世界の境界を越えた少女 第二話

「ブラック★ロックシューター」 〔by ryo 様〕ver.テト 二次創作

 輝きは背後から来た。耳鳴りのするような高い音をたてて何かが空を走っていく。飛行機雲のように煌くラインを残してそれは背後から正面へと、テトの頭上高くまっすぐに飛び去った。
「な、なに?」
あわててテトは空を見上げた。
 飛行機雲というよりも流星の尾に近い。極度に細く、ありえないほど明瞭で、そしてまだ暗い空の中で白く輝いている。東から西へと空にくっきりと描かれた一本の線だった。
「これがロックシューティング?」
 再び耳鳴りがした。
 最初の線に沿って、もう一筋のラインが描かれ、見る見るうちに伸びていく。それはどこまで最初のラインと平行だった。
 テトは一生懸命目を凝らした。
「何が始まるの?」
だが空の向こうまでは見えない。あれを見るには、もっと近寄らなくては。そのためには、この谷を降り、荒野を駆け、あの真下へ行かなければならない。
カウンタに目を落とした。
「100%」
テトは親指の爪を噛みしめた。きぃん、と音が鳴った。三本目のラインが空に伸びる。
「ちくしょう!」
目の前にはV字型の黒い鎖があった。両手で左右の鎖をそれぞれつかんだ。黒いブーツの底で、鎖を橋につなぎとめているボルトをおもいっきり蹴った。
鉄のボルトはとにかく、コンクリート製の橋にあけたボルト穴はもうぼろぼろだった。靴底で蹴ってもボルトは壊れないが、穴の中でぐらつき、そして穴のほうが壊れた。
 ボルトがまず浮き上がり、鎖に吊られてびんと空中へはねあがりそうになる。一番錆びて劣化した鎖の輪を、テトは力まかせに踏みにじった。
 輪がちぎれとんだ。
 左右の手はまだ鎖をつかんでいる。ひじまでぐるりを巻きつけて、テトは勢いをつけて橋から空中へ飛び出した。
 両手はまっすぐ広げ、Tの字のような形になって斜め下へダイブしていく。
がらがらとやかましい音を立てて頭上で鎖が引き出されていく。それよりも耳を掠める空気の音がビュウビュウとうるさかった。
 廃墟の空中ブランコはテトの体を谷底へと運んでいく。眼下の産廃置き場が怖いような勢いで近づいてきた。
 物が腐ったときの異臭がたちのぼる。橋の上から見ていたよりも、尖った破片ははるかにでかく、鋭かった。
 その上を、紙一重の隙間を残してテトは滑空していく。
 何かが靴底にあたる。と思った瞬間、ふくらはぎが引っかかれた。
「くっ」
コートの裾が裂ける音がした。膝や腿にも擦り傷ができた。
 激突する、とテトは思った。このままでは産廃の山に顔面からたたきつけられることになる。
 慎重に鎖を握りなおした。全体重が十指にかかり、たちまち震え始めた。
「もう少しっ」
どこか、無事に着地できそうなところはないか?黒い鎖にぶら下がったまま、まだ薄暗い谷底を必死で探した。
 いきなり、あそこよ、と誰かに声をかけられたような気がした。
「えっ?」
斜め前、もう少し先に、地面が見えている。産廃の山が途切れ、砂地になっていた。突き出した岩の周辺になにもないところがある。
 目の前にせまってきた鉄の塊を身をくねらせて避け、逆に足裏で思い切り蹴った。体が砂地へ向かって跳ねた。その瞬間に鎖を手放してそちらの方角へ身を躍らせた。
「うわっ」
わき腹が地面にぶちあたって一瞬息がとまった。痛っ、と思ったとき、体がずるりとすべった。
「ちょっ」
そこは本当の谷底ではなかったらしい。産廃の山のまだ下に岩と砂の斜面が控えていた。その急な斜面をテトの体は砂と一緒にずるずると滑り落ちていく。
 モノのないところを狙って着地したのがあだになり、つかめそうなものがなかった。テトはあせった。
「ここまで来たのに!」
ふりまわす手の先に何か堅いものが触った。あわててしがみつくと意外に大きかった。
「うわ」
つかんだものがすっぽりと砂地から抜けたのだ。滑落はとまらない。ぎゃぁぁぁぁと悲鳴を上げて、テトは砂と一緒に斜面を滑り落ちた。
 地面が動かなくなるまで、どのくらいすべっただろうか。全身砂まみれ。口の中にも入っていた。
「ぶっ」
と音を立てて唾液と一緒に砂を吐き出した。テトは立ち上がり、巻き毛と黒いコートからできるだけ砂を払い落とした。
 やっと谷底かとテトは思った。振り返ると、もう這い上がれそうにない砂の山、そしてごつごつとした産廃がつくった崖。その上空のどこかに黒い鎖が二本ぶらさがっているはずだった。
 首をのけぞらせて見上げると、あの橋が見えた。ひどく小さかった。そして空には、ロックシューティングを示す白いライン。それは4本に増え、遠く光っていた。
 何の気なしにテトはカウンタを見た。
「97%か」
それは、今橋の上にいたとしてもあの居住区へたどりつけないということを意味している。ちょっと肩をすくめ、テトは歩き出した。
 ふいに足が何かにあたった。さきほど砂地からひっこぬいた大きな堅いものがそばに転がっている。テトは足を止め、しげしげとそれを見つめ、そして手に取った。
 ロックキャノンだった。

 祈るように組み合わせた指がようやくゆるんだ。
「手に入れたのね。よかった」
それまで黙っていた少女がつぶやいた。
「キャノンは背後へ衝撃を逃すタイプの無反動砲だから、重いことさえ我慢すればあなたにも扱えるはず。でも、気をつけて」
暗い空の下に向かって彼女は語りかけた。
「銃身に装てんした弾数は20。予備も補充もないわ」

 ロックキャノンのトリガーに指をかけ、もう片方の手で砲身を支えたままテトは走っていた。
 砂地は今は、小石だらけの歩きにくいが平坦な荒地になっていた。いたるところに人の身長ほどの高さの岩が植わっている。まるで石の林のようだった。
 その石林の向こう、テトからは見えないあたりから、絶え間なく音がする。ひゅるひゅると聞こえるそれは、口笛のようだと最初思った。
「マンショニャッガー」
テトは声を殺してつぶやいた。
 その奇妙な名前をどこで覚えたのか、そしてなぜ、その名で呼ばれるものが古代の命令をかたくなに守る人間狩り用の機械だとわかったのか、テトには見当もつかない。
 初めは背後から口笛が聞こえた。足を速めて進んでいくと、別の口笛が加わった。背後に加えて、真横、そして斜め前。テトは進行方向を変えた。が、まもなくそれが罠だったときづいた。
「囲まれた!」
ジグザグに向きを変え、また突然の方向転換を繰り返しても、まわりから聞こえる不吉な口笛はやまない。
「殺るしかないよね」
ずんぐりした岩を見つけてテトはその陰にうずくまった。
 やや先のあたりをひゅぅひゅぅと音を立てて何か大きなものが動いていく。長さ3メートルほどもある金属の亀の甲羅が何本もの足で運ばれていく。昆虫のように足が多く、頭は甲羅から生えた三本の長い首の上にひとつづつ乗っていた。
頭は、パーツの配置が目鼻に見えるのだが、もしそれが顔だとしたら、あどけない笑顔のカリカチュアのような不気味な表情だった。
「キュア?」
妙なきしみをあげてマンショニャッガーの首の一つが振り向いた。目に当たるパーツが輝いた、とテトは思った。
 その瞬間、テトはロックキャノンを発射した。肩の上に構えてキャノンを安定させ、照星をにらみつつ狙いを定める。使い方を覚えたのは、この荒野をうろつく連中のおかげだった。
 一番初めに殺したときは無我夢中だったし、相手(けものだった)が肉片となって飛び散ったのを見たときは、気絶しかけた。
 だが、今のは完全にベテランの一発だ、とテトは思った。
「ギュアアア?」
胴体を半分吹き飛ばしてやったのに、マンショニャッガーは動きを止めなかった。甲羅の下のマニピュレーターがこちらへ向かってくる。まるで鞭のようだった。
「ちっ」
テトはその“腕”の動きを避けなかった。このマンショニャッガーは知能が低く、キャノンではなくテトの足をおさえつけようとする。足を動かせない状態でテトは待ち構える。石の柱の後ろからぬっと顔を出したマンショニャッガーを至近距離で見て、トリガーを引いた。
 爆音とともにあわれな狩猟機械は粉々になり、マニピュレーターは恐るべき鞭から、枯れたつる草と化した。
 テトは冷静に金属のつるをむしりとり、あたりの物音に耳を傾けた。ほかのマンショニャッガーが気付く前に、できるだけ距離を稼がなくてはならなかった。
 キャノンを手に入れてこの不毛の荒野を走り出してからどれだけたったのかテトにはわからない。背後の崖は遠くなっていくが、正面のテーブルマウンテンはなかなか近くならなかった。
 空は相変わらず闇と光がせめぎあう混沌のなかにあり、その中央に純白のラインが4本、きらめいている。
「道案内みたい」
頭上に輝くラインを見上げてテトはそうつぶやいた。道案内なら、そちらのほうへ行こう、と心に決めて、テトはキャノンを抱えてまた走り出した。
 エネルギー残量を示すカウンタからは刻々と数字が減っていく。すでに80%をきっていた。気にならないことはなかったが、補給が望めない以上苛立ってもしかたがなかった。
「こう考えてみよう」
と再び走りだしたテトは思った。
「もし、五本目のラインが飛んで来たら、あたしはきっと動けなくなる前にどこかにたどりつける」
どこかって、どこだ?テトにはぼんやりしたイメージしかない。
「補給ができて、安全で、仲間がいるところ」
テトはなんとなく足を止めた。大きくて重いロックキャノンは真横に立てて、砲身に腕を回した。
 テトはつぶやいた。
「期待しすぎはNG。誰も待ってるわけないじゃん」
ロックキャノンを抱き、冷たい砲身に額をつけてテトはしばらくじっとしていた。
ふう、とつぶやいてテトは額を離した。
「こう考えてみる。もし、五本目のラインが来たら、あたしには誰か心配してくれる人がいる」
もしかしたら、本当に。その思いはふいにわきあがってきてテトの胸を熱く潤した。
「誰かが、たぶん、そうだ、ブラックロックシューターが」
 その名前もまた、どこで記憶に入り込んだものか、テトにはわからない。だが、とても心地よい、穏やかなのに力強い、不思議なイメージに満ちていた。
 きいん、ともうおなじみになった耳鳴りがしたのはそのときだった。反射的に空を見上げた。白く輝く4本のラインと平行に、五本目のラインが空に現れた。見えない飛翔体が先導して、まっすぐに上空を駆けていく。
「やった!」
思わずテトは叫んだ。そのままあとを追って走り出した。
 しばらく空を見上げて走っていたためか、それに気付くのが遅くなった。テトの前方で石柱の荒野は途切れている。代わりに現れたのは壁だった。
「ちょっと待って」
嫌な気分が口元までせりあがってくる。さきほどの高揚した気持ちが急速に萎えしぼんでいく。
「ここまで来て、こんなんありか?」
エネルギー残量77%。もう、元の町には絶対に戻れないというのに、目の前には古風な赤レンガの壁が立ちはだかっていた。近づくにつれて本当の高さがわかる。どう見てもよじ登るのは不可能だった。
 血走った目でテトはドアのたぐいを探したが、はてしなくレンガが連なるだけでなにもなかった。
「ドアがないなら、つくってやる」
テトは二三歩あとずさり、愛用のキャノンを構えて引き金を引いた。
 かちり、と引き金が絶望の音を立てた。弾が尽きたのだった。
「さっきのが、最後だって?」
はめられた!とっさに浮かんだ言葉はそれだった。
「こんなとこまで来たのに!」
バカヤロー、と大声で怒鳴りながら腕にキャノンを抱えレンガの壁に思い切りたたきつけた。なぜだか壁は壊れないだろうという確信があった。古びたレンガなのに、壁はびくともしなかった。
「5本目のラインてっ、詐欺かよ!」

 嫌な沈黙が五人の間を漂っていた。
「だめなのかい?」
 緑の髪の少女は頭を振った。
「こちらからでは、物理的にはなにもできないの」
夜明けの冷気が五人をひしひしと取り囲んでいた。誰かが小さく身震いした。
「祈るだけってこと?」
「そうね」
緑の長い髪が風の中に翻った。
「ここまで来てよ、テト。あなたにしかできないことがある」
声の届かない荒野へと彼女は祈りを送った。
「来て。『マルコフの最尤の名の下に』」
他の4人が続けて唱えた。
「『マルコフの最尤の名の下に』」