたが、ダーハルーネにはまた別の魅力があった。あちらこちらを見回しながら左運河の外側の階段をおりて、一行はドックに到着した。
 スタッフと話していたシルビアが憤懣やるかたないようすで振り向いた。
「ンもう、イレブンちゃん聞いて~!この男の子がいじわるしてアタシをドックに入れてくれなのよ~!」
ドックのスタッフはあわてた。
「いじわる!?ちっ……違います!もうすぐ町でコンテストが開かれるので今ドックは閉鎖中なんです」
カミュは不満そうに腕を組んだ。
「ここまで来てなんだそりゃ……。つまりそのコンテストとやらが終わるまでここは開けられないってことか?」
ドックのスタッフはダーハルーネの地元民らしい若い男だった。
「はい申し訳ありません。海の男コンテストはこの町にとってとても大事な伝統行事でして……」
と言ったとたん、腕を組んで聞いていたシルビアが身を乗り出した。
「海の男コンテスト……ですって?なぁにその乙女心をくすぐるヒビキ!ねえくわしく教えてくれない?」
スタッフは胸を張った。
「海の男コンテストとは……波のように荒々しく空のようにさわやかで海のように深みを持つ!その三拍子がそろった男を決めるものです。なのでこの時期になると美しい肉体美を誇るたくましい男や潮風の似合う美男子が続々と子の町に集まってくるんですよ」
美人コンテストは時々見かけるけどねえ、とベロニカは思った。むくつけき男どもなんか見て何がおもしろいのよ。ちらっと妹を見上げるといつものように感心したような顔で聞いていた。
 こういう話になると一番常識的だと思えるのがカミュだというのもどうなんだろうとベロニカは思う。そして一番非常識なのがシルビアだった。
「ヤダ……なんだかおもしろそうじゃない」
なんでよだれが出そうな顔で両手を握りしめてるんですか、シルビアさん。
「それならこの町ですこし休んで海の男コンテストを見てから出発しましょ。そうそう、ベロニカちゃんとセーニャちゃん。この町のお店には世界中から集まるステキなお洋服やスイーツが売ってるの。まだ時間があるみたいだし女だけでショッピングやスイーツ巡りをしてコンテストを待つことにしましょ♪」
ツボをついてきやがったわ、こいつ。ベロニカは咳払いをした。
「……海の男コンテストにはキョーミないけどショッピングは面白そうね。あたし新しいクツが欲しいところだったの」
「おいちょっと待てよ。オレたちは虹色の枝を探しにきたんだぜ?遊んでる時間なんてねえだろ?」
カミュが拳を振って力説した。
「カミュさま……」
他人が見たら、真顔で訴えるようすのセーニャは“おっしゃるとおりです。早くお船をだしていただきましょう”くらいのことを言いそうに見えるだろう。セーニャはカミュとイレブンを正面から見ながらシルビアの方へ横移動してきた。
「ごめんなさい。私……甘いものに目がないんです」
きっぱりと言うセーニャに、がくんとカミュが頭を落とした。隣でイレブンが、まあまあ、と肩をたたいて慰めている。こういう子なのよ、ごめんねと心の中でベロニカはつぶやいた。
「それじゃまず、食べ歩きからねっ。いいお店があるの。こっちよ?」
シルビアは腕を振ってスキップしていた。セーニャはたいへん幸せそうだった。その後についていくベロニカに多少の罪悪感があったことは否めない。

 店内の客は九割が女性だった。が、シルビアはまったく臆さなかった。堂々と店に入り、ショーケースの前でお茶とお菓子を注文した。
「あ~ん、美味しそう、トレボン!」
道具屋の二階にあるその店はなかなかおしゃれだった。色合いのいいファブリックや小物を組み合わせていかにも港町らしい開放感と、隠れ家的な雰囲気を盛り上げてくれる。店は満員だったが、小さめのテラスが解放されてオープンカフェになっている。太陽と潮風を浴びてベロニカたちは丸テーブルの席にすわった。
 パティシェ謹製のケーキはガラスドームに入れて、銀のポットやカップといっしょにワゴンでテーブルの脇まで運ばれてきた。制服のウェイトレスがガラスドームを持ちあげた。
「ティーセットのお菓子は、こちらからお選びください」
セーニャは真っ赤になるほど興奮していた。
「どれもラムダでは見たこともないですわ!お姉さま、どうしましょう!目移りしてしまいます!」
「わかったからそう叫ばないの。あたしのと半分こすれば二種類食べられるわ」
シルビアがウィンクした。
「アタシも交ぜて?みんなで一口づつお味見しましょ」
 ふとベロニカは気付いた。どのテーブルも女の子が多くにぎやかだったが、いくつもの視線がこちらに集まっている。
「あれシルビアじゃない?」
「うそ……」
セーニャといっしょになって銀のフォークでお菓子のかけらを幸せそうに口に運んでいるシルビアが、実は有名人だということにベロニカはやっと気づいた。
「シルビアさん、ここで興行したことあるの?」
シルビアは長い手足を持て余すように頬杖をついていた。足は横へ長く伸ばして組んでいる。
「さん、はつけなくていいのよ、ベロニカちゃん。ええ、おととしだったかしらね。この町のお客さんたちはノリがよくて楽しいステージだったわ」
 小指を上げてフォークを持ち、タルトの一口分をぺろりと呑みこんだ。にやにやしながら得意そうに目を伏せている。シルビアの肩越しに見える女性客がそわそわして今にもサインをねだりそうなようすなのを、たぶん気付いているのだとベロニカは思った。
 ついにその女性客が椅子から腰を浮かせた。
「シルビアさんじゃありませんか!?」
と言ったのは、しかし横から割り込んできた中年の小男だった。
「いつぞやダーハルーネで公演されたときに拝見したのだが」
店の奥にいた数少ない男性客の一人だ、とベロニカは思った。身なりの良い男で、どうやら商人らしい。
 シルビアは営業スマイルで応じた。
「アラ、アタシのステージを見てくださったの?ありがと」
商人はいそいそとベロニカたちのテーブルの空いた椅子に座りこんだ。なんかずうずうしいわこの男、とベロニカは思った。
 ウェイトレスと商人がシルビアに同時に話しかけた。
「お客様、お飲み物は」
「こちらにはお仕事で?」
「カフェ・クレーム・シルブプレ……サマディーでロングランをやって終わったばかりなの。お仕事は今ちょっとお休み中ってとこかしら。ごめんなさいね」
暗にプライベートタイムの邪魔だ、と言われたにもかかわらず、商人は身を乗り出した。
「ちょうどよかった、スケジュールが空いているなら、ぜひダーハルーネ公演をいれてもらえませんか」
「まあ、強引なヒト。そういうのキライじゃないんだけど、今はこちらのレディたちのお相手をしているのよねぇ」
レディことベロニカは、せいぜいツンとしてみせた。
「そう言わずになんとか!損はさせませんから。あ、私リベリオと申します。こう見えて次期ダーハルーネ町長です。しかもデルカダールと太いパイプができたんですよ」
シルビアの眉がぴくりとした。
「アラ、ラハディオ町長は引退なさるの?」
リベリオが意味ありげな笑顔になった。
「まあ、時代が変わったということですかな。ラハディオさんは功労者だが、商売というものはいつまでも同じやり方じゃあダメだ。これからはデルカダールですよ」
 このリベリオとかいうおっさん、邪魔くさい。ベロニカはため息をついた。セーニャはチョコレートケーキに夢中で、商人の存在自体目に入っていないらしかった。
「というわけで、町長就任記念に何か大きなイベントをやりたいのです。ついてはその目玉にシルビアさんのショーを」
 がたっと音がした。
 ベロニカは振り向いた。
 土地の子供らしい固めの黒い髪の男の子がカフェのテラスへいつのまにか入り込み、しかもベロニカの両手杖を抱えていた。視線が合うとびっくりした顔になり、いきなり逃げだした。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
ベロニカは椅子を飛び下りた。
「あたしの杖!返しなさい!」
「お姉さま!」
セーニャが追いかけてくるようだった。
「ちょっ、セーニャちゃん……」
「シルビアさんはここにいてください!お姉さま、待って!」
石畳の町をベロニカは走った。どっちかというとシルビアが来てくれた方が頼りになるんだけど、と思いながら。