アクロバットスター 1.主人公、凶暴につき

 サソリに似た外骨格の上に目玉に見える斑点をつけたその生き物は、突然砂の上に身をもたげ、前足を振り上げて威嚇した。
「ひえぇぇ!出たぁぁぁ!」
 サソリの十数倍はある巨体だった。そのあたり一帯は人間たちにとってはサマディー王国領だったが、そのモンスターにとってはそもそも自分ののテリトリー、魔蟲の巣である。侵入者を撃退しようとするのは当然だった。
 サマディーの兵士の一人が叫んだ。
「お……王子っ!砂漠の殺し屋デスコピオンです!!」
威嚇された方は尻もちをつき、ただ震えていた。サマディー王家の王子ファーリスだった。
 妙に華やかで威勢のいい声が響いた。
「さあ!サソリちゃんのおでましよ!騎士の国の王子さまらしいところを見せてあげて!」
サマディーは騎士の国だった。だが王子ファーリスは、青ざめ、震え、座ったまま手で後ずさりしていた。
「もうしょうがないわね!」
そう言ったのは旅芸人のかっこうをした背の高い男だった。現在サマディーで興行中のサーカスに招かれたゲストスター、シルビアである。
「兵士ちゃんたち!おぼっちゃんを頼むわ!さあイレブンちゃんたち、行くわよ!」
シルビアの声に応えるようにデスコピオンそのものが王子からシルビアたちに向き直った。
――おっさんよ、なに仕切ってんだ?
デスコピオンの前に散開しながら盗賊カミュはそう思った。パーティの本当のリーダーはイレブンだった。
ちら、とカミュはイレブンの方へ視線を投げた。イレブンは唇を引き結んで盾と片手剣をしまい、大剣の柄をつかんで引き抜いた。
 カミュは、口の中でよし、とつぶやいた。うちの勇者は健在だ。
「ベロニカ、効果がなくなるまでルカニ。セーニャはホイミの必要があるまで防御」
イレブンの眼はじっとデスコピオンを見据えていた。
「イレブンさま、御身の守りが薄くなっています」
セーニャが声をかけた。装備を変更した時点でイレブンの守備力は激減していた。
「ホイミの優先順位を変えては」
デスコピオンが動き出した。イレブンが前方へ突出した。
「前と同じ!ベロニカときみが最優先だ」
ブーツが砂地を蹴った。大剣は容赦なくデスコピオンの外殻の継ぎ目をえぐった。体液が噴き上がった。
「カミュ!」
「あいよ」
短剣を空中で逆手に持ち替え、伸ばした腕に可能な最大のリーチで一撃を見舞った。ヴァイパーファング。相手を猛毒に染めることができれば、あとはこの戦闘を生き残るだけでいい。
 だが、カミュの短剣はダメージを与えたが、毒化には失敗した。
「チッ」
カミュの目の前を何かが跳んだ。道化服の裾のボンボンが揺れた。サーベルの刃がカミソリのようにデスコピオンの体から肉を削ぎ取った。
 カミュはちょっと驚いた。まさか、本当に戦闘に加わるとは。しかもなかなかの攻撃力だった。
「イレブン!」
ベロニカが呼んだ。
「これ以上あいつの守備力が下がらない。限界よ」
 デスコピオンは痛みに刺激を受け、怒りに荒れていた。サンドブレスを吐き、鎌状の前足を振り回して暴れた。セーニャが魔法で、ベロニカが手持ちの薬草で回復を繰り返すが、デスコピオンの力は圧倒的だった。
 パーティのアタッカーはイレブンとカミュ、そしてシルビア。特にイレブンの攻撃はしつようだった。いくらダメージを受けようとお構いなしに巨大サソリに駆け寄り大剣を振るった。
「うぅぉぉぉおおおおっっ」
戦闘中のこの雄たけびを、どうやらイレブンは無意識に上げているらしい。せいぜい十六のまだ少年の、小柄で華奢な肉体が、殺意の塊と化す瞬間だった。肩を並べて短剣を振るっていたカミュがぞく、と背筋を震わせた。今、こいつの眼は血走ってるんじゃなかろうか。
 気が付くと何度目かのターンでついにデスコピオンのツボにヒットしたようだった。デスコピオンが大音響でわめくと短剣がつくった傷口の周辺から体が紫に変色していった。
「よし、取れる!」
眼前の巨体を見上げ、イレブンが断言した。本人のHPはボロボロになっていた。
「イレブンちゃん、今、薬草を」
シルビアの声をイレブンの怒声が遮った。
「余計な真似をするな!」
シルビアはもとより、セーニャ、ベロニカ、カミュまでが一瞬動きをとめた。
 大剣が翻る。デスコピオンの六本ある前足のひとつがだらりと下がった。必要な腱をイレブンが断ち切ったらしかった。が、反対側の前足が真横からイレブンを襲った。防御が間に合わない。イレブンの身体は斜めに斬り下げられた。
「おい!」
一度砂地に転がったイレブンが、大剣を杖に起き上がった。その身体にゆらゆらと陽炎のようなものがまとわりついた。次の瞬間、イレブンの身体から青い炎が噴出した。たっぷりくらったダメージのために集中力が研ぎ澄まされた状態、ゾーンだった。
「とどめだ」
大剣を頭上に構えてイレブンは凄絶な笑顔になった。

 サマディー王国領は広大な砂漠の中に奇岩巨岩の乱立する土地だった。そびえ立つ岩の上に満月が出ている。金の満月は勇者の赤い星のそばにあり、これからゆっくりと夜空を横断していくのだった。
 岩が風を遮る場所に焚き火のあとがあった。パーティは以前この同じ場所にキャンプを張ったことがあり、夜営地はすんなりとそこに決まった。
「こんなとこでもいいですか、シルビアさん?」
一行のリーダー、イレブンが、心配そうに小首をかしげて一番新しいメンバーにそう聞いた。勇者である彼が名目上リーダーなのだが、実はパーティで最年少である。
「当たり前じゃないの」
にこっと笑ってシルビアが応じた。
「旅芸人だって、こうやって野宿しながらツアーをするのよ」
ぱっとイレブンが笑った。さらさらした髪やつやつやした肌に大きな目のおかげで少し幼く、かわいらしく見えた。
「そうなんですか。芸人の人たちって、馬車で旅をして宿屋さんに泊るのだと思ってました」
 前日までパーティはサマディーにいた。七色に輝く虹の枝を求めていろいろとがんばっていたのだが、特にサマディーの王子ファーリスには振り回されっぱなしだった。
 ――あなたは騎士の国の王子!ひきょう者で終わりたくなければ戦いなさい!
 最後の瞬間に、ファーリス王子はシルビアの言葉で勇気を取り戻した。パーティはただ感嘆しながら見ているだけだった。
 サマディーでの事件の後、虹の枝を持った商人を追っていくことになったとき、一度はパーティから分かれて行ったシルビアが同行すると言い出した。こうしてシルビアは新しいメンバーになった。
「野宿は好きよ。アタシお料理にはちょっとうるさいし腕に自信もあるわ。今度ご披露するわね」
「楽しみにしてます。今日はぼくとセーニャが食事当番なんです。ご飯、がんばって作りますね」
もおっ、とシルビアは長い腕で自分の胸を抱え込んで悶えた。
「ほんとにかわいいんだから、イレブンちゃんたら。食べちゃいたいわぁ」
長身のシルビアはイレブンよりも頭ひとつ分背が高い。イレブンは両手のひらをあわせてシルビアを見上げた。
「ごめんなさい、ぼく、きっと美味しくないです」
困りきった顔でそう訴えた。両掌で自分の顔をはさみシルビアは幸せそうなためいきをついた。
「も、どうしようかしら。きゅんきゅん来るの。邪神ちゃんと戦う前にアタシの心臓が持ちそうにないわ」
デルカダールの渓谷地帯で育った素朴な少年は驚いた顔になった。
「ええっ、シルビアさん、病気なんですか?」
うふっとシルビアが笑った。
「ビョーキには違いないけど、心配しなくていいわ」
ん~、とつぶやきながら、シルビアはイレブンの上にかがみこみ、指でさらさらした髪をすくいあげた。
「心配してもらうって悪くないわ、かわいい勇者ちゃん。戦闘の時のアナタもそりゃかっこよくてステキだったけれどね」
どかっと音をたててカミュは木箱を焚き火の前に置いた。
「邪魔だ!」
アラとつぶやいてシルビアが場所を譲った。
「カミュ、ごめんね?」
「いいからさっさと飯作ってこい。セーニャ一人だと晩飯がやばい」
素直にうんと言ってイレブンが砂の上を駆けていった。
 カミュがふりむいた。
「おいおっさん、うちの勇者に手を出すな」
シルビアは悪戯っぽい表情で片目をつむってみせた。
「単なるコミュニケーションじゃな~い」
カミュは不満をこめて腕を組んだ。
「そのガタイでいたいけな青少年におっかぶさるなっつってんだよ」
シルビアの職業は旅芸人だった。体が元手とあって成人男性の標準から言ってもかなり背が高く、道化の服に隠された体は逆三角形の見事な均整を誇る。その筋肉は見た目だけではなく、砂漠のモンスターに剣ひと振りで立ち向かう力量と度胸を生み出していた。
 シルビアは顎の下で両手を握り合わせた。
「アタシはただ、イレブンちゃんのことをもっとよく知りたかっただけなの。いつもは素直で天然でかわいくって、でも戦うときは別人かと思うほど果敢で攻撃的」
 焚き火のそばにいたベロニカは、思わず目を細めた。“別人”と言う感想は本当だろうと思う。初めてイレブンの戦い方を見たとき、ベロニカも息を呑んだ。だが、勇者は本当に二人いるんじゃないかという疑惑は、今のところベロニカとカミュが共有する秘密だった。
 時々ベロニカには、勇者本人の傍らに影のような存在がうっすらと見える。だがどういうわけか、かなり高い魔力を持つセーニャにはわからないらしい。その影を見ることができるのは、なぜか盗賊上がりの短剣使い、カミュの方だった。
 “えらく素直でかわいげのある『ベビー』と、ピリピリして四方八方喧嘩売りまくりみたいな『サイコ』がいる”、とカミュは解説してくれた。“ベビーが出ているときは、サイコが陰だ。でも戦闘中はサイコがそこにいて、ベビーのほうが影だ”。
 実はベロニカにもそこまではっきり見えない。ふとした瞬間イレブンがぶれて二重に見えるというていどだった。それはラムダの一族から抜擢を受けて勇者の導き手となったベロニカとしては、多少むかつくことでもあった。なんでアンタに見えるのよ!と食い下がった時、カミュは握り拳を口元に当ててしばらく考え、“あいつが俺を相棒だと思ってるからじゃねえかな”と言った。
「こんな面白い子っていないわ。よく知りたい。一緒に旅をするんですもの、当たり前でしょ?」
 その事情をシルビアが知るはずもないのだが、いったい彼の眼には勇者はどう見えているのだろうとベロニカは考えた。
 カミュは焚き火の反対側に置いた丸太の上に座り込み、腕を組んでシルビアをにらみつけた。
「あんた、うさんくさいんだよ。いちいちクネクネすんじゃねえ」
はぁ、と人差し指と中指で額に触れてシルビアはためいきをついた。
「アタシの乙女心がズタズタ……」
「おっさんだろ。もう一回言うぞ。勇者に何の用がある?ちょっかい出すな」
気取ったようすで手首を折ってシルビアは自分の鎖骨に指先を当てた。
「勇者ちゃんだけじゃなくて、アタシはみんなのことを知りたいと思ってるわ。セーニャちゃん、ベロニカちゃん」
ベロニカの方を見てウィンクした。ついこわばった笑顔で応じてしまった。
「それにカミュちゃんもね」
カミュはけっとつぶやいた。
「あんたに何がわかるんだ」
 手の甲に顎をのせてシルビアが流し目をくれた。
「カミュちゃんについては、バイキングと一緒に仕事をしたことがある、正規の戦闘訓練を受けたことはない、あと血の繋がりはともかく小さい兄弟がいるってことぐらいかしら」
 カミュの顔色が変わった。刹那、足が砂地を蹴った。サッシュにはさんだ短剣をひと呼吸で引き抜くとシルビアに飛びかかり、自分の体重で相手を地べたへたたきつけた。
「てめぇ、何もんだ!」
刃はシルビアの喉に突きつけられている。カミュはほとんど青ざめていた。
「ちょ、何やってんのよ!」
ベロニカが叫んだ。あわてた声が後ろからも聞こえてきた。
「え、え、何?」
イレブンとセーニャがちょうどもどってきたらしかった。
 砂地で大の字になったシルビアの胸に血相かえたカミュがほとんどまたがって、今にも喉を切り裂こうとしている。イレブンたちはあわてたが、一番落ち着いているのはシルビアだった。
 唇が笑いのかたちになった。
「いきなり押し倒すなんてカミュちゃんたら、見かけによらず積極的なんだから。このケ・ダ・モ・ノ」
「ふざけるな、答えろ!」
ウフン、と笑ってシルビアは言った。
「さっきキャンプ設営のために丸太を縄で縛っていたでしょ?あれは船乗りがやる水夫結びだけど、ダーハルーネみたいな内海の港じゃあまり見ないの。あれは外海のしかも北の港でよくやるバイキング結びだわ」
くっとカミュがつぶやいた。
「それと、カミュちゃん、短剣の順手と逆手を入れ替えるときに切っ先を回して手首をかすることがあるでしょ。傷が残ってるものね。短剣の戦闘では、最初の訓練でちゃんとした入れ替え方を教わるのよ。でもカミュちゃん習ってないわね?」
「……我流だ」
食いしばった歯のあいだからカミュが認めた。
 腹筋を使ってシルビアが上体を起こした。自然にカミュが下がった。
「小さい兄弟ってのは、アナタのふだんのイレブンちゃんの扱い見て、年下を教えなれてると思ってかまをかけただけよ」
くそっとカミュはつぶやいたが、短剣を鞘にしまった。シルビアが立ち上がり、腰をひねって背中についた砂を払い落とした。
「この次押し倒すなら二人っきりのときにしてね、モナミ」
ウィンク一発くらってカミュは渋い顔になり、後頭部をかるくかいた。
「俺としたことが、すっかりひっかけられた」
カミュは、大きな鍋を抱えておろおろしているイレブンとセーニャを見た。
「悪かったな。飯にしてくれ」
「ケンカなんかしちゃだめだよ」
涙目寸前のイレブンの顔の前でカミュは手を振った。
「してねえよ」
くすくすとシルビアが笑った。
「アタシがちょっとからかっただけよん。カミュちゃんみたいな素直な子も、アタシ大好き」
じろ、とカミュはシルビアを見た。
「どうでもいいけど、朝剃った髭、顎にポツポツでてるぞ」
「イヤーアアアアッ!」
砂漠の夜空に黄色い声の悲鳴が響き渡った。