炎のサントハイム 4.プロポーズとお菓子とお茶と

プロポーズとお菓子

「飲んだことないお茶ね。でもおいしい。お菓子もね。嬉しいわ」
お茶を飲みながらデイルがさまざまな世間話を話し、アリーナがそれを楽しく聞く。とてものどかな昼下がりだった。
(でもちょっと残念。久しぶりにクリフトに会えたんだから、もうちょっと話したかったな。)
デイルの話を聞きながら、そんな勝手なことをぼんやりと考えていた時だった。
「アリーナ様、わたくしの勝手な夢を聞いていただけますか?」
「なあに?」
デイルは真摯な眼をしていた。アリーナは意識を切り替えた。
「もしも、わたくしがアリーナ様に望まれる事になれば、わたくしがいったいどう姫様の手助けをし、国を支えてゆきたいか。」
「そんな展望があるの?デイルには。」
自分にもまだわかっていない。サントハイムをどんな国にしたいか。このまま維持したいのか、発展させたいのか…
「わたくしは、たとえアリーナ様が女王になっても、今のままで居てほしいと思っております。冒険と戦う事が何よりも好きで生き生きと輝いていらっしゃる、私がはじめてみたときと同じようなアリーナ様でいつまでも居て欲しいと思っています。」
「それは…できないことだわ、デイル。私は、この国を守りたい。…そして守る義務があるの。」
何かを得る時は、何かを失う時。自分は女王になったときに、その自由を失う。…それはずっと前から覚悟していた事。
「ええ、ですがもし姫がわたくしを選んでくだされば、それを両立できます。わたくしには多少ですが帝王学の心得がございます。」
「どういうこと?」
「ええ、姫様がこの大陸、ひいては世界を巡っている間、わたくしが代わりに国を守ればいいのです。」
「でもそれじゃ…」
「いいえ、それは大切なことなのです。いいですか?一般的に他の国の様子を見て回るのに、使者を送り込みます。ですが、使者とて何が大切で、どこに注目せねばならないのか、よく理解できない事が多いのです。ですが、真に国を治められていらっしゃるアリーナ様が世界を巡れば、国にとって一番相応しい情報も得られますし、世界を救った勇者であらせられるのですから、入ることを許されない場所も、めったにないといっても良いでしょう。わたくしは城で姫の帰りを待ち、わたくしに判断できるような簡単なものだけを処理し、難しい問題は姫が帰っていらっしゃった時に解決をすればいいのです。そうして他国と交流を持ち、他国の良い所を取り入れ、自国の良い所を伸ばす事が出来ます。」
デイルの話はまだ続く。
「国内の視察も大切です。余り国王を悪く言いたくはありませんが…もし、国王自らが視察を頻繁にしていらしたら、あのテンペの悲劇は、もっと少ない犠牲で終わる事が出来たのです…いえ、もしかしたら未然に防げたかもしれない。ですが、アリーナ様なら大抵のモンスターを倒す事ができますし、もう二度とそんな問題は起きないでしょう!アリーナ様が直々に定期的に訪れることが出来るならば、反乱も起こりにくくなりますし、こまごまとした不満も国に早く届き、結果として早く地方の不満を解消できます。」
アリーナはうっとりとした。それはまさしく理想どおりだ。国を守る事が、冒険や闘いにつながる…それは素晴らしい未来だった。
「もちろん余り長旅をしていただく事はできません。王の長い不在は国民に不安を与えます。わたくしはまだ未熟者ですから、最初の内は理想どおりには行かないかもしれませんが…わたくしができるだけの女王の雑用を済ませる事が出来れば、アリーナ様は、今のアリーナ様を殺すことなく、サントハイムの立派な治世が保てるのです。」
薔薇色の未来。まさにそんな言葉だった。闘いが、治世につながるとは、思ってもみなかった。
「でも、それじゃデイルが政治を行うと言う事?」
「いえ、わたくしにはそこまで権限はないでしょう。わたくしは…いわば大臣様やそうですね、ブライ様のようなことよりほんの少し多く政治に携われば、それで十分です。」
「でもそれじゃ、デイルは嫌な事ばかりやらなきゃいけないんじゃないの?」
「そんなことはありませんよ。」
そう言って笑う。
「わたくしがまっさきにアリーナ様の冒険の成果を嬉しそうに笑うアリーナ様から聞く…それはなによりもうれしい事です。炎のように戦うアリーナ様を私は一番最初に実感する事が出来る…それだけあれば…わたくしは何もいりません。」
(この人は、本当にクリフトに似ているわ)
ぼんやりとそんな事を考えた。にこやかに笑う顔。そしていつもアリーナを一番に考えてくれている発言が、本当に似ていた。
「アリーナ様。」
気が付くと、デイルの顔は、アリーナの真近にあった。その整った顔を、夢心地でアリーナは眺める。
「…想って下さっていないのは、判っています。…そんなことは望みません。ですが、わたくしを夫とする事、考えて下さい。アリーナ様の為に…わたくしは、アリーナ様にふさわしい国を作りたいだけなのです… どうか、わたくしと、結婚してください…」
…そこから先のことは、覚えていない。ただ、ぼんやりとしていた。夢心地の中、席を立つデイルの後姿をぼんやりと見ていた。肩より少し短い薄墨の髪が、よりクリフトを連想させた。
だからだろうか。気が付くと、アリーナは一階を…クリフトのよくいる教会のあたりをうろうろとしていたのは。
「アリーナ様?」
「クリフト…」
どこかぼんやりと見返す瞳。
「ど、どうされたのです?アリーナ様?」
「え?え…え……私…どうしたんだろう…?」
「何か、お悩みですか?礼拝堂開いておりますよ?」
「…神様より、クリフトに聞いて欲しいわ。今、空いてる?」

 

礼拝堂に”使用中”の札を下げ、クリフトはアリーナに席を勧める。
ぽこぽことハーブティーが入れられる。部屋中にいい匂いが充満する。ゆっくりとあたまのもやもやが消えて行く気がした。
「どうぞ、お飲みください。」
「ありがとう。」
暖かいものが身体に入り込む。空を見上げると、もう黄昏だった。いったいどれほどの時間、ぼんやりしていたのだろうか、とアリーナは考える。
「それで、どうされたのですか?グローサー様のことですか?」
「ええ、聞いてくれる?」
少しずつ、アリーナは語りだす。デイルの国政の計画の事。確かにそれに夢見た事。そして…プロポーズされた事。
「りょ、了承されたのですか?」
んー、と首をかしげる。
「私もぼんやりとしていて、あんまりよく覚えていないのよね。」
「で、では、今アリーナ様はどう思われていますか?」
「正直、とても魅力的だわ。」
クリフトがごくりと息を飲む。
「グローサー様ですか?」
「ううん、デイルが言った計画の事よ。私、そんな風に考えたことなかった。もちろんいろんな問題もあるけれど…でもそれは普通の政治も一緒よ。それなら、と思う気持ちもあるわ。今の私になら、どんな国にも一瞬に行く事ができるし、一瞬で帰って来れる…理想的な気がするのよ。」
「では…」
聞きたくない。だけれど、聞かなくてはいけないこと。
「グローサー様自体はどう思われていますか?」
「え?デイル?」
アリーナはあっさり答える。
「うーん、こう、胸がときめくって想いはないわ。でも、デイル以外にこんなに理解を示してくれる人は他に居ないと思うし…」
うーん、と考え込む。そんな対象に見たことも、あまりないのだ、正直言って。恋に生きた人たちを身近に見てきて、あれほど熱い想いを誰かに注げる気が、今の自分にはしない。
けれど。
「でもそうね、デイルってクリフトに似てるのよ。だからなんとなく気を許しちゃうのよね。」
クリフトの頬がカッと赤くなる。
(姫に深い意味はない、姫に深い意味はない、姫に深い意味はない、姫に深い意味はない…)
呪文のように心に念じるが、動悸がおさまりそうにない。
「んー、でも、今結婚したいって気にはあんまりならないのよね。なんでかしら?」
ぶつぶつと、アリーナがなにやら考えている。顔の赤みを抑えてクリフトが、言葉を吐き出す。
「姫様の人生を決めることです。ゆっくりとお考えになって下さい。グローサー様にしても、きっとアリーナ様にはゆっくり考えて結論をだして欲しいと願っているはずです。」
「そう…かな?」
「ええ、そうですよ。姫様が決める問題ですから。」
だが、本物のクリフトと久々に話して感じた違和感があった。その正体はまだ霧のようにつかめなかったが、アリーナはその事について相談しようと思った。
「そうよね…でも、それにしては…?」
がちゃ、と扉が開く。
クリフトが声をあげる。
「申し訳ありませんが、礼拝堂は使用中です。もう少し…」
「やはりここにいらしたのですね、アリーナ。」
”使用中”の扉を開けて入ってきたのはデイルだった。
「デイル…」
「クリフト様、いけませんね。いかに神官といえど、人の婚約者と二人きりでいるのは感心しませんよ。」
「婚約者…?」
いぶかしげなアリーナに、デイルはそっと近づき、さりげなくクリフトから引き離す。
「アリーナ様から了承を貰った後、わたくしはその足で王の元へ向かい、承諾を得てきました。これでアリーナ様、いえアリーナと私は正式な婚約者と言うわけです。」
「「しょ、承諾?」」
二人の声が重なる。デイルはさも意外そうに言う。
「そうですよ、アリーナ。わたくしの言葉に頷いてくださり、そのあと口付けを交わしたではありませんか。… わたくしはどれだけ嬉しかったか…」
プロポーズ、婚約、口付け…一つ一つの言葉がクリフトの心を切り裂く。
そう、アリーナが決める事。アリーナが決めたならば、自分にどうこうできる問題ではない。それが、王の承諾を得ているなら、それはもう、正式な婚約だ。
「申し、わけありません、グローサー様、不注意でございました。ですが、私は神官です、困った方の相談を、私は断るわけには参りません…」
頭を下げる。…顔を、見られたくなかった。
「ク、クリフトは悪くないわ!私が、私が相談に乗って、って言ったんですもの!」
アリーナはデイルに言う。
正直、今の状況がわからない。婚約したと言う事実の実感もない。クリフトの言葉に、どこか胸が痛くなったことも、自分にはよく判らない。
だが、事実は伝えなくてはならない。混乱した頭の中で、アリーナは必死で頭を動かす。
「そ、それに、クリフトはそんな事知らなかったんですもの…クリフトは、悪くないのよ、本当よ?」
「判っておりますよ、アリーナ。クリフト様には大変お世話になっていたのでしょう?本気で責めたかったわけではないのです。…ちょっとした嫉妬、です。」
微笑してアリーナに告げたあと、デイルはクリフトを見る。
「すみません、本気で言ったわけじゃないんですよ。ただ、これからは気をつけてくださいね。神官であれど、あなたは年頃の男性なのですから、貴方がどうとか言うよりも、口さがない他の人間が心配です。アリーナの事だけでなく、あなた自身のこともね。」
「私、自身ですか?」
息を詰らせながら言った言葉に、デイルは、髪をかき上げた。
「そうです、司祭へ進まれるにしても、どなたかとご結婚なさるにしても、そういった噂は毒にしかならないでしょう?貴方はとても優秀な神官なのですから、そんなことをしてはもったいないですよ。」
「そ、そうよ!クリフトは、とっても優秀なの!!」
「ええ、よくわかっているつもりですよ…よく、ね。」
肩を抱かれながら、ゆっくりと出て行くアリーナ。そして礼拝堂に残る自分。… それが、人生の分岐点のようにクリフトは思えた。
そして、アリーナも。

(結婚、か…)
まったくもって実感がわかない。頷いた実感も。これから結婚するのだと言う、実感さえも。
(もしかして、期待していたのかしら。『恋』をするってことに。)
共に旅をした二人の女性は、とても恋に生きる二人だった。激しい恋。人生を決め、身を焦がすような愛。その二人は、とても美しかった。
(王族には無理だって、わかってたのに。それでもがっかりしてるのかしら…恋が出来ないで結婚が決まっている事に…)
デイルは、いい人だ。今はまだ、恋愛対象ではなくても、いつか恋に変わるかもしれない。
それに、デイルの計画は…目がくらむほど素敵だった。
(それなら、いいじゃない?政略結婚で嫌な男と結婚するより、デイルのほうがよっぽど素敵。…一応自分で決めたらしいんだし…) 
それでもなにか、心の棘が抜けなくて。…どうすればいいかわからなくて。
…アリーナは、その夜、眠つけなかった。