小さな未来 2.第二話

 重い木の扉がきしみをあげて開いた。アムブローズは、ほっとした。見覚えのあるオラクルベリーの市街が広がっていた。赤みがかった石でできた民家や商店、石畳の街路や広場、街路樹、その下の共同井戸。一般庶民が、つつましくも暖かい生活を営む街だった。
「やれやれ」
歩き出そうとするのを、ルークがとめた。
「待ってください、アムブローズさん!」
ルークとヘンリーは、真剣な表情だった。
「見た目、オラクルベリーに見えるけど、これは、偽せものです」
「なんだって?」
「人の気配がしない」
 言われてみれば、その街には、生き物がいなかった。どの店もあけっぱなしで、客はおろか店番一人いない。いつも市街をうろうろしている野良猫さえ影も形もなかった。
 一見、家庭的な温かさのある情景なだけに、人がいないのはひどく気になった。気がつけば、人のすむ町にはつきものの、音がまったく途絶えている。微風が街路樹の葉をそっとゆするだけで、その町は沈黙していた。
「おい、どうする?」
 ヘンリーが、マントの下の剣に手をかけ、ゆだんなく身構えながら相棒に尋ねた。同じようにルークも緊張している。が、前方を指差してアムブローズに聞いた。
「アムブローズさん、ぼくは占い婆様と言う人を知らないんですが、あそこにいるのは、もしかしたら」
アムブローズはあっと叫んだ。
 確かにルークの指差す先に、一人の老女がいた。無人の商店と民家の間の細い小道の入り口に小さな台を置き、その後ろに椅子をおいて、そこに座っている。台の上の太いろうそくの灯りが、黄色っぽい光を彼女の顔に投げかけていた。
 とんがった帽子にしなびた小柄な身体。台の前の水晶玉。オラクルベリーに名高い、未来を占う女、占い婆に間違いなかった。
「そうだ、あれだよ!」
アムブローズはつい、一歩踏み出した。
 そのときだった。家の陰から、何か大きな物音がした。ふとアムブローズはそちらを見て、そして、全身がすくみあがった。
 獅子のたてがみをもった、巨大な獣が姿を現した。アムブローズは、南の大陸で捕獲された獅子を実際に見たことがある。だが、この獣はさらに大きく、その背中は家が動き出したほどの高さがあった。
 がう!獣は牙を剥き、アムブローズの行く手に立ちふさがった。
「な、なんとかしておくれ!」
アムブローズは、二人の連れに向かってわめいた。
「まいったな」
こめかみに冷や汗を生じて、ヘンリーがつぶやいた。
「中ボス戦の用意なんか、してないぞ」
「ヘンリー、ぼくがやるよ」
ルークは、借り物の剣をヘンリーに渡した。
「あいつ、かなり、ごついぞ。ルーク、できるか」
ルークは一歩前に出た。獣の目が、獲物を見つけてうれしそうに細くなった。ルークはつぶやいた。
「やってみる」
「ちょ、ちょっと、ほっとくのかい」
アムブローズは思わずヘンリーに聞いた。
「ま、見てな」
獣から目を離さずにヘンリーは答えた。
「あいつの特技を見られるかもしれないぜ」
「特技?」
「たらしこみだよ」
ルークはもう一歩前に出た。軽く両手を広げて、武器を持たないことを見せた。
「そこをどいてくれないかい?」
獣は片方の前足を浮かせ、鋭い爪をきらめかせた。
ルークは動じなかった。
「さあ、いい子だね。君を傷つけに来たんじゃない。きみだって、ぼくたちを殺したいわけじゃないよね」
ぐわっとひときわ攻撃的に獣は吼えた。勢いよく前足をルークの前にたたきつけると、悪臭のするそのツラを、ルークのすぐそばまで近寄せ、牙をむき出してうなった。よだれが湯気を上げて滴り落ちた。
ルークは、至近距離にある獣の瞳をまっすぐにのぞきこんだ。
「おやめ」
静かにそう言った。獣はしばらく威嚇していたが、しだいにとまどった表情になり、ついに地面にうずくまってごろごろ喉を鳴らし始めた。
「おやおや」
しわがれた声が聞こえた。
「なんと、最短記録だよ。やるねえ、男前の坊や」
オラクルベリーの占い婆が、にやにやと笑っていた。

 占い婆は、片手をひらひらと動かした。
「さ、おいで。あたしに会いに来たんだろう?」
アムブローズは思わず彼女の顔を見た。おいで、と言われても、今までが今までなので、警戒心が先に立つ。
「別にこれ以上仕掛けなんざ、ないよ。もっとも」
そう言って、婆は人差し指をたてて顔の前で振った。
「おまえさんには用はないけどね?」
アムブローズは、むっとした。
「あたしは、サラボナのアムブローズというものだ。大枚の見料をもって占いを頼みにきた、お客ですよ、お客!用がないとはどういうことだい」
占い婆は、しわだらけの顔の中から、落ち窪んだ目をぎょろりと動かした。
「お客だって?いいかい、オラクルベリーの占い婆は客を選ぶんだよ。今夜の占いはあと一回だけと決めたんだ。おまえさんの占いをするのはいやだね。第一、水晶玉を見るほどのこっちゃないよ」
アムブローズは、反論しようとして一度口をつぐんだ。それから、おそるおそる聞いた。
「あたしの未来がわかるのかい?占いをせずに?」
「わかるね。甘やかされたぼんぼんの成れの果てなんざ、珍しくもないよ。女でしくじるか、欲でしくじるか、そんなとこだ。それでも親に尻拭いをしてもらって、歳ばっかりくうんだよ」
心当たりは、売るほどある。思わずアムブローズは、うなった。
「やがて面倒を見てくれる人間がまわりにいなくなったときに、初めて自分にゃ何にも残ってないことに気づくのさ。あんたの未来はね、“みんな冷たい”ってぼやきたおす、くそやっかいな愚痴じじいと決まったね」
「そ、そんな!」
占い婆はそれ以上取り合わず、他の二人に向き直った。
「さて、おまえさんたちは、どうする」
ヘンリーとルークは、顔を見合わせた。
「これは、アムブローズさんのお金なんです。ぼくたち、占いをしてもらえるほど金持ちじゃありません」
ひっひ、と婆は笑った。
「あんた、男前だから、ただでいいよ」
おいおい、とヘンリーが言った。
「見料の設定が、いい加減じゃないのか?」
「あたしの勝手だろ?それに、いちいち何万ゴールドも取ってちゃあ、オラクルベリーのみなさんがお客に来てくれやしない」
「こんなところまでこられる人間が何人いるんだ?」
「後ろを見てごらん」
ヘンリーは振り向いて、うっと言った。
 そこは、オラクルベリーの市街だった。さきほどの、見せ掛けの、無人のオラクルベリーではない。騒がしく、猥雑なほどの活気にあふれた、本物のオラクルベリーの下町だった。
「おれたちにだけは遠回りさせやがって。こういうわけか」
「俗っぽい客を断ってるだけだよ」
「いけすかねえ婆ぁだぜ」
婆はまた笑い声をたてた。
「誰だって未来は知りたいもんさね」
占い婆はルークに声をかけた。
「さあ、おいで」
はい、とルークが言って、占い婆の座っている占いの台の前に立った。
「お願いします」
占い婆は、身体のわりに大きな両手を広げて水晶玉の上にかざした。
「おぅ、おぅ」
満足そうな声だった。
「なんて運命だろうねえ、あたしも初めて見るよ。水と炎の試練、金の鷲、王冠、砂漠の薔薇か」
アムブローズは、ルークの横顔をうかがった。自分にはとうてい得られない、輝かしい未来をこの、一介のカジノのボーイは、持っているらしい。武術の腕前、そして獣を鎮める不思議な力を持っているのに、このうえ、さらに!嫉妬せずには、いられなかった。
いきなり占い婆が顔を上げた。
「このままだとおまえさん、命がないよ」
「えっ」
ルークがぎょっとする。ヘンリーが割り込んだ。
「おい、でたらめ言うな」
「ちょっとお黙り」
そう言って、じっと水晶玉をにらんだ。
「なあ、まじか?回避する方法はないのか?」
くはっ、と占い婆は息を吐き出した。
「そっちの若いの。手を出しな」
ヘンリーが差し出した手を、占い婆はつかみ、水晶玉に重ねた。
「大きな白い翼。自由。あんたにとって、かけがえのないもの」
炯炯とした眼光で占い婆は二人の若者を見た。
「あんたにとってかけがえのないものを、自分から手放すことができるかい、兄ちゃん?」
ごく、とヘンリーはつばを飲み込んだ。
「そうすれば、こいつは死ななくてすむのか?」
占い婆は水晶玉の表面を撫でた。
「死にはしないね。8年の間石の虜となるが、やがて解放される……炎の娘か、白薔薇のどちらかが、死の呪いを弱めてくれる」
ルークは、わからないようだった。
「ヘンリー、きみにとってかけがえのないものって、なんだい?」
あ、とつぶやいて、ヘンリーは口をつぐんだ。無理に作ったような顔で、突然言った。
「そんなもん、そのときそのときで、代わるさ。あったりまえだろ?」
「ヘンリー」
「占いはおしまいだな。ほんとにただでいいのか?」
「ああ、いいよ。でも、あたしの言ったことを忘れるんじゃないよ。そっちの甘ったれのぼんぼんもね」
ヘンリーは肩をすくめた。
「だってよ。帰ろうぜ、若旦那」
アムブローズはため息をつき、ようやく腰を上げた。華麗な運命ではなくても、とにかく、寿命が短いわけではなさそうだった。

 占い婆は、まだ商売道具をしまわずに待っていた。両手の指を組み合わせて椅子にふんぞりかえっていると、思ったとおり一人が戻ってきた。
「なんだい、忘れ物かい?」
「わかってんだろ?」
とヘンリーが言った。
「あいつは、このままだと、本当に死ぬのか」
「ああ。あの子には、親譲りのでっかい敵がいるからね。そいつらがあの子をほっとかないよ」
ヘンリーが奥歯を噛みしめる音がした。
「じゃあ、おれが」
そう言って、黙っている。
「あたしが代わりに言ってやろうか。あんたにとって“かけがえのないもの”とは、あの子といっしょに行くことだろう。それを手放しな」
「そんなこと言ったって、あいつ一人を放り出すなんて、おれにはとても」
「いいわけだね、そりゃ」
ヘンリーは、肩を落としてつぶやいた。
「ああ。いいわけだ。あいつに依存しているのは、おれのほうだ」
「わかりゃいいんだよ」
占い婆はやさしく言った。
「自由に旅をすることとひきかえにあんたは、無上の栄光を手に入れる。位人臣を極めてね。どうだい?」
ヘンリーは首を振った。
「最高の位がどうした。そんなもん、くらべものになりゃしない」
借り物のマントのフードをひきあげて頭を覆うと、ヘンリーはきびすを返した。
「おまえさんさえ決心すれば、あの子の運命は開けていくんだ。二つの小さな冠。何世代もの時を経て復活する勇者。瘴気渦巻く魔界を放浪し、地獄の帝王の寝所へたどりつく。激しい戦い、命の削りあい」
占い婆のつぶやく声が、その背中にささやかれる。
「天上の栄光。大空の城。黄金の神竜」
 そんなもん、くらべものになりゃしない。
 少しまるめた背中でそう言って、ヘンリーの後ろ姿は、オラクルベリーの町の中へ消えていった。