日曜日、午前4時 第一話

「SPICE!」 〔byみなと(流星P)様〕二次創作

 丘の周りをめぐる道路に数人の男たちが立っていた。午前七時過ぎ、日曜のことである。土曜の夕方から降りだした雨は、今も大気を濡らしていた。
 丘のふもとには学校があった。用地の関係でテニスコート三面がこの道路の真下に作られていた。眼下のテニスコートにも人がうごめいていた。学校関係者ではなかった。ある者は制服、ある者はツナギ。その背にはPOLICEとあった。
 テニスコートとコートの間には、白いチョークで奇妙に捻じ曲がった人の形が描かれていた。
「実際の現場はこちらだと思われます」
道路の男たちはスーツ姿だった。
「被害者のスリ傷や服に付着したものからみて、道路下の草地を滑ってから下のテニスコートへ墜落したようです」
「発見者は?」
「あの学校の生徒です。中学生で、テニス部だそうで」
一人が口を挟んだ。
「驚いただろうな」
「最初てっきり死んでいると思ったそうですよ」
「そういえば、被害者は?」
「こん睡状態が続いているそうです。当分証言は難しいでしょう」
説明していたものが黙り込むと、雨が道路に当たる音がいっそう響いた。一人がぼそっとつぶやいた。
「下の現場、何か見つかったか」
「めぼしいものはないです。白い細長い布がありましたが、被害者のものかどうかわかりません」
「そうか」
と年配の男の声がそう言った。
「とにかく通報者に話を聞かないとな」
説明していた者は手帳を取り出して広げた。
「通報は午前6時40分。市立山葉二中の教諭で、テニス部の顧問、咲音先生ですね。学校で待機してもらっています」
「おまえ、聞いて来い」
「はい」
一人が返事をした。刑事たちが移動しようとしたとき指示を出した男が言った。
「被害者が突き落とされたのは、午前4時ごろだったな?」
「そのようです」
「第一発見者と通報者が、その時間何をしていたか、確認しろ」

 咲音教諭はちょっと眉を上げた。
「午前4時ですか?家で寝ていました」
「まあそうでしょうね」
 中学校の職員室は人けがなく、がらんとして見えた。咲音教諭、校長、教頭の三人が心配そうな顔で刑事を待っていただけだった。校長と教頭はあわてて駆けつけてきたらしい。咲音教諭は白地に赤のラインが入ったジャージの上下だった。
 刑事は自分の手帳を確認した。二十代独身美人女教師、かつ、かるく90センチ越え、レッドデータブックに記載したいようなレアもの、というところには、ボールペンで二重線をひいた。
 日曜の部活の朝練習―当番の女子生徒がテニスコートの準備をしにやってきて被害者を見つける―職員室へ駆け込んでくる―顧問の咲音先生があわてて見に走る―その場で救急車を呼び、警察と校長に連絡する。不自然な行動はなかった。
「実際に被害者を発見した女子生徒とは話ができますか?」
校長が露骨に嫌な顔をした。
「別室で待機をさせていますが、どうしても必要ですか?生徒たちの間に動揺をまねきたくないので」
たぶんそうなるだろうと思ったので、刑事は驚かなかった。
「では氏名と住所だけお願いします。警察内部の書類を書くときに必要ですから」
咲音教諭はあらかじめ用意していたらしいメモを差し出した。
「住所は市内の山葉町一丁目、××-××-202。クラスは2-B、姓名は鏡音リン」
「どうも」
 咲音教諭と刑事はいっしょに職員室を出た。
「これから部活ですか?」
「今日は中止です。試合も近いのでもったいないんですけどね」
美人で頭の回転がよくて、性格はさっぱりしている。天然記念物並み、と頭の中のデータに付け加えた。
 廊下の角を曲がって黒い学生服の少年と白いセーラー服の少女がやってきた。
「先生!」
咲音先生はあとを聞かずに言った。
「ああ、もう帰っていいわ。大変だったね」
「あ~、よかったあ」
少女は安心したようだった。硬かった表情がほぐれていく。
「お兄ちゃんが迎えに来ちゃったんです」
少女に良く似た少年が答えた。
「だって、二中で殺人事件だぜ?めったにないじゃん」
「いや、昏睡だけで死んでないから」
刑事が言った。少年はぴくっと眉を動かした。次の瞬間、子供らしい好奇心まるだしで彼は話しかけてきた。
「警察の人ですか?今、銃持ってんの?」
「それテレビの見すぎだよ」
なにげなく言ったとき、視界のすみに咲音教諭の顔が見えた。まるで、それこそ死体を発見したようなこわばった顔だった。唇が白く見えた。
「なんだ、ツマンネ」
少年は言い捨てた。
「リン、帰るぞ」
「スポーツバッグ置いてきちゃった」
「おまえ、トロいなあ!ほんと、ウサギ頭なんだから。脳みそふわふわだろ」
少女の髪は白い幅広のヘアバンドとまとめられていた。結び目が頭のてっぺんにあるので、ウサギの耳に見えなくもない。
「ウサギ頭って言うなあ!」
そう叫んで、ばたばたと走っていった。
「じゃ、先生、さよーなら」
まるで小学生の男の子のように、でかい声で少年は挨拶した。
「鏡音くん」
咲音教諭の顔はまだ顔色が悪い。
「え?」
教諭は一度口ごもった。
「ご両親に、連絡を取れるかしら」
「リンのことはどっちの携帯にもメール入れたけど、いつ帰ってくるかはわかんね」
「そう」
ぺこっと刑事に向かってひとつお辞儀をして、彼は昇降口へ行ってしまった。
「あの女の子が鏡音リンですね」
「はい」
「男の子は?」
咲音教諭は何も言わなかった。
「先生?」
「あ、彼は」
咲音教諭は一度言葉を飲み込んだ。
「あの子は2-Aの鏡音レン。リンとは双子です」
と言いながら、何か別のことに気を取られているのがありありとわかった。

 ホワイトボードには引き伸ばした写真が貼ってあった。ぼさぼさの髪とくまの目立つ老けた男の顔である。つきおとし事件の被害者だった。
「松元成則。こう見えて35です」
刑事は手帳を取り出して読み始めた。
「彼が発見された山葉二中のそばのビデオレンタルショップ○○○のアルバイト店員です。勤続は14ヶ月」
ひとつ咳払いしてページをめくった。
「えー、前科があります。迷惑行為、窃盗などで三回ほど記録が残っています」
あー、やっぱり、などと言う声があちこちからあがった。
「美人の先生との接点は?」
「見つかっていません。おそらく、ないでしょう。というのも過去の被害者の年齢が上から15歳、12歳、10歳」
ロリかよ!と誰かがつっこみを入れた。
「発見者は14歳だったか?」
「中学二年14歳です。彼女は松元の働いていた店でビデオを借りています。兄妹ともども会員カードを作っています」
「もし松元が鏡音リンの住所を知っていたとしたら、つきまとい行為はあったのか?」
説明していた刑事は小さくため息をついた。
「ありました」
じわっと室内がざわめいた。
「少年課に、当時中一だった鏡音リンが、松元と同じ人相の男につきまとわれている、外出時にあとをつけられた、というの相談が記録されていました」
「それは、鏡音家から?」
「いいえ。当時の鏡音リンの勉強を見ていた女性です」
「家庭教師か」
「駅前のマンツーマン型学習塾の講師でした。当時女子大生で、名前は初音未来。鏡音リンは、定期試験対策のため一種の補講を受けに初音未来のマンションを訪れたそうです。そのときに被害者と同じ人相の男が話しかけ、逃げると追いかけてきた、と」
突き落としの動機が生々しく浮かび上がってきた瞬間だった。

 初音未来が住んでいるのは、贅沢ではないが手入れの行き届いたマンションだった。
「日曜の午前四時ですか?チャットしていました」
「朝の4時に?」
「チャットの相手が海外にいたので、しかたなく」
 ワンルームタイプの部屋は、よけいな飾りが少なくきれいにかたづいている。最初の印象よりずっと堅い、生真面目な印象だった。予備調査によると専攻は経済学でゼミの教授の推薦により就職先は内定している。塾の講師は大学に入ったときからしていて、勤続四年になる。勤め先の評価も高かった。
「失礼ですが、塾の生徒を個人的にマンションに呼んで勉強を見てやる、ということはよくあるんですか?」
未来は長い髪をゆすった。
「いいえ、リンちゃん一人です。そのことでは塾からも注意されました。個人授業のようなことは、他の生徒さんの手前えこひいきのように見えるし、父兄からも苦情があった、ということで」
「リンちゃんのご両親からですか?」
 鏡音夫妻が両方とも仕事を持っていてかなり忙しい、ということは把握している。娘のことにも気を使っていたのか、と刑事は意外に思った。
「いえ」
未来は言葉を濁した。
「でもそのことは解決しています。直接会って話したい、ということでお目にかかって説明して、ご了解をいただきました」
「そうですか。では話を松元のストーカー行為に絞ります。あのときリンちゃんは一人で来たんですね?」
「期末試験のために数学のテスト範囲をさらうことになっていました。雨が降っていて」
先に松元の写真を見せて、ストーカーはこの男だったと思う、と未来は即答していた。
「五時から来る約束をしてここで待っていたら、あの子がひどい声で電話してきました。誰かが追いかけてくる、と」
「それで?」
「マンションの下へ降りたら、あの子が青くなって駆け込んできました。あとから中年男が来たんですが、リンちゃんが一人じゃないのを見るとためらいました。そのすきにエレベーターに乗って部屋に上がって、鍵をかけました」
ウサギって言うなあ、そう叫んで走っていった少女を刑事は思い出した。それはまさしく狩られそうになった、幼い子ウサギの姿だった。
「それで?帰りはどうしたんですか?」
「もう数学どころじゃなくて、すぐに鏡音家に電話したんですが、ご両親は不在でした。結局、あの、鏡音レン君が来て、3人でいっしょに鏡音家へ向かいました」
「レン君もあなたの教え子ですか?」
何の気なしに言ったのだが、未来は答えなかった。指が髪にかかり、ひとふさつまんでもてあそんでいる。
「っていうか、別の先生が教えてたかな。成績がいいんです、あの子」
「マンツーマン方式でしたっけ?」
「そうです。私が直接教えたことはないです」
「ここで補講をうけたことも」
「ないです!」
赤く筋がつくほどきつく、指に髪がからみついていた。

 車を走らせながら刑事は考えていた。
 昨年からずっとつきまとわれているとすれば、鏡音リンには松元成則を突き落としたい理由があったと言える。しかしあの子がそれを実行したとして(かわいい子ウサギだが、14歳の彼女の身長なら突き落としは可能だ)、いったい咲音教諭と初音嬢は何を隠しているのだろう?
 二人はうそをついている。それだけは確かだった。
 信号が変わるのを待ってゆっくり車を走らせたとき、見覚えのある顔が視界に映った。道路わきの児童公園の中だった。入り口から遊具がかいまみえる。平日の夕方だが、遊んでいる小学生はいなかった。刑事は右折して車を止め、窓を開けた。
 公園の中にブランコが並んでいる。一台にあの少女、鏡音リンが、隣の一台に大人の男性が坐っている。見覚えがあるのは、その男のほうだった。二人は熱心に話しこんでいる。それはすっかり日が暮れて暗くなるまで続いた。二人はブランコからおりると、肩を寄せ合って公園の入り口まで出てきた。男は少女の額に、それは大切そうに唇をつけた。少女はぱっとほほをそめた。髪につけた白いリボンをゆすり、踊るように彼女は走っていってしまった。
「何やってんスか、先輩」
いきなり話しかけると男はびくっとした。あわてて見回す顔がこちらに向き、ようやく目が合った。
「えーっ!?」
すっとんきょうな声をあげてとんできた。刑事は車のドアを開けた。
「乗ってください。駅まで送ります」
「おー、ありがとう」
顔中で笑うその笑顔が高校の頃と変わっていなかった。刑事は苦笑いをした。
「っていうか、商売もんに手をつけるのはまずくないですか、始音先生」
高校時代の先輩が山葉二中の化学の教師だということは前もって知る機会があったので驚かなかった。
「場合によっちゃ、御用ですよ」
「手をつけるだなんて冗談じゃない。ぼくらはリンちゃんが大学を卒業するまで待とうって話し合ってるんだから」
「待とうって、結婚を?」
笑顔は幸せいっぱいだった。
「ほんとうですか」
「ほんとう。あの子が中学を卒業したら、鏡音のおうちに挨拶に行くんだ。ぼく、ご両親に気に入ってもらえるといいんだけど」
「結婚まで、ざっと数えて10年くらいですね」
「うん。待ち遠しいなあ。あの子、かわいいんだよ」
「みんなからかわいがられる。トクな子ですね。あの、そのにやけた顔なんとかしてくれませんか。公園で下校デートですか?」
「ううん、生活指導」
幸せそうな顔がさらに、にへらへら、と崩れる。
「あの子が、このあいだ突き落とされた人に追いかけられたことあるって知ってる?」
「警察でも把握してますよ」
「登下校のときついてくるんだって。ぼくが一緒に下校するようにしてから出なくなったんだけど」
子ウサギはナイト付きだったことを刑事はようやく理解した。
「あの子ね、『あんなやつ、死んじゃえばいいのに』って思ったんだって。そしたら今度の事件が起きた。『あたしのせいかなぁ』って。な?かわいいだろ?」
きゃっきゃっと彼は笑った。刑事は軽くいらっときている。
「呪いは刑事罰の対象外です」
「だよね!気にしないほうがいいって指導しといた」
「ま、第一発見者になってしまったのはショックだったでしょうね」
「運が悪かったよね。日曜日の朝、朝練当番を代わって一番にテニスコートに行ったばっかりに」
刑事はおや、と思った。
「本当は当番じゃなかったんですか?」
「って言ってたよ。日曜日の朝、当番の子が風邪ひいて練習に出られないってメールが来て、それであの子が代わりに行って準備をしようとしたんだって」
 では、鏡音リンは、自分が突き落とした男がまだ転がっているかもしれないテニスコートへ一人でのこのこ出かけていったわけだ。彼女は松元が死んでいないこと、こん睡状態になっていることを知らなかったはずだから、その行為はよほど豪胆か、頭が悪いか、どっちかということになる。今まで見てきた彼女のイメージにそれはどうにもそぐわなかった。

 署の長い廊下を歩いていくと、刑事部屋の中から同僚の声が聞こえた。
「ボスは?」
「県警でーす」
「長さんは?」
「出張でーす」
「殿は?」
「聞き込みでーす」
神威刑事はようやく声を掛けることができた。
「“殿”やめてください。今帰りました」
婦警がふりむいた。
「面会したいという人が二人来てます」
「え」
「山葉中のつきおとし事件の担当者に会いたい、と二人とも言ってますが、一人づつばらばらに来て、別々に待ってもらっています」
聞きながら、自分の机に何か書類をとじたものがあるのを見つけた。
「あ、それ、松元成則の供述書です。目をさましたそうです」
表紙をめくってざっと目を通していく。自分の顔色が変わるのが分かった。
「どうしました?」
「なんでもないです。ええと、面会ですか?」
はい、と婦警は真顔で言った。
「巨乳の美人とクールな女子大生です」